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第一章(初夜編)
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急がなければと思ってはいても、これが本当に最後と思えば悲しくも侘しく、まして明日にもここを離れなければならないのかと思えば切なく。ぽつりと床に垂れた涙を忙しく拭き取って、ジュゼは細く息を吐いた。
仕方のないことだと、諦めるのは慣れていたけれど。長く安寧を与えてくれた場所を離れることは寂しかった。それでも、詮無いことを考えても致し方ないと、洗浄用に取り分けておいた水で手を清める。
日々の清掃の功績あってか、清掃用の水も然程濁りはしなかった。このまま自分の部屋の掃除にも、この水を流用させてもらおうと桶に手を伸ばしたジュゼは、唐突に背に視線を感じてびくりと肩を跳ねさせた。
慌てて振り向けば、そこには。黒いローブで全身を覆った、長身の客人が立っている。
「今晩は、可愛い方」
若々しく美しい青年の声で、朗らかに向けられた挨拶に、ジュゼは頬を赤らめながら礼を返した。声をかけられる寸前まで、お客様に気付かなかっただなんて。ドアが開く音も、閉まる音も。耳に入っていなかったジュゼは己の不敬を恥じながら、急いで居住まいを正した。
今夜は、王都から派遣された聖職者の他にも、マザーを慕う数多の弔問客が予想されていた。直々に、マザーが使っていた部屋まで来ると言うことは、彼は身分を持つ貴人に相違ない。ジュゼは内心、粗相がないかと狼狽えながら、恐る恐る首を傾げて口を開いた。
「マザーのお知り合いの方ですか?」
「ええ。そうですね、ご立派な方でした」
黒いローブに全身を覆った青年は、随分と背が高い。余裕を持った造りの教会の部屋の、ドアよりも大きく見えるその姿に、ジュゼは己の目の曇りを疑って瞬いた。
雲を突くような大男、と。そう呼ぶにはあまりにもすらりとしなやかな、どこか高貴なシルエットの彼は、ジュゼの戸惑いにあえかな笑い声を立てると、優雅な口調で囁いた。
「でも。今日は、あなたに御用が」
「僕に、ですか?」
ジュゼに用件のある客人など始めてだ。嬉しいような胸の高鳴りに紛れて、本能に近い何かが激しい警鐘を鳴らすのを感じる。
何故だか足が震え、声が詰まる。まるで――肉食の獣に捧げられた供物のような気持ちになったジュゼは、昼間の葬儀の羊を思い出して、背筋に冷たい汗を感じた。
(……そんな、ことは)
馬鹿げた妄想だと、マザーを失った悲しみでどうかしているのだろうと。言い聞かせても震えは止まらない。
とにかく一度、ここから離れなければ、と。己が身の危険を厭う衝動の命じるままに、ジュゼは客人に向けて丁寧に一礼し、部屋を出ようとドアに足を向けた。
「あの。少しだけ、お待ちください。今、お茶を……っ?」
何故か微かに震える身体を、不自然に思われないように手で抑えながら。彼の横をすり抜け様に、失礼にならないように会釈をしようとした刹那、ジュゼは大きな手に唐突に体を掴まれ持ち上げられた。
大きく見えたその身長は、目の錯覚では有り得なかったようで。天井近くまで抱え上げられ、足のつかない不安にきゅっと爪先に力を入れれば、黒いフードの中で小さく笑う声がする。
「お茶は結構ですよ、可愛い方。……私が求めているのは、あなたの甘露ですからね」
「かん、ん……っ?」
片腕に身体を、もう片腕に首裏を抱き寄せられ、有無を言わさずに唇を重ねられた。突然の展開に、何が起こったのか理解できないまま、小さな唇を文字通りに貪られる。
甘露を、と。そう囁いた男の口こそ甘い蜜に満ちていて、ほどなく侵入してきた舌が、蕩けるように甘い唾液を溢れるほどに注ぎ込んだ。じゅる、と。音を立てて舌を吸われた瞬間に、全身を震わせるほどの快楽が走り抜けて、ジュゼは混乱に身を竦ませる。動揺の隙間に口中に満ちた蜜を飲み下せば、強い悲しみと淡い空腹に冷え冷えとしていた薄い腹の内に、淫らな情欲の炎が灯って体が燃えた。
「んぅっ、う? ふぁ、ぁん……!」
驚きに仰け反った顔を追いかけて、甘い唇が再び深く重なる。思いがけず漏れた、甘え媚びるような己の吐息に疑問を抱くよりも早く、とろりと蕩けてしまいそうな官能が身体を這い回る。あ、と。悩ましい吐息を漏らして悶えた身体をきつく抱き止められて続けられる口付けは深まる一方で、上から注がれるとろとろとした唾液は為す術もなく胃の腑に落ちた。
「あっ、んぅっ、……んっ、んむっ! やっ」
舌を吸われる度にビクビクと、ジュゼの身体が無駄な抵抗に震えて、その震えをすらりとした巨躯に強く抱き潰されることにさえ快楽を得て力が抜ける。水音を立てて激しく口中をかき回される度に身体が跳ね回り、突然の刺激に緩く腫れて勃ち上がる敏感な場所を無意識の内にも男の固い腹に擦り付けながら、ジュゼは自由にならない身体を悶えくねらせた。
跳ね回っていた身体が次第に男の体に沿うようにすり寄って、甘えるように身体を震わせることしかできなくなる頃になってようやく、ジュゼの舌を弄び尽くした男の口が離れる。溢れた唾液と零れた涙に濡れた顔をさらして呆然と震えるジュゼの頬を一撫ですると、男は髪をかき上げるようにしてローブのフードを脱ぎ捨てた。
武骨な黒いローブから零れるように溢れた、甘美な艶を持つストロベリーブロンド。燃え盛る炎のような、濡れた血のような赤い瞳は、不吉なはずなのに美しくて。見つめているだけで、脳が痺れるような重さを帯びる。なめらかな白い肌は絹よりも高級な輝きを帯びて妖しく輝き、整った口元は甘く優しい、魅惑的な微笑みをかたどっていた。
そして、その――恐ろしいほどの美貌。決して人では有り得ない、魔性の麗顔。
「悪、魔……?」
「ふふ、当たりですよ。私は夢魔の血族を統べるもの。名はレーヴェと申します」
はじめまして、私の花嫁。
そう続けて、にこりと甘く微笑む穏やかな瞳には、官能の炎が燃えている。その瞳と見つめ合うほどに、びり、と。知りもしない快楽のきざはしが肌を這うのを感じて、ジュゼは息を飲んで目を逸らした。
ほんの少し、治癒の秘術を習った程度のジュゼでは捉えられないほどの――王都の最上位の聖職者さえ、抗い切れないほどの魔力の片鱗を察して。カタカタと身体を震わせれば、くすりと甘い笑いをこぼした妖魔が痩せた頬に手を添えた。
仕方のないことだと、諦めるのは慣れていたけれど。長く安寧を与えてくれた場所を離れることは寂しかった。それでも、詮無いことを考えても致し方ないと、洗浄用に取り分けておいた水で手を清める。
日々の清掃の功績あってか、清掃用の水も然程濁りはしなかった。このまま自分の部屋の掃除にも、この水を流用させてもらおうと桶に手を伸ばしたジュゼは、唐突に背に視線を感じてびくりと肩を跳ねさせた。
慌てて振り向けば、そこには。黒いローブで全身を覆った、長身の客人が立っている。
「今晩は、可愛い方」
若々しく美しい青年の声で、朗らかに向けられた挨拶に、ジュゼは頬を赤らめながら礼を返した。声をかけられる寸前まで、お客様に気付かなかっただなんて。ドアが開く音も、閉まる音も。耳に入っていなかったジュゼは己の不敬を恥じながら、急いで居住まいを正した。
今夜は、王都から派遣された聖職者の他にも、マザーを慕う数多の弔問客が予想されていた。直々に、マザーが使っていた部屋まで来ると言うことは、彼は身分を持つ貴人に相違ない。ジュゼは内心、粗相がないかと狼狽えながら、恐る恐る首を傾げて口を開いた。
「マザーのお知り合いの方ですか?」
「ええ。そうですね、ご立派な方でした」
黒いローブに全身を覆った青年は、随分と背が高い。余裕を持った造りの教会の部屋の、ドアよりも大きく見えるその姿に、ジュゼは己の目の曇りを疑って瞬いた。
雲を突くような大男、と。そう呼ぶにはあまりにもすらりとしなやかな、どこか高貴なシルエットの彼は、ジュゼの戸惑いにあえかな笑い声を立てると、優雅な口調で囁いた。
「でも。今日は、あなたに御用が」
「僕に、ですか?」
ジュゼに用件のある客人など始めてだ。嬉しいような胸の高鳴りに紛れて、本能に近い何かが激しい警鐘を鳴らすのを感じる。
