元婚約者様の勘違い

希猫 ゆうみ

文字の大きさ
上 下
6 / 27

しおりを挟む
アーノルドが現れたのは残り少ない日数を惜しみ始めた十一日目のことではあるが、その前に二日目の正午の出会いについてしっかりと触れておく必要があるだろう。なぜならそれが私と未来の夫との出会いであったからだ。

二日目の朝、私は母と共に叔母に付き従う形で温泉施設へと出かけた。
広々とした大理石の大浴場に薄布を纏い集った貴婦人や令嬢たちが、数時間の癒しを満喫する。尚、男性用の設備がどのようなものであるかは永遠の謎といえる。

さて、こちらは併設された複数の個室で其々の花びらが浮かぶ浴槽が整えられており、花だけでなくミルク風呂やマッサージなども受けられるとのことだったが、私は慣れたメイド以外に体を触られるのは嫌だった為、母と叔母と別れサロンにやってきたのだ。

肌艶がよくなり寛いだ様子の貴族が集っている上、あちこちについ先日まで共にホッブス伯爵夫妻の結婚を喜んでいた顔が紛れ込んでいる。

「……お互いほっこりね」

聞こえるはずの無い独り言を堂々と零しつつ笑顔で手を振り合うというものだ。
温泉名物のソーダを片手にチェスに没頭する父と叔父の姿もあった。

その寛いでいる私のテーブルの前を一人の紳士が通り過ぎる。

「……ぅ……ぁ……っ」
「?」

爽やかな柑橘系の匂いが鼻腔を抜けたその爽快感に酔い痴れながら私は顔をあげた。

「……!」

端的に言えば顔が好みだった。
つまり私の薔薇色のカーテンが盛大にはためきつつ開いた瞬間だった。

精悍な顔立ちに均整のとれた体躯ながら、大病を患った老い先短い老人のように死相を浮かべ巨体を引き摺るように不自由そうで緩慢な歩みを進めている。
節くれ立った大きな手が腰に当てられていることから、腰痛の療養中だと察しがついた。

若いのに……

「くっ」
「?」

限界だったのか。
その男は私のテーブルに手をついた。

「……失礼、レディ……っ、あ、怪しい者では……ッ」

怪しいとは思わないが気の毒には思う。

「どうぞおかけになって」
「否……立っていた方がまだましなのです。それに……」
「それに?」
「……座ったら、凡そ二時間は動けませ……っ、くはっ」

マッサージで悪化したのではないだろうか。
私は心底気の毒に思い、給仕から新たなソーダを受け取って彼の前に差し出した。

「どうぞ」
「どうも……っ、レディ……」
「カイラです」
「レディ・カイラ……っ、御親切に感謝……ん゛?」

苦痛に苛まれて引き絞った眉がひくひくと蠢く。
気の毒に思いながらもその表情を隅々まで観察してしまう自身の浅はかさに辟易し、且つ大胆に認める方針を取った。要は遠慮なく見つめた。

「あぁーーーーーーーー……」

激しい痛みの波に襲われたのか、記憶を辿ろうとしているのか、彼は長く呻り薄く目を開いた。

「妹君がご結婚を……」
「ええ、そうです」
「おめでとうございます……くっ」

いい加減、可哀相で見ていられない。
私は一旦目を伏せ、その状態で深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

苦痛に苛まれながらも妹への祝福を述べてくれただけで私の心は満たされた。

そこへ父と叔父が駆けつけた。私が酩酊した若い男に絡まれていると勘違いしたらしく、かなり血相を変え左右から同時に彼を掴んだ。

「私の娘に──」
「ぐはあっ!」
「!?」

これが父にとっても、もう一人の可愛い義理の息子との出会いとなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染みとの間に子どもをつくった夫に、離縁を言い渡されました。

ふまさ
恋愛
「シンディーのことは、恋愛対象としては見てないよ。それだけは信じてくれ」  夫のランドルは、そう言って笑った。けれどある日、ランドルの幼馴染みであるシンディーが、ランドルの子を妊娠したと知ってしまうセシリア。それを問うと、ランドルは急に激怒した。そして、離縁を言い渡されると同時に、屋敷を追い出されてしまう。  ──数年後。  ランドルの一言にぷつんとキレてしまったセシリアは、殺意を宿した双眸で、ランドルにこう言いはなった。 「あなたの息の根は、わたしが止めます」

殿下が望まれた婚約破棄を受け入れたというのに、どうしてそのように驚かれるのですか?

Mayoi
恋愛
公爵令嬢フィオナは婚約者のダレイオス王子から手紙で呼び出された。 指定された場所で待っていたのは交友のあるノーマンだった。 どうして二人が同じタイミングで同じ場所に呼び出されたのか、すぐに明らかになった。 「こんなところで密会していたとはな!」 ダレイオス王子の登場により断罪が始まった。 しかし、穴だらけの追及はノーマンの反論を許し、逆に追い詰められたのはダレイオス王子のほうだった。

【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~

黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。

【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後

綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、 「真実の愛に目覚めた」 と衝撃の告白をされる。 王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。 婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。 一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。 文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。 そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。 周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

婚約破棄宣言されたので、論破してみました

AliceJoker
恋愛
「クリスティーナ!お前はなんて愚かなんだ!未来の王妃のラナを虐めた罪は重い!お前とは婚約破棄させてもらう!そして私はラナと婚約する!お前は国外追放だ!」 第一王子のヘンリー殿下は後ろに側近候補達、隣に男爵令嬢のラナ様を連れてそう発言した。 (いや…色々矛盾し過ぎなんだけど…、この国の将来大丈夫?) 公爵令嬢のクリスティーナはそう思った。 __________________ 婚約破棄あるあるをちょっと付け足したバージョンです。気軽に読んでくださると嬉しいです。 小説家になろうの方にも投稿してます! __________________ HOT30位(2020.08.07) HOT4位(2020.08.08) HOT3位(2020.08.09) 処女作が順位に入れるなんて… 感謝しかないです( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

婚約者の心の声が聞こえるようになったけど、私より妹の方がいいらしい

今川幸乃
恋愛
父の再婚で新しい母や妹が出来た公爵令嬢のエレナは継母オードリーや義妹マリーに苛められていた。 父もオードリーに情が移っており、家の中は敵ばかり。 そんなエレナが唯一気を許せるのは婚約相手のオリバーだけだった。 しかしある日、優しい婚約者だと思っていたオリバーの心の声が聞こえてしまう。 ”またエレナと話すのか、面倒だな。早くマリーと会いたいけど隠すの面倒くさいな” 失意のうちに街を駆けまわったエレナは街で少し不思議な青年と出会い、親しくなる。 実は彼はお忍びで街をうろうろしていた王子ルインであった。 オリバーはマリーと結ばれるため、エレナに婚約破棄を宣言する。 その後ルインと正式に結ばれたエレナとは裏腹に、オリバーとマリーは浮気やエレナへのいじめが露見し、貴族社会で孤立していくのであった。

処理中です...