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初熱10
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馬鹿は風邪を引かないという言葉があるように、私ってば子供の頃から、風邪気味かなとは思いつつも寧ろテンションが高くなり、体温計の数値を見てから初めて辛くなるという間抜けな学生生活を送ってきた。
何言ってんだ国語学び直す?と思われるだろうが、その時の私は体が良い感じにポカポカしていて、授業中なんか計算機かってくらいにパッパと暗算できたため、能天気に気を良くしていたくらいだ。
まぁ、小学低学年の頃だけだけれど。
たぶん貧血気味だったから、血流が良くなって頭が冴えていたんだろうね。 エンジンが暖まるみたいに。
そんなエンジンも、加熱し過ぎると不具合が生じる訳で……。
気が付くと私は、まさしくそんな状態だった。
「ハァハァハァハァハァハァ……」
肩を揺らしながら、重たい腕でなんとかパジャマを捲り上げる。
汗の染みた湿っぽい包帯を掻き分けていくと、目的の石が頭を出す。
(……ん?)
予期せぬ事態に、つい手が止まった。
そこにあったのは非常に透明度の高い、綺麗な琥珀色の塊だった。
いや、これこそが、この石本来の輝きなのだろう。
これが……魔石……?
なんと表現するのが適切か。 濃い蜂蜜や色ガラスとは違う、目には見えないオーラのようなものを感じる。
アニメやゲームで、宝石っぽく描かれているのも納得する程の。 存在感が玩具の宝石もどきとは、まるで別物なのだ。
((エメルナちゃん?))
(んっ?! あぁっごめんごめん!)
うっかり見惚れていた。
初生魔石だからって、悠長に感動していられる場合ではない。 のだが、ついつい。
気になって見てみたかっただけだからね。 何も考えてなかったわ。
(えっと……どうしよう、これも投げちゃう?)
ベッド下に。
((それは、1歳児には難しいんじゃないかな?))
(かなぁ……)
服も包帯もそのままなのに、魔石だけが放り投げられている……帰ってきた皆からどう見えるのかを考えると、ギリギリ不自然な気がしてきた。
それならいっそ、上着も包帯も脱ぎ散らかした方が自然だろう。
湿った上着を脱ぐ力があれば、だけど。
((満タンになってても、吸ってくれなくなるだけで無害だから、そのままにしておこう))
(そうなの? ……なら)
下手に触るよりは……と包帯を元に戻した私達は、背中から倒れるように寝転がり、何も見なかった事とした。
あ~、早く誰か帰ってきて。
「ハァハァハァハァハァハァ……」
いくら酸素を吸っても、肺が次っ!次っ!と求めるのを抑えてくれない。
全身の筋肉が、もう働きたくないとサボりたがっている。
こんなに心臓がうるさいのなんていつ以来だろう。
もし体感してみたい人がいるなら、200m自己ベスト更新狙いの全力疾走をオススメしよう。 ゴール後には同じ気分を味わえる筈だ。
(ぁ……うぅ……)
寝転がった後になって、布団の上である事に気が付くが秒でどうでもよくなる。
こんなに暑いんだもん、と自分に言い訳したくなる程までに、とにかく体が重たいからだ。
因みにパジャマも、拭くのを忘れていた汗が染み、背中の不快な感触に絞りたくなってきたが、行動に移す気力はミジンコも残されていない。
TVだったかで、汗は気化する際に熱を持ってってくれると言っていたからね。 仕方ないね。
(さて……どうしよう……)
((うん……))
なけなしの話題すら失った思考が、絶望的な現状へと引き戻されていく。
いつの間にか魔力量が増えていた。 それはつまり、私の全力が泣けるほど追い付いていなかったという事実に他ならない。
無論、何もやらないよりはマシなんだけど……恐らく体が持たないだろう。
ゲーム的に言うと、毎ターン5回復しつつ6ダメージを食らい続けている感覚。 いずれ力尽きる。
そう、体感で理解してしまったのだ。
ならばいっそ、と、あれからお姉ちゃんと交代して別の方法も試してもらった。
魔力は操作出来ても、魔法はまだ扱えないからね。
しかし……。
お姉ちゃんが、サキュバスの得意技らしい『変身』を使えるか確かめようとした所、両腕に激痛が走った。
血管か神経でも焼けたかと錯覚する程の。
指が震え、勝手に涙が溢れる。 それでも泣き声を上げなかったお姉ちゃんは凄いと思う。
落ち着いたお姉ちゃんによると、どうやら全身を魔力で活性化させる過程に問題が発生したらしい。
((さっき使っていた通り道が、魔力焼けしかけていたのかも))なんて言われてしまえば、納得するしかなかった。
治ったと思っていた関節に負荷がかかり、またすぐ痛みだした……みたいなものだ。
だったら、他の魔法はどうなのかも聞いてみた。 のだが、相手がいないと使えない状態異常魔法か、変身とあまり変わらない身体強化くらいしか扱えないらしく、(今は人なんだから)と試みた精霊魔法すら不発に終わった。
精霊魔法を使えない弊害がこんな所で足枷になろうとは……。
こうして、万策尽きた私達は考える事に疲れ果て、下手な事をするよりは……と、後を大人組と運に丸投げしたのだった。
天井が反射するキャンドルの揺らぎを、魂の抜けた半目で眺めつつ、幼児の無力さに呆然自失する。
あと何十分待ち続けなければいけないのか……。 そんな窓の外のように真っ暗闇な先を思うと、無性に何処かへと逃げ出したくなってきて。
胸が苦しい。
(もう眠てたい……。 てかっ! 催眠魔法って自分には使えないの?)
((ぁ~……それがね、サキュバスって眠らせる系の魔法も一切扱えない種族なのよ))
(夢魔が?!)
((ねぇ~、不思議だよねぇ……))
(不遇過ぎるわ)
よくこんな剣と魔法の世界で生きてられるな。 ゆる可愛アニメ向きだろうに。
(はぁ……)
呼吸を乱せないので、心の中でもう何度目かの深い深い溜め息を吐く。
手も足も出せず、現実逃避すら叶わなかった。
もう本当に、どうしようもないのかな……。
死ぬかも
(……)
また、不安がフラッシュバックした。
グッと目を瞑り、顔を背けて知らんぷりを貫く。
いつもの事だ。
腹痛や口内炎の度癌にならないかと心配し、頭痛の都度脳梗塞や脳動脈瘤を想起する。
かと言って病院へ行く訳でもない。 放っておけば勝手に治るし、お金と時間の無駄でしかないもん。
いつもそうだ。
とは言え、無視したくても既に話題は底を尽き、人参をぶら下げられた馬のように不安がチラついて離れてくれない訳で。
軽い冗談や根拠の無い励まし合いすら、もはや口に出来る心境じゃない。
このままだと脱水症状で動けなくなるんじゃないか……アニメみたいな魔力暴走で爆発とかするんじゃないか……皆は本当に間に合うのか?……
死ぬかも。
「ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ……」
そんな思考をその後数十分間繰り返し繰り返し、私のメンタルはゴリゴリと削られていった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
思考がぼんやりする。
脳に疲れが溜まっているのかも……と感じているだけで、それを言葉にすら表せていない程に。
体温も魔力量も共に上昇し続け、体感では最早サウナ室で倒れているような気さえしていて。
いや、炬燵で金縛りになっている時の方が近いかも。 うちの炬燵は蒸し上がりそうなくらい熱かったから。
そんな調子で数分、下手すると数時間。 もうお母さん達が出て行ってからどれだけ経ったのかも分からなくなってきた頃。
それは唐突に始まった。
ドロドロに熔けきった気すらしていた体内に、火が点る。
それは赤く光るまで加熱した鉄球でも飲み込んだかのようで、私の内臓を生きたまま焼き始めた。
「っ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!」
鳩尾の下を両手で押さえ、ベッドの上でもがき苦しむ。
激痛は全身の筋肉を反射的に縮こまらせ、震わせ、痺れさせ、筋繊維を千切りそうなまでに力ませた。
喉が詰まっているのか横隔膜が痙攣しているのか呼吸どころか叫び声すら出させてくれない。
((っぐ…………エメ……ナちゃ……))
お姉ちゃんの声が頭に響くも、私は既に返事どころではなくなっていた。
痛い! 熱い! 苦しい! 怖い!
強烈な感情が、意識を掻き消しそうなまでに荒れ狂う。
大きく見開いた両目からは涙が溢れ、塞がった喉からは首を絞められたような音だけが絞り出されていく。
のた打ち回り、掛け布団もシーツもグチャグチャに乱しながら、必死にその苦しみから逃れようとした体が、更なる力を腕に籠めた。
それこそ骨が折れてしまいそうな程の。 いやもういっその事、腹を裂いて肋骨を折ってでも焼け続けるその部位を毟り取ってしまえればどんなに楽か。
死
今までにない、明瞭な最後が目前にまで差し迫る。
「ングッ!?」
すると、突如胃が収縮し、押し上げられた熱源が食道を逆流していく熱さを感じた直後、横向きのまま夕飯もろとも嘔吐しだした。
水分の多い耳障りな音を数度伴い、胃の内容物が白いシーツに広がっていく。
「ハァァッ!……ハァァッ!……」
((っ……エメルナちゃん! っ聞こえる?!))
