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第三章(出産編)
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気が塞ぐばかりのジュゼを気遣ってか、それからは一層、レーヴェはジュゼのために心を砕いてくれているようだった。たくさん抱き締めて、キスをして、時には綺麗な贈り物をくれもした。
それを嬉しく思えばこそ、せめて何かを返せるように。何か、報いることができるように。ジュゼはどうにか前向きになって、自分にできることを見つけようとしたのだけれど。レーヴェの部屋でもある自室の管理は隅々まで完璧に行き届いていて、とてもジュゼが手を出せるような部分が見当たらない。高度な魔術も用いられているのだろう、床には埃一つ、窓には曇り一つも見つけられなかった。
それでは外に用事を見出そうにも、ジュゼが部屋から一歩出るなり、誰かが飛んできては用件を訪ねてくる。レーヴェに心を許しても、まだ悪魔全員に慣れたわけではないジュゼは、ろくに屋敷を散策することもできずにいた。
せめて文字くらい、自分の力で読めはしないかと。魔界の文字の勉強を始めたはいいものの、学びと言えば週に一度の教会の読書会と、マザーが不定期に魔法を教えてくれた日々に限られるジュゼに、効率の良い学習などは不可能だった。
慣れない学習に疲れて、ぺたんと机に頭をつければ。お腹が頼りなく、きゅう、と。鳴き声を上げる。
「お腹……」
空いたなあ、と。無意識に呟きそうになったジュゼは、慌てて口を押さえて周囲を窺った。広い部屋には誰の姿もなく、しんしんと静寂が満ちている。ほっと息を吐いたジュゼの瞳に、眠る前にどうぞと枕辺に用意された甘い飲み物が目に入って、ジュゼは気分転換に立ち上がった。
夜が来れば、身体に刷り込まれた条件のように、レーヴェが恋しくて仕方なくなる。極上の甘露をいくら口にしたところで、身体が求めるのは夫の精ばかりだ。帳を閉じていない寝台に座るなり、子を孕みたがって疼く最奥の感触に感じ入ったジュゼは、グラスを置いて深いため息をついた。
せめて指で慰めてしまいたかったが、手を伸ばそうとするその度に。耳に残る、甘い戒めの声が脳をそっと焼き焦がす。
――いけませんよ。我慢して……
あなたの中に入っていいのは、私だけですよ、と。とろとろと囁く声を思い出すだけで、被虐の快楽に息が上がって涙が滲んだ。まだ消灯時間にもなっていないのに、我慢が出来ない。肉壁がここにいない主人に甘えて泣き出し、尻からじわりと愛液が垂れ流れた。
抱き締めて、キスをしてもらっていれば、お腹はいっぱいだったけれど。ここ数日は、ひどくお腹が空いていた。
口付けだけで過ごす二ヶ月は、もう一週間もすれば終わりだ。そうすれば――と。考えるほどに発情してしまう身体は熱くて苦しくて、何もする気力も奪い去ってしまうようだった。
(足りない、ときは)
言ってくださいね、と。レーヴェは確か、そう言っていたけれど。足りないから抱いて、と。正気ではとても口にできなかったジュゼは、その一言も言えずにいた。
そもそも二ヶ月も、抱かずに優しくしてくれるのは。まだ小さくて痩せているジュゼの身体に、負担をかけないためなのだ。人の精気が食事だというレーヴェだって、きっとお腹が空くはずなのに。ジュゼがまだ、満足に彼の相手をすることができないから。だから……
(……レーヴェは)
こんな自分に呆れてはいないだろうか。ジュゼはまた、不安になる。体力もなければ知識もなく、魔法も満足に扱えず、仕事では役に立つことができない。更には、伴侶としての夜の役目も果たせない、自分のことなんて。
欲求不満が募るほど、悲しくもなってしまうジュゼは頭を振って暗い思考を追い出すと、何か気を紛らわせなければと周囲を探る。
ジュゼに飲み物を給仕してくれた銀色のワゴンが、まだ部屋の中にあるのを見つけて。せめてこれを廊下に出しておこうと手をかけた所まではよかったものの――どんなに力を入れても、それはほんの少しも動かなかった。
(重い……⁉)
ジュゼだって、井戸から汲んだ水を貯めた桶を、抱えて走り回るくらいは毎日していたのに。こんなにも簡単に、筋力とは落ちてしまうものなのだろうか。ぷるぷると震えるほどに力を入れても、一向に動かないワゴンに驚愕を覚えつつもしばらく頑張っていると、部屋のドアが開く音が聞こえた。
「奥方様⁉」
取り乱したような声と足音の後、すっとワゴンが軽くなる。顔を上げれば、花束のように美しい夢魔が心配そうにジュゼを見つめながらワゴンに手をかけていた。
シエラ、と。顔合わせの日にそう名乗った彼女の名を、小さく呟く。ジュゼの世話を一番に見てくれる彼女はとても有能で優しく、自分の力で立つことさえできなくなっていたジュゼの足を、魔法で軽くしてくれたのも彼女だった。
「ベルを鳴らせば、すぐに誰かが参りますものを」
「ろ、廊下に出すくらいは、って……」
ごめんなさい、と。ジュゼは俯く。
人の世のものよりも重いはずですから、と。宥めるように優しく微笑んだシエラは、ジュゼを寝台に座らせて自らは跪き、赤くなってしまった手のひらを白い手でそっと包み込んだ。
「……魔力は十分のご様子ですので、身体強化か、重量操作の魔術をお学びになられるのが一番かと」
「魔力……」
魔法の力を満足に操れる人間は、悪魔たちよりも余程少ない。ジュゼも、マザーに色々習いはしたが、そもそもの魔力が少なすぎてどうすることできなかった。日常生活にも役立てられる、清掃の魔術なども、使うことができればきっと便利だったけれど。ジュゼは精々、簡単な回復魔法を一日に一回が限度だったのだ。
ジュゼの戸惑いを見つめて、シエラはレーヴェと同じ、甘い色の瞳で笑った。
「奥方様は、当主様の伴侶でいらっしゃいますから。お二人が睦み合う度に、当主様の魔力がお体に蓄積していかれます」
気軽に生活魔術をお使いになれるくらいの魔力は、日々補充されていらっしゃるかと、と。慎ましい口調でそんなことを告げられて、ジュゼの頬に血が上る。事実ではあるのだが、毎日エッチなことをしているのだと、他者から指摘されるのは殊更に恥ずかしかった。
教本をお持ちいたしましょうかと問いかけてもらったことを幸いに、お願いしますと頭を下げて目線を外す。そんなジュゼの浮かない姿に、シエラが微かに眉を曇らせた。
(……あまり、お元気がないご様子)
当主の花嫁は、レーヴェを主と仰ぐ、全ての夢魔にとっても大切な存在だった。側仕えに選んでいただいたシエラは特に、自分がいない間はよくよく気にかけてくれるようにとも言われている。気鬱の原因は何事かと思案したシエラは、ふと寝台に、銀色の手鏡の姿を見つけた。確か数日前に、プレゼントにと贈られていた品だ。
お寂しくていらっしゃるだろうかと、シエラはそっと首を傾げる。
「それとも、レーヴェ様のお姿を見られる魔術の方がよろしいでしょうか……?」
そう告げれば、弾かれたようにジュゼが顔を上げる。そんなことできるの? と。顔に書いてあるに等しい素直な反応に、シエラの頬が綻んだ。あまりにも解りやすい反応をしてしまったことに、ハッと思い至ったジュゼは頬を赤らめ、目線を逸らす。逸らした視線のその先に、先ほどまではなかった小さな籠が、ワゴンの上に置かれているのを見つけて。不思議とそのまま視線を惹かれたジュゼに気付いたシエラが、花のような瞳を柔らかに微笑ませた。
「申し訳ありません、落ち着かれてからと思ったのですが。……ご長女様をお連れ致しました」
世話係が放したがらず、遅い時間に申し訳ありません、と。重ねて詫びられたが、可愛がってもらっていると知ったジュゼはほっとして、ううん、と。首を横に振った。
お抱きになりますか、と。問われても、ジュゼはどうしたらいいか解らない。けれど、可愛がってあげたいとも思うのだ。恐る恐る頷いて、ぎこちなく腕を開いて抱かせてもらう。
久し振りに見る赤子は、やはり人間の赤ちゃんよりもずっと小さくて、眠ってばかりいる。目の色は何色なのだろうと、ジュゼはふと思った。
「お人形みたい」
「ええ、そうですね。でも、起きていらっしゃるときは大層お元気ですよ」
「……お腹が空いていたりは、しない?」
そう尋ねながら、じわじわと濡れ出す胸が恥ずかしい。夢魔の赤ちゃんは、生まれた後の一回だけでいいと言われたけれど。人間は、もっと長い間授乳をするものだから。ジュゼの体はまだ、乳が止まり切っていなかった。
「大丈夫ですよ。お腹にいる間に、お父様から頂いた精気と。生れ出た時に、お母様から頂く精気。我々が大人になるために必要なのは、それだけです」
「名前は、もうあるの?」
「いいえ。……私たちが名前を授かるのは、自分の運命を見つけられるようになってからですから」
運命、と。その言葉にドキリとして、会話を止めてしまう。シエラはそれを、まだよくお判りにならないのだろうと考えて、にこりと柔らかく微笑んだ。
「私たちには占いの力があります。レーヴェ様がお仕事をなされているのを、ご覧になったことはありますか?」
「ううん……」
昼のレーヴェは、執務室で仕事をしている。来てもいいと言われてはいたが、まだ訪ねる勇気は出せていなかった。
「誰と番えば気が合うのかに始まって、いかに心地よい夜を過ごせるか。健やかな子供が生まれるか。果ては、子々孫々の繁栄に関わるまで。深く運命を読み解けるのは、夢魔の中でも一握りの血統だけです」
シエラの、少し難しいその言葉たちを、不思議な気持ちでジュゼは聞いていた。
運命といえば、ジュゼの暮らした人間の街では。今日はあの子と相性がいい、明日はあの子と仲良くなれる、と。笑いさざめく少女たちが口にしていた、ひどく不確かなものだったから。
どの二人が番えば、強い子供を――今の魔界を生き延びられる、長寿の子供を産めるのか。それは、まだしばらくは、自力で血統をつながなくてはならない全ての悪魔の関心事だという。
「レーヴェ様の腕は特別ですが。私たちは私たちの運命を見つけるために、必ず、一人を見つけるだけの占いの力を授かって生まれます」
「……一人だけ、なの?」
「運命の相手は、生涯たった一人です。……人間は、そうではありませんか?」
ジュゼは、答えられなかった。
心臓が早鐘を打ち出して、縋るものを探した指が、そっとシーツを握り締める。
「小さい頃から練習をして。いつ頃出会えるのか。年の頃は、種族は、性別は、容姿は、性格は……少しずつ明らかになる恋人の姿を、見つけられる力を得てはじめて。私たちは親より名を授かるのです」
運命の相手に、その名で呼んで頂くために。
そう語るシエラは幸福そうで、花のような瞳は一途な思いにキラキラと目映い。
「シエラの、相手は?」
「ふふ。私のお相手は、まだこの世に生まれてくださっていないので、解りません」
どんな方なのでしょうね、と。優しく相槌を打ったシエラの瞳に映る、まだ見ぬ相手へのいっぱいの愛に、ジュゼは胸が締め付けられるような気持ちになった。
(生まれる、前から……)
レーヴェも、探してくれたのだろうか。
ジュゼが生まれたことを、喜んで。ジュゼの成長を、喜んでいてくれたのだろうか。
それを嬉しく思えばこそ、せめて何かを返せるように。何か、報いることができるように。ジュゼはどうにか前向きになって、自分にできることを見つけようとしたのだけれど。レーヴェの部屋でもある自室の管理は隅々まで完璧に行き届いていて、とてもジュゼが手を出せるような部分が見当たらない。高度な魔術も用いられているのだろう、床には埃一つ、窓には曇り一つも見つけられなかった。
それでは外に用事を見出そうにも、ジュゼが部屋から一歩出るなり、誰かが飛んできては用件を訪ねてくる。レーヴェに心を許しても、まだ悪魔全員に慣れたわけではないジュゼは、ろくに屋敷を散策することもできずにいた。
せめて文字くらい、自分の力で読めはしないかと。魔界の文字の勉強を始めたはいいものの、学びと言えば週に一度の教会の読書会と、マザーが不定期に魔法を教えてくれた日々に限られるジュゼに、効率の良い学習などは不可能だった。
慣れない学習に疲れて、ぺたんと机に頭をつければ。お腹が頼りなく、きゅう、と。鳴き声を上げる。
「お腹……」
空いたなあ、と。無意識に呟きそうになったジュゼは、慌てて口を押さえて周囲を窺った。広い部屋には誰の姿もなく、しんしんと静寂が満ちている。ほっと息を吐いたジュゼの瞳に、眠る前にどうぞと枕辺に用意された甘い飲み物が目に入って、ジュゼは気分転換に立ち上がった。
夜が来れば、身体に刷り込まれた条件のように、レーヴェが恋しくて仕方なくなる。極上の甘露をいくら口にしたところで、身体が求めるのは夫の精ばかりだ。帳を閉じていない寝台に座るなり、子を孕みたがって疼く最奥の感触に感じ入ったジュゼは、グラスを置いて深いため息をついた。
せめて指で慰めてしまいたかったが、手を伸ばそうとするその度に。耳に残る、甘い戒めの声が脳をそっと焼き焦がす。
――いけませんよ。我慢して……
あなたの中に入っていいのは、私だけですよ、と。とろとろと囁く声を思い出すだけで、被虐の快楽に息が上がって涙が滲んだ。まだ消灯時間にもなっていないのに、我慢が出来ない。肉壁がここにいない主人に甘えて泣き出し、尻からじわりと愛液が垂れ流れた。
抱き締めて、キスをしてもらっていれば、お腹はいっぱいだったけれど。ここ数日は、ひどくお腹が空いていた。
口付けだけで過ごす二ヶ月は、もう一週間もすれば終わりだ。そうすれば――と。考えるほどに発情してしまう身体は熱くて苦しくて、何もする気力も奪い去ってしまうようだった。
(足りない、ときは)
言ってくださいね、と。レーヴェは確か、そう言っていたけれど。足りないから抱いて、と。正気ではとても口にできなかったジュゼは、その一言も言えずにいた。
そもそも二ヶ月も、抱かずに優しくしてくれるのは。まだ小さくて痩せているジュゼの身体に、負担をかけないためなのだ。人の精気が食事だというレーヴェだって、きっとお腹が空くはずなのに。ジュゼがまだ、満足に彼の相手をすることができないから。だから……
(……レーヴェは)
こんな自分に呆れてはいないだろうか。ジュゼはまた、不安になる。体力もなければ知識もなく、魔法も満足に扱えず、仕事では役に立つことができない。更には、伴侶としての夜の役目も果たせない、自分のことなんて。
欲求不満が募るほど、悲しくもなってしまうジュゼは頭を振って暗い思考を追い出すと、何か気を紛らわせなければと周囲を探る。
ジュゼに飲み物を給仕してくれた銀色のワゴンが、まだ部屋の中にあるのを見つけて。せめてこれを廊下に出しておこうと手をかけた所まではよかったものの――どんなに力を入れても、それはほんの少しも動かなかった。
(重い……⁉)
ジュゼだって、井戸から汲んだ水を貯めた桶を、抱えて走り回るくらいは毎日していたのに。こんなにも簡単に、筋力とは落ちてしまうものなのだろうか。ぷるぷると震えるほどに力を入れても、一向に動かないワゴンに驚愕を覚えつつもしばらく頑張っていると、部屋のドアが開く音が聞こえた。
「奥方様⁉」
取り乱したような声と足音の後、すっとワゴンが軽くなる。顔を上げれば、花束のように美しい夢魔が心配そうにジュゼを見つめながらワゴンに手をかけていた。
シエラ、と。顔合わせの日にそう名乗った彼女の名を、小さく呟く。ジュゼの世話を一番に見てくれる彼女はとても有能で優しく、自分の力で立つことさえできなくなっていたジュゼの足を、魔法で軽くしてくれたのも彼女だった。
「ベルを鳴らせば、すぐに誰かが参りますものを」
「ろ、廊下に出すくらいは、って……」
ごめんなさい、と。ジュゼは俯く。
人の世のものよりも重いはずですから、と。宥めるように優しく微笑んだシエラは、ジュゼを寝台に座らせて自らは跪き、赤くなってしまった手のひらを白い手でそっと包み込んだ。
「……魔力は十分のご様子ですので、身体強化か、重量操作の魔術をお学びになられるのが一番かと」
「魔力……」
魔法の力を満足に操れる人間は、悪魔たちよりも余程少ない。ジュゼも、マザーに色々習いはしたが、そもそもの魔力が少なすぎてどうすることできなかった。日常生活にも役立てられる、清掃の魔術なども、使うことができればきっと便利だったけれど。ジュゼは精々、簡単な回復魔法を一日に一回が限度だったのだ。
ジュゼの戸惑いを見つめて、シエラはレーヴェと同じ、甘い色の瞳で笑った。
「奥方様は、当主様の伴侶でいらっしゃいますから。お二人が睦み合う度に、当主様の魔力がお体に蓄積していかれます」
気軽に生活魔術をお使いになれるくらいの魔力は、日々補充されていらっしゃるかと、と。慎ましい口調でそんなことを告げられて、ジュゼの頬に血が上る。事実ではあるのだが、毎日エッチなことをしているのだと、他者から指摘されるのは殊更に恥ずかしかった。
教本をお持ちいたしましょうかと問いかけてもらったことを幸いに、お願いしますと頭を下げて目線を外す。そんなジュゼの浮かない姿に、シエラが微かに眉を曇らせた。
(……あまり、お元気がないご様子)
当主の花嫁は、レーヴェを主と仰ぐ、全ての夢魔にとっても大切な存在だった。側仕えに選んでいただいたシエラは特に、自分がいない間はよくよく気にかけてくれるようにとも言われている。気鬱の原因は何事かと思案したシエラは、ふと寝台に、銀色の手鏡の姿を見つけた。確か数日前に、プレゼントにと贈られていた品だ。
お寂しくていらっしゃるだろうかと、シエラはそっと首を傾げる。
「それとも、レーヴェ様のお姿を見られる魔術の方がよろしいでしょうか……?」
そう告げれば、弾かれたようにジュゼが顔を上げる。そんなことできるの? と。顔に書いてあるに等しい素直な反応に、シエラの頬が綻んだ。あまりにも解りやすい反応をしてしまったことに、ハッと思い至ったジュゼは頬を赤らめ、目線を逸らす。逸らした視線のその先に、先ほどまではなかった小さな籠が、ワゴンの上に置かれているのを見つけて。不思議とそのまま視線を惹かれたジュゼに気付いたシエラが、花のような瞳を柔らかに微笑ませた。
「申し訳ありません、落ち着かれてからと思ったのですが。……ご長女様をお連れ致しました」
世話係が放したがらず、遅い時間に申し訳ありません、と。重ねて詫びられたが、可愛がってもらっていると知ったジュゼはほっとして、ううん、と。首を横に振った。
お抱きになりますか、と。問われても、ジュゼはどうしたらいいか解らない。けれど、可愛がってあげたいとも思うのだ。恐る恐る頷いて、ぎこちなく腕を開いて抱かせてもらう。
久し振りに見る赤子は、やはり人間の赤ちゃんよりもずっと小さくて、眠ってばかりいる。目の色は何色なのだろうと、ジュゼはふと思った。
「お人形みたい」
「ええ、そうですね。でも、起きていらっしゃるときは大層お元気ですよ」
「……お腹が空いていたりは、しない?」
そう尋ねながら、じわじわと濡れ出す胸が恥ずかしい。夢魔の赤ちゃんは、生まれた後の一回だけでいいと言われたけれど。人間は、もっと長い間授乳をするものだから。ジュゼの体はまだ、乳が止まり切っていなかった。
「大丈夫ですよ。お腹にいる間に、お父様から頂いた精気と。生れ出た時に、お母様から頂く精気。我々が大人になるために必要なのは、それだけです」
「名前は、もうあるの?」
「いいえ。……私たちが名前を授かるのは、自分の運命を見つけられるようになってからですから」
運命、と。その言葉にドキリとして、会話を止めてしまう。シエラはそれを、まだよくお判りにならないのだろうと考えて、にこりと柔らかく微笑んだ。
「私たちには占いの力があります。レーヴェ様がお仕事をなされているのを、ご覧になったことはありますか?」
「ううん……」
昼のレーヴェは、執務室で仕事をしている。来てもいいと言われてはいたが、まだ訪ねる勇気は出せていなかった。
「誰と番えば気が合うのかに始まって、いかに心地よい夜を過ごせるか。健やかな子供が生まれるか。果ては、子々孫々の繁栄に関わるまで。深く運命を読み解けるのは、夢魔の中でも一握りの血統だけです」
シエラの、少し難しいその言葉たちを、不思議な気持ちでジュゼは聞いていた。
運命といえば、ジュゼの暮らした人間の街では。今日はあの子と相性がいい、明日はあの子と仲良くなれる、と。笑いさざめく少女たちが口にしていた、ひどく不確かなものだったから。
どの二人が番えば、強い子供を――今の魔界を生き延びられる、長寿の子供を産めるのか。それは、まだしばらくは、自力で血統をつながなくてはならない全ての悪魔の関心事だという。
「レーヴェ様の腕は特別ですが。私たちは私たちの運命を見つけるために、必ず、一人を見つけるだけの占いの力を授かって生まれます」
「……一人だけ、なの?」
「運命の相手は、生涯たった一人です。……人間は、そうではありませんか?」
ジュゼは、答えられなかった。
心臓が早鐘を打ち出して、縋るものを探した指が、そっとシーツを握り締める。
「小さい頃から練習をして。いつ頃出会えるのか。年の頃は、種族は、性別は、容姿は、性格は……少しずつ明らかになる恋人の姿を、見つけられる力を得てはじめて。私たちは親より名を授かるのです」
運命の相手に、その名で呼んで頂くために。
そう語るシエラは幸福そうで、花のような瞳は一途な思いにキラキラと目映い。
「シエラの、相手は?」
「ふふ。私のお相手は、まだこの世に生まれてくださっていないので、解りません」
どんな方なのでしょうね、と。優しく相槌を打ったシエラの瞳に映る、まだ見ぬ相手へのいっぱいの愛に、ジュゼは胸が締め付けられるような気持ちになった。
(生まれる、前から……)
レーヴェも、探してくれたのだろうか。
ジュゼが生まれたことを、喜んで。ジュゼの成長を、喜んでいてくれたのだろうか。
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