ノイズノウティスの鐘の音に

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 ――――次は、自分の番だ。
 ルアンは体操座りを続けながらも、落ち続ける気持ちを何とか保とうと必死だった。
 内側から、ずっと早いままの鼓動が聞こえている。
 辺りを漂うのは絶望感だけだ。監視官の姿が無いからか、ぽつりぽつりと嘆かわしい溜め息も聞こえる。
 暗闇の中では、正確な時間が分からない。次の瞬間には、死の部屋に導かれるのではないかとの緊張感が延々と抜けない。
 やはり、死は怖い。
 生々しい音声を聞いてしまってから、それは更に強くなった。
 一瞬見ただけの死んだ人々の顔が、鮮明に焼きついてしまっている。
 首に手をかける形で死んでいる人、逆に遠くに手を伸ばしている人。様々な体勢が苦しみを物語る。
 一人ぼっちの世界は寂しいだろう。
 それでもメイカやティニー、ニーオの逝ってしまって世界へ逝きたいとは思えなかった。
 生きられるならば、生き延びたい。この肺で息をしたい。鼓動をまだ聞いていたい。
 どれだけ悲惨な人生が待っていても、どれだけの涙や痛みが未来に据えられていようとも、それでも死だけは受け容れがたい。
 生きたい。生きたい。死にたくない。
「時間だ! 立て!!」
 ドキリと心臓が音を上げる。伏せていた顔を上げると、扉から差している眩しい光に目が眩んだ。
 光の先に終わりが待っている。進んでしまえば、待っているのは最期の時なのだ。
 それでも、分かりながらも恐れながらも、なぜか抵抗の気持ちは潰れ命令に従ってしまう。
 誰かが、嫌だと叫んだ。しかし、叫んだ人間は羽交い絞めされ、どこかへと連れて行かれてしまった。
 扉を潜ると、明るい世界が広がっていた。晴れ間が出ている訳でもないのに、随分と眩しく感じる。
 遠く、向こう側に扉が見えた。ぼんやりした視力では、どこか歪んで見える。まるで地獄の入り口のようだ。
 処刑の時間が近付いている。
 足が震える。手も震える。精神苦痛が絶頂を迎えている。
 それでも倒れられない。意識は消えてくれない。
「早くしろ! 早く進め!」
 前方の列を急かす、怒声が耳を突いた。鞭の音が恐怖感を引き立てる。
列の先に建物が見えた。恐らく、その建物こそが処刑場だ。
 閉じ込められ、一気に命を奪う為の施設。
 ルアンは怖くなり俯いた。足元だけを見詰め、とぼとぼと歩いてゆく。
「おい、お前! ちゃんと進め!」
 はっとなり声のした方を見ると、強健な男がルアンを睨んでいた。同時に、前の人間との距離が出来ている事にも気付いた。
 慌てて距離を詰めようとしたが、足が縺れて転んでしまった。男の怒鳴り声と、鞭が降る。
 何度も何度も振るわれ、服には血が滲んだ。しかしそれでも、死よりは断然良いと思ってしまう。
 このまま時が過ぎ去ってくれれば、もしかすると――。
「おい! お前! そんなところで弄ってないで早くつれて来い! 時間がない!」
 別の声が、鞭の動きを制止した。
 男は強く舌打ちすると、腹部を強く蹴り腕を掴む。抵抗する力も残されておらず、そのまま抱え上げられてしまった。
 ――――終わりだ。もう、全部終わりなんだ。あの扉に放り込まれ、殺されるんだ。
 今まで描いてきた夢も希望も、頑張って生きてきた意味も、全て消えてなくなる。
 生きたい。まだ生きていたい。
 死にたくない、死にたくない、死にたくない。
 お願い、誰か助けてよ。何もいらないから、全部許すから、だから命だけは奪わないでよ。
 お願い、死にたくないんだ。

≪全軍に告ぐ! 今すぐ、全住民を解放せよ!≫

 ルアンは目を見開いていた。スピーカーの甲高い雑音が、まだ耳を劈いている。
 だが、確かに今聞こえた。
 ――――解放の文字が。
 ルアンは、力が解かれた男の手の中から落ちた。地面に体を打ち付けながら、唖然とし横たわる。
 その内、小さな地響きが聞こえ出して幾つもの足並みが見えた。
 スピーカーのスイッチが入る音が聞こえる。そして先程とは違う質の声が聞こえて来た。
≪――軍よ、聞こえているか! この国は我々――帝国が制圧した! もう一度言う、この国は我々が制圧した!≫
 状況が飲み込めずに硬直してしまう。それは皆同じらしく、辺りは静かなままだった。
 国の名が隣国の物である事から、一つの推測は出来た。しかし、都合が良すぎて素直に受け入れられない。
「大丈夫かい?」
 ルアンは、訳も分からないまま抱き起こされた。目の前には見た事もないデザインの軍服を着た男が居て、強い微笑を浮かべている。
 ぽつりと、誰かが何かを言った。そこからざわつきが広がりだす。
 それまで監視のため周りに居た軍人達は、皆そそくさとどこかに消えていった。
 変わりに人々の群れから湧き上がったのは、これまで聞いた事がないくらいの大歓声だった。
「もう安心しても良い、終わったんだよ」
 ルアンがあまりにも呆気に取られていたからか、目の前の男はそう呟いた。
 ――ルアンの頬に、一筋の涙が伝い落ちた。
 やっと理解できたのだ。今、何が起こったかを。
「…………じゃ……あ、もう、自由ですか…………?」
 尋ねると、男はルアンを両手で抱え上げた。
 歩きながら、小さな声を落とす。
「そうだよ、君達はもう自由になったんだ」
 ルアンは確証を得られて、強張っていた体の力を漸く抜く事が出来た。目を閉じ、全てを男の手に委ねる。
 ――――望んでいた結末が、今やっと訪れた。
 ティニーもニーオも、メイカも戻らないけれど。昔見た町並みや人も、もう戻らないけれど。悔しさや、悲しみは残るけれど。
 痛いくらい、胸に突き刺さっているけれど。
 それでも、こうして生きている。こうして今、まだ空気を吸い続けている。心臓が酸素を求めている。

 大きな鐘の音が、鼓膜を劈いた。
 重く深くノイズを交えて、どこまでも遠くに届きそうな鐘の音が、今日はいつもより遥かに大きい。
 それに交じり合い、後ろでは感動が捲き起こっている。
 午前10時、処刑を知らせる鐘の音。誰かがその音色を耳にし、重ねた例えを思い出した。
 けれど今は、今日からは。
「………………歓喜の叫びが、聞こえる」
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