(…………ぅん)
全てを出しきり、痛みが嘘のように治まったおかげで、私は正気を取り戻せた。
毛細血管が血圧にでもやられたのか、胃や眼球を中心に全身がジクジクと痛む。
死の淵から生き延びた。 消えた激痛にそう安堵しかけたのも束の間、相変わらず感じる濃い魔力量と危うく死にかけたという現実に、血の気が引いていく。
比喩的な表現の『焼けるような痛み』なんかじゃなかった。 焼けた鉄鍋に触れ、反射で飛び退く程の刺激。 あれから逃れられずに苦しみ続ける痛さだった。
もう二度とごめんだ、あんな生き地獄。
震えの止められない手足で上体を起こし、なんとか四つん這いの体勢になる。
口元と右頬が、生暖かくネタネタしてて気持ち悪い。
(……ぁぇ?)
と、視点が変わった事で奇妙な光が視界に入った。
苦酸っぱい胃液混じりの悪臭漂う中、黄色く輝く1~2cm大の小石が1粒。
(魔石……?)
その結晶は、手に取って確認しようか迷っている僅かな間に、お湯に入れた氷の早さで溶け消えてしまった。
(何で、胃から……?)
魔石を口にした覚えなんてもちろん無いし、あのナースちゃんが一服盛ったとは考えずらい。
となると――
「ハァハァ……っんん! ハァハァハァハァ……」
無視しようと思ったけど、もうムリ限界。
色々気になるものの、まずは胃酸にやられた喉のジクジクを洗い流そう。
せっかく出来るようになった呼吸なのに、立ち込める悪臭も重なって息苦しい。
酔っぱらいじみた挙動でヨロヨロと、キャンドル横に置いていたコップに手を伸ばす。
カタン パシャ!
「ぁっ!」
しかし震える指では力が入らず、コップを横に倒してしまった。
棚から床へと、喉から手が出る程に欲しい水が一瞬にして溢れ落ちていく。
「ぁあぁああぁぁぁ……」
ショック過ぎて微動だにできない。
「………………………………」
そのまま私は、ベッド下に小さな水溜まりが作られていくのを、泣きっ面に蜂な気分で呆然と眺め続けた。
この体と今の体調ではウォーターピッチャーなんて危ないから、あれが最後のオアシスだったのに。
グッと飲みたい衝動を我慢してチビチビと繋げてきた努力が、一瞬にして水の泡となった。
「ぅぐっ! ッゴホッゴホッゴホ!」
どうやら感情を整理する暇すら与えてもらえないらしく、今度は胃液が気管に侵入したかのような痛みに激しく咳き込む。
前世ならこのまま喘息となり、痰に血が混じっていたに違いない。
「ゥッ、ハァハァハァハァ……」
色々不快だが、まずは四つん這いの姿勢で頭を下に、無駄な抵抗はせず咽る時は咽ながら、無理矢理にでも呼吸のリズムを意識していく。
浅く早くから、深くゆっくりへと、肺を意識しつつ徐々に。
そうしていると、咽る率が結構減るのだ。 前世でも散々そうしてきた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
幸いにもこれ以上の悪化とはならず、肺は数秒で落ち着きを取り戻してくれた。
痛みは残っているが、我慢できない程でもない。
(………………)
重い体でのっしのっしと方向転換し、足元側に畳まれていた汗拭き用タオルで口と頬を拭う。
それを広げ、綺麗な面が上になるようにして、臭い物に蓋をしていく。
偶然を装うため、クシャクシャっと一手間加えることも忘れない。
思えば、こんなにも強く命の危機を感じたのなんて、前世も含め人生初だ。
親が言うには、小さい頃に毒キノコを食べて泡吹いた経験はあるらしいんだけど、その後の救急車含め全く記憶に無い。
前世の最後は寝てる間にだったし。 溺れ苦しんだ夢?ですら、どこか非現実的だったというか、寝起き後に「うっわ、嫌な夢見た;」くらいの印象しか残っていなかった。
目覚め後の『サキュバス』やら『異世界』やら『魔法』やらってのも、現実味を見失った一因だろう。
そう言えば、あの時にも思ってたっけ。
いつもの事だ……って。
いつもと同じだから、いつもそうだったから、今回もどうせ……って、甘く考えていた。
その結果がこれだ。
情けない。 近くに家族だっていたのに。 窒息する危険だって想像できていたのに。
何で、なにもしなかったんだろう。
今だって。
人の目なんて気にしている場合じゃなかった。 バレたって構わないから、我慢せず魔力を出すべきだったんだ。
そうしていれば、制御不能になんてならずに済んだのかもしれない。
娘を愛してくれている両親や、そんな両親が信じるシア先生なら、こんな私でも気味悪がらずに守ってくれていたのかもしれないのに。
私は自分の都合しか頭に無かった。
・・・どうせいつものパターンだ・・・大した病気じゃない・・・
・・・また大袈裟にビビってるだけ・・・この程度でいちいち迷惑なんて掛けたくない・・・
――前世の、あの時と全く同じだ。
フッ……
とここでいきなり、視界が暗転する。
(ふおっ!?!)
停電を彷彿とさせるトラブルに、電気通ってないのに!?!・目の神経死んだ?!などとビクつき怯えていると、内側から((あっ、切れた))とお姉ちゃんの呟きが聞こえてきた。
おかげで、キャンドルが燃え尽きたのだと理解する。
さすがこっちの出身、ロウソク歴が違う。
(………………)
にしても、何も見えない。 瞼が下りているんじゃないのかと瞬きを2~3回繰り返した程に。
仕方がないので手探りで枕を探しだし、大人しく横になることにした。 下手に動くと頭から落ちかねないからね。
固い枕に右頬をムニュっと押し付けている私の姿は、まさしく『まな板の鯉』そのものだろう。
停電(?)のショックから回復し、錯乱していた思考が目を覚ます。
このままじゃ駄目だ、と。
体が楽になったと感じているのは、偶然命拾いした直後だからに過ぎない。 熱も魔力も止められないなら、また直ぐ指1本動かせなくなってしまうだろう。
もう胃はカラだってのに。
助けなんて待っていられない。
何が何でも、この後のない状況を打開できる切っ掛けを見付け出さないと。
次こそ、確実に死ぬ。
唯一だった光まで失い、物の輪郭すら掴めなくなったベッドの上で、やれる事なんて考えるまでもない。
(お姉ちゃん、大丈夫?)
((うん。 エメルナちゃんのおかげで、そんなに苦しくはッ、なかったよ))
もちろん平気とは言いがたい様子なのだが、私よりは無事そうな声色に、少しだけホッとする。
死にかけてゲロって咽まくったってのに、結構タフなのね、お姉ちゃんってば。
いやもしくは、私と同じ心境だから、なのだろう。
弱音を吐いてる場合じゃない!……って。
((エメルナちゃんこそ、もう大丈夫なの?))
(ぜんぜん大丈ばないけど、そんなのっ……どうだって良いよ)
不快しかもたらさない五感なんて無視だ無視。 知覚しても認識から除外していれば何の問題も無い。
こんな時こその精神論でしょ。
んなことより今は魔力をどうするかだ。 お姉ちゃんに泣いて愚痴って気が済むまで慰めてもらうのは、ここを生き延びてからでいい。
使えない両目は瞑り、激しい雨音と喉刺す臭気から逃れるように、自分の内側へと意識を向ける。
眠れなくとも、これならお姉ちゃんと同じ空間に居るような気分でいられるので、少しは気も楽になって頭が回るだろう。
(んっ……ングッ!?)
――と思っていたのに。
体の主導権を交代した時みたいに内側へと沈んだ矢先、今度はあまりの魔素濃度に喉を詰まらせた。
何の心構えも無いまま、吹き荒ぶ嵐にでも飲み込まれたかのような。
(…………!?!?)
五感のどれとも引っ掛からない、こっちにきて初めて明確に知覚出来るようになった『気配』を、数倍に濃縮したような圧迫感に包まれる。
しかも、
……動いてる……?
逃げ場を塞ぐ壁のような、全てを押し流す濁流のような。
左から右へ、時計回りに。
体の中から出られず制御しきれなくなった大量の魔素は、台風のように大きく強く、もう手の施しようのない規模で渦巻いていた。
雪だるま式に増えていく情報量にまるで理解が追い付けず、自分の体に何が起きているんだという不安ばかりが膨らんでいく。
(ちょっ、何これ……お姉ちゃん?!)
そんな渦の中心地、私のすぐ隣にお姉ちゃんはいた。 正確には姿は見えていないので、お姉ちゃんの気配を感じる、ってだけなのだが。
何かに集中していたらしく、お姉ちゃんがハッ!と私に振り返る。
((あ……来ちゃった?))
(来ちゃった?って……)
準備中のサプライズパーティがネタバレしたみたいな微妙な反応に、思わずガクッと気が抜けた。
いやまぁ……お姉ちゃんの事だから、酷く動揺する私に気を使って咄嗟におどけてくれたのだろうけれど……。
なんだかもう、感情が渋滞していて……どうリアクションするのが正解かすらも分からない。
(えっと……ありがとう、頑張るよ)
((あぁ、ごめんっ、違うの! そうじゃなくて! ちゃんと説明するから、あまり自分ばかり追い詰めないでぇ~!))
何言ってんだ国語学び直す?と思われるだろうが、その時の私は体が良い感じにポカポカしていて、授業中なんか計算機かってくらいにパッパと暗算できたため、能天気に気を良くしていたくらいだ。
まぁ、小学低学年の頃だけだけれど。
たぶん貧血気味だったから、血流が良くなって頭が冴えていたんだろうね。 エンジンが暖まるみたいに。
そんなエンジンも、加熱し過ぎると不具合が生じる訳で……。
気が付くと私は、まさしくそんな状態だった。
「ハァハァハァハァハァハァ……」
肩を揺らしながら、重たい腕でなんとかパジャマを捲り上げる。
汗の染みた湿っぽい包帯を掻き分けていくと、目的の石が頭を出す。
(……ん?)
予期せぬ事態に、つい手が止まった。
そこにあったのは非常に透明度の高い、綺麗な琥珀色の塊だった。
いや、これこそが、この石本来の輝きなのだろう。
これが……魔石……?
なんと表現するのが適切か。 濃い蜂蜜や色ガラスとは違う、目には見えないオーラのようなものを感じる。
アニメやゲームで、宝石っぽく描かれているのも納得する程の。 存在感が玩具の宝石もどきとは、まるで別物なのだ。
((エメルナちゃん?))
(んっ?! あぁっごめんごめん!)
うっかり見惚れていた。
初生魔石だからって、悠長に感動していられる場合ではない。 のだが、ついつい。
気になって見てみたかっただけだからね。 何も考えてなかったわ。
(えっと……どうしよう、これも投げちゃう?)
ベッド下に。
((それは、1歳児には難しいんじゃないかな?))
(かなぁ……)
服も包帯もそのままなのに、魔石だけが放り投げられている……帰ってきた皆からどう見えるのかを考えると、ギリギリ不自然な気がしてきた。
それならいっそ、上着も包帯も脱ぎ散らかした方が自然だろう。
湿った上着を脱ぐ力があれば、だけど。
((満タンになってても、吸ってくれなくなるだけで無害だから、そのままにしておこう))
(そうなの? ……なら)
下手に触るよりは……と包帯を元に戻した私達は、背中から倒れるように寝転がり、何も見なかった事とした。
あ~、早く誰か帰ってきて。
「ハァハァハァハァハァハァ……」
いくら酸素を吸っても、肺が次っ!次っ!と求めるのを抑えてくれない。
全身の筋肉が、もう働きたくないとサボりたがっている。
こんなに心臓がうるさいのなんていつ以来だろう。
もし体感してみたい人がいるなら、200m自己ベスト更新狙いの全力疾走をオススメしよう。 ゴール後には同じ気分を味わえる筈だ。
(ぁ……うぅ……)
寝転がった後になって、布団の上である事に気が付くが秒でどうでもよくなる。
こんなに暑いんだもん、と自分に言い訳したくなる程までに、とにかく体が重たいからだ。
因みにパジャマも、拭くのを忘れていた汗が染み、背中の不快な感触に絞りたくなってきたが、行動に移す気力はミジンコも残されていない。
TVだったかで、汗は気化する際に熱を持ってってくれると言っていたからね。 仕方ないね。
(さて……どうしよう……)
((うん……))
なけなしの話題すら失った思考が、絶望的な現状へと引き戻されていく。
いつの間にか魔力量が増えていた。 それはつまり、私の全力が泣けるほど追い付いていなかったという事実に他ならない。
無論、何もやらないよりはマシなんだけど……恐らく体が持たないだろう。
ゲーム的に言うと、毎ターン5回復しつつ6ダメージを食らい続けている感覚。 いずれ力尽きる。
そう、体感で理解してしまったのだ。
ならばいっそ、と、あれからお姉ちゃんと交代して別の方法も試してもらった。
魔力は操作出来ても、魔法はまだ扱えないからね。
しかし……。
お姉ちゃんが、サキュバスの得意技らしい『変身』を使えるか確かめようとした所、両腕に激痛が走った。
血管か神経でも焼けたかと錯覚する程の。
指が震え、勝手に涙が溢れる。 それでも泣き声を上げなかったお姉ちゃんは凄いと思う。
落ち着いたお姉ちゃんによると、どうやら全身を魔力で活性化させる過程に問題が発生したらしい。
((さっき使っていた通り道が、魔力焼けしかけていたのかも))なんて言われてしまえば、納得するしかなかった。
治ったと思っていた関節に負荷がかかり、またすぐ痛みだした……みたいなものだ。
だったら、他の魔法はどうなのかも聞いてみた。 のだが、相手がいないと使えない状態異常魔法か、変身とあまり変わらない身体強化くらいしか扱えないらしく、(今は人なんだから)と試みた精霊魔法すら不発に終わった。
精霊魔法を使えない弊害がこんな所で足枷になろうとは……。
こうして、万策尽きた私達は考える事に疲れ果て、下手な事をするよりは……と、後を大人組と運に丸投げしたのだった。
天井が反射するキャンドルの揺らぎを、魂の抜けた半目で眺めつつ、幼児の無力さに呆然自失する。
あと何十分待ち続けなければいけないのか……。 そんな窓の外のように真っ暗闇な先を思うと、無性に何処かへと逃げ出したくなってきて。
胸が苦しい。
(もう眠てたい……。 てかっ! 催眠魔法って自分には使えないの?)
((ぁ~……それがね、サキュバスって眠らせる系の魔法も一切扱えない種族なのよ))
(夢魔が?!)
((ねぇ~、不思議だよねぇ……))
(不遇過ぎるわ)
よくこんな剣と魔法の世界で生きてられるな。 ゆる可愛アニメ向きだろうに。
(はぁ……)
呼吸を乱せないので、心の中でもう何度目かの深い深い溜め息を吐く。
手も足も出せず、現実逃避すら叶わなかった。
もう本当に、どうしようもないのかな……。
死ぬかも
(……)
また、不安がフラッシュバックした。
グッと目を瞑り、顔を背けて知らんぷりを貫く。
いつもの事だ。
腹痛や口内炎の度癌にならないかと心配し、頭痛の都度脳梗塞や脳動脈瘤を想起する。
かと言って病院へ行く訳でもない。 放っておけば勝手に治るし、お金と時間の無駄でしかないもん。
いつもそうだ。
とは言え、無視したくても既に話題は底を尽き、人参をぶら下げられた馬のように不安がチラついて離れてくれない訳で。
軽い冗談や根拠の無い励まし合いすら、もはや口に出来る心境じゃない。
このままだと脱水症状で動けなくなるんじゃないか……アニメみたいな魔力暴走で爆発とかするんじゃないか……皆は本当に間に合うのか?……
死ぬかも。
「ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ……」
そんな思考をその後数十分間繰り返し繰り返し、私のメンタルはゴリゴリと削られていった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
思考がぼんやりする。
脳に疲れが溜まっているのかも……と感じているだけで、それを言葉にすら表せていない程に。
体温も魔力量も共に上昇し続け、体感では最早サウナ室で倒れているような気さえしていて。
いや、炬燵で金縛りになっている時の方が近いかも。 うちの炬燵は蒸し上がりそうなくらい熱かったから。
そんな調子で数分、下手すると数時間。 もうお母さん達が出て行ってからどれだけ経ったのかも分からなくなってきた頃。
それは唐突に始まった。
ドロドロに熔けきった気すらしていた体内に、火が点る。
それは赤く光るまで加熱した鉄球でも飲み込んだかのようで、私の内臓を生きたまま焼き始めた。
「っ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!」
鳩尾の下を両手で押さえ、ベッドの上でもがき苦しむ。
激痛は全身の筋肉を反射的に縮こまらせ、震わせ、痺れさせ、筋繊維を千切りそうなまでに力ませた。
喉が詰まっているのか横隔膜が痙攣しているのか呼吸どころか叫び声すら出させてくれない。
((っぐ…………エメ……ナちゃ……))
お姉ちゃんの声が頭に響くも、私は既に返事どころではなくなっていた。
痛い! 熱い! 苦しい! 怖い!
強烈な感情が、意識を掻き消しそうなまでに荒れ狂う。
大きく見開いた両目からは涙が溢れ、塞がった喉からは首を絞められたような音だけが絞り出されていく。
のた打ち回り、掛け布団もシーツもグチャグチャに乱しながら、必死にその苦しみから逃れようとした体が、更なる力を腕に籠めた。
それこそ骨が折れてしまいそうな程の。 いやもういっその事、腹を裂いて肋骨を折ってでも焼け続けるその部位を毟り取ってしまえればどんなに楽か。
死
今までにない、明瞭な最後が目前にまで差し迫る。
「ングッ!?」
すると、突如胃が収縮し、押し上げられた熱源が食道を逆流していく熱さを感じた直後、横向きのまま夕飯もろとも嘔吐しだした。
水分の多い耳障りな音を数度伴い、胃の内容物が白いシーツに広がっていく。
「ハァァッ!……ハァァッ!……」
((っ……エメルナちゃん! っ聞こえる?!))
(…………ぅん)
全てを出しきり、痛みが嘘のように治まったおかげで、私は正気を取り戻せた。
毛細血管が血圧にでもやられたのか、胃や眼球を中心に全身がジクジクと痛む。
死の淵から生き延びた。 消えた激痛にそう安堵しかけたのも束の間、相変わらず感じる濃い魔力量と危うく死にかけたという現実に、血の気が引いていく。
比喩的な表現の『焼けるような痛み』なんかじゃなかった。 焼けた鉄鍋に触れ、反射で飛び退く程の刺激。 あれから逃れられずに苦しみ続ける痛さだった。
もう二度とごめんだ、あんな生き地獄。
震えの止められない手足で上体を起こし、なんとか四つん這いの体勢になる。
口元と右頬が、生暖かくネタネタしてて気持ち悪い。
(……ぁぇ?)
と、視点が変わった事で奇妙な光が視界に入った。
苦酸っぱい胃液混じりの悪臭漂う中、黄色く輝く1~2cm大の小石が1粒。
(魔石……?)
その結晶は、手に取って確認しようか迷っている僅かな間に、お湯に入れた氷の早さで溶け消えてしまった。
(何で、胃から……?)
魔石を口にした覚えなんてもちろん無いし、あのナースちゃんが一服盛ったとは考えずらい。
となると――
「ハァハァ……っんん! ハァハァハァハァ……」
無視しようと思ったけど、もうムリ限界。
色々気になるものの、まずは胃酸にやられた喉のジクジクを洗い流そう。
せっかく出来るようになった呼吸なのに、立ち込める悪臭も重なって息苦しい。
酔っぱらいじみた挙動でヨロヨロと、キャンドル横に置いていたコップに手を伸ばす。
カタン パシャ!
「ぁっ!」
しかし震える指では力が入らず、コップを横に倒してしまった。
棚から床へと、喉から手が出る程に欲しい水が一瞬にして溢れ落ちていく。
「ぁあぁああぁぁぁ……」
ショック過ぎて微動だにできない。
「………………………………」
そのまま私は、ベッド下に小さな水溜まりが作られていくのを、泣きっ面に蜂な気分で呆然と眺め続けた。
この体と今の体調ではウォーターピッチャーなんて危ないから、あれが最後のオアシスだったのに。
グッと飲みたい衝動を我慢してチビチビと繋げてきた努力が、一瞬にして水の泡となった。
「ぅぐっ! ッゴホッゴホッゴホ!」
どうやら感情を整理する暇すら与えてもらえないらしく、今度は胃液が気管に侵入したかのような痛みに激しく咳き込む。
前世ならこのまま喘息となり、痰に血が混じっていたに違いない。
「ゥッ、ハァハァハァハァ……」
色々不快だが、まずは四つん這いの姿勢で頭を下に、無駄な抵抗はせず咽る時は咽ながら、無理矢理にでも呼吸のリズムを意識していく。
浅く早くから、深くゆっくりへと、肺を意識しつつ徐々に。
そうしていると、咽る率が結構減るのだ。 前世でも散々そうしてきた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
幸いにもこれ以上の悪化とはならず、肺は数秒で落ち着きを取り戻してくれた。
痛みは残っているが、我慢できない程でもない。
(………………)
重い体でのっしのっしと方向転換し、足元側に畳まれていた汗拭き用タオルで口と頬を拭う。
それを広げ、綺麗な面が上になるようにして、臭い物に蓋をしていく。
偶然を装うため、クシャクシャっと一手間加えることも忘れない。
思えば、こんなにも強く命の危機を感じたのなんて、前世も含め人生初だ。
親が言うには、小さい頃に毒キノコを食べて泡吹いた経験はあるらしいんだけど、その後の救急車含め全く記憶に無い。
前世の最後は寝てる間にだったし。 溺れ苦しんだ夢?ですら、どこか非現実的だったというか、寝起き後に「うっわ、嫌な夢見た;」くらいの印象しか残っていなかった。
目覚め後の『サキュバス』やら『異世界』やら『魔法』やらってのも、現実味を見失った一因だろう。
そう言えば、あの時にも思ってたっけ。
いつもの事だ……って。
いつもと同じだから、いつもそうだったから、今回もどうせ……って、甘く考えていた。
その結果がこれだ。
情けない。 近くに家族だっていたのに。 窒息する危険だって想像できていたのに。
何で、なにもしなかったんだろう。
今だって。
人の目なんて気にしている場合じゃなかった。 バレたって構わないから、我慢せず魔力を出すべきだったんだ。
そうしていれば、制御不能になんてならずに済んだのかもしれない。
娘を愛してくれている両親や、そんな両親が信じるシア先生なら、こんな私でも気味悪がらずに守ってくれていたのかもしれないのに。
私は自分の都合しか頭に無かった。
・・・どうせいつものパターンだ・・・大した病気じゃない・・・
・・・また大袈裟にビビってるだけ・・・この程度でいちいち迷惑なんて掛けたくない・・・
――前世の、あの時と全く同じだ。
フッ……
とここでいきなり、視界が暗転する。
(ふおっ!?!)
停電を彷彿とさせるトラブルに、電気通ってないのに!?!・目の神経死んだ?!などとビクつき怯えていると、内側から((あっ、切れた))とお姉ちゃんの呟きが聞こえてきた。
おかげで、キャンドルが燃え尽きたのだと理解する。
さすがこっちの出身、ロウソク歴が違う。
(………………)
にしても、何も見えない。 瞼が下りているんじゃないのかと瞬きを2~3回繰り返した程に。
仕方がないので手探りで枕を探しだし、大人しく横になることにした。 下手に動くと頭から落ちかねないからね。
固い枕に右頬をムニュっと押し付けている私の姿は、まさしく『まな板の鯉』そのものだろう。
停電(?)のショックから回復し、錯乱していた思考が目を覚ます。
このままじゃ駄目だ、と。
体が楽になったと感じているのは、偶然命拾いした直後だからに過ぎない。 熱も魔力も止められないなら、また直ぐ指1本動かせなくなってしまうだろう。
もう胃はカラだってのに。
助けなんて待っていられない。
何が何でも、この後のない状況を打開できる切っ掛けを見付け出さないと。
次こそ、確実に死ぬ。
唯一だった光まで失い、物の輪郭すら掴めなくなったベッドの上で、やれる事なんて考えるまでもない。
(お姉ちゃん、大丈夫?)
((うん。 エメルナちゃんのおかげで、そんなに苦しくはッ、なかったよ))
もちろん平気とは言いがたい様子なのだが、私よりは無事そうな声色に、少しだけホッとする。
死にかけてゲロって咽まくったってのに、結構タフなのね、お姉ちゃんってば。
いやもしくは、私と同じ心境だから、なのだろう。
弱音を吐いてる場合じゃない!……って。
((エメルナちゃんこそ、もう大丈夫なの?))
(ぜんぜん大丈ばないけど、そんなのっ……どうだって良いよ)
不快しかもたらさない五感なんて無視だ無視。 知覚しても認識から除外していれば何の問題も無い。
こんな時こその精神論でしょ。
んなことより今は魔力をどうするかだ。 お姉ちゃんに泣いて愚痴って気が済むまで慰めてもらうのは、ここを生き延びてからでいい。
使えない両目は瞑り、激しい雨音と喉刺す臭気から逃れるように、自分の内側へと意識を向ける。
眠れなくとも、これならお姉ちゃんと同じ空間に居るような気分でいられるので、少しは気も楽になって頭が回るだろう。
(んっ……ングッ!?)
――と思っていたのに。
体の主導権を交代した時みたいに内側へと沈んだ矢先、今度はあまりの魔素濃度に喉を詰まらせた。
何の心構えも無いまま、吹き荒ぶ嵐にでも飲み込まれたかのような。
(…………!?!?)
五感のどれとも引っ掛からない、こっちにきて初めて明確に知覚出来るようになった『気配』を、数倍に濃縮したような圧迫感に包まれる。
しかも、
……動いてる……?
逃げ場を塞ぐ壁のような、全てを押し流す濁流のような。
左から右へ、時計回りに。
体の中から出られず制御しきれなくなった大量の魔素は、台風のように大きく強く、もう手の施しようのない規模で渦巻いていた。
雪だるま式に増えていく情報量にまるで理解が追い付けず、自分の体に何が起きているんだという不安ばかりが膨らんでいく。
(ちょっ、何これ……お姉ちゃん?!)
そんな渦の中心地、私のすぐ隣にお姉ちゃんはいた。 正確には姿は見えていないので、お姉ちゃんの気配を感じる、ってだけなのだが。
何かに集中していたらしく、お姉ちゃんがハッ!と私に振り返る。
((あ……来ちゃった?))
(来ちゃった?って……)
準備中のサプライズパーティがネタバレしたみたいな微妙な反応に、思わずガクッと気が抜けた。
いやまぁ……お姉ちゃんの事だから、酷く動揺する私に気を使って咄嗟におどけてくれたのだろうけれど……。
なんだかもう、感情が渋滞していて……どうリアクションするのが正解かすらも分からない。
(えっと……ありがとう、頑張るよ)
((あぁ、ごめんっ、違うの! そうじゃなくて! ちゃんと説明するから、あまり自分ばかり追い詰めないでぇ~!))
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