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私の仕事

脅威襲来

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「水上とお約束されてましたか?」
「あ? してない。だから番号札とってここ来たんや」

 下から睨むような目線を向けられた。
 石原となのった男性は、紙切れを見せてくる。『番号札B六十五番』

 男性は、窓口に来店し、番号札をとり、支店内で待っていた。
 つまり、福田工業の社長夫人のように、時間を指定して窓口営業と約束していたわけではない。
 
 銀行窓口、窓口カウンターには呼び出しボタンがついている。
 呼び出しボタンを押せば、次に待っているお客様を順番どおりに呼べるシステム。

 各窓口に呼び出しボタンはついており、銀行窓口と窓口カウンターにて呼ぶお客様はわかれている。
 
 Bから始まるお客さんは、窓口カウンターに用事がある……つまり、窓口営業と何かを話したい、相談したいというお客さんの番号札だ。

「お前が番号札で呼んだんやろ? 担当の水上だして」

 ―――私は呼びだしボタンを押していない。
 何かの間違いで、福田工業さんが帰ってすぐ、窓口カウンターの端にあるボタンを押してしまっただろうか―――。
 
 ならば、ここにお客さんが来てもおかしくない。
 
 ボタンが押された瞬間、自動的に流れる『番号札B六十五番のお客様、○番窓口までにお越しください』というインターホンが流れることになる。
 
 ○番のところは、呼び出しボタンが押された窓口の番号が入る。
 
 ……福田工業さんのことを考えて、ぼうっとして間違って押してしまったボタンの、アナウンスを聞き逃していた、のか。
 
 自分がボタンを押したか、押してないかはまぁ今はどうでもいい。

「―――少々お待ちください」

 石原の口ぶりだと、水上主任が彼の担当なのだ。
 ならば、下手に反論したり、提案したりするよりは、水上さんにすべて任せてしまう方がいい。

 常連であるのにも関わらずアポなしで来店したり、粗野な口ぶりであったり、明らかに面倒くさいお客様だ。担当の人間の方が対処をわかっているはずである。
 
 席をはずし、水上さんを探せば、二つ隣の窓口にいた。しかしながら、未だ親子連れに接客中だった。
 後ろから近寄り、目の前の親子連れに断り、メモを差し出す。

『石原さんご来店です』

 これだけ書けばわかるだろう。目の前の親子連れを誰かに引き継ぐか、石原さんに対応してくれる他の事情を知ってそうな窓口営業を教えてくれるか。

 どっちにしろ、なにがしかの指示をくれるはずである。
 ふむ、と水上さんは少し考え―――。

 人の好さそうな顔で、メモに書き加えた。

『木之元さん、接客お願い』

 ……はぁ?

 私の反応を見ることなく、水上さんは目の前のお客にせっせと営業トークをしている。
 
 ……いや、これは雑談だ。営業トークに見せかけた雑談。
 
 すでに目の前のお客さんは積立の契約書を書き終えている。そして今すぐにしなければならない手続きは終えている。
 営業ではなかったけれど、営業の書類は良く見ていたから。
 手続き関係は忘れない。
 
 雑談して、親子連れを引き留めている?
 なんのために。
 
 特に迷惑そうでもなく、楽し気に親子連れは水上さんと話している。
 水上さんは、決してこちらを見ない。
 
 あたりを見渡しても、手の空いてそうな―――事情の知っていそうな窓口営業は見当たらなかった。
 
 正直に言うしかない。
 石原さんの座る窓口カウンターに戻り、告げる。

「水上は、ただいま接客中でして」
 と言い切る前に。

「またか」
 と、石原さんは大きくため息をついてから

「じゃあ、あんたでいいから」
 そう言った。

「な、何がですか?」
「だから、営業トークだよ」
 腕を組み、石原さんは顎で指示をする。『何かオレに提案してみろ、と』

 どこかの国の王様のように、横柄に、横暴に。

 ―ーーああ、覚えがあるぞ、このお客さん。お昼休みに窓口営業の人たちが話していたのをずっと前に聞いたことがある。

 アポなしでやってきては、対応する行員に、「営業してみろ」と言い、気に入らない営業をした人間を怒鳴る。
 と。

 普通なら出入り禁止になりそうなふるまいではあるけれど、菊桜銀行の古野森支店に九桁程度の預金を持っているらしく、何も言えないのだ。
 
 普段は水上主任がきっちり対応し、営業し、満足してもらってから素直にお帰り頂いていたみたいだけれど。
 水上主任が休みの時などは、他の窓口営業が対応に当たらなくてはいけない。
 
 今のように。

「えっと……」
 私は新人ですので。

 と、言えたらいいのに。

 頭をフル回転させる。私が説明できる商品は外貨預金しかない。
 婦人のために一夜漬けで学んだ外貨預金の知識。

「外貨預金のご説明をさせていただきますね」

 にこやかに(多分)笑って、持っていたパンフレットを広げる。
 石原さんは腕を組んだまま、目線だけをよこしていた。

 寝る時間を惜しんで練習した、外貨預金の営業トークを、反応のない相手に続ける。目の前の男性は、うんともすんとも言わない。威圧感を放つ置物のよう。なんと辛い時間か。
 
 外貨預金とは、いくらからできるのか、メリット、デメリット、手数料のこと。もろもろすべて話した後、おすすめの商品を口にしようとした瞬間に

 机が叩かれた。

 タイヤがパンクした時のような、大きな衝撃音だった。

「レベル低くなったなぁ、菊桜銀行」
 支店内に聞こえるような大きな声だった。

「お前のレベルが低いだけか? 木之元さん」
 口元は笑っているけれど、目が怒っている。何が彼の琴線に触れたのか。

「パンフレット通りのことを言われても、何も面白ない。あんた、営業初めて一日目くらいちゃうか? ただ暗記したものを言うだけなら、小学生でもできるわ。あんたほんまに銀行員? 偽物ちゃうの? それで給料もらってんの?」

 頭を殴られたような衝撃だった。

「も、申し訳ござ……」
「謝ったらすむと思ってるのが、小学生やな」

 目の前の相手の頭の温度が、さらに上がったような気がした。

「わ……わたし……」
「それでよう窓口営業になろうと思ったな」

 吐きかけられた言葉。

 何も言い返すことができない。
 茫然と、目の前の吠える男性を見つめることしかできない。

 だって、その通りだから。

「石原様、よろしければ、私が接客させていただきますね」
 私を押しのけるようにして出てきたのは矢野さんだった。

「や、のさ」
「おお、矢野さんか。久しぶりやな。ええ話あるんやろな」

「いえ、ないです。ただ、木之元よりかは、まともな話ができるかと」
「ま、せやな」

 矢野さんは、微笑みを貼りつけながら、石原さんの前に座った。
 カウンターの下、私に向かって「しっし」とあっちに行けと言うようなジェスチャーをとる。

 助けてくれた―――のかもしれない。けれど今の私は、何も考えられない。
 本当に頭を殴られたようだ。
 思考ができない。
 いや、できている。

 頭の中に言葉がめぐるだけ。

 それだけができている。

 投げつけられた言葉だけが、ずっと。
 石原さんと矢野さんに一礼し、その場を後にした。
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