サキュバスお姉ちゃんとの転性妹成長記

自宅にて

　授乳中。
　生後初の授乳は緊張したものだ。
　頭では仕方ないと言い聞かせつつも、やはり口内の独特な弾力と温かさは無視しきれないし、何より精神にダイレクトアタックしてくる視線がある。
　お姉ちゃんから。
　これが私一人なら心の内に封印するだけで終われるのに、全てを知る姉が誰よりも近くにいるせいで羞恥心から逃げられない。　全てを知っている……からこそ、偏見や誤解を受けずに済むのだが。

（（意外と美味しいよね。　お腹に優しい暖かさとクリーミーな濃厚さに、ちょっぴり甘味もあって。　赤ちゃんの頃なんて記憶に無いから、良い経験になったわ♪））

　食レポしないでほしい。
　紛れもない実母とは言え、顔を知っている程度の美人さんから授乳されているこの状況には、筆舌ひつぜつにし難い恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてくる。
　早く満腹になりたい……。
　そんな訳で必死に意識を逸そらしてるのだから、話のネタにしないでください。

　・　・　・

　なんて気にする時期が私にもありました。

　もうね、あれから一ヶ月よ？　いい加減慣れてきたから。
　4回目から体が本能的に動いてるのに気が付いて、13回目から味わう余裕すら出てきたものだ。
　そして20回超えで数えるのを止め、3週間後ともなると味や匂いの違いまで分かるようになりました。
　好みはさらさら・甘口・ほんのり果物っぽい香り。
　何食ったらこうなるんだろ。　……異世界特有で前世とは違ってたりする？

（（今日のは少～しとろみが少ないかなぁ））

　あぁ、多分前にお姉ちゃんが教えてくれた、食事の量を減らしたってのも原因だろう。
　いや、憶測だけど。
　お姉ちゃんと母乳談義できるとか、我ながら図太くなったなぁ(遠い目)。

　と、お父さんが食事中の私を覗きこむ。
　微笑ましそうなところ悪いけど、早いこと視界から失せてくれ。　慣れたとはいえ、旦那さんに見守られながら奥さんの乳を吸ってる図で、どうしても気分が落ち着かない。
　いや待て、ここ数日で、今やれっきとした実の娘なのだと自覚できた筈だ。　前世の記憶を持って産まれただけの、全くの別人。　私は乳児エメルナであって、日本の死んだボッチではなくなったのだと。
　そう認識できた筈だ！
　あぁ～おいしいなぁ～、これぞママの味だよねぇ～♪　なにパパん、羨うらやましいの？　片方空いてるじゃん頼んでみなよ。　ぃゃ、その気になれば毎夜ベッドで飲めるかぁ、あっはっはっはっはぁ……
　……コレは酷ひどい。

　満腹になり、お母さんから口を離す。
　ちゅぱっ……。

（（何かエッチぃ音出たね♪））
（やめてぇ、下ネタ禁止！）

　っと、背中を摩さすられて小さくゲップ。　私が下手なのか、そういうものなのか……授乳後はいつもこうだ。
　お母さんって大変なんだな。


　まだハイハイすら出来ない私の一日は長い。
　予定は4つ。　簡単なストレッチと、お母さんとの会話トレーニングと、魔法訓練と、睡眠だけ。　２日に１回はフローラちゃんと会いにこっちから行くか、桃ロングさんが我が家を訪ねてくる。
　数回ある授乳・トイレを除けば、赤ちゃんなんてそんなものだ。
　家事で忙しいお母さんに贅沢は言えない。　とは言え寝すぎるとそれはそれで痛くなるので、たまに体が泣いて抱っこを求める。

　簡単なストレッチとは、例えば両足首を持たれて「いっちに、いっちに」と膝を曲げるものだ。　勿論、腕もそれをする。
　お母さんには内緒だが、腹筋と胸筋と肩甲骨周りも意識して自主練している。　アハ体験ばりにゆぅっくりと数回ずつ。
　筋肉痛は、筋肉が成長しているのだと思えば気持ちいい。　まだ気持ちいい程度で休憩してるからだけど、これって意味あるよね？

　
　お母さんとのトレーニングでは、同時に歌いながらのリスニングも欠かさない。　教育番組でありそうな、ABCD～♪の異世界語版や、果物の名前を羅列しただけの歌。　知らないものはお姉ちゃんに通訳してもらいながら理解していけるから飽きはない。
　それ以外にも、普段からお母さんはゆっくりハッキリ言い聞かせるように話しかけてくれるので、会話の復習として凄く役に立っている。
　ただ、まだ喋れる年齢ではないらしい(フローラ比)ので、努力の成果をお母さんに教えられないのが残念だ。


　もちろん、睡眠学習も続けている。
　あのお姉ちゃんアドバイスが効いたのかは定かではないが、何とか「ごちそうさま」を言うまでには辿り着けた。　まだ片言でイントネーションもしっちゃかめっちゃかとはいえ、前世と比べれば目覚ましい進歩だ。
　苦手なことが出来るようになると、ちょっとテンションが上がり、また次を……と学びたくなる。　一種のマイブームだね。
　学生の頃にこうなっていれば、成績も進路も違っていただろう。　そうなったらお姉ちゃんとも会えなかったかもだから、それはそれで嫌だけどさ。


　魔法訓練は、お母さんのいないタイミングを見計らって続けている。
　こればっかりは睡眠学習とはいかない。　呪いや封印等の基礎知識、照明にも使われていた魔道具とその作り方、人族・魔族・精霊族等々の雑学以外は。
　………あれ？　充分じゃね？

　ただ、一つ面白い成果はあった。
　以前思った分子の話し、それを結界に応用してみた。

　ダイヤモンド構造。

　世界一硬いと称されるダイヤモンド。　その構造を魔力で再現したのだ。
　魔力の分子（魔素）をイメージし、それを組み上げていく。
　1つの分子の真上に1つと、下に3つ……合計5つを均等に配置した三角すい、その形状を全ての角の分子で次々に続け、重ねていく。　……で説明合ってるだろうか？
　にわかが初見で成功する筈もなく、何度も失敗を繰り返し、微調整。
　……数日後、遂に砂粒サイズの結晶を造り上げた。
　強度は確かめようがない。　しかし不可能ではない事だけは実証した。

　しかしこの魔ダイヤ、ドライアイスの如く数秒で消えてしまう。　魔石かと期待したのに落胆である。

（（でも凄い発見よ、無詠唱で結晶化なんて。　これで強度も申し分なく安定して再現可能なら、貴族から目を付けられちゃうわね♪））
（不穏な評価だな！）

　決めた、人前では使わない。

　今ではコンタクトレンズサイズにまで成功している。　勿論ドーム型で。　保有魔力量的にも、結晶化となるとこれが限界なのだ。
　空気中の魔力を吸収しながらの行使……も試しちゃいるが、まだまだ難しい。
　それ以外の件は………長くなるので時が来たら、ね。


　授乳を終え、夕飯の片付けをするお母さん。
　台所で蛇口を捻り、皿を洗っている。
　蛇口といっても上水道は無く、魔石と刻印魔法陣(特定の効果をもたらす魔法陣を刻印する技術)で水だけを出す物だ。
　下水はある。　どこに行ってるんだろうね。
　反対側に振り向き窓を見ると、既に日は落ちていた。
　暗い空に星が見える。
　日本でも都会とは離れた実家に住んでいた時も星は見れたが、ここまでハッキリと多くは見たことがない。
　なんなら部屋にいた時はカーテンを開けたことすら殆ほとんどなかった。

　っと、お父さんが私を覗きこむ。
　何か言ってるけどネイティブはやっぱまだ無理。
　にしても顔整ってるなぁ、お母さんも美人だし。　これで突然変異の中の下以下だったら泣き腫らしてやる。
　抱っこされ……ちょっと不安定だな……部屋を出る。　TVやネットが無ければ、こうも構ってくれるのか。　……親バカなだけかも？

　連れてこられたのは子供部屋。
　今はまだ両親と寝ているが、将来を見据えて徐々に箪笥たんすや鏡等々、家具を増やしてくれるらしい。
　紐を引いて照明を点ける。
　白くて斑むらの無い壁に壁紙は無く、窓には抹茶色のカーテン。　それほど広くはないが、箪笥と姿見が入り口から遠い壁際に置かれてもまだまだスペースは確保されている。
　４人までならギリギリ布団を並べられそうだ。
　そして、そんな未完成部屋のフローリングにぽつんと座る柴犬。

（柴犬！？）
（（わぁ、かわいいぃ））

　にしては丸い輪郭・円つぶらな黒目のみ・布みたいな毛皮。
　ぬいぐるみじゃん。
　あるのかよぬいぐるみ…………無いのは電化製品くらいだな。

（（へぇ、これがぬいぐるみかぁ。　実物は初めてだなぁ））
（え？　ぬいぐるみ見たことないの？）
（（生れは貧困層で、魔王軍になってからも忙しかったからねぇ。　後輩で癒されることはあっても、こういった玩具おもちゃは一つも買えなかったんだよ））

　そうなのか、大変だったんだな。

（なんていうか、お疲れ様）
（（フフッ、ありがと♪　今世は……楽しいことと楽しみなことが一杯で、ワクワクしっぱなしよ））

　本当、このお姉ちゃんはとてもサキュバスには見えないよな。

（（下ネタ言ってほしかったの？♪））
（父の前ですよ、お姉ちゃん？）

　そんな趣味と度胸は無い。

　お父さんが私を傾けて、ぬいぐるみの近くに寄せる。　新品な布の匂い、目は焦げ茶色の木製ボタンで、縫い目も丁寧だ。
　剣と魔法の世界とは思えぬ贅沢品だろうに。
　いくらしたんだろ……は不粋か。

（（でも良かったじゃん、欲しかったんでしょ？　ぬいぐるみ））
（別に、嫌なんて言ってないよ……ただちょっとマジで？　って思っただけでさ）
（（ほらっ、パパさんが期待の眼差しで待ってるよぉ））

　ホントだ。　馬鹿だなぁ、一か月の子にぬいぐるみやわんこの良さなんて分かるかよ。
　よちよち歩けもしないのに。
　でもまぁ、フローラちゃんが私に興味を示してくれたみたいに、折角のサプライズプレゼント、お返しをしてあげないと可哀そうだよね。
　あぁ、なんか顔が熱くなってきた。
　別にそこまでマフマフが好きってわけじゃないんだからね？

（（フフッ、親孝行な良い子ねぇ））
（そんなんじゃないやい）

　ぬいぐるみに手を伸ばし、ちょっと弾力の強めなわんこをお父さんから受け取る。
　首元をギュッと抱きしめて綿の匂いと感触に癒され、犬越しにお父さんと目を合わせた。

「ああぁ～とぉ♪」

　ありがとう、お父さん。
　今の私に出来る精一杯のお礼である。