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第二部第十三章スチムソンドクトリン
第十三章第十九節(鉄道敷設権交渉)
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十九
二日後の二十二日にはふたたびグリーン英大使がやってきた。
「過日ご内示いただいた北京への希望事項は、早速本国へ電信いたしました」
英大使がそういうと、加藤外相は満足そうに頷いた。ところが大使は、続けてこんなことを言った。
「その折、日本の要求事項が英国の権益とぶつかったとしても、加藤大臣におかれては必ずしも英国側と協議するお考えはないと申し添えました」
加藤外相は“寝耳に水”とばかりに色をなした。
「そんなことは申しておりませんっ! ただ貴大使が我が希望事項を事前に内告受けるのを、当然の権利であるがごとくおっしゃるので、そのような内示をすべき義務はないと申し上げたまでです」
語気を荒くした大臣に構わず、グリーン大使は平然とうそぶいた。
「しかし、本使はそのようにお聞きしましたので、その如く電信した次第です……」
「……」
訪問の用向きは、東京からの電報に返して本国から覚書が届いたので持参したとのことだった。
英国外務省は、「希望事項」第五項にある鉄道敷設権が揚子江流域における英国の商業上の利害と諸突しないか--を懸念した。
しかし日本が希望した大陸南方の鉄道敷設権は、古いもので清朝時代西徳二郎公使の時から協議を始め、山座円次郎公使(一九一三年六月~一九一四年五月)の任期中に再度俎上に乗せた話だ。しかも日本側の要望は昨年、英国外務省にも伝えてある。今回とくに新しく出てきた話ではない。
日本政府はそれを念頭に「これら希望事項が欧米列強諸国の既存権益を侵すものではない」と決めてかかった。ところがその見立ては甘かったようで、英国側は日本の脇の甘さを目ざとく見つけ、クギを刺してきたのだった。
「ここでおっしゃる英国の商業上の利害とは鉄道のことかと察しますが……、九江から武昌への鉄道敷設を北京政府へ申し入れたことは、昨年英国政府へお伝えしたはずです……」
加藤外相はすでに決着のついた話を蒸し返されたようで、不可解の念を禁じ得なかった。しかし要らぬ筋から交渉に茶々を入れられても面白くないからと、妥協案を持ち掛けた。
「もしこれら鉄道の敷設が英国の利害と相いれないとおっしゃるならば、取り敢えず日本が敷設権を得た後で、日英間に協議を行えばよろしいのではないでしょうか--」
英国外務省の覚書は注意喚起の域を出なかったから、加藤外相からの言質を取り付けておけばこと足りる。むしろ今後の展開を危ぶんだのは日本側だ。
「いずれにせよ、いったん北京政府へ提出した以上、交渉の途中で条項を撤回することはいたし兼ねます。もし本件について貴国側から何か異議お申し立てがおありでも、交渉の進行中は是非とも見合わせていただきたい」
善意の通告が仇となって日華交渉を妨げられるのは、日本側の最も危惧するところである。この点だけはくれぐれも念を押しておく必要があった。
「もしどうしても、交渉進行中に申し立てねばならなくなったならば……?」
いつしかグリーン大使は獲物をいたぶる獣のような目をしていた。
「是非にとおっしゃるならばご意見を拝聴いたします。ただそれを受けて何かを取りまとめるということは、交渉の成立後に回させていただきたい。くれぐれも北京政府側へお申し出なさることだけは、見合わされたい……」
加藤外相も負けじと英国人を睨み返した。
二日後の二十二日にはふたたびグリーン英大使がやってきた。
「過日ご内示いただいた北京への希望事項は、早速本国へ電信いたしました」
英大使がそういうと、加藤外相は満足そうに頷いた。ところが大使は、続けてこんなことを言った。
「その折、日本の要求事項が英国の権益とぶつかったとしても、加藤大臣におかれては必ずしも英国側と協議するお考えはないと申し添えました」
加藤外相は“寝耳に水”とばかりに色をなした。
「そんなことは申しておりませんっ! ただ貴大使が我が希望事項を事前に内告受けるのを、当然の権利であるがごとくおっしゃるので、そのような内示をすべき義務はないと申し上げたまでです」
語気を荒くした大臣に構わず、グリーン大使は平然とうそぶいた。
「しかし、本使はそのようにお聞きしましたので、その如く電信した次第です……」
「……」
訪問の用向きは、東京からの電報に返して本国から覚書が届いたので持参したとのことだった。
英国外務省は、「希望事項」第五項にある鉄道敷設権が揚子江流域における英国の商業上の利害と諸突しないか--を懸念した。
しかし日本が希望した大陸南方の鉄道敷設権は、古いもので清朝時代西徳二郎公使の時から協議を始め、山座円次郎公使(一九一三年六月~一九一四年五月)の任期中に再度俎上に乗せた話だ。しかも日本側の要望は昨年、英国外務省にも伝えてある。今回とくに新しく出てきた話ではない。
日本政府はそれを念頭に「これら希望事項が欧米列強諸国の既存権益を侵すものではない」と決めてかかった。ところがその見立ては甘かったようで、英国側は日本の脇の甘さを目ざとく見つけ、クギを刺してきたのだった。
「ここでおっしゃる英国の商業上の利害とは鉄道のことかと察しますが……、九江から武昌への鉄道敷設を北京政府へ申し入れたことは、昨年英国政府へお伝えしたはずです……」
加藤外相はすでに決着のついた話を蒸し返されたようで、不可解の念を禁じ得なかった。しかし要らぬ筋から交渉に茶々を入れられても面白くないからと、妥協案を持ち掛けた。
「もしこれら鉄道の敷設が英国の利害と相いれないとおっしゃるならば、取り敢えず日本が敷設権を得た後で、日英間に協議を行えばよろしいのではないでしょうか--」
英国外務省の覚書は注意喚起の域を出なかったから、加藤外相からの言質を取り付けておけばこと足りる。むしろ今後の展開を危ぶんだのは日本側だ。
「いずれにせよ、いったん北京政府へ提出した以上、交渉の途中で条項を撤回することはいたし兼ねます。もし本件について貴国側から何か異議お申し立てがおありでも、交渉の進行中は是非とも見合わせていただきたい」
善意の通告が仇となって日華交渉を妨げられるのは、日本側の最も危惧するところである。この点だけはくれぐれも念を押しておく必要があった。
「もしどうしても、交渉進行中に申し立てねばならなくなったならば……?」
いつしかグリーン大使は獲物をいたぶる獣のような目をしていた。
「是非にとおっしゃるならばご意見を拝聴いたします。ただそれを受けて何かを取りまとめるということは、交渉の成立後に回させていただきたい。くれぐれも北京政府側へお申し出なさることだけは、見合わされたい……」
加藤外相も負けじと英国人を睨み返した。
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