46 / 52
誘拐少女と探偵
14話
しおりを挟む
昼寝から起きた月乃ちゃんに文字を教えていると、子供の成長は早いことを実感する。まだまだニアミスは多いけれども、それでも想像するよりずっと早く月乃ちゃんは文字を習得していた。人間とは賢い生き物なのだと、日進月歩で成長していく月乃ちゃんを通して思い知らされる。
しかし、ここで困った問題が発生した。文字を覚えるための材料が底をついてしまったのだ。
最初は動物などの絵を描くことで、物や生物の名称をひらがなで教える体裁をとっていた。しかし僕の描ける絵のレパートリーはすぐに尽き、最近では周囲の物を使って、文字を教えるようにしていた。とはいえ部屋から出られない状況では、物の数も知れていて、とうとう勉強に使える材料が無くなってしまったのであった。
こうなると書店にあるような子供用の教材が欲しくなる。ひらがなの勉強程度であれば、自分の技量だけで十分だという考えが甘かった。今日の定時報告の中で、紅坂さんに差し入れてもらうようお願いをしたいところだ。
とりあえず、今日を凌ぐために僕は周囲を見回し、まだ教えていない物がないか探してみた。タンス、時計、カーテン、目につく物はことごとく使用済みだった。
ならばと僕は自分の身体を物色する。しかし僕が持っているものなど何もない。身に着けている服やズボンはこれも過去に使った後だった。そもそも僕は警察に保護された時点で手ぶらだったらしいので、私物というものがほとんどないのである。
そのとき、ふと思い出した。そういえば一つだけ僕が記憶を失う前から持っていたものがあるじゃないか。僕はポケットに手を入れると、それを取り出した。掌には小指の半分ほどの大きさしかないゼンマイだった。
これは使える。「ぜんまい」は幼い子には難しいので、「かぎ」として教えよう。
僕はゼンマイを月乃ちゃんの前に置いた。月乃ちゃんはそれを見ると、こちらが何も言わなくても鉛筆を手に取った。早く教えて欲しいとばかりに、体を小刻みに揺らして僕を見つめてくる。餌入れが出されたで尻尾を振り回す犬みたいだった。
待ちわびる月乃ちゃんに急かされて、紙に「かぎ」の文字を描こうとしたとき手が止まる。これはぜんまいではなく、本当に鍵なんじゃないだろうか、そう思えてきた。
どうしてこれをゼンマイだと思ったのかといえば、鍵と言うには小さく、そして造りがシンプルだったからだ。
そのとき僕がいわゆる鍵のイメージとして想像したのは、玄関の鍵だった。ブレードの部分が複雑な形状をしていて、長さだって五センチくらいあるものだ。しかし一口に鍵と言っても様々な種類があるはずだ。
僕は自分の手首に嵌められた手錠を見る。そこには小さな鍵穴があった。
嫌な予感がした。それをやってしまったら、知ってはいけない何かを知ってしまう、そんな気がした。
そう考える一方で、僕の身体は脳から発せられる信号を無視してゼンマイを手に取り、手錠の穴へと差し込んだ。鍵は当たり前のように穴に入っていく。奥までいったところでゆっくりと左へと回した。カチャリという音と共に手首の圧迫感が消え、手錠が床に落ちる。
僕が持っていたものは手錠の鍵だった。そしてその手錠は、月乃ちゃんを拘束するために使われている。これが意味するものを想像し、めまいがした。
振り返ればおかしなことはあった。 月乃ちゃんは初対面にも関わらず、まるで以前からの顔見知りのように僕に懐いてくれた。
それも僕と月乃ちゃんが過去に会ったことがあると考えればつじつまが合う。
一方でこの考えには大きな矛盾がある。
紅坂さんが読んだ月乃ちゃんの記憶の中に僕はいなかったはずだ。
もし本当に僕と月乃ちゃんの間に繋がりがあったのだとすれば、それはありえない。紅坂さんがあえて話さなかった可能性もなくはないが、記憶を探すためにやってきたのに黙っている理由はないだろう。
それに僕たちを監禁しているあの男も、僕のことを知っているようなそぶりは見せなかった。面識があれば何かしら態度に出ていたはずだ。
様々な事実が僕とこの家の関係を否定している。しかしそれでは、この鍵の説明がつかない。
頭がガンガンと痛む。混乱を痛みと錯覚しているのかもしれない。
僕の記憶には何が眠っているのか。記憶を取り戻すことへの恐怖が増していく。
そういえば、紅坂さんに記憶探しの依頼をしたときにも嫌な予感がしていた。これは僕の深層心理からの扉を開けるなという警告ではないのか。
考えが悪い方向に向かっていることに気づき、一度落ち着くために大きく息を吐き出す。
何はともあれ、まずは今日の夜に紅坂さんにこのことを報告しよう。
僕だけの力ではどうにもならないことでも、紅坂さんなら何とかしてくれるかもしれない。今はこれ以上一人で悩んでも、ろくなことにはならなそうだ。
僕は鍵をポケットに戻し、手錠を自ら手首に嵌め直す。やや冷静さを取り戻したことで、月乃ちゃん心配そうに僕を見ていることに気が付いた。
「大丈夫だよ」
僕が無理やりほほ笑むと、安心したように月乃ちゃんもつられて笑った。
しかし、ここで困った問題が発生した。文字を覚えるための材料が底をついてしまったのだ。
最初は動物などの絵を描くことで、物や生物の名称をひらがなで教える体裁をとっていた。しかし僕の描ける絵のレパートリーはすぐに尽き、最近では周囲の物を使って、文字を教えるようにしていた。とはいえ部屋から出られない状況では、物の数も知れていて、とうとう勉強に使える材料が無くなってしまったのであった。
こうなると書店にあるような子供用の教材が欲しくなる。ひらがなの勉強程度であれば、自分の技量だけで十分だという考えが甘かった。今日の定時報告の中で、紅坂さんに差し入れてもらうようお願いをしたいところだ。
とりあえず、今日を凌ぐために僕は周囲を見回し、まだ教えていない物がないか探してみた。タンス、時計、カーテン、目につく物はことごとく使用済みだった。
ならばと僕は自分の身体を物色する。しかし僕が持っているものなど何もない。身に着けている服やズボンはこれも過去に使った後だった。そもそも僕は警察に保護された時点で手ぶらだったらしいので、私物というものがほとんどないのである。
そのとき、ふと思い出した。そういえば一つだけ僕が記憶を失う前から持っていたものがあるじゃないか。僕はポケットに手を入れると、それを取り出した。掌には小指の半分ほどの大きさしかないゼンマイだった。
これは使える。「ぜんまい」は幼い子には難しいので、「かぎ」として教えよう。
僕はゼンマイを月乃ちゃんの前に置いた。月乃ちゃんはそれを見ると、こちらが何も言わなくても鉛筆を手に取った。早く教えて欲しいとばかりに、体を小刻みに揺らして僕を見つめてくる。餌入れが出されたで尻尾を振り回す犬みたいだった。
待ちわびる月乃ちゃんに急かされて、紙に「かぎ」の文字を描こうとしたとき手が止まる。これはぜんまいではなく、本当に鍵なんじゃないだろうか、そう思えてきた。
どうしてこれをゼンマイだと思ったのかといえば、鍵と言うには小さく、そして造りがシンプルだったからだ。
そのとき僕がいわゆる鍵のイメージとして想像したのは、玄関の鍵だった。ブレードの部分が複雑な形状をしていて、長さだって五センチくらいあるものだ。しかし一口に鍵と言っても様々な種類があるはずだ。
僕は自分の手首に嵌められた手錠を見る。そこには小さな鍵穴があった。
嫌な予感がした。それをやってしまったら、知ってはいけない何かを知ってしまう、そんな気がした。
そう考える一方で、僕の身体は脳から発せられる信号を無視してゼンマイを手に取り、手錠の穴へと差し込んだ。鍵は当たり前のように穴に入っていく。奥までいったところでゆっくりと左へと回した。カチャリという音と共に手首の圧迫感が消え、手錠が床に落ちる。
僕が持っていたものは手錠の鍵だった。そしてその手錠は、月乃ちゃんを拘束するために使われている。これが意味するものを想像し、めまいがした。
振り返ればおかしなことはあった。 月乃ちゃんは初対面にも関わらず、まるで以前からの顔見知りのように僕に懐いてくれた。
それも僕と月乃ちゃんが過去に会ったことがあると考えればつじつまが合う。
一方でこの考えには大きな矛盾がある。
紅坂さんが読んだ月乃ちゃんの記憶の中に僕はいなかったはずだ。
もし本当に僕と月乃ちゃんの間に繋がりがあったのだとすれば、それはありえない。紅坂さんがあえて話さなかった可能性もなくはないが、記憶を探すためにやってきたのに黙っている理由はないだろう。
それに僕たちを監禁しているあの男も、僕のことを知っているようなそぶりは見せなかった。面識があれば何かしら態度に出ていたはずだ。
様々な事実が僕とこの家の関係を否定している。しかしそれでは、この鍵の説明がつかない。
頭がガンガンと痛む。混乱を痛みと錯覚しているのかもしれない。
僕の記憶には何が眠っているのか。記憶を取り戻すことへの恐怖が増していく。
そういえば、紅坂さんに記憶探しの依頼をしたときにも嫌な予感がしていた。これは僕の深層心理からの扉を開けるなという警告ではないのか。
考えが悪い方向に向かっていることに気づき、一度落ち着くために大きく息を吐き出す。
何はともあれ、まずは今日の夜に紅坂さんにこのことを報告しよう。
僕だけの力ではどうにもならないことでも、紅坂さんなら何とかしてくれるかもしれない。今はこれ以上一人で悩んでも、ろくなことにはならなそうだ。
僕は鍵をポケットに戻し、手錠を自ら手首に嵌め直す。やや冷静さを取り戻したことで、月乃ちゃん心配そうに僕を見ていることに気が付いた。
「大丈夫だよ」
僕が無理やりほほ笑むと、安心したように月乃ちゃんもつられて笑った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
私の優しいお父さん
有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。
少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。
昔、私に何があったんだろう。
お母さんは、どうしちゃったんだろう。
お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。
いつか、思い出す日が来るのかな。
思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。
密室島の輪舞曲
葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。
洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる