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前世の記憶
しおりを挟む小学校から歩いて二十分の古い団地の一室。そこが私の帰る場所だった。
一人で帰る途中、前を歩く二人組の女の子たちは、ヒソヒソ話をして私を見る。
心臓がぎゅっとなる。自然と早足になって、鍵を開けておうちへ入った。
家の中はいつも通り。汚れたキッチンに、散らかった部屋。
母親はドレッサーの前で金色の髪の毛を巻いている。これから仕事に出かけるんだ。
「ただいま……」
きつい香水の匂いがする。真っ赤な唇の母親が鏡越しに私を睨む。
「……」
「こ、これからお仕事……? が、がんば……」
「あんた、なんで帰って来たの?」
母親はそう言って、キラキラの長い爪で携帯電話をとり耳に当てる。
「あ、もしもし。あははっ、ごめんね、今行く~」
高いヒールで母は玄関のドアを開け出ていった。笑い声が扉の外から聞こえてきた。
「あ……」
晩御飯は今日もなし。
いつもこうじゃない。機嫌がいい時は夜中にご飯を持ってきて一緒に食べたりする。
私は幸せだ。帰る場所があるから。優しい母もいる。父親はいないけれど、欲しいとは思わない。
だけど、いつの日からか見知らぬ男が家に入り浸るようになった。
その男は、度々母親に暴力をふるった。
私は、学校から帰ったら家へ帰らずに母親の仕事場近くの喫茶店に行くように母親から言われた。
「ここは託児所じゃねえっつってんだろ」
「いいじゃん、お願い!」
「親に頼めよ」
「頼めるわけないでしょ? 産むの反対されてたんだから」
「お前、子供の前で……」
喫茶店の店長と母親は知り合いのようだった。店長は渋々受け入れてくれた。
「なにしてんの?」
母親を待っていると、店員のお姉さんに声をかけられた。
「お姉さん、だあれ?」
「ここの店員だよ」
そこの喫茶店の制服はメイド服のような可愛らしいものだった。
「可愛い服、おひめさまみたい」
「どちらかといったら、メイドじゃない?」
「メイド?」
「お姫様のお手伝いさん」
「私も着てみたい」
「大きくなったら着れるよ」
綺麗なお姉さんは、よく話しかけてくれた。ぶっきらぼうな話し方だけど、私は好きだった。
私を可哀想な目で見ない。家へ帰れって言わない。
「あんたいつも同じ服じゃん、母親に買ってもらいなよ。髪も伸びっぱなし」
「お母さん忙しいから」
「……こっち来な」
お姉さんは私の後ろに座って髪をとかして、器用に髪の毛を編み込んでいく。
「はい、完成」
鏡を見て、嬉しくなったのは久しぶりだった。とてもとても、嬉しかった。
お姉さんが、私の本当のお姉さんだったら良かったのに。私に妹や弟がいたら、優しいお姉さんになりたい。
「私、今日でここ辞めるんだ」
「え?」
「結婚するの」
メイドのお姉さんは、誰かのお姫様になるらしい。
「あんたにも、居場所が見つかるといいね」
それからは、あの喫茶店に通うことは無くなった。
最後の記憶は、蝉の声がうるさい蒸し暑い部屋の中。一人きりで、喉が渇いていて、動けなかった。
だけど、しだいに蝉の声が遠のいていって、何も聞こえなくなって。目の前が真っ暗になって。
「っ」
自室のベッドで飛び起きた。
「前世の……」
酷く汗をかいた。まだ夜明け前。
「シャワー、あびよう」
シャワーを浴びてからも、なかなか眠れずにコーヒーを淹れた。
「トルテさん?」
「ルチア」
「随分早起きですね」
「ええ。ルチアも」
「はい。なかなか寝付けなくて本を読んでいたらこんな時間です」
「ダメよ、ちゃんと寝ないと……」
良かった。誰かと話していると気が紛れる。
なぜ、私はこの世界へ来たのだろう。なにか、私に使命があるのだろうか。
私は……。
「……私の居場所を見つけたい」
「え?」
「いいえ。何でもないわ。もう戻るわね」
「あ、まっ」
「ルチアも少し眠った方がいいわ。じゃあ」
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