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誘拐少女と探偵
最終話
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「真雪くんは殺害した父親の死体を部屋から運び出した。しばらくして戻ってきた君は家中の食料を、あの子の手の届く範囲に置いて家を出ていく。大きなスーツケースを持ってね。そして次に女の子の前に姿を現したのが、あたしと一緒にあのマンションに侵入したときだった。あの子から読み取った情報はこんなところだよ」
突如聞こえた紅坂の声によって、俺の意識はあの日のマンションから探偵事務所へと戻される。
俺は父親の死体を処理した後に事故にあった。そしてあの子を家に置いたまま記憶を失ってしまった。紅坂さんが部屋を見つけてくれなければ、少女は餓死していたことだろう。
爪が食い込むほどに握りしめた拳は手汗で湿っていた。呼吸も荒くなっているのがわかる。俺はあの忌々しい記憶を振り払おうと、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。しかし喉の渇きは収まるどころか、さらにひどくなっていた。
「少女の記憶と家の中の状況から、君がしたことのある程度の予想は付いたよ。真雪くんはきっと死体の処理に苦労したんだろう。大人一人を丸ごとバックに詰めて運ぶことはできないもんね。だから君は父親を分割することにした」
俺は赤黒いものが飛び散っていたマンションの浴室を思い出す。下腹部がゴロゴロと音を鳴らすと、間もなく吐き気に襲われる。思い出しちゃだめだ。必死に自分に言い聞かせるが、映像が自分の気持ちに関係なく脳内に流れ続ける。
「もう、やめてください」
「いまさら過去を嘆いても仕方がないものね。そんなことよりも、これからの話をしようか」
「俺を警察に突き出しますか?」
「姉さんには悪いけど、あたし警察に頼るのは嫌いなの。あの人たちって法律を立てに正論を言ってくるじゃない。正論って正しくはあっても面白みがないから嫌なんだよね」
それに、と紅坂さんは続ける。
「真雪くんを警察に渡しちゃったら、君からの依頼を果たせなくなっちゃうし」
「もう無理ですよ。僕がここから幸せになる方法なんてあるわけがない」
例えひどい親だったとしても、俺があの男を殺した事実は生涯付きまとうことになるだろう。たとえ罪を償ったとしても、過去が消えるわけではない。この苦しみを抱えながら生きていくことになる。それは幸せとは正反対の生き方だ。
「あれ、真雪くん。君はあたしを誰だと思っているの? ただのきれいなお姉さんってだけじゃないんだよ」
紅坂さんは不敵にほほ笑んだ。彼女の仕事の手伝いをしているとき、俺はこの笑みを何度か見た。それは仕事の完了を確信したときに浮かべるものだった。
「今日の日中に準備は整ったよ。君を幸せにするためのね」
「どういうことですか?」
期待と不安により締まった喉から振り絞った声は震えていた。まるで自分の声ではないように聞こえる。
紅坂さんは立ち上がると、自室へと入ってく。数秒と立たず戻ってきた彼女の手には一枚の紙が握られている。再び腰を下ろすと、その髪を俺の前に置いた。それは写真だった。
「これは……俺ですか?」
写真に写っていたのは紛れもなく俺だった。
しかしおかしな点がある。髪型が随分と長い。俺は長い髪が嫌いだった。とりわけ前髪が少しでも視界に入るとストレスを感じる質だ。だからある程度髪の毛が伸びると、床屋あるいは自分で切るようにしている。しかし写真に写る俺は前髪が目を半分ほど隠すほどに伸びている。こんなに髪が伸びていた時期はなかったはずだ。
「この子、『一ノ瀬千花くん』っていうの。君と瓜二つだけど、血の繋がりはないみたい。年齢は真雪と同い年だけど、生活は正反対でお金持ちの家で悠々自適な生活を送ってる」
「これが俺じゃない? 自分の目で見ても俺にしか見えません」
「探すのに苦労したんだよ」
紅坂さんは腕を組み、大変な仕事を思い起こすように何度も頷いた。
「でも、俺と似た人を見つけてきて一体どうしようって言うんです?」
「真雪くんとその男の子と入れ替わってもらおうと思って」
「はい?」思いがけない言葉に、口から間の抜けた音が出てしまった。「どういうことですか?」
「『赤峰月乃』という人間を捨てて『一ノ瀬千花』になるの。これまでの生活や殺人犯という事実を全てなかったことにして、新たに金持ちの家の子に生まれ変わる。そうすれば『幸せになる』という願いが叶うと思わない?」
唐突な展開に頭が追いつかない。
紅坂さんは何を言っているんだ?
今までだって十分におかしな人ではあったが、今回は特にわけがわからなかった。俺はいろんな情報によって熱暴走する頭に鞭を打ち、時間を掛けて紅坂さんの台詞を一つずつ読解していく。
なんとか彼女の言っていることを理解することに成功すると、次いで様々な疑問が浮かんできた。
「そんなことできるはずないです。その一ノ瀬千花って人に『俺と入れ替わってほしい』とでもお願いでもするんですか? 何不自由なく暮らしている人が、俺みたいな人生の終わっている人間と変わってくれるわけがない。それにいくら似ているからって、周りの人間に気づかれるに決まってます」
「君に二人の兄弟を紹介してあげる。一人目は殺し屋をしている子。腕の良い殺し屋なんだけど、彼の性質上、殺しの日時を指定できないのが難点ではあるかな。その子に一ノ瀬千花を殺してもらうよう依頼するの。殺した後すぐに入れ替われるよう、真雪くんには弟の仕事に同行してもらう必要がある。そして二人目は泥棒をやっている子。催眠術を使う変わった泥棒なんだけど、彼女には一ノ瀬千花の周辺人物たちの記憶を盗んで貰う。君が一ノ瀬千花に成りすましてもバレないようにね。そして最後に真雪くん自身の記憶も盗ませるの。そうすることによって、君自身も周囲の人間も、誰一人君が一ノ瀬千花に入れ替わったことに疑いを持つことはなくなる。君は新しい名前と新しい生活を手に入れて幸せに暮らしていくの。これがあたしが準備した君の依頼に対する答えだよ。後は君が了承すれば、あたしの計画はいつでも動き出せる。さあ、どうする?」
紅坂さんは一ノ瀬千花の写真を手に取ると俺の前に差し出した。
俺は震える手でそれを受け取った。
突如聞こえた紅坂の声によって、俺の意識はあの日のマンションから探偵事務所へと戻される。
俺は父親の死体を処理した後に事故にあった。そしてあの子を家に置いたまま記憶を失ってしまった。紅坂さんが部屋を見つけてくれなければ、少女は餓死していたことだろう。
爪が食い込むほどに握りしめた拳は手汗で湿っていた。呼吸も荒くなっているのがわかる。俺はあの忌々しい記憶を振り払おうと、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。しかし喉の渇きは収まるどころか、さらにひどくなっていた。
「少女の記憶と家の中の状況から、君がしたことのある程度の予想は付いたよ。真雪くんはきっと死体の処理に苦労したんだろう。大人一人を丸ごとバックに詰めて運ぶことはできないもんね。だから君は父親を分割することにした」
俺は赤黒いものが飛び散っていたマンションの浴室を思い出す。下腹部がゴロゴロと音を鳴らすと、間もなく吐き気に襲われる。思い出しちゃだめだ。必死に自分に言い聞かせるが、映像が自分の気持ちに関係なく脳内に流れ続ける。
「もう、やめてください」
「いまさら過去を嘆いても仕方がないものね。そんなことよりも、これからの話をしようか」
「俺を警察に突き出しますか?」
「姉さんには悪いけど、あたし警察に頼るのは嫌いなの。あの人たちって法律を立てに正論を言ってくるじゃない。正論って正しくはあっても面白みがないから嫌なんだよね」
それに、と紅坂さんは続ける。
「真雪くんを警察に渡しちゃったら、君からの依頼を果たせなくなっちゃうし」
「もう無理ですよ。僕がここから幸せになる方法なんてあるわけがない」
例えひどい親だったとしても、俺があの男を殺した事実は生涯付きまとうことになるだろう。たとえ罪を償ったとしても、過去が消えるわけではない。この苦しみを抱えながら生きていくことになる。それは幸せとは正反対の生き方だ。
「あれ、真雪くん。君はあたしを誰だと思っているの? ただのきれいなお姉さんってだけじゃないんだよ」
