23 / 33
ソノ本、禁忌ニテ【後編】
しおりを挟む
閉館して、どのくらい経っただろうか。次第に雨足は強くなり、館内の暗さも増した。人々は寝静った深夜、誰も儀式には気付かない。
「……じゃあ、始めるぞ」
「良いよ、罪悪感なんていらないから」
静希は、敷いた大きな黒い紙の上に横たわった。これは私の所有物だ。いつでもどこでも方法を試せるよう、その類の物は常に持ち歩いている。紙は、基本的な道具だ。
――用意は出来た。あとは、血を流せば良い。そうすれば、ナオはこの世に戻ってくる。
儀式に疑いはなかった。復活を心の底から信じられた。
体が死ぬと魂も死ぬ。そう思っている人間には阿呆らしく見えるのだろう。しかし、魂は生き続けると信じている私たちにとっては、その概念こそが信じがたいのだ。
戻って来る為の体がある。命を削ってまで流す血がある。それに、ナオを思う愛もここにはある。
戻る為の条件は、揃っていると思える。
傷だらけの腕に、刃を宛てた。力を込めると、血が流れ出した。僅かな皺が、痛みにより眉間に寄せられる。
チカチカと懐中電灯の光が揺れ、明かりが消えた。ここで電池切れを起こすとは、運が悪い。
代わりにとスマートフォンに手を伸ばすと、その手を静希が声で止めた。
「…………そのまま続けて。見なくていいから。ナオに会うんでしょ。本当に駄目なら僕から止める。だから」
「……分かった」
強く、心が重なった気がした。ナオを呼び戻したいとの願いが一層高まり、同時に遂行の決意も強まった。
――絶対に、途中で終われない。私は迫られるような何かを、背中で感じていた。
*
しかし、現実は甘くない。何度か呪術を試している私にとって、進行の滞りは予想外ではなかった。
だが、それでも焦りは生まれてくる。けれども、諦める理由は生まれず、絶対に成功するとの意思は変わらなかった。
恐らくは、まだ規定の量に血が達していないだけだ。
「静希、まだいけるか……?」
正直な話、私は流血量を把握していない。どのくらい深い傷を与えているのかも、どのように傷がついているのかすら見えていない。
それが、焦りの一つになっている自覚はある。しかし、ここまで来て止められないし、第一本人が大丈夫だといっているのだ。止める理由がない。
「…………大丈夫、やって。ここで止まったらナオに会えないよ……」
雨がどんどん強くなってゆく。比例して、声も聞きづらくなってゆく。時間が分からない。早く済ませなければ、朝になり職員が来てしまう。
確信とは裏腹に、妙な圧迫感が圧し掛かって来ていた。体にか心にか、よく分からない何かに襲われている。でも。
ナオが復活すれば――静希の体ででもナオが復活すれば、きっと皆喜んでくれるはずだ。痛みと戦った静希も報われるだろう。
だから、もう少し、もう少しの辛抱だ――。
*
「…………来てるような……気がする……」
何度目かの確認で、静希が囁いた。語調は弱かったが、不思議と鮮明に聞こえた。
雨は強い。どこからか、雷の音までし始めている。
あと少しなのだと、感覚が告げた。始めてから、ずっと背中に張り付いている何かが――重々しい何かが軽くなり始めている事に気付いた。
もしかしたら、ナオが場所を間違えていたのかもしれない。
「……もう少しなんだな。ナオに伝えたい事はあるか?」
「………………そう、だね。だったら――――」
鳴り響いた雷の音が、小さな声を掻き消した。
「何だって? もう一度言ってくれ」
次第に大きくなってゆく轟音が、息遣いさえ隠してゆく。その内、自分の発声すら聞こえなくなった。
「すまない静希、聞こえないよ――」
瞬間、落雷による閃光が館内を照らした。
*
「…………静希? ナオ?」
目の前には、衝撃的な光景が広がっていた。夢から覚めたかのように、我に返っている自分がいる。焼きついた光景が、暗闇に投影された。
抜けかけた圧迫感は、無くなる前より重くなり、体が押し潰されそうなほどにまでなっていた。
雷雲が近いのだろう。再び閃光が放たれ、同じ光景を見た。まるで、答え合わせのようだった。
傷だらけの静希がいて、黒い紙から染み出した血液が海の如く広がっている――。
手から、ナイフが滑り落ちた。一気に暗くなった世界の中、恐る恐る静希に近付く。
触れた頬は、氷のように冷たかった。
「……っ!」
受け容れがたい現実に触れ、圧迫感が心を押し潰した。もはや飲み込まれてしまったかのように、何も考えられない。
「ナオ! ナオ! 君が戻って来てくれないと! ここに体はあるんだ! 静希が用意してくれて……! なぁ、ナオ! 居るんだろ!? ナオ……!」
魂はあるのに、来てくれないのはなぜか。このまま来てくれなかったら静希は――。
私は、どうなるのか。
*
呼び続けたものの、ナオは戻らなかった。代わりに、朝日が夜明けを連れて来る。雨は、上がり始めていた。
目の前には、悲惨な現実しかなかった。更に広がった血の海は、周辺のカーペットを濡らし、染めている。ナイフは、静希の胸に刺さっていた。
まるで、別世界を見ているかのようだった。ぼんやりとしていて、今にも消えてしまいそうだ。
いや、消えてしまえばいい。何もかもなくなってしまったのなら、夢だったかのように消してしまえばいい。
いいや、消してしまわなければならない。
私は半ば無意識にリュックを開いた。中には、怪しげな道具や小物が数多く詰まっている。
その中から取り出したのは、小さな箱だった。古めかしいパッケージには、可愛らしい絵がある。
中には、マッチ棒が詰まっていた。私は、その一本に火を点け――投げた。
*
禁忌の本は、呆気なく焦げていった。その瞬間に、何の力も持たない本だったのだと気付いた――気がした。
初めて、馬鹿な事をしたと感じた。後悔した。
死者は現世に戻れないのかもしれないと、初めて思った。今になって、思った。
きっと、死した後も二人には会えないだろう。二人は天国へ行き、私は違う場所へ行くだろうから。
燃え盛る業火は、永遠に私を焼くだろう。
「……じゃあ、始めるぞ」
「良いよ、罪悪感なんていらないから」
静希は、敷いた大きな黒い紙の上に横たわった。これは私の所有物だ。いつでもどこでも方法を試せるよう、その類の物は常に持ち歩いている。紙は、基本的な道具だ。
――用意は出来た。あとは、血を流せば良い。そうすれば、ナオはこの世に戻ってくる。
儀式に疑いはなかった。復活を心の底から信じられた。
体が死ぬと魂も死ぬ。そう思っている人間には阿呆らしく見えるのだろう。しかし、魂は生き続けると信じている私たちにとっては、その概念こそが信じがたいのだ。
戻って来る為の体がある。命を削ってまで流す血がある。それに、ナオを思う愛もここにはある。
戻る為の条件は、揃っていると思える。
傷だらけの腕に、刃を宛てた。力を込めると、血が流れ出した。僅かな皺が、痛みにより眉間に寄せられる。
チカチカと懐中電灯の光が揺れ、明かりが消えた。ここで電池切れを起こすとは、運が悪い。
代わりにとスマートフォンに手を伸ばすと、その手を静希が声で止めた。
「…………そのまま続けて。見なくていいから。ナオに会うんでしょ。本当に駄目なら僕から止める。だから」
「……分かった」
強く、心が重なった気がした。ナオを呼び戻したいとの願いが一層高まり、同時に遂行の決意も強まった。
――絶対に、途中で終われない。私は迫られるような何かを、背中で感じていた。
*
しかし、現実は甘くない。何度か呪術を試している私にとって、進行の滞りは予想外ではなかった。
だが、それでも焦りは生まれてくる。けれども、諦める理由は生まれず、絶対に成功するとの意思は変わらなかった。
恐らくは、まだ規定の量に血が達していないだけだ。
「静希、まだいけるか……?」
正直な話、私は流血量を把握していない。どのくらい深い傷を与えているのかも、どのように傷がついているのかすら見えていない。
それが、焦りの一つになっている自覚はある。しかし、ここまで来て止められないし、第一本人が大丈夫だといっているのだ。止める理由がない。
「…………大丈夫、やって。ここで止まったらナオに会えないよ……」
雨がどんどん強くなってゆく。比例して、声も聞きづらくなってゆく。時間が分からない。早く済ませなければ、朝になり職員が来てしまう。
確信とは裏腹に、妙な圧迫感が圧し掛かって来ていた。体にか心にか、よく分からない何かに襲われている。でも。
ナオが復活すれば――静希の体ででもナオが復活すれば、きっと皆喜んでくれるはずだ。痛みと戦った静希も報われるだろう。
だから、もう少し、もう少しの辛抱だ――。
*
「…………来てるような……気がする……」
何度目かの確認で、静希が囁いた。語調は弱かったが、不思議と鮮明に聞こえた。
雨は強い。どこからか、雷の音までし始めている。
あと少しなのだと、感覚が告げた。始めてから、ずっと背中に張り付いている何かが――重々しい何かが軽くなり始めている事に気付いた。
もしかしたら、ナオが場所を間違えていたのかもしれない。
「……もう少しなんだな。ナオに伝えたい事はあるか?」
「………………そう、だね。だったら――――」
鳴り響いた雷の音が、小さな声を掻き消した。
「何だって? もう一度言ってくれ」
次第に大きくなってゆく轟音が、息遣いさえ隠してゆく。その内、自分の発声すら聞こえなくなった。
「すまない静希、聞こえないよ――」
瞬間、落雷による閃光が館内を照らした。
*
「…………静希? ナオ?」
目の前には、衝撃的な光景が広がっていた。夢から覚めたかのように、我に返っている自分がいる。焼きついた光景が、暗闇に投影された。
抜けかけた圧迫感は、無くなる前より重くなり、体が押し潰されそうなほどにまでなっていた。
雷雲が近いのだろう。再び閃光が放たれ、同じ光景を見た。まるで、答え合わせのようだった。
傷だらけの静希がいて、黒い紙から染み出した血液が海の如く広がっている――。
手から、ナイフが滑り落ちた。一気に暗くなった世界の中、恐る恐る静希に近付く。
触れた頬は、氷のように冷たかった。
「……っ!」
受け容れがたい現実に触れ、圧迫感が心を押し潰した。もはや飲み込まれてしまったかのように、何も考えられない。
「ナオ! ナオ! 君が戻って来てくれないと! ここに体はあるんだ! 静希が用意してくれて……! なぁ、ナオ! 居るんだろ!? ナオ……!」
魂はあるのに、来てくれないのはなぜか。このまま来てくれなかったら静希は――。
私は、どうなるのか。
*
呼び続けたものの、ナオは戻らなかった。代わりに、朝日が夜明けを連れて来る。雨は、上がり始めていた。
目の前には、悲惨な現実しかなかった。更に広がった血の海は、周辺のカーペットを濡らし、染めている。ナイフは、静希の胸に刺さっていた。
まるで、別世界を見ているかのようだった。ぼんやりとしていて、今にも消えてしまいそうだ。
いや、消えてしまえばいい。何もかもなくなってしまったのなら、夢だったかのように消してしまえばいい。
いいや、消してしまわなければならない。
私は半ば無意識にリュックを開いた。中には、怪しげな道具や小物が数多く詰まっている。
その中から取り出したのは、小さな箱だった。古めかしいパッケージには、可愛らしい絵がある。
中には、マッチ棒が詰まっていた。私は、その一本に火を点け――投げた。
*
禁忌の本は、呆気なく焦げていった。その瞬間に、何の力も持たない本だったのだと気付いた――気がした。
初めて、馬鹿な事をしたと感じた。後悔した。
死者は現世に戻れないのかもしれないと、初めて思った。今になって、思った。
きっと、死した後も二人には会えないだろう。二人は天国へ行き、私は違う場所へ行くだろうから。
燃え盛る業火は、永遠に私を焼くだろう。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる