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第八章理事会前夜
第八章第九節(ブリアン議長書簡)
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九
次回十一月の理事会へ向けた対策を練らねばならないはずの局面で、日本側は未だ聯盟との関係修復にすら至っていなかった。
この日、東京の幣原外相の許へブリアン議長の書簡が届く。
「(幣原)閣下へ若干の卑見を述べる義務があると感じております……」
十月理事会の決議が成立しなかったとは言え、「票決は完全に道徳的効力を有する」はずである。法的な観点から見ても、日本政府は九月三十日に全会一致で採択された決議へ従う義務を負っている。その際日本側は、「事変を拡大させず自国民の生命財産が保護される範囲内で速やかに撤兵する」と公約したはずではないか。その席では「満洲における条約上の権利に関する協定」が自国民の生命財産の安全と密接に関わるなど、ひと言も触れなかったのに云々--。
むしろ聯盟は日本側へ配慮して、決議案に可能な限り彼らの言い分を織り込んだつもりである。例えば「五大綱」のうち第一から第四項までは理事会案に含まれている。懸案の第五項、『満洲において日本人に譲与された権利の尊重』ですら、理事会終了後に施肇基代表が自分(ブリアン)宛てに送った書簡を通じて公約したのだから、解決したはずではないか--。
それなのにまだ何が不満だと言って、聯盟の威信を損なうような振る舞いを続けるのか--。
ざっくり言えばそういう趣旨だった。
ブリアン議長の反駁に、すぐさま施肇基代表が相乗りした。
三十一日、同代表は聯盟事務局へ覚書を提出し、「満洲における危険な状態は、日本軍が存在することによって醸し出されたものである」と蒸し返した。
彼によれば、民国側は十月理事会案の「第四項」が掲げる「日本軍の即時撤兵」を強く求めており、「日本側が言う『わずか少数の部隊が附属地外に駐屯するに過ぎない』との主張に偽りがないのなら、日本人の生命財産の安全は聯盟の助力によって確保されるはずである。これを理由に撤兵できないなど、理由にならない」と揶揄した。
また、日本側は「武力を用いて交渉を強要するつもりはない」とうそぶくが、それなら「撤兵の前提条件に『大綱協定』の締結を求めるのもおかしい」とも付け足した。
確かに施肇基代表の指摘はもっともである。あくまで理屈の上では--。
だがここで少し時間を巻き戻して、前章を振り返ってもらいたい。
幣原外相がブリアン議長の書簡を受け取った十月二十九日といえば、嫩江鉄橋の修理を巡って日本側と黒龍江省側が綱を引き合っていたまっただ中である。北満の結氷期を前に日本側は鉄道の開通を急いでいた。
もし施肇基代表が声明した通り、南京政府が日華条約を尊重して黒龍江省へ修理を急ぐよう指示を出していたならば、あのような事態にはいたらなかったはずである。よしんば南京政府からの指示は出たとしても、黒龍江省政府がそれに応じなければ元も子もない。実際、ジュネーブでいくら立派な言葉を並べ立てても、現場の馬占山将軍の方は「そんなことはどこ吹く風」で、工事を遅れに遅らせた。しかも業を煮やして工事を強行した日本側へ、戦闘を仕掛けてきたではないか。
すでに見たように、鉄橋がかかる洮昴鉄道は満鉄が建造費を立て替えた上で建設を請け負った。その請負契約には「右立替金は同鉄道の財産並びに収入を担保とする」と明記されている。では施肇基代表が声明した「条約」にはこれは含まないとでもいうのだろうか? そうした具体的なことを一つひとつ詰めていかないと、ただ「条約を尊重する」などという“ざっくりした”もの言いだけではとても安心などできない--というのが日本側の言い分であった。
次回十一月の理事会へ向けた対策を練らねばならないはずの局面で、日本側は未だ聯盟との関係修復にすら至っていなかった。
この日、東京の幣原外相の許へブリアン議長の書簡が届く。
「(幣原)閣下へ若干の卑見を述べる義務があると感じております……」
十月理事会の決議が成立しなかったとは言え、「票決は完全に道徳的効力を有する」はずである。法的な観点から見ても、日本政府は九月三十日に全会一致で採択された決議へ従う義務を負っている。その際日本側は、「事変を拡大させず自国民の生命財産が保護される範囲内で速やかに撤兵する」と公約したはずではないか。その席では「満洲における条約上の権利に関する協定」が自国民の生命財産の安全と密接に関わるなど、ひと言も触れなかったのに云々--。
むしろ聯盟は日本側へ配慮して、決議案に可能な限り彼らの言い分を織り込んだつもりである。例えば「五大綱」のうち第一から第四項までは理事会案に含まれている。懸案の第五項、『満洲において日本人に譲与された権利の尊重』ですら、理事会終了後に施肇基代表が自分(ブリアン)宛てに送った書簡を通じて公約したのだから、解決したはずではないか--。
それなのにまだ何が不満だと言って、聯盟の威信を損なうような振る舞いを続けるのか--。
ざっくり言えばそういう趣旨だった。
ブリアン議長の反駁に、すぐさま施肇基代表が相乗りした。
三十一日、同代表は聯盟事務局へ覚書を提出し、「満洲における危険な状態は、日本軍が存在することによって醸し出されたものである」と蒸し返した。
彼によれば、民国側は十月理事会案の「第四項」が掲げる「日本軍の即時撤兵」を強く求めており、「日本側が言う『わずか少数の部隊が附属地外に駐屯するに過ぎない』との主張に偽りがないのなら、日本人の生命財産の安全は聯盟の助力によって確保されるはずである。これを理由に撤兵できないなど、理由にならない」と揶揄した。
また、日本側は「武力を用いて交渉を強要するつもりはない」とうそぶくが、それなら「撤兵の前提条件に『大綱協定』の締結を求めるのもおかしい」とも付け足した。
確かに施肇基代表の指摘はもっともである。あくまで理屈の上では--。
だがここで少し時間を巻き戻して、前章を振り返ってもらいたい。
幣原外相がブリアン議長の書簡を受け取った十月二十九日といえば、嫩江鉄橋の修理を巡って日本側と黒龍江省側が綱を引き合っていたまっただ中である。北満の結氷期を前に日本側は鉄道の開通を急いでいた。
もし施肇基代表が声明した通り、南京政府が日華条約を尊重して黒龍江省へ修理を急ぐよう指示を出していたならば、あのような事態にはいたらなかったはずである。よしんば南京政府からの指示は出たとしても、黒龍江省政府がそれに応じなければ元も子もない。実際、ジュネーブでいくら立派な言葉を並べ立てても、現場の馬占山将軍の方は「そんなことはどこ吹く風」で、工事を遅れに遅らせた。しかも業を煮やして工事を強行した日本側へ、戦闘を仕掛けてきたではないか。
すでに見たように、鉄橋がかかる洮昴鉄道は満鉄が建造費を立て替えた上で建設を請け負った。その請負契約には「右立替金は同鉄道の財産並びに収入を担保とする」と明記されている。では施肇基代表が声明した「条約」にはこれは含まないとでもいうのだろうか? そうした具体的なことを一つひとつ詰めていかないと、ただ「条約を尊重する」などという“ざっくりした”もの言いだけではとても安心などできない--というのが日本側の言い分であった。
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