apocalypsis

さくら

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suggestio veri, suggestio falsi

sedecim

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 顔を上げなくても、嫌というほど視線を感じる。天弥と一緒に居る時にも終始それを感じているが、その時のものとはまるで感じかたが違う。
 花乃は落とした視線を、繋がれている手へと向けた。サイラスはアメリカ人なのだから、自分が考えるほどたいした意味はないのだ。そう、何度も自分に言い聞かせる。
「成瀬花乃」
 突然、名前を呼ばれ顔を上げた。
「はい」
 視線の先に、何かを考えるようなサイラスの顔が映る。
「あーっと、花乃って呼んでもええか?」
「あ、はい」
 フルネームよりは、名前で呼ばれるほうがずっと良い。そう思い、了承の返事をする。
「おおきに」
 礼を言うサイラスの声、繋いだ手、呼ばれた名前、総てが花乃の中で心地よく混ざり合う。
 話題に困り、天弥の事でもとサイラスは考えたのだが、二人はあまり良くない関係だった事を思い出す。天弥の事を話題に出せないとしたら、特に話題になるものも思いつかず、黙って歩き続けた。
 少し何かを考え込むようなその表情を見ながら、花乃はサイラスの言葉を待つ。だが、その口が開く様子はなく、最寄りの駅へたどり着いてしまう。
 サイラスは券売機の前で足を止めると、繋いだ手を離す。今まであった温もりが消え、花乃はジッとその手を見つめた。
「ほい」
 突然の声と共に、花乃の目の前に切符が差し出された。
「え? あ、すみません」
 花乃は鞄から財布を取り出す。
「ええから」
 財布を取り出した花乃を制し、サイラスはその手にキップを握らせた。
「でも……」
「ええって」
 そう言うとサイラスは、再び花乃の手を取った。
「ほな、行こか」
 花乃の手を引き、サイラスは改札へと向かった。
「ありがとうございます……」
 手を引かれ足を踏み出しながら花乃は、サイラスの背中に向かって礼を言う。
 改札を抜け、約一時間で一周をする環状線の電車へと二人は乗り込んだ。少し込み合った車内では、自然と二人の距離が近くなる。触れ合う身体の面積が急激に増え、花乃の胸が高鳴った。
 今まで、花乃の身近にいる異性といえば天弥だった。恋人もいなかった。初めて身近に感じるその存在に、心は華やぎながらも戸惑う。
 毎日、天弥を間近で見ているせいか、多少の容姿の良さでは何も感じる事はなかった。だが、今まで日常にはなかったサイラスの容姿は、その目と心を惹き付けるのには十分なものだった。
 陽の光を受ける金の髪、宝石のような翠の瞳、堀の深い顔立ち、どれも遠目で見ていた。恋心などは無く、アイドルに憧れるようにサイラスを眺めていた。今は、それとは違う感覚が花乃を支配し始めている。
 いくつ目かの駅で、サイラスは閉まる電車のドアを見つめた。後ろ髪を引かれながら、降りるはずだった駅名を眺める。
 ディスクは予約をしてあるし、すでに全額支払ってあるのだから、閉店までに取りに行けば大丈夫だと言い聞かせる。
 電車が動き出した為、窓の外の景色がゆっくりと流れ始める。スピードが上がり、車外の景色が駅から電気街へと変わった。それを見ながらサイラスは、心の中で軽くため息を吐いた。
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