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見聞録

Who is ラシャンピニョン夫人 ? ④

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 あからさまな罠に乗って、アンは訳ありの飲み物を豪快に飲み干してしまった。
 そんなアンを、ステラは濁ったような瞳で嬉しそうに見つめている。

「アンズっ!」

 急ぎ駆け寄ったイグナシオは、怒っていた。アンの本名を呼ぶほどに。

「そんなに怒ることもでも、慌てることもないでしょう? この程度の毒、耐性がある私に効くわけがない。キノコの毒なら尚更ね」

 怒れるイグナシオに臆することなく、アンはあっけらかんと言った。
 イグナシオの眉目秀麗な顔が、ますます怒りを濃くする。

「そんなわけにはいかないだろっ! 最悪な事態になったらどうするっ!? そうなったら、俺はリースにまたぶん殴られるどころじゃ済まないしっ、シメジにだって合わせる顔がないっ!! それに何より、家族なんだから心配して当然だっ!」

 一気に言い終えて、イグナシオは便利な異空間倉庫「道具」から解毒剤を出した。

「早く飲めっ!」
「え~。なんともないのに~」
「いいからさっさと飲めっ!」

 解毒剤を服用するのを渋っていたものの、アンは折れて解毒剤を口にした。
 イグナシオはようやくほっと一息つく。

 毒入りの飲み物を提供したステラは、ぼうっとしていた。
 普通の人族なら、その毒入りの飲み物を一口飲んだだけで死に至ってしまうはずなのに、毒耐性が強いアンには効果なし。解毒剤を飲まずとも、アン自身大丈夫だと豪語するほどだった。
 想定していたことと結果が食い違っているだろうに、ステラは顔色を悪くするでも、慌てふためくでも、逃げ出すでもない。虚ろな瞳で、突っ立っている。

「ごめ・・・・・・なさい」

 消え入りそうな声で、ステラは呟いた。淡い黄褐色の瞳から、涙が流れ落ちる。次いで、自分の手が握る飲み物を飲もうとする。それは、アンが飲み干してしまったものと同じ毒物だった。

「ステラ様、それはなりません。それを口にすれば、無事では済みませんわ」

 アンは素早くステラから毒物が入ったグラスを奪う。そしてすぐさま、それを便利な異空間倉庫「道具」にしまい、便利な異空間倉庫「道具」から何かを取り出した。

「代わりにこちらをお飲みになって」

 あっと言わせるような早業で、アンはステラにカップに入っていた何かを飲ませた。
 抵抗する間もなく、ステラはその何かを体の中に取り入れてしまう。

「これで洗脳はバッチリ解けますわ」

 アンが笑顔で言い終える頃、ステラの意識は途絶えた。倒れそうになるステラを、アンがしっかりと抱きかかえる。

「ステラっ!」

 ステラの家族が何事かとやって来た。
 テラス席での出来事とはいえ、目撃者はいる。その中の誰かが、ホストたちを呼んだに違いない。
 イグナシオは代表者に向かって口を開く。

「ご息女は無事だ」

 娘の無事を安心したのも束の間、ステラの父は青褪めていた。

「ですが、お連れ様に、ど、毒を盛ろうとしたとっ」
「彼女は脅されて仕方なく従ったに過ぎない。むしろ被害者と言える」

 イグナシオから語られた事実に、ステラの家族は衝撃を受ける。ステラが何者かに脅迫されていたことを、今の今まで知らなかったらしい。己が脅迫されていたことを、ステラが家族に悟られないように努めていたとも言える。

「第一、毒だと分かっていながら飲んだ奴も悪い」

 イグナシオはアンを責める瞳で見た。
 ステラの家族を目の前にして、アンはさすがに反省する。

「余計な心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
「全くだ」

 イグナシオは、呆れと怒り交じりの息を吐き出した。

「とにかく、彼女を安全な場所へ。約一週間も、魔瘴・・を媒介にした呪いで洗脳されていたんだ。抵抗していたようだから、体力も精神力も大分消耗しているはず」

 イグナシオが語った更なる事実を聞いた者たちは、驚きと動揺を隠せない。何人かは、息をするのを忘れるくらい衝撃を受けた。
 それほど、暗黒時代の負の遺産である「魔瘴」は、危険視されている。

「また、この件に関する真相を知りたい方々のために、部屋を用意していただけませんか? 私たちがご説明いたしますので」

 ケヴァンがよく通る声で言った。いつの間にか、イグナシオたちの近くにいる。

「人質、いや、モンスター質にされたいたみんなも無事だ」

 続いて、シャルロットも軽い足取りでやって来た。
 シャルロットの後ろには、マイコニドの集団がいる。やがてしびれを切らしたように、マイコニドたちはステラの傍に一斉に駆け寄った。つぶらな黒い瞳が、ステラの身を一心に案じている。

 そうして、ステラは安静にできるベッドがある部屋へ移動。
 予定通り、ステラの家族が舞踏会終了を宣言した。
 アンとステラのやり取りを何も見聞きしなかった者たちは、何事もなかったかのように帰って行く。
 それ以外の者たちは、事件の真実を共有すべく、大広間へと向かって行った。
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