1 / 2
前編:ロボットと人間
しおりを挟む
街を歩けば、人が溢れている。
遅刻しそうになって慌てている新社会人。重そうに荷物を抱えるご老人。何人かで横並びになって歩く小学生。たくさんの人間がいる。
しかしその中に、実はロボットが混ざっていたりする。もちろん人型ロボットだ。技術の発展により、生身の人間との区別が付かないほど巧妙な作りになっている。
会社にも友人にもロボットが居るが、衣食住関係も人と完全に一緒で、時々忘れそうになるほどだ。
因みに、人型ロボット意外にも、その他様々な箇所で色々なロボットが活躍している。僕らの住むこの時代、それらは至極当然の光景となっていた。
柔軟な思考を作り出す繊細な人工知能、緻密に計算され再現された人体――。
人と何ら変わらぬ彼らは、何を思って生きているのだろう。
**
住宅の二階、一番角に僕の家がある。
「ただいまー」
「おかえり紗夜! お疲れ様」
そして、今笑顔で迎え入れてくれた彼女――陽南の家でもある。
僕らは恋人で、同棲している。結婚についての話は、今のところ本格的に進んではいない。陽南が結婚を迷っており、保留となっている状態だ。
「ご飯出来てるよー、食べるでしょ?」
「食べる、今日は何作ってくれたの?」
「紗夜の好きな唐揚げだよー、あとポテトサラダも作った」
「唐揚げ! 嬉しいな」
とは言え、僕らは付き合い始めてもう随分と経過する。好きの気持ちは当初から変わらず、ずっと彼女を愛している。
「いつもありがとう、愛してるよ」
「こちらこそ、愛してる」
いつしか習慣になった感謝と愛情表現を交わしながら、二人して幸福な笑みを飾った。
**
陽南に送り出され、職場へと出勤する。職場へは徒歩五分ほどの距離なので、歩きでの通勤をしている。
二、三メートルほど前を、黄色い帽子の小学生が歩いている。小さな携帯電話を手に、何かに夢中になっている様子だ。
「おーい、危ないよー。聞こえてるー?」
反応のない事から、無線イヤフォンで音楽を聴いているのだろうと推測した。
自動操縦化された自動車が、信号機の指示に従い一時停止している。音もなく静かな停車だ。
完全自動化されたこの時代でも、事故は起こる。一人ひとりの心掛けで減らせるのだが、最近は完全機器化で油断している人が多いのも現状だ。
問題として取り扱われるほど、深刻な事態にある。
「おーい、危ないって……」
小学生がチラリとだけ顔を上げ、携帯に夢中になったまま角を曲がった。ちょうどその時、歩行者信号が赤に変わる。
数分先の未来が過ぎり、冷や汗が額を伝った。
小学生は、自動車の発進に気が付かず真っ直ぐ道路へ飛び出して行く。もちろん機械は判断し止まろうとはするが、距離が距離である。このまま行けばぶつかってしまうだろう。
――――助けなきゃ。
気付けば勝手に飛び出していた。引っ張る形で子どもを歩道に引き込み、変わりに前へと乗り出してゆく。
そのまま翻る事も出来ず、必死に止まろうとする自動車を見ていた。
正面衝突する、その時まで。
**
耳鳴りがする。酷いノイズだ。何とも表現し得ない轟音が、頭に轟き思考をぐちゃぐちゃに掻き回している。
結局あの後どうなった? あの子どもは無事か? 今自分はどこにいる――?
何一つ推測も判断も出来ず、不快さと共に疑問が募り続けてゆく。
「……紗夜、目を開けてよ」
どこからか、聴き慣れた声が聞こえてきた。近くに居るとは思えないほどに小さな音だ。そして、やはりノイズが酷い。
しかし、それが愛しい陽南の声であると分かった時、ようやくはっきりと意識を取り戻した。
――えっ?
だが、目に映った景色は衝撃的な物に変わっていた。見えるのは数字や記号で、色彩もモノクロになっている。
目の前にある景色を受け容れた瞬間、否応なく突きつけられた。
僕が、紛れもないロボットだったと。
**
その日から生活は一変した。いや、変化したのは心持ちかもしれない。
損傷が激しかったのだろう。ベッドからは動けず、相変わらず景色もまともに見れなかった。
愛しい陽南の表情を読み取る事さえ、かなりの困難を極めた。
数字と記号だけで構成されるようになった世界と、どう向き合えば良いか分からなくなった。
「気分はどう……?」
陽南は毎日のように病院に通い、言葉をかけてくれた。
しかし、それさえも苦痛になってしまい、上手く返答が出来なかった。労りが苦痛となるのは、声がノイズ掛かっている所為もあるのかもしれない。
もちろん、陽南に対する愛しさは一切変わらない。だが、それゆえに辛くなってしまうのだ。
――ロボットだと自覚してから、たくさん考えた。
正式な人間では無かった事、所詮作り物だった事。感情も体温も、全てプログラムの一貫でしかなかった事。
母親の記憶も辿ってきた人生も、全て改竄された物だった事。
彼女に対する愛しささえも、全て。
この悲しみも嘆きも、それさえも全て。
「……ごめんね、言えなくて……」
聞くに堪えないラジオのようなノイズを重ねながら、陽南の謝罪が降った。ある筈のない心が痛んだ。
「……でも、愛してる」
「……僕も、だよ……」
必死の返答をしたが、発した声が酷い音である事に気付いた。己の身が、ジャンク品になってしまっていると味わい知った。
目尻から雫が伝ったが、それさえ作り物だと更に雫を落とした。
**
痛みすら再現されているとは、実に驚きである。
真夜中、僕は一人で激痛と戦っていた。頭の痛みと心の痛みが¨絶望¨という物を教える。
痛みに苛まれながら、僕はとある声を思い出していた。飛び飛びになった淡いそれは、まだ陽南と出会う前に僕がいた世界の記憶だった。
『君はもう直ぐ、とある人の恋人になるんだよ』
まだ視力を与えられていない頃、聞いた声が響く。誰の声であるかまでは分からないが、恐らく製造過程で聞かされた言葉なのだろう。
『君はね、その人の希望なんだ、愛しい人を失って悲しんでいるその人を、君が救ってあげるんだよ』
それが陽南の事を言っているのだと知った時、僕はまたも嘆きに駆られた。
彼女との出会いや日々にまで、嘘の記憶が混ざっていたと知ってしまったからだ。
ここに確かにあるはずの、愛情まで全て偽物だと突きつけられた気になってしまった。
遅刻しそうになって慌てている新社会人。重そうに荷物を抱えるご老人。何人かで横並びになって歩く小学生。たくさんの人間がいる。
しかしその中に、実はロボットが混ざっていたりする。もちろん人型ロボットだ。技術の発展により、生身の人間との区別が付かないほど巧妙な作りになっている。
会社にも友人にもロボットが居るが、衣食住関係も人と完全に一緒で、時々忘れそうになるほどだ。
因みに、人型ロボット意外にも、その他様々な箇所で色々なロボットが活躍している。僕らの住むこの時代、それらは至極当然の光景となっていた。
柔軟な思考を作り出す繊細な人工知能、緻密に計算され再現された人体――。
人と何ら変わらぬ彼らは、何を思って生きているのだろう。
**
住宅の二階、一番角に僕の家がある。
「ただいまー」
「おかえり紗夜! お疲れ様」
そして、今笑顔で迎え入れてくれた彼女――陽南の家でもある。
僕らは恋人で、同棲している。結婚についての話は、今のところ本格的に進んではいない。陽南が結婚を迷っており、保留となっている状態だ。
「ご飯出来てるよー、食べるでしょ?」
「食べる、今日は何作ってくれたの?」
「紗夜の好きな唐揚げだよー、あとポテトサラダも作った」
「唐揚げ! 嬉しいな」
とは言え、僕らは付き合い始めてもう随分と経過する。好きの気持ちは当初から変わらず、ずっと彼女を愛している。
「いつもありがとう、愛してるよ」
「こちらこそ、愛してる」
いつしか習慣になった感謝と愛情表現を交わしながら、二人して幸福な笑みを飾った。
**
陽南に送り出され、職場へと出勤する。職場へは徒歩五分ほどの距離なので、歩きでの通勤をしている。
二、三メートルほど前を、黄色い帽子の小学生が歩いている。小さな携帯電話を手に、何かに夢中になっている様子だ。
「おーい、危ないよー。聞こえてるー?」
反応のない事から、無線イヤフォンで音楽を聴いているのだろうと推測した。
自動操縦化された自動車が、信号機の指示に従い一時停止している。音もなく静かな停車だ。
完全自動化されたこの時代でも、事故は起こる。一人ひとりの心掛けで減らせるのだが、最近は完全機器化で油断している人が多いのも現状だ。
問題として取り扱われるほど、深刻な事態にある。
「おーい、危ないって……」
小学生がチラリとだけ顔を上げ、携帯に夢中になったまま角を曲がった。ちょうどその時、歩行者信号が赤に変わる。
数分先の未来が過ぎり、冷や汗が額を伝った。
小学生は、自動車の発進に気が付かず真っ直ぐ道路へ飛び出して行く。もちろん機械は判断し止まろうとはするが、距離が距離である。このまま行けばぶつかってしまうだろう。
――――助けなきゃ。
気付けば勝手に飛び出していた。引っ張る形で子どもを歩道に引き込み、変わりに前へと乗り出してゆく。
そのまま翻る事も出来ず、必死に止まろうとする自動車を見ていた。
正面衝突する、その時まで。
**
耳鳴りがする。酷いノイズだ。何とも表現し得ない轟音が、頭に轟き思考をぐちゃぐちゃに掻き回している。
結局あの後どうなった? あの子どもは無事か? 今自分はどこにいる――?
何一つ推測も判断も出来ず、不快さと共に疑問が募り続けてゆく。
「……紗夜、目を開けてよ」
どこからか、聴き慣れた声が聞こえてきた。近くに居るとは思えないほどに小さな音だ。そして、やはりノイズが酷い。
しかし、それが愛しい陽南の声であると分かった時、ようやくはっきりと意識を取り戻した。
――えっ?
だが、目に映った景色は衝撃的な物に変わっていた。見えるのは数字や記号で、色彩もモノクロになっている。
目の前にある景色を受け容れた瞬間、否応なく突きつけられた。
僕が、紛れもないロボットだったと。
**
その日から生活は一変した。いや、変化したのは心持ちかもしれない。
損傷が激しかったのだろう。ベッドからは動けず、相変わらず景色もまともに見れなかった。
愛しい陽南の表情を読み取る事さえ、かなりの困難を極めた。
数字と記号だけで構成されるようになった世界と、どう向き合えば良いか分からなくなった。
「気分はどう……?」
陽南は毎日のように病院に通い、言葉をかけてくれた。
しかし、それさえも苦痛になってしまい、上手く返答が出来なかった。労りが苦痛となるのは、声がノイズ掛かっている所為もあるのかもしれない。
もちろん、陽南に対する愛しさは一切変わらない。だが、それゆえに辛くなってしまうのだ。
――ロボットだと自覚してから、たくさん考えた。
正式な人間では無かった事、所詮作り物だった事。感情も体温も、全てプログラムの一貫でしかなかった事。
母親の記憶も辿ってきた人生も、全て改竄された物だった事。
彼女に対する愛しささえも、全て。
この悲しみも嘆きも、それさえも全て。
「……ごめんね、言えなくて……」
聞くに堪えないラジオのようなノイズを重ねながら、陽南の謝罪が降った。ある筈のない心が痛んだ。
「……でも、愛してる」
「……僕も、だよ……」
必死の返答をしたが、発した声が酷い音である事に気付いた。己の身が、ジャンク品になってしまっていると味わい知った。
目尻から雫が伝ったが、それさえ作り物だと更に雫を落とした。
**
痛みすら再現されているとは、実に驚きである。
真夜中、僕は一人で激痛と戦っていた。頭の痛みと心の痛みが¨絶望¨という物を教える。
痛みに苛まれながら、僕はとある声を思い出していた。飛び飛びになった淡いそれは、まだ陽南と出会う前に僕がいた世界の記憶だった。
『君はもう直ぐ、とある人の恋人になるんだよ』
まだ視力を与えられていない頃、聞いた声が響く。誰の声であるかまでは分からないが、恐らく製造過程で聞かされた言葉なのだろう。
『君はね、その人の希望なんだ、愛しい人を失って悲しんでいるその人を、君が救ってあげるんだよ』
それが陽南の事を言っているのだと知った時、僕はまたも嘆きに駆られた。
彼女との出会いや日々にまで、嘘の記憶が混ざっていたと知ってしまったからだ。
ここに確かにあるはずの、愛情まで全て偽物だと突きつけられた気になってしまった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる