130 / 236
nosce te ipsum
viginti tres
しおりを挟む
天弥の右目から、涙が一しずく頬を伝い落ちる。
「失ってから自分の気持ちに気がつくとは、我ながら馬鹿だとしか言いようがないんだが……」
天弥の口が微かに動き、何かを小さく呟き出した。
「俺の自分勝手な願いで、お前に残酷な事を強いているのは理解している。どう言葉を尽くしても謝りきれないし、償いようも無いと思う」
斎は、天弥に向かって足を踏み出した。少しずつ、その距離が縮まっていく。
「あ……る……」
天弥が呟いている言葉が、途切れ途切れに斎の耳に入る。斎は天弥に向かって手を伸ばした。あと少しで指先が天弥の頬に触れようとした瞬間、その手は振り払われてしまった。
「ナイアール!」
らしくない、救いを求めるような天弥の声と言葉にその様子を見つめる。すぐに、天弥は背を向けると走り出した。
斎は、天弥の駆け出した方へと視線を向けた。闇が揺らめき、深淵が具現したような存在が顕現する。それは長身痩躯の男の姿をしており、浅黒い肌に漆黒の長い髪、白を基調とした古代エジプトの王と神官を混ぜ合わせたような服装をしていた。足首までの麻布を腰に巻きつけ、その上から全身を覆う半透明のカラシリスと呼ばれる布は、毛皮の腰帯を境に優雅なドレープを上下に作り出している。その衣装や首元や手足に飾られた宝飾類から、エジプト新王国時代のものだと推測出来た。
そして何よりも奇妙なのは、目隠しをするかのように覆われた両目の部分の白い布と、闇と同じ色の身体を覆うケープ状の外套である。
明らかにそこだけ異質の存在であるものに、天弥は何の躊躇も無く抱きついた。それは人の姿を模してはいるが、まったく別の次元の存在だということは、嫌でも理解できる。
斎は、闇としか表現のしようのない存在が自分へと視線を向けたのを感じた。目隠しがされているため視線の動きは分からないが、値踏みをされているような嫌な感じが伝わってくる。
「面白いものを作りましたね」
低い、よく通る舞台映えしそうな声が響いた。斎はその場から動けず、手足から血の気が引き総毛立つ。
「勝手に作られてしまったんです」
天弥は顔を動かし、視線を斎へと向けた。
「おかげで、予定を変更する羽目になりました」
闇は口元に微かな笑みを浮かべた。
「貴方の眷属でなければ、私が欲しいぐらいです」
「欲しいのなら差し上げます」
視線を向けたまま、天弥が答える。
「随分簡単に手放しますね」
「本来は、消えてもらう予定だったものです。別に構いません」
天弥は総てを魅了する笑みを、斎へと向けた。
「消えてもらう?」
斎は自分を取り巻く慄然よりも、今の天弥の言葉の方が畏怖を覚えた。
「そうです」
天弥の言葉に、斎は持ちかけられた取り引きの内容を理解する。なぜ、一緒に居るだけで良かったのか、なぜ、取り引きをした本人が現れなかったのか、総て普段の天弥を絶望の底へと追い込むためだったのだ。
「なぜ、俺だったんだ?」
自分が選ばれた理由だけが分からない。同性同士では、お互いに恋情を抱く確立は低くなる。
「先生は、あれにとって特別な存在だからです」
「特別?」
「失ってから自分の気持ちに気がつくとは、我ながら馬鹿だとしか言いようがないんだが……」
天弥の口が微かに動き、何かを小さく呟き出した。
「俺の自分勝手な願いで、お前に残酷な事を強いているのは理解している。どう言葉を尽くしても謝りきれないし、償いようも無いと思う」
斎は、天弥に向かって足を踏み出した。少しずつ、その距離が縮まっていく。
「あ……る……」
天弥が呟いている言葉が、途切れ途切れに斎の耳に入る。斎は天弥に向かって手を伸ばした。あと少しで指先が天弥の頬に触れようとした瞬間、その手は振り払われてしまった。
「ナイアール!」
らしくない、救いを求めるような天弥の声と言葉にその様子を見つめる。すぐに、天弥は背を向けると走り出した。
斎は、天弥の駆け出した方へと視線を向けた。闇が揺らめき、深淵が具現したような存在が顕現する。それは長身痩躯の男の姿をしており、浅黒い肌に漆黒の長い髪、白を基調とした古代エジプトの王と神官を混ぜ合わせたような服装をしていた。足首までの麻布を腰に巻きつけ、その上から全身を覆う半透明のカラシリスと呼ばれる布は、毛皮の腰帯を境に優雅なドレープを上下に作り出している。その衣装や首元や手足に飾られた宝飾類から、エジプト新王国時代のものだと推測出来た。
そして何よりも奇妙なのは、目隠しをするかのように覆われた両目の部分の白い布と、闇と同じ色の身体を覆うケープ状の外套である。
明らかにそこだけ異質の存在であるものに、天弥は何の躊躇も無く抱きついた。それは人の姿を模してはいるが、まったく別の次元の存在だということは、嫌でも理解できる。
斎は、闇としか表現のしようのない存在が自分へと視線を向けたのを感じた。目隠しがされているため視線の動きは分からないが、値踏みをされているような嫌な感じが伝わってくる。
「面白いものを作りましたね」
低い、よく通る舞台映えしそうな声が響いた。斎はその場から動けず、手足から血の気が引き総毛立つ。
「勝手に作られてしまったんです」
天弥は顔を動かし、視線を斎へと向けた。
「おかげで、予定を変更する羽目になりました」
闇は口元に微かな笑みを浮かべた。
「貴方の眷属でなければ、私が欲しいぐらいです」
「欲しいのなら差し上げます」
視線を向けたまま、天弥が答える。
「随分簡単に手放しますね」
「本来は、消えてもらう予定だったものです。別に構いません」
天弥は総てを魅了する笑みを、斎へと向けた。
「消えてもらう?」
斎は自分を取り巻く慄然よりも、今の天弥の言葉の方が畏怖を覚えた。
「そうです」
天弥の言葉に、斎は持ちかけられた取り引きの内容を理解する。なぜ、一緒に居るだけで良かったのか、なぜ、取り引きをした本人が現れなかったのか、総て普段の天弥を絶望の底へと追い込むためだったのだ。
「なぜ、俺だったんだ?」
自分が選ばれた理由だけが分からない。同性同士では、お互いに恋情を抱く確立は低くなる。
「先生は、あれにとって特別な存在だからです」
「特別?」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
月のない夜 終わらないダンスを
薊野ざわり
ホラー
イタリアはサングエ、治安は下の下。そんな街で17歳の少女・イノリは知人宅に身を寄せ、夜、レストランで働いている。
彼女には、事情があった。カーニバルのとき両親を何者かに殺され、以降、おぞましい姿の怪物に、付けねらわれているのだ。
勤務三日目のイノリの元に、店のなじみ客だというユリアンという男が現れる。見た目はよくても、硝煙のにおいのする、関わり合いたくないタイプ――。逃げるイノリ、追いかけるユリアン。そして、イノリは、自分を付けねらう怪物たちの正体を知ることになる。
ソフトな流血描写含みます。改稿前のものを別タイトルで小説家になろうにも投稿済み。
甘いマスクは、イチゴジャムがお好き
猫宮乾
ホラー
人間の顔面にはり付いて、その者に成り代わる〝マスク〟という存在を、見つけて排除するのが仕事の特殊捜査局の、梓藤冬親の日常です。※サクサク人が死にます。【完結済】
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
社宅
ジョン・グレイディー
ホラー
寂れた社宅
3連列の棟に形成された大規模な敷地
両脇の2連の棟は廃墟となり、窓ガラスには板が打ち付けられ、黒いビニールシートで覆われている。
ある家族がこの社宅の5号棟に引っ越して来た。
初めての経験
初めての恐怖
どこまでも続く憎しみ
怨霊に満ちた呪縛
ほぼ実話に基づく心霊現象を描くホラー小説
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる