終わりの町で鬼と踊れ

御桜真

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第三章

【2】 夕闇の記憶 1

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 杏樹と史仁が去って、あたしたちは狭い部屋に取り残された。外は曇天の上に暗い色のカーテンが閉めきられて、部屋は薄暗い。

 緊張が少しゆるんで、どっと体が重くなった。
 ただでさえ血が足りていないのに、出血しすぎたかもしれない。
 傷を負ってもすぐに治るかわり、体が無理をしているのが感じられるくらい、だるくなっている。パドルを杖かわりにしてなんとか体を支える。

 外からざわざわと声が聞こえて、あたしは窓辺に寄った。
 フードを深くかぶる。曇天とはいえ日光に気をつけながらカーテンをめくると、外からやってくる集団が見えた。
 子供達が出迎えに駆けていくのを見ると、この建物で生活をしている人間か。外で働いていた人達が戻ってきたのかも知れない。

 人は皆、吸血鬼を恐れて、夜は住処に閉じこもる。
 そして明かりを節約するためか、日が暮れる前に仕事を終えて、暗くなると同時に眠る。それはどこでも同じようだった。


 曇天の向こうで、長い日が沈む。暗くどんよりした夕闇。
 夕空を見ると、いつも体が冷えていくような感覚に襲われる。寒さなんてもう感じることはないのに。

 同時に、いつも脳裏によみがえるあの赤い夕日。
 あの日の夕空は、こんな雲に覆われた空とは違って、真っ赤な太陽が沈んでいくのが見えた。あのときのあたしには、それを見ることが出来た。

 海に照り返す真っ赤な夕日、肌を焼く熱、むせかえるくらい息苦しい夏。
 首に触れる冷たい手。――思い出して、あたしは身体中の血が下がるような感覚に襲われた。

 ――紘平《こうへい》。
 怯えて声をあげた。震えて大きな声にならない。
 どうしよう。紘平。

「ああーもう最悪だ」
 
 大きな声にびくりとする。過去から現実に引き戻されて、あたしはカーテンを閉めた。
 
 亨悟は抱えてベッドに座りこんでいる。額を膝に押し当てて、大きなため息をつく。くぐもった声で言った。

「あんた、吸血鬼なんだろ」
 そう言えば、傷口を見られたのは榛真だけで、こいつは何も知らないはずだった。だけどさすがに、さっきの戦闘や、杏樹の言葉で察したんだろう。
 あたしが答えずにいると、亨悟はため息一つ、顔を上げる。

「怪しいと思ったんだよ。……なんで俺のこと助けようとしてくれたんだよ。榛真のつきあいか」
「あんたのニワトリをもらったから」
 亨悟はきょとんとした顔をして、それから、目を見開いた。

「あ――やっぱりお前か!! 俺のニワトリ! 隠れて育てるの大変なのに! 貴重な卵と肉!」
「大きな声を出すな」
「出すだろ! このご時世で人の食料、しかも、家畜を盗むなんて、殺されても文句言えないぞ!」
「だから、命を助けてやっただろ」

 亨悟は憮然として口を閉ざした。
 それからまたため息をついて、手足を投げ出すようにしてベッドにひっくり返った。天井を見上げて「寝床がやわらかい……」と呆けたようにつぶやく。

「あんな無茶苦茶して追っかけてくるなんて、あんたも榛真も、おかしい」
「そうかもな」
「俺を助けるために死ぬなんて馬鹿だろ」

 榛真は死んでない――、一瞬思ったが、亨悟が言いたいのはそれじゃないだろう。
 和基と呼ばれていた大柄な男。吸血鬼の少年に殺された。

「お前だけを助けようとしたわけじゃないんじゃないのか」
 弟分を見捨てられない、と言ってはいたが。もちろん、それも本心だったのだろうが。
「仲間を逃がすためでもあったんだろ。ああでもしないと逃げないだろ、ああいう、お前達みたいな奴らは」

 自分が残って特攻することで、彼らの面目を保った。その勇姿をみせつけて、ひとり立ちはだかることで、仲間をうながした。そういうことじゃないのか。
 亨悟は今度はがばりと起き上がる。同時に「いてててて」と声をあげた。顔をしかめたまま、つぶやく。

「……そうかもしれないけど」
 どこか気の抜けた声をしていた。
「でも俺はもうあの人達とは関係ねーよ。それは和基さんだって分かってたはずだ」
 一緒にするなよ、と亨悟はむくれて言う。

「別に連絡手段もないし。榛真にはじめて会ったとき吸血鬼に襲われてたのも本当だし……みっともないけど。別に榛真を油断させようとかしてたわけじゃないんだ。俺は奴らに情報流したりしてない。奴らが来るのも知らなかった。知ってたら、榛真には教えてた」
「なんでさっき榛真に、ヤクザと仲間じゃないと否定しなかった」
「さっきのあの状況で、『本当にこいつらは嫌なんだ、逃げてきたんだ』なんて言えると思うか? 嬲り殺されるだけだよ」

 それもそうだ。
 逃亡兵は死刑だとしきりに言っていた。人をいたぶる機会を逃さないようにと、虎視眈々と狙っているようだった。
 特に亨悟は餌食になりやすいのだろう。

「ほんと榛真はバカだから、そういうの察しがつかねーんだよ。自分のことで手一杯だから。ほっとけねーんだけど」
 そうだろうな、と。なんとなく思った。
「別に榛真をだましてた訳じゃないんだ。諜報で出されたのは本当だ。だけど、俺の兄貴分の人が、俺がああいう集団が肌にあわないの知ってて、諜報っていう体で逃がしてくれただけでさ」

「さっきの奴か。和基とかいう」
「俺の親父に世話になったとかで、俺のことは特に気にかけてくれてたんだよ。俺なんか、どんくさいだけで役にも立たねーのに。いい人だった」
 言葉は過去のものになって、ぽつりぽつりと落ちていく。

「誰かを襲ったりするの、性分じゃないんだよ。ああやって集団で外に出て町に着くたびに、誰もいないでくれっていっつも思ってた。炭鉱掘りも、暗闇で吸血鬼を警戒しなら、神経すり減らして息苦しかった。何人も死んでいったし、外で略奪しては何人も死んでいった。俺の母親も父親もそうだ。そういうのもうウンザリなんだよ」
 生きてきた場所を捨てた。
 それはあたしも同じだった。同じだが、亨悟とは違う。

 あたしは、捨てたくて捨てたわけじゃなかった。いられなくなっただけだ。生まれ育った場所に戻りたくても、戻れない。
 いられるのに捨ててくるなんて、贅沢だなと思う。――だが、捨てたくなる気持ちも、分からなくはない。

 へら、と笑って亨悟はあたしを見る。あの集団に混じって生きていくのは、確かに亨悟には苦しかったのかも知れない。
 それに大人達は怯えや義務意識でたしたちを抑えつけて、あたしたちは昔の便利さも、これからの希望も何も知らないまま、窮屈に生きて死んでいく。

 ――だからあたしが、あたしたちが、近くの町へ時々出かけていって、外を見たりしていたのは、仕方ないと思う。
 素直に従っていれば良かったのかも知れないけれど、もう今となっては、考えても仕方がない。

 榛真みたいに危ないところにツッコんでいって、自転車であちこち走り回って、自由に動き回るのがうらやましくもある。

「吸血鬼は食べるために、生きるために殺すけど、あの人たちはそうじゃない。嬲るために殺すし、奪うために殺す」
 あいつ――榛真を付け狙っていた奴は、そういう風でもなかったが。

 結局、吸血鬼だって、人間だって、同じように、やるやつはやるし、そうでないやつは違うと言うだけだ。
 だけど、亨悟の言うことも分かる。捕食するのと、略奪するのとは違う。
 でも、まるで肯定するような言葉を人間に言われるのは、なんだか奇妙だった。

「お前はあたしが恐くないのか。人間を襲って、食料にしてるのに」
「こえーよ、吸血鬼なんて嫌いだよ。身体能力おかしいし、いつ殺されるか分からないし。でも吸血鬼は違うだろ、ヤクザ達とは。生きるために生き物を食らうなんて、今更だろ」
 ニワトリ、と亨悟はつぶやく。
 それから、あーあー、と大きな声を上げた。

「はじめてのダチだったのに」
 バカ榛真め、と亨悟はブツブツぐすぐす言っている。

「奴らに小突き回されて、こき使われるのは楽しくないし、略奪も楽しくない。俺、今の生活が好きだよ。自由だし、自分の力で自分のことだけ気にしてればいいのが気楽でさ。明日の飯がどうなるか分からなくたって、ここにいるほうが楽しかった」
「きっとあいつは分かってる。お前のこと信頼してないとか言いながら、あんな無茶苦茶して助けようとした奴だ」
「分かってるよ。でも榛真は馬鹿だから、認めないんだよ」
「拗ねてるんだろう。会ったばかりのあたしにコーヒーとおにぎりをくれたようなお人好しだ」

 あたしは、吸血鬼に襲われていた人間をただ助けただけだった。
 それにこだわって、恩を感じて、食料と薬をわけてくれるなんて。誰だって自分のことに精一杯のこんな状況で。
 かといって素直にありがとうを言うわけではない。律儀で不器用な奴だ。

「あんたとそのうちまた会った時には、何にもない顔してるよ」
 気まずくて、かえって話題に出来ずに、傷ついてもいないし傷つけてもいないような顔をしているだろう。
 そのかわり、必死に助けてくれるのかも知れないし、何か食べ物をくれるのかもしれない。――少なくとも、亨悟にはそうだろう。

 あたしを見た憎しみの目を思い出す。あたしもずっとあんな目をしていたんだろう。
 なんだか放っておけなかった。

「コーヒー俺にくれるって言ってたのに」
 亨悟は不満でいっぱいの声をあげた。
「おにぎり俺だってもらったことないのに」
 なんだよ、女は別かよ、と不満たらたらぶつくさ言っている。
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