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不思議な店
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しおりを挟む「ごゆっくり」
ツヤっとした質感の盆の上には蓋がされている盆と同じ質感の丼。
そしてお新香。
ゴクリ。
さっきの汁物は大変に旨かった。
では、メインとも言えるこの丼は?
果たして。
期待に胸を膨らませ蓋を手に取った。
蓋を開けた瞬間、香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
先ず目に入ったのは黄色。ツヤツヤした卵で閉じられた、炙られた鶏肉と透明な玉ねぎ。
親子丼だ。
箸でそっと端の方を掬う。トロッとした卵が溢れてしまいそうになって慌てて口に運ぶ。
ジュワ。
トロトロフワフワの卵の中に閉じ込められていた出汁の風味に脳味噌が溶けそうになる。
盆の隅に匙を見つけて、そこからはもう無我夢中だった。
箸で掬うんじゃもう、間に合わない。
猛烈にただただ、食べたかった。
匙で掬っては口に運ぶのを繰り返す。
甘しょっぱい味付けはしっかりしているのに何故か卵の風味も決して損なっていない。多めの出汁汁を含んだ米はもうむしろ飲める。
鶏肉を口に含めばほんのりと胡麻油の風味と炭火の香ばしさを感じた。
弾力のある歯応えを楽しんでいると不意に現れるサクサクとした玉ねぎの甘味が鶏や卵の味をさらに引き立ててくる。
トロックニッサクッ。
全部違う歯触りなのにそれぞれをずっと感じていたくなる。
一つの丼の中に一口ずつ違う風味が含まれていて全然飽きない。
匙が止まらない。止めたくない。口の中から無くなってしまうのが勿体無い。でも、舌だけではなく喉を通る時すらも口の中全体が舌になってしまったかのようで、口内から咽頭にかけてで触れた瞬間のその部分でしか感じられない旨味があるような気すらして、ただただ咀嚼して飲み込む動作を止められない。
ああ、今日の俺は、きっとこの丼を食べるために生きてる。
気がつけば丼はもう半分になっていた。けして器は小ぶりな訳では無かったのに。
食べなければ、と最近は半ば義務のように口に押し込んで食べていたのが嘘みたいだ。
子供のように夢中で食べていた事がふと恥ずかしくなって、そっと箸に持ち替えてお新香を摘んだ。
サク。
薄切りのカブの浅漬けは少し酸味が強く、濃厚な旨みでいっぱいになっていた口の中があっという間にスッキリした。親子丼の暴力的なまでの旨みとは打って変わって素朴な酸味、その中にある野菜本来の甘味。
ふ……と思わず漏れる息が随分と暖かい気がした。癖になった溜息が漏れ出る時はまるで気力まで奪っていくように重く、冷たい物に感じていたのに。
…何だろう。胃の中が酷く暖かくて、急に増えて膨らんだ幸福な気持ちが溢れて出てくるみたいだった。
もっとこの幸せな時間を感じていたい。
俺は、再び匙を手にする。先ほどまでよりはゆっくり、でもやっぱりいつもよりは随分早いペースで残りの丼とお新香を平らげていった。
先程までよりも一口を噛み締めながら丁寧に咀嚼する。
一口噛み締める毎に、幸せな感覚が体に沁み込んでいくようだった。
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