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第五章 始まりの多々良さん

あなたは多々良さん?(2)

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 「多々良さん、今日はボートに乗ろうと思います」

 「球遊びの次はそれ?」


 「多々良さんが、取り乱すさまが見れそうな、手軽なものなので」


  おおっと、声に出てしまった。

  ……しばらく待っていたのだけど、多々良さんからの辛辣な言葉がないみたいだ。
 
 いや、待っていると言うのは、期待しているという意味ではなく、予期しての方だ。
  勘違いはいけない。反射的に閉じていた目を恐る恐る開け、ブランコに座る多々良さんの方を見れば


「完璧な私、ね」

  意識が違うところに向いていたため、明瞭に聞き取ることはできなかったけれど、今まで見た多々良さんの中で、一番悲しみの方に針が触れているような声だった。
 

 はて。

  何がそんなに悲しいのか。ボートに乗ることであろうか。

  とはいえ、基本的に多々良さんは優しいので、僕の自己中心的な提案にも付き合ってくれるのだ。


  公園を通り過ぎ、湖まで歩けば、ボート乗り場が見える。

  今日の夕焼けが綺麗だからか、それとも他に理由があるのか知らないけれど、思ってたより人がいた。恋人や、家族が主である。むしろそれしかいない。

 「多々良さん、あひる型と普通のボート、どっちがいいですか?」


  聞くまