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13(ヴェロニカ)

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フェラレーゼ伯爵夫妻は揃って私の部屋を訪れ、妻のソレーヌが満面の笑みを輝かせ、私を抱きしめた。

「ありがとう、ヴェロニカ!」
「……」
「……」

ガイウスと無言で見つめ合う。

ガイウスは少し痩せた。顔色も悪かった。
ソレーヌがかつてそうであったように思い悩み、塞ぎ込んでいるように見えた。

それでも、ガイウスの姿を見た瞬間から勇気が湧いた。
ガイウスと目が合った瞬間、絆を思い出した。

ソレーヌは難しい女性だ。
私が身篭ったかどうかを測る期間、ガイウスと私の接触を嫌がったかもしれない。それは正しく、自然なことだ。

私はソレーヌの望みを叶えた。
でも私は、ソレーヌの望まない関係を結んだ。

あなたの愛する人を私も愛してしまった事を、あなたは知らないのね。
だから、ただ喜んで私を抱きしめるのね。

ごめんなさい……と、ソレーヌへの罪悪感が薄らいでしまったのは、お腹の中に新しい命を感じてしまった後だからだろうか。
産むのは、私だ。

興奮が冷めないソレーヌに抱きしめられたままどうすることもできず、ガイウスを見つめた。
助けてほしいとは思わなかった。彼がとる行動が、私たちの答えなのだ。

ガイウスがソレーヌの肩に手を掛けた。

「そのくらいで。大切な体だから」
「……?」

違和感を覚えた。
それを表に出さないだけの分別は残っている。

ソレーヌは笑顔で私を解放し、その笑顔をガイウスに向けた。

「心配しないで。女の体はよくできているのよ」
「ヴェロニカは初産だから」
「私も初産は死にかけた。でも、生きているわ」
「ヴェロニカはあなたより華奢だから」
「ああ、それはそうね」

過度な慎重さは否めないもののガイウスがソレーヌの説得に成功した。

単純に、冷めている。
あれほどソレーヌを愛していたはずだったのに、ガイウスは理性的であり紳士的で、余所余所しかった。

私が身篭ったから?
それだけが理由とは思えない。
二人の間に何かあったのだろうとは思うものの、私が干渉するものでもない。

「特殊な状況だから、私たちはヴェロニカの生活を守らないといけないよ」
「ええ。安心してその日を迎えて欲しいと思っているわ」
「どんな生活なら安心できるのか、本人にしかわからない。私がヴェロニカの要望を聞く間、あなたは席を外してもらえるかな」
「どうして?」
「ヴェロニカは緊張している。あなたとの関係は極めて複雑だ。私たちは、私たちが想像するよりずっと重い負担をかけていると考えた方がいい。軽く考えてはいけない」
「……」

ソレーヌの笑顔が徐々に消え去り、困惑するように私を凝視する。

「そう。そうかもしれないわ。ごめんなさい。恐がらないで。私、あなたに感謝しているのよ。ありがとう。あなたが安心して過ごせるように、あまり煩くしないように気を付けるわ」
「ありがとう」

ガイウスが私の代わりに礼を述べる。
私は努めて友好的な意思を示そうと笑みを浮かべたが、自分でも驚くほど頬が強張った。

「では、お願いね」

ソレーヌがガイウスに気遣うような目配せを残して部屋を出ていく。
扉が完全に閉まると、ガイウスが即座に動いた。

私の腕に触れて腰掛けるように促す。私はすぐ傍のベッドの端に座った。ガイウスも隣に座った。

肩が触れる。
腿が触れる。

久しぶりに感じたガイウスのぬくもりが私の中に甘い火を熾す。

「すまなかった。長く待たせすぎた」
「……」

ガイウスは先程より幾分、頬に血の気が戻り、口調も快活に近づいている。
私は少しだけ笑顔になって首を振った。

ガイウスの大きな手が私の手を包み込んだ。

「この方が安全だと思ったんだ。君を、守りたかった」

私は何も返さなかった。
たぶん、本当にガイウスは私を守りたかったのだろう。ソレーヌはガイウスを愛しているし、ガイウスの子どもを欲しがっている。私の中に宿った命を守りたいのはソレーヌも同じだ。

ただ、私はガイウスを愛してしまった。
ソレーヌが憎むなら私だけだから。

私は頷いて答えた。
事実、丁重に扱われていることに変わりはない。

ガイウスが痛みを堪えるように微かに目を細めて私を覗き込んだ。

「どう?不便はない?」
「はい」

私はやっと一言目を発した。
ガイウスの表情が和らいだ。

「君の為になんでもする。跡継ぎを産んでくれるからじゃない。私が、君を大切にしたいんだ」
「ありがとうございます」
「ヴェロニカ。君は使用人ではないんだよ」

重ねた手を私の腹部に導いて、ガイウスが深い声で囁いた。

「今、私たちは一つなんだ」

私の中に、ガイウスと私の子がいる。
その現実は悩みも苦しみも忘れさせる。

そして今、ガイウスが隣にいてくれる。

このささやかな幸せが、今、私に許されている最大の幸せだ。

私は目を閉じた。
ただ静かにこの時を過ごしたかった。

けれどガイウスは違ったようだ。
暫くは私の隣で沈黙していた。その沈黙を破ったのもまたガイウスだった。

「産まれてくる子は、男の子でも、女の子でも、私の子どもでもあるが、君の子どもだ。フェラレーゼ伯爵家の後継者として育てるが、母親は君だ。ヴェロニカ」
「──」

話が違う。
そう感じるのは私だけではないはずだ。

そして、彼女の方がその衝撃は激しく、歓迎できないものだろう。

「ガイウス……」
「親子の時間を奪うようなことにはならないと約束する」
「……」

そんなことができるのだろうか。

一瞬、婚外子なのだからと否定的な意見は思い浮かんだけれど、実際のところ私は母と二人で穏やかな暮らしを送り、振り返ればとても幸せだった。

ただ、今回、私たちにはソレーヌがいる。
彼女は丁重に、そして慎重に対応しなければならない相手だ。第一にソレーヌこそフェラレーゼ伯爵夫人であり、私は身代わりで出産する使用人として感謝されている。

この関係を崩すのは危険だ。

「ガイウス、でも」
「私の過ちに君が責任を感じる必要はない。君の権利は、奪われるべきではないから」
「過ちだったの?」
「君を愛したこと?」

どうしても見つめ合い、言葉を飲んでしまう。
私から目を逸らした。

ガイウスも足元に目を落し、穏やかに、けれどどこか爽やかに呟いた。

「君を愛するのに、相応しい順番を守らなかった。すまなかったと思っている」

悔やんでいる。
でもそれは私を愛したからではなくて、寧ろ、この愛が生まれたことは喜んでいるようだ。だから優しく微笑んでいるのだろう。

「……」

ガイウスの立場でこれほど私の状況を慮ってくれるのは、ある意味、幸運なことだ。いくら幼い頃の絆があるとはいえ身分が違う。私に跡継ぎを産ませて、捨ててもいいはずなのに。

「奥様には、どう説明するの?」
「親子の絆について理解を求めるよ。跡継ぎの件で心の重荷が下りた状態なら、冷静に受け止めてくれるだろう」

ガイウスの気持ちは嬉しいけれど、私は手放しで喜べない。
希望的観測でしかないというだけではなく、私たちは、この件でソレーヌを説得できないままに、彼女の心を裏切る形で希望を叶えてしまった。いつ彼女に裏切り者と謗られてもおかしくはない身なのだ。

少なくとも私は。

だから、お腹の子が無事に産まれるまではソレーヌを刺激したくはない。
誰に身勝手と言われても譲れない。

でも……

ソレーヌがわかってくれるのなら、この子と離れたくない。
傍で成長を見守り、言葉を交わし、触れ合い、日々を重ねていきたい。

「いちばん傷ついたのは奥様だから」

私から主張はできない。

「でも奥様はこの子を待ち望んで、愛して下さるから、それは、とても感謝すべきことですし、私にとっても、幸せなことであるはずです」
「ヴェロニカ……」

ガイウスが私を抱き寄せる。
大きな掌が頭を包む。

こつん、とガイウスと頭がぶつかる。

「……」

困ったな。
私に甘えていないで、しっかりしてほしいのに……

でも、そうやって、二人で同じ罪を受け止めて悩むことが少し嬉しく感じてしまうのは、彼と私の人生が始まったからなのだろうなと思わずにはいられない。

母には、いなかった。
でも私の人生にはガイウスがいる。

この人生を愛して生きていける。
たとえこの先、孤独や苦しみが待っているとしても。

ソレーヌの怒りが私を貫く日がくるとしても。

今はただ、誰からも望まれて産まれてくるこの子を待ち侘びて、じっとしていよう。
いつか終わると覚悟しておくべき穏やかな時間を大切に。ゆっくりと、覚悟を強くしていこう。

そんな決意をするのに、自己憐憫も驕りも必要なかった。
物心つく頃には、母を見て人生にはいろいろあるものだと納得するようになっていたから。

その後、ソレーヌの理解は比較的すぐ得られたように感じられた。

私を気遣い、負担をかけないように気を遣ってくれたという実感はある。
たまにふらりと部屋に来ることはあったものの、ノックをしてから扉の下の隙間に入室の許可を求めるカードを差し込み、私の意志を尊重して此方の気分が乗らない日は諦めてくれた。

「ああ、私たちの赤ちゃん……」

膨らんでいくお腹を、ソレーヌが愛しそうに撫でる。

「ヴェロニカ。勿論、あなたが名前を決めていいのよ?ガイウスとあなたで、どうぞ、素晴らしい名前をつけてあげて」

ソレーヌは本心からそう言っているようでもあった。

ソレーヌには言えなかったけれど、私の母は安産だったらしい。
だから私もそうだろうと思っていた。でも、だから元気な跡継ぎを産みますよとは、口が裂けても言えなかった。

覚悟したよりずっと穏やかな日々が流れていった。
ガイウスも頻繁に部屋に来て、私を気遣ってくれたり、励ましてくれたり、たまに散歩にも付き合ってくれたりと、ソレーヌの寛大さを感じずにはいられない出来事も多かった。

臨月が近づくと、ソレーヌは私より必死な様子で子どもが無事に産まれてくるよう祈っていた。断食までしていたらしい。

ソレーヌの真剣さが少し恐かった。
けれど、ある種の安心感を私は覚えた。

万が一、私がお産で命を落としても、ソレーヌがいればこの子は守ってもらえる。愛してもらえる。寂しくない。

そして当日。
初めての出産で取り乱したガイウスより、ある意味ソレーヌの方が頼りになるとまで感じた。

主治医の介助のもと、私は待望の男の子を産んだ。安産だった。
ガイウスと私は幾つかの候補を挙げていたけれど、その子の顔を見て、改めて話し合った。

フェラレーゼ伯爵家の跡継ぎはオリヴァーと名付けられた。


私たちは驚くほど幸せな家族になった。
子煩悩の父親と、愛して止まない二人の母親。


その幸せは、ある夜、思わぬ形で打ち砕かれることになる。
けれど思えば当然の成り行きだったのかもしれない。

生後十ヶ月を迎えたオリヴァーがすやすやと眠る、月の綺麗な夜のことだった。
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