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第7話 「覚醒の咆哮」
しおりを挟む片方の視界が暗闇へと変わり、光を失うと同時に形容し難いほどの激痛が駆け巡ってきた。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」
まるで噴水のように、槍の突き刺さった目から大量の血が飛び散る。
地に伏しながら刺さった槍を引き抜いてみせたが、全身が痺れるほどまでに達した痛みは消え去ることはない。
すぐさま潰された方の眼球をを手で覆う。
それでも血の流れが止まる気配が一向にしない。
むしろ悪化しているようだった。
「エミリオさんっ!!」
すぐ側にいるであろうノエルの声が聞こえた。
だけど彼女の存在を捉えるより先に、脳が正常ではない事に気がつく。
わけの分からない、見覚えのない記憶が何度も何度も繰り返されていく。
槍が脳にまで到達したせいで、障害の前兆が起きているのかもしれない。
「い、いますぐに治癒魔術をかけますね……す、少しの、少しの辛抱……です」
ノエルの手が震えていた。
最悪の事態を前にしているからだろう。
むしろ平常心である方が難しい。
目を押さえている僕の手にノエルは自分の手を重ねながら詠唱を開始。
だけど、その行動が愚かだったことを、すぐに理解するのだった。
存在を決して忘れていたわけではない。
だけれど突然すぎるた。
目を潰されてしまうという致命傷のせいで、奴らへと向ける視野を疎かにしてしまったんだ。
そして、その最悪はすぐに訪れた。
「っ!!」
治癒魔術で僕の怪我を塞ごうとしたノエルの身体が、エルダーオーガー振り上げた鉈によって切り裂かれてしまう。
容赦のない初撃に吹き飛ばされるノエルを、なにも出来ずに目で追っていた。
そのまま地面へと落下。
彼女はピクリとも動かなくなってしまった。
息はしていたが、地面を血の海にしてしまうほどまで切断された彼女の腹部は致命傷そのものだ。
本能的が僕を突き動かす。
彼女の元まで行かなくてはと体が無意識に動きだしていた。
それを許容できる心を持ち合わせているはずもないエルダーオーガーに、強烈な蹴りを顔面に叩きつけられる。
脆い体が地面の上で転がる。
驚くほどまで軽々しくだ。
仰向けに倒れてしまう。
天井を見上げる状態だ。
いま、自分たちに何が起きたのかを整理する。
ノエルは腹を斬られ、僕は頭蓋骨に亀裂が入るほどの打撃を与えられた。
生きているのもやっとだ。
「人族ノ娘ダ。久々ノ娘ダ。美味シソウ。男ハイラナイ。オ前ラデ相手シロ」
エルダーオーガーの洗脳は強力だ。
統率している魔物達にいつでも指示ができるから。
僕の方に興味を失ったエルダーオーガーは気を保つのもやっとのノエルを見て、醜悪にまみれた表情で舌舐めずりをした。
その表情に見覚えがあった。
そうだ、あれは悪行を働くときにユーリスが浮かべる笑顔だ。
驚くほど酷似している。
見ているだけ、憎悪が膨張しそうだ。
———コイツも。
———コイツも奪うというのか。
「ガァァァァァァァァァ!」
凄まじい激痛が後頭部を襲った。
振り返ることも許されない。
なにも確認できないまま、飛びついてきたゴブリンに左腕を鋭い歯で噛みつかれてしまう。
悲痛な悲鳴を上げた。
なんとか振り払おうと抵抗するも動けば動くほど噛みつかれた歯が肉に食い込んでいく。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」
魔物の唸り声と重なるように、木霊する絶叫が広間に駆け巡った。
次々と襲ってくる痛み。
血に濡れていく身体。
止むこともなく刻まれていく裂傷。
ゴブリンに容赦なく肉を噛みちぎられる。
腕の骨が視認できるほどまで深くだ。
どう試行錯誤しようと覆すことのできない状況に涙すら流れ始めてしまう。
走馬灯だ。
唐突に視界の先で走馬灯が開劇していいた。
見覚えのない光景、記憶が勝手に再生を始めたのだ。
魔族の大群を率いる黒衣の男。
まるで、全てを分かりきっているような澄ました顔を戦場へと向け、常に楽観していた。
どれだけ良い方向へとせかいの変改を求めようと、そこに一致しない利害があればいずれ諸刃の剣が交わってしまうだろう。
そうすれば辿り着いてしまう結末は『無』以外に存在しない。
奪い奪われ、それが次の戦端の幕を切って落とすキッカケとなり、繰り返される破壊は再び新たな火種となる。
これは連鎖。
人族も動物も、魔族も魔物も、神も。
きっといつか滅びが訪れる。
その先にはきっと何も残らなくなってしまうだろう。
脳裏で自己完結しながら、どこか悲しそうな表情で微笑み男はこちらの方へと視線を向けた。
『———背けられる、もう一つの道標を証明させなければならない。その為には次代の『王』を継承しならなければならない。剣ではない、温かな手が交り合う現実を、実現させるためにも』
結果は。
この戦いに男は敗北した。
それだけではない、彼は負けるだけではない悲惨な最期をむかえた。
関連性のない光景を目の当たりにしたのにも関わらず、何故だかそんな予感がしていた。
この男は何も残すことなく死んだ。
それだけの物語でしかなかった。
彼の人生に「正解」はあったのか。
———
———私は貴方を信じますよ、エミリオさん
絶望の淵へと突き落とされたあの日から。
抜け出すことさえ恐れていた僕に手を差し伸べる人のことを想う。
優しく包み込んでくれた唯一の大切な存在。
それが今まさに奪われようとしている。
ノエルの身に纏った服装が徐々にはだけていく。
その、あまりの痛みに目を覚ましたノエルは苦痛の声を上げた。
そんな事にいちいちエルダーオーガーは慈悲を感じたりはしない。
それよりも、どうやってこの娘を辱めてから殺そうかという想像と期待を膨らませていた。
潤った瞳でノエルはエルダーオーガーを見上げて、人生で最も絶望しているであろう表情を浮かべていた。
このままでは自分は殺されてしまう。
なにも得られないまま死んでしまう。
その先には何があるのか。
新たな世界なのか、それとも暗闇だけなのか。
後悔という邪念が彼女の脳裏を支配していく。
抑制できない感情によって徐々に歪んでいく。
だけど、彼女はこの瞬間。
自分の希望となった大切な存在を途端に想う。
独りになって、死の道に辿ろうという決断をした直前に、その愚かな行為を引き止めるように前触れもなく自分の前に現れた。
心の傷を分かちあった真の仲間と呼べる存在が。
絶望の重さは違えど、境遇は一緒だった。
ノエルはそれを偶然だとは思ったりはしなかった。
生まれた時からなのか。
それとも生まれる遠い昔からなのか。
私たちはいずれ出会う運命だったのかもしれない。
「エミリオさん………短い間だったけど………私と出会ってくれて………ありがとうございました」
幸せだった。
それがたとえ短い時間だったとしても。
それでも、もっと長く。
長く一緒に居たかった。
それが、私の願望。
私の最後の願い。
そうであって欲しいかったと。
人の想いが秘められているであろう深い根底からノエルは望む。
徐々に薄れゆく意識に従うようにゆっくりと目を瞑っていった。
なにかに背中を押されたような気がした。
魔物に取り押さえられているというのに、それでも進まなければならない。
誰かに嘆かれていた。
立て。
動け。
助けろと。
あ、僕か。
「———ル」
掠れた声で、彼女の名前を呼んでみせる。
抵抗して何とか抜け出そうとする。
魔物はそんな僕を止めようと、腕にしがみついていた。
強い力で抑えられてしまう。
それでも止まるという選択が頭から消えることはなかった。
魔物にすら今、興味を抱かなくなっていた。
自分のなのに自分の身体を必死に引っ張り出し、押さえつけられていた腕をくれてやるかのように引き千切ってみせた。
痛みなんて無意味だ。
腕を失ったぐらいで喚いている余裕なんてない。
今ここですべきこと。
それは大切な人をもう失わない為に、死ぬ気で守りぬくことだ。
「———ノエル!!!」
直後、身体からいままで一度も感じた事のない莫大な黒い魔力が放たれた。
陽炎が発生したかのように空間が揺れ始める。
幼少期から右手の指にはめていた『指輪』からも抑えきることも絶望的なぐらいの魔力が漏れ出していた。
それの所為なのか、さらに胸の奥底から凄まじい衝動が解き放たれる。
いつのまにか全身を黒衣で纏っていた。
それだけではない、失ったはずの目も修復されていた。
そして緑色だったはずの瞳孔がだんだんと紅い瞳孔へと変化していき、獲物を捕らえたかのような眼光でエルダーオーガーを睨みつけるのだった。
未知の力に蝕まれる寸前にまで至りながらも、もはや考えることすら辞めたこの状況では制御なんてどうでもいい。
「ナッ……! コノ力は! 何故、ドウシテ人族ナンカガ!?」
明らかな動揺の面を浮かべるエルダーオーガーは拘束していたノエルを解放した。
驚きつつ、エルダーオーガーは震える手で鉈を構える。
僕という存在を目の当たりにして、怯えた形相をむけながら闇雲に斬撃を繰り返す。
どう考えても回避不可能な距離にいる僕は、鉈の餌食となるだろう。
命中した鉈の剣身は僕の肉を斬り裂こうとしたが、皮膚に当たると同時に鈍い音を発しながら弾かれた。
「ナニ!?」
たしかに捉えた筈。
そう確信したのにも関わらずエルダーオーガーは無傷な僕を凝視してみっともない声を漏らす。
刹那、なにも無い空間から前触れもなく漆黒色の太い大剣が出現する。
「ソノ剣ハ………貴様風情ガ、ドウシテソレを持ッテイルンダ!!」
それに反応するエルダーオーガー。
雰囲気が一変し、咆哮をあげると奴も同様になんらかの強力な力によって飲み込まれた。
全力で振り絞りながらエルダーオーガーは地上を割れんとばかりの勢いで、鉈を僕の頭上にめがけて振り下ろすのだった。
「ここで、死んでたまるかっ………!」
正体不明な憎悪に満ちた大剣を、僕は躊躇うことなく手に取ってみせた。
失ったはずの腕。
いや、いつの間にか再生していたのだった。
触れたその時、まるで僕の意志に応じるかのように大剣から赤い光が解き放たれ、怒り狂うエルダーオーガーにめがけて閃光が迸る。
大剣がエルダーオーガーの胸を容易く貫通した。
そのまま標的の背中から放たれた衝撃で臓物や肉片が吹き飛んでいく。
「………コノ俺様ガ……魔王様ノ皮ヲ被ッタ……人族ゴトキ二負ケルダナンテ………」
苦しそうに胸を押さえながら、予想だにしなかった状況にエルダーオーガーは困惑していた。
僕から逃げるように後ずさりしている。
だけど負ってしまった損傷はあまり大きい。
それは絶命に至るまで、あまりにも十分だった。
眼球を白くさせ、エルダーオーガーはそのまま地に倒れこんだ。
その最期を見届け、荒々しい息遣いを繰り返しながら、異形な魔力が身体から徐々に抜けていく感覚に解放感を覚えた。
「はぁ………はぁ」
脱力感、喪失感に襲われる。
同じくして握っていた大剣が崩れるように消滅した。
黒く塗りつぶされ、身を焦がされていたような感覚が嘘のように無くなっていた。
振り返ると先程まで自分を押さえつけていた魔物たちが死んでいることに気がつく。
それが何だったのかは詮索する時ではない。
疑問はあるも、それよりも自分が全身全霊をかけて救いだした少女の元まで駆け寄ろう。
先程、エルダーオーガーの攻撃で致命傷を負ったノエルが生きてきるのか、それとも———
だけど信じよう。
彼女がまだ息をして生きていることを。
溢れそうな涙を拭う。
そして仰向けに倒れているノエルの傍に座り込んだ。
必死に祈った。
命を賭してまで戦った僕の白星がまだ折れていないことを。
これ以上の絶望が襲いかかってこないことを。
少しでも力んだら折れそうな華奢な指に自分の指を絡めながらノエルの手を握りしめていた。
そっと彼女に触れて生きていることを確認する———
「……エミ……リオ……さん」
そして血で赤くなった華奢な手が、想いに応じるかのように握りかえしてくれたのだった。
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