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21(ガイウス)

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ミカエルと接していると、離れて暮らすもう一人の息子を思い出さずにはいられない。

オリヴァーは母親であるヴェロニカに似ている。
ダグラスとヴェロニカは目元が特に似ている親子で、当然オリヴァーもダグラスとそっくりではあるのだが、まだ幼児だからなのかオリヴァーはダグラスよりヴェロニカに似ているように私の目には映っていた。

私の長男であるオリヴァーはフェラレーゼ伯爵家の正当な相続人である。
これは私個人の希望や願望に留まらず、予てから報告し周知していたことにより広く認識されている。
妻ソレーヌが不妊に悩んでいたことも知られており、ヴェロニカが私たち夫婦の願いを受け入れてくれた結果として授かった命である事実は揺るぎないものだ。

納得していないのは妻だけという厳しい現実も、次第に慣れた。

ダグラスの言う通り、ヴェロニカとオリヴァーの存在を公にしたのは正解だったと実感している。
褒められたものではないにしろ、私には母親の手に育成を任せた息子がおり、私に父親としての責任があるのだという事実は周囲の理解を得ることができていた。

私は、オリヴァーとミカエルの間で争いが起きないよう、兄弟の絆を確かなものにするべきだと考えている。
これには妻の理解を得られず苦悩したが、ヴェロニカに頼んだのは他でもない私たち夫婦だという事実と、オリヴァーが正当な相続人として認知されているという事実が、微かながらにも私に有利に働いていたようだった。

あとは兄弟をいつ対面させるか、相応しい時期を模索しているところだ。

交流を反対され、私が辛辣に罵倒されようが、オリヴァーの権利は揺るがない。ソレーヌはオリヴァーの権利を奪うことも、人生を支配することもできない。

妻はミカエル一人を跡継ぎとするのが当然だと主張したが、私の返答は、私には二人の息子がいるという、ただその事実だけだった。

だから……私のせいなのだろうか。
私が妻の望みを叶えなかったせいなのだろうか。

あれだけ望んだ私たちの跡継ぎを、ソレーヌは早くから乳母に任せきりで騎士学校に集中している。
女子だけを対象にするということだったので宿舎として小さいながらも上品な離れを建設中だ。職人たちを指揮する妻は正に女傑、女主という風情であり、それはそれでいいことのように思えた。

私は、私の妻と共に生きていくと誓った。
だから妻が本人の望む通りの活動に集中し、遣り甲斐を感じているなら、それは彼女の人生にとって良い事だと捉えていた。沸き立つような気持ちはないが、嬉しいと感じていた。

妻が騎士学校に集中し、ミカエルは乳母がよく面倒を見てくれる。
私は堂々と息子オリヴァーに会うためヴェロニカの元へ向かった。

「フェラレーゼ伯爵、いらっしゃい。ようこそ」

ヴェロニカは笑顔で迎えてくれた。
私は二年近い別離を経て息子オリヴァーと再会したが、オリヴァーの方は、私に初めて会った気分だったかもしれない。

オリヴァーは穏やかな性格だが、内気ではなかった。
柔らかな笑顔を私に向けて、小さな手を伸ばし、触れ合いを求めてくる。可愛かった。

「性格は母さんに似ている気がする。父さんも言ってた」
「ああ。私の中にはない深い慈愛を感じるよ」
「あなたも優しいわ」

ヴェロニカは私を第一にオリヴァーの父親として扱うようになっており、二人の間に溝や壁はまるでなく、その態度はあまりにも寛大だった。
朗らかな笑顔と、親しみのこめられた声。
日頃の疲労も苦労も吹き飛ぶ癒しを感じずにはいられない。

オリヴァーと過ごす為だけではなく、ヴェロニカに会いたいという願望を叶える為に、私はもう一つの家庭へ頻繁に通うようになった。その正当な理由が、実際、私にはあった。

ヴェロニカの家で過ごす家族の時間は、優しく、楽しく、希望に満ち、心あたたまるものだった。
反面、妻との関係は次第に緊迫感を孕む冷めたものになっていった。
私とヴェロニカがオリヴァーの親であるというように、私とソレーヌはミカエルの親である。それだけの立場に立つよう、互いに距離をとっていったように思う。

それでも私は妻の願いを叶えたかった。

結婚は長い。一生というの日々の中、妻と私があたたかな心の交流を持つことが難しくなる時期があっても、それは特別な不幸ではなく、自然なことだと思っていた。

特に私たち夫婦は、不和の理由が明確であり、答えもまた明確だったから、あれこれ思い悩むこともなく、この困難な時期を誠意を持ち粛々と過ごすのが正解だと考えていたのだ。

概ね予定通り、騎士学校の準備は四年で整い、領内へ案内を出すところまできた。
私は妻ソレーヌの騎士学校開校を祝い、ささやかなパーティーを開いた。

私たちの人生はこれでいいのだと、これが私たちの選んだ道なのだと、自分自身を納得させながらの生活だった。

ある日、私はふと、気づいたのだ。

私は、もう愛していないのだ──と。

妻として敬意を払い、大切にする。その行動に嘘も躊躇もない。
併し、ソレーヌという一人の女性への気持ちという意味では、もう恋愛感情は蘇りはしなかった。こんなにも早く、ものの数年で冷めるような恋だったショックは、少なからず私自身を幻滅させた。

私には、愛を語る資格もない。
自分の愛情がこれほど簡単に移ろうものだと知り、落ち込んだ。

只それは、私にもう一つの愛を明確に理解させてくれる出来事でもあった。

オリヴァー。
ミカエル。

父として、我が子への愛情は揺るがないものだ。
二人は私を父親に作り変え、生涯の幸福を齎してくれた。
息子たちへの愛だけは何があろうと揺るがず、覆ることもない。

そして、ヴェロニカの人格に惹かれていく心を止める術はもうなくなっていた。

私の罪深い過ちも許し、私を受け入れ、恨み言一つなく身を引き、再会ではあたたかく迎えてくれた。
ヴェロニカは誰からも好かれる可愛らしい女性だった。朗らかで優しく、芯の強い、成熟した女性であった。そして母になったヴェロニカの人間性は更に深みを増していた。

年齢を重ねることで培う人徳というのは、確かにある。
だが、実際の年齢は関係なく完成する人間というのも、確かにいる。ヴェロニカが正にその稀有な存在なのだろう。

祖父ダグラスと戯れるよちよち歩きのオリヴァーを、ヴェロニカと二人で眺めて他愛もない会話をしているあの時間。
掛替えのない、家族の時間。愛に包まれた穏やかな時間。

人生の意味がそこにあるのだと確信した。
人の愛、家族の愛は、ヴェロニカのもとにあった。

妻ソレーヌにばかり責任があるというわけではない。
私が、輝かしい功績を残した元女騎士という側面に憧れ、舞い上がり、一時の熱情を永遠の愛と錯覚した。そういうことだろう。
私が未熟であったが為に、自身の愛の深さや強さを見誤り、ソレーヌという一人の女性を困惑させてしまったという側面があったのだろう。

それでも自責してばかりでは、それはそれでソレーヌに対して失礼だとも思う。
確かに愛しあった日々があり、互いを誰よりも愛していた瞬間があったのだ。過ぎ去ったからといって、それが嘘ということにはならないはずだ。

我々は大人として、親として、伯爵夫妻として、二度と品性を失わないよう、他者を振り回さないよう、真摯に生きていきたい。

反省すべき点が多すぎて後悔や羞恥心から目が回りそうではあるものの、オリヴァーとミカエルという輝かしい未来に集中し、善き父、善き領主として丁寧に日々を紡いでいく。
それが私にできる、またするべき生き方であろうと思われた。

そして今日もまた家庭から家庭へと移動する。

人々の中にはヴェロニカが私の愛人であると考えているような雰囲気を隠さない者もいた。無理もないことだろう。私は今や、ヴェロニカに二度目の恋、確かな恋をしているのだから。
それはただ浮かれて燃えあがるだけの欲する恋愛とも、四六時中相手を思い出し恋焦がれ狂う熱愛とも違う。

共に生きているという実感を伴った、穏やかな、大地のような、揺るがず静かな深い愛だった。
ヴェロニカに生かされている。そう感じた。

五才になったオリヴァーは食べ物の好き嫌いが明確になり、その舌が不満を覚えると、小さいなりに不服そうな表情を見せるのだが、それがまた可愛いかった。できれば、成長するにつれて魚は好きになってもらいたい。

「……」

思い出してつい微笑みながら馬車を降りた私は、執事が深刻な表情で口を噤んでいるのに気づいた。

「何かあったのか?」
「……こちらへ」

噛み殺すような声には憎しみや軽蔑さえ込められているようで、私はそんな執事の様子を見るのは初めてで、事態の深刻さを意識させられた。

気持ちを切り替えて執事を追う。
普段は使われていない客室の一つを無言のまま開錠し、執事が扉を開ける。そこには子守りの膝に乗り、背を丸めて蹲った姿勢でぐったりと眠るミカエルの姿があった。

「……!」

悪寒が走る。
幼い息子に、いったい何があったというのか。

子守りは目を晴らし、怒りを押し殺した顔で泣きながらミカエルの体を支えている。
妻が乳母を解雇した後に新しく雇った子守りは、メイド長の親族とあって信頼できる人物だった。

「何があった……?」

ミカエルが眠っているのは明らかなので、小声で尋ねた。
私の隣で執事が呻るよう答えた。

「奥様が剣を握らせようと強い、嫌がったミカエル様を、鞭で打ったのです」
「──」

耳を疑った。
だが執事が憤りを抑えている姿に嘘はなく、受け入れ難い現実に打ちのめされる。

足の感覚が微かに鈍くなるのを感じながら子守りの前に跪き、ぐったりと眠るミカエルの顔を覗き込んだ。子守りが咄嗟にミカエルを守る為に私の手を払おうとまでしたのが、この深刻な事態の現実感を裏付ける。

「私だよ」

子守りに理解を求めてから、そっとミカエルに触れた。
額にかかる髪を指で撫でつけ、小さな肩、そして背中へと指を当てた時、ミカエルがびくりと跳ね、目を覚ますなり力なく泣き出した。子守りも静かに怒りの涙を流した。

「……」

真実なのだ。
ソレーヌが、私の息子を鞭で打った。

「……!」

激しい怒りと悲しみに襲われ、今度こそ眩暈がした。

そうだ。
かつては私に薬を盛った。ヴェロニカに跡継ぎを産むよう望んだのも、そうだ。

強いソレーヌは、他者の肉体を労われない。
傷付けることを迷わない。躊躇わない。

「妻は……?」

どこにいるか?
否、悔いているかを知りたいのか?

馬鹿らしい。

幼い我が子を痛めつけるなど、許されない。
許せるか、わからない。

だが二度とさせてはいけないのは確かだ。
理解させるまで、ミカエルに触れることはおろか、会わせるのさえ耐え難い。

妻は剣の稽古か、それでなければ自室にいるだろうと執事が言うので、私はまた眠りに落ちたミカエルを子守りに任せ妻のもとへ急いだ。

途中、桶を運ぶメイドの切迫した様子から怪我人が出ていると察した私は、並んで歩きながら尋ねた。
すると、妻からミカエルを救い出す為にコックが鉄の鍋を手に戦い抜き、加勢した庭師と共に叩きのめされたという。主治医が二人に付きっ切りとのこと。

「まさか、い、命が……」
「そうならないように奥様をなんとかしてください」

メイドに窘められても、言われるだけの為体なのだから恥じ入る他ない。

「あんな方が伯爵夫人だなんて。どうしてヴェロニカじゃいけなかったのですか?身分は問わないなら、あの子でもよかったじゃありませんか」

憤然として足を速めるメイドが残した言葉に、私は苦悩の中で納得した。
本当に、その通りだった。

私は過ちを犯したのだ。
過ちの報いは酷く残酷で、罪のない者を傷つけている。

今、正さなくてはならない。
これ以上、後手に回ってはならないのだ。

妻は道を踏み外した。
夫の私が、全ての責任を取るのが筋というものだった。
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