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まあ、本当に美しい夕焼けね嗚呼、まっこと美しき夕焼けじゃのぅ……」

私は晴れ晴れとした心地で夕焼けに染まる空を見上げた。

古い時代に書かれた書物は文章そのものが格式高いだけでなく、研究初期に試行錯誤した際の感情が赤裸々に書き添えられており、歴史的な意味でも非常に興味深いものだった。

新たな書物を借りる為、宮殿の書庫に向かう。

「〝善きかな、善きかな〟」

心が弾み、足取りも軽い。
思わず笑みが零れてしまう。

やはり勉学に励むのは楽しい。

「?」

向こうからファロン王子が早足に歩いてくるのに気付き、私の勉学に浮かれた気持ちは一旦落ち着いた。

ファロン王子は明確に私を見据え、急ぎ足で此方に向かってくるのだ。
併しその表情は深刻という程でもなく、身重のレミア姫に何かあったのかと心配しなければならないような事態ではないと判断できる。

書庫の方から来た。

「……」

もしかして、ファロン王子は産まれて来る子の名前の候補でも探していたのだろうか。微笑ましい。

ファロン王子とレミア姫。
人種は違えど見目麗しいお二人のまだ見ぬ子を想像し、幸福感に満たされる。

「〝愛いのぅ〟」

私は心のままに笑みを浮かべつつ、此方に向かって更に足を速めたファロン王子に会釈した。
するとファロン王子は制止を促すように掌を私に向けた。

「?」

一先ず足を止める。
私は書物を抱え直しファロン王子を待った。

やがてファロン王子は私の正面に立ち、無言のまま私が抱える古い書物に視線を落とした。

改めて丁寧にあいさつをした上で私は恥ずかしい自らの過ちについて軽く伝える。

「私ときたら滑舌が未熟だったようで知らず知らず思わぬ御無礼を働いておりました。ですが、昨晩このように学び直したのです。ファロン様の御前でも平気な顔をして通訳然としておりましたね。とんだ不束者が、誠に申し訳ありませんでした」
「シンシア……」

ファロン王子の眉が奇妙に下がり、唇が震え、目が泳ぐ。

「?」

ファロン王子は一度掌で口を覆い、何かを決意したかのような鋭い視線で斜め下を睨んだ後、私に衝撃の事実を告げた。

「シンシア。非常に言い難いのだが実は──」
「──」

その衝撃的事実に私は言葉を失った。

「!」

次の瞬間には私は額に手を当て天を仰いでいた。
ファロン王子が即座に古い書物たち受け止めてくれたと知ったのは数分後のことだった。

羞恥と後悔と罪悪感と虚無感に苛まれる私にファロン王子は穏やかな声を掛けてくれる。

「すまなかった、シンシア。始めに私が指摘すればよかったのだ。そうすれば誰も傷つかなかった」
「……いいえ」

悪いのは他でもない私自身である。
慢心と傲慢が私を暴走させ、仕えている相手である周囲の高貴な方々にまで気を遣わせてしまった。

全ての責任は私にあるのだ。

「また随分と古い書物を選んだな」

ファロン王子の声にやや笑いが混じる。

私は赤い夕焼け空を見上げたまま両手で頬を仰ぎ、深呼吸を繰り返し理性と自制心を呼び戻す。
美しい夕焼けを褒め称えている場合ではなかったのだ。

正しい言葉で表してこそである。
慢心してはいけない。

「シンシア。君には助けが必要だ。これから少し、時間、あるかい?」
「寛大な御厚意を賜り感謝申し上げます、殿下。よろしくお願いいたします」

天を仰いでいた姿勢から深く腰を下り頭を垂れた体勢になった私の後頭部にファロン王子の優しい声が降りかかる。

「否、私はレミアと用事があるから」
「……え?」

では何故、私に時間があるかなどと────

「サヘルが言葉を直してくれる」
「……」
「二人っきりで」
「……」
「手取足取り」

私はゆっくりと体を起こした。
気づくと小首まで傾げていた。

私の頭がついに現実を拒絶していた。

ファロン王子は私の目をまじまじと覗き込むと、書庫へ駆けていき、やがて手ぶらで戻ってきて私に言った。

「失礼」

そして私の両腕を外側からがっしり掴み、後ろを正面に、正面を後ろに、強制的に身を翻させた。
続いて背中に両掌を当て、重い荷物を押し退けるようにじっくり力強く押し出した。

「さあ、行こう。途中まで、というかほぼ最後まで同じ道のりだ。悩みを聞こうか?なぁに、気を落とすことはないさ。大丈夫、君はよくやっている。さあ、シンシア。足を動かして。右、左、右、左……」
「……」
「これ以上君に触れると命が危ない。助けると思って歩いて欲しい。レロヴァス王国とイゥツェル神教国の輝きに満ちた友好的未来の為に」

私は颯爽と歩きだした。
私の胸の奥に残された誇りの一欠けらが私を奮い立たせてくれたのだろう。

完成した状態でサヘル王子と愛を語らいたかったけれど、それは私の我儘だ。私は未熟なのだ。教えを乞う慎ましさを忘れてはいけない。

恥ずかしいのは私個人の問題であり、誰の未来も阻害してはならないのだ。

ファロン王子が隣に並んだ。

「誤解のないよう言っておくが、私はレミアを愛している。少し手に負えず恐いところなんかが刺激的で、もう夢中だよ」
「可愛らしい方とお見受けしておりましたが、仰りたいことはわかる気がいたします。神聖なお方ですので」
「……うん。君は、善い侍女だ」

含みのある言い方だったけれど、今の私には些末な問題に他ならない。
善いという言葉を聞いて善きかな善きかなと心の内で囁いてしまう自分自身との闘いに夢中なのだ。

今夜は忘れられない夜になりそうだと覚悟を決め、私は左右の足を繰り出し続けた。
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