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アーノルドが現れたのは残り少ない日数を惜しみ始めた十一日目のことではあるが、その前に二日目の正午の出会いについてしっかりと触れておく必要があるだろう。なぜならそれが私と未来の夫との出会いであったからだ。
二日目の朝、私は母と共に叔母に付き従う形で温泉施設へと出かけた。
広々とした大理石の大浴場に薄布を纏い集った貴婦人や令嬢たちが、数時間の癒しを満喫する。尚、男性用の設備がどのようなものであるかは永遠の謎といえる。
さて、こちらは併設された複数の個室で其々の花びらが浮かぶ浴槽が整えられており、花だけでなくミルク風呂やマッサージなども受けられるとのことだったが、私は慣れたメイド以外に体を触られるのは嫌だった為、母と叔母と別れサロンにやってきたのだ。
肌艶がよくなり寛いだ様子の貴族が集っている上、あちこちについ先日まで共にホッブス伯爵夫妻の結婚を喜んでいた顔が紛れ込んでいる。
「……お互いほっこりね」
聞こえるはずの無い独り言を堂々と零しつつ笑顔で手を振り合うというものだ。
温泉名物のソーダを片手にチェスに没頭する父と叔父の姿もあった。
その寛いでいる私のテーブルの前を一人の紳士が通り過ぎる。
「……ぅ……ぁ……っ」
「?」
爽やかな柑橘系の匂いが鼻腔を抜けたその爽快感に酔い痴れながら私は顔をあげた。
「……!」
端的に言えば顔が好みだった。
つまり私の薔薇色のカーテンが盛大にはためきつつ開いた瞬間だった。
精悍な顔立ちに均整のとれた体躯ながら、大病を患った老い先短い老人のように死相を浮かべ巨体を引き摺るように不自由そうで緩慢な歩みを進めている。
節くれ立った大きな手が腰に当てられていることから、腰痛の療養中だと察しがついた。
若いのに……
「くっ」
「?」
限界だったのか。
その男は私のテーブルに手をついた。
「……失礼、レディ……っ、あ、怪しい者では……ッ」
怪しいとは思わないが気の毒には思う。
「どうぞおかけになって」
「否……立っていた方がまだましなのです。それに……」
「それに?」
「……座ったら、凡そ二時間は動けませ……っ、くはっ」
マッサージで悪化したのではないだろうか。
私は心底気の毒に思い、給仕から新たなソーダを受け取って彼の前に差し出した。
「どうぞ」
「どうも……っ、レディ……」
「カイラです」
「レディ・カイラ……っ、御親切に感謝……ん゛?」
苦痛に苛まれて引き絞った眉がひくひくと蠢く。
気の毒に思いながらもその表情を隅々まで観察してしまう自身の浅はかさに辟易し、且つ大胆に認める方針を取った。要は遠慮なく見つめた。
「あぁーーーーーーーー……」
激しい痛みの波に襲われたのか、記憶を辿ろうとしているのか、彼は長く呻り薄く目を開いた。
「妹君がご結婚を……」
「ええ、そうです」
「おめでとうございます……くっ」
いい加減、可哀相で見ていられない。
私は一旦目を伏せ、その状態で深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
苦痛に苛まれながらも妹への祝福を述べてくれただけで私の心は満たされた。
そこへ父と叔父が駆けつけた。私が酩酊した若い男に絡まれていると勘違いしたらしく、かなり血相を変え左右から同時に彼を掴んだ。
「私の娘に──」
「ぐはあっ!」
「!?」
これが父にとっても、もう一人の可愛い義理の息子との出会いとなった。
二日目の朝、私は母と共に叔母に付き従う形で温泉施設へと出かけた。
広々とした大理石の大浴場に薄布を纏い集った貴婦人や令嬢たちが、数時間の癒しを満喫する。尚、男性用の設備がどのようなものであるかは永遠の謎といえる。
さて、こちらは併設された複数の個室で其々の花びらが浮かぶ浴槽が整えられており、花だけでなくミルク風呂やマッサージなども受けられるとのことだったが、私は慣れたメイド以外に体を触られるのは嫌だった為、母と叔母と別れサロンにやってきたのだ。
肌艶がよくなり寛いだ様子の貴族が集っている上、あちこちについ先日まで共にホッブス伯爵夫妻の結婚を喜んでいた顔が紛れ込んでいる。
「……お互いほっこりね」
聞こえるはずの無い独り言を堂々と零しつつ笑顔で手を振り合うというものだ。
温泉名物のソーダを片手にチェスに没頭する父と叔父の姿もあった。
その寛いでいる私のテーブルの前を一人の紳士が通り過ぎる。
「……ぅ……ぁ……っ」
「?」
爽やかな柑橘系の匂いが鼻腔を抜けたその爽快感に酔い痴れながら私は顔をあげた。
「……!」
端的に言えば顔が好みだった。
つまり私の薔薇色のカーテンが盛大にはためきつつ開いた瞬間だった。
精悍な顔立ちに均整のとれた体躯ながら、大病を患った老い先短い老人のように死相を浮かべ巨体を引き摺るように不自由そうで緩慢な歩みを進めている。
節くれ立った大きな手が腰に当てられていることから、腰痛の療養中だと察しがついた。
若いのに……
「くっ」
「?」
限界だったのか。
その男は私のテーブルに手をついた。
「……失礼、レディ……っ、あ、怪しい者では……ッ」
怪しいとは思わないが気の毒には思う。
「どうぞおかけになって」
「否……立っていた方がまだましなのです。それに……」
「それに?」
「……座ったら、凡そ二時間は動けませ……っ、くはっ」
マッサージで悪化したのではないだろうか。
私は心底気の毒に思い、給仕から新たなソーダを受け取って彼の前に差し出した。
「どうぞ」
「どうも……っ、レディ……」
「カイラです」
「レディ・カイラ……っ、御親切に感謝……ん゛?」
苦痛に苛まれて引き絞った眉がひくひくと蠢く。
気の毒に思いながらもその表情を隅々まで観察してしまう自身の浅はかさに辟易し、且つ大胆に認める方針を取った。要は遠慮なく見つめた。
「あぁーーーーーーーー……」
激しい痛みの波に襲われたのか、記憶を辿ろうとしているのか、彼は長く呻り薄く目を開いた。
「妹君がご結婚を……」
「ええ、そうです」
「おめでとうございます……くっ」
いい加減、可哀相で見ていられない。
私は一旦目を伏せ、その状態で深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
苦痛に苛まれながらも妹への祝福を述べてくれただけで私の心は満たされた。
そこへ父と叔父が駆けつけた。私が酩酊した若い男に絡まれていると勘違いしたらしく、かなり血相を変え左右から同時に彼を掴んだ。
「私の娘に──」
「ぐはあっ!」
「!?」
これが父にとっても、もう一人の可愛い義理の息子との出会いとなった。
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