何故だか足が震え、声が詰まる。まるで――肉食の獣に捧げられた供物のような気持ちになったジュゼは、昼間の葬儀の羊を思い出して、背筋に冷たい汗を感じた。
(……そんな、ことは)
馬鹿げた妄想だと、マザーを失った悲しみでどうかしているのだろうと。言い聞かせても震えは止まらない。
とにかく一度、ここから離れなければ、と。己が身の危険を厭う衝動の命じるままに、ジュゼは客人に向けて丁寧に一礼し、部屋を出ようとドアに足を向けた。
「あの。少しだけ、お待ちください。今、お茶を……っ?」
何故か微かに震える身体を、不自然に思われないように手で抑えながら。彼の横をすり抜け様に、失礼にならないように会釈をしようとした刹那、ジュゼは大きな手に唐突に体を掴まれ持ち上げられた。
大きく見えたその身長は、目の錯覚では有り得なかったようで。天井近くまで抱え上げられ、足のつかない不安にきゅっと爪先に力を入れれば、黒いフードの中で小さく笑う声がする。
「お茶は結構ですよ、可愛い方。……私が求めているのは、あなたの甘露ですからね」
「かん、ん……っ?」
片腕に身体を、もう片腕に首裏を抱き寄せられ、有無を言わさずに唇を重ねられた。突然の展開に、何が起こったのか理解できないまま、小さな唇を文字通りに貪られる。
甘露を、と。そう囁いた男の口こそ甘い蜜に満ちていて、ほどなく侵入してきた舌が、蕩けるように甘い唾液を溢れるほどに注ぎ込んだ。じゅる、と。音を立てて舌を吸われた瞬間に、全身を震わせるほどの快楽が走り抜けて、ジュゼは混乱に身を竦ませる。動揺の隙間に口中に満ちた蜜を飲み下せば、強い悲しみと淡い空腹に冷え冷えとしていた薄い腹の内に、淫らな情欲の炎が灯って体が燃えた。
「んぅっ、う? ふぁ、ぁん……!」
驚きに仰け反った顔を追いかけて、甘い唇が再び深く重なる。思いがけず漏れた、甘え媚びるような己の吐息に疑問を抱くよりも早く、とろりと蕩けてしまいそうな官能が身体を這い回る。あ、と。悩ましい吐息を漏らして悶えた身体をきつく抱き止められて続けられる口付けは深まる一方で、上から注がれるとろとろとした唾液は為す術もなく胃の腑に落ちた。
「あっ、んぅっ、……んっ、んむっ! やっ」
舌を吸われる度にビクビクと、ジュゼの身体が無駄な抵抗に震えて、その震えをすらりとした巨躯に強く抱き潰されることにさえ快楽を得て力が抜ける。水音を立てて激しく口中をかき回される度に身体が跳ね回り、突然の刺激に緩く腫れて勃ち上がる敏感な場所を無意識の内にも男の固い腹に擦り付けながら、ジュゼは自由にならない身体を悶えくねらせた。
跳ね回っていた身体が次第に男の体に沿うようにすり寄って、甘えるように身体を震わせることしかできなくなる頃になってようやく、ジュゼの舌を弄び尽くした男の口が離れる。溢れた唾液と零れた涙に濡れた顔をさらして呆然と震えるジュゼの頬を一撫ですると、男は髪をかき上げるようにしてローブのフードを脱ぎ捨てた。
武骨な黒いローブから零れるように溢れた、甘美な艶を持つストロベリーブロンド。燃え盛る炎のような、濡れた血のような赤い瞳は、不吉なはずなのに美しくて。見つめているだけで、脳が痺れるような重さを帯びる。なめらかな白い肌は絹よりも高級な輝きを帯びて妖しく輝き、整った口元は甘く優しい、魅惑的な微笑みをかたどっていた。
そして、その――恐ろしいほどの美貌。決して人では有り得ない、魔性の麗顔。
「悪、魔……?」
「ふふ、当たりですよ。私は夢魔の血族を統べるもの。名はレーヴェと申します」
はじめまして、私の花嫁。
そう続けて、にこりと甘く微笑む穏やかな瞳には、官能の炎が燃えている。その瞳と見つめ合うほどに、びり、と。知りもしない快楽のきざはしが肌を這うのを感じて、ジュゼは息を飲んで目を逸らした。
ほんの少し、治癒の秘術を習った程度のジュゼでは捉えられないほどの――王都の最上位の聖職者さえ、抗い切れないほどの魔力の片鱗を察して。カタカタと身体を震わせれば、くすりと甘い笑いをこぼした妖魔が痩せた頬に手を添えた。
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