紅坂さんは不敵にほほ笑んだ。彼女の仕事の手伝いをしているとき、俺はこの笑みを何度か見た。それは仕事の完了を確信したときに浮かべるものだった。
「今日の日中に準備は整ったよ。君を幸せにするためのね」
「どういうことですか?」
期待と不安により締まった喉から振り絞った声は震えていた。まるで自分の声ではないように聞こえる。
紅坂さんは立ち上がると、自室へと入ってく。数秒と立たず戻ってきた彼女の手には一枚の紙が握られている。再び腰を下ろすと、その髪を俺の前に置いた。それは写真だった。
「これは……俺ですか?」
写真に写っていたのは紛れもなく俺だった。
しかしおかしな点がある。髪型が随分と長い。俺は長い髪が嫌いだった。とりわけ前髪が少しでも視界に入るとストレスを感じる質だ。だからある程度髪の毛が伸びると、床屋あるいは自分で切るようにしている。しかし写真に写る俺は前髪が目を半分ほど隠すほどに伸びている。こんなに髪が伸びていた時期はなかったはずだ。
「この子、『一ノ瀬千花くん』っていうの。君と瓜二つだけど、血の繋がりはないみたい。年齢は真雪と同い年だけど、生活は正反対でお金持ちの家で悠々自適な生活を送ってる」
「これが俺じゃない? 自分の目で見ても俺にしか見えません」
「探すのに苦労したんだよ」
紅坂さんは腕を組み、大変な仕事を思い起こすように何度も頷いた。
「でも、俺と似た人を見つけてきて一体どうしようって言うんです?」
「真雪くんとその男の子と入れ替わってもらおうと思って」
「はい?」思いがけない言葉に、口から間の抜けた音が出てしまった。「どういうことですか?」
「『赤峰月乃』という人間を捨てて『一ノ瀬千花』になるの。これまでの生活や殺人犯という事実を全てなかったことにして、新たに金持ちの家の子に生まれ変わる。そうすれば『幸せになる』という願いが叶うと思わない?」
唐突な展開に頭が追いつかない。
紅坂さんは何を言っているんだ?
今までだって十分におかしな人ではあったが、今回は特にわけがわからなかった。俺はいろんな情報によって熱暴走する頭に鞭を打ち、時間を掛けて紅坂さんの台詞を一つずつ読解していく。
なんとか彼女の言っていることを理解することに成功すると、次いで様々な疑問が浮かんできた。
「そんなことできるはずないです。その一ノ瀬千花って人に『俺と入れ替わってほしい』とでもお願いでもするんですか? 何不自由なく暮らしている人が、俺みたいな人生の終わっている人間と変わってくれるわけがない。それにいくら似ているからって、周りの人間に気づかれるに決まってます」
「君に二人の兄弟を紹介してあげる。一人目は殺し屋をしている子。腕の良い殺し屋なんだけど、彼の性質上、殺しの日時を指定できないのが難点ではあるかな。その子に一ノ瀬千花を殺してもらうよう依頼するの。殺した後すぐに入れ替われるよう、真雪くんには弟の仕事に同行してもらう必要がある。そして二人目は泥棒をやっている子。催眠術を使う変わった泥棒なんだけど、彼女には一ノ瀬千花の周辺人物たちの記憶を盗んで貰う。君が一ノ瀬千花に成りすましてもバレないようにね。そして最後に真雪くん自身の記憶も盗ませるの。そうすることによって、君自身も周囲の人間も、誰一人君が一ノ瀬千花に入れ替わったことに疑いを持つことはなくなる。君は新しい名前と新しい生活を手に入れて幸せに暮らしていくの。これがあたしが準備した君の依頼に対する答えだよ。後は君が了承すれば、あたしの計画はいつでも動き出せる。さあ、どうする?」
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俺は震える手でそれを受け取った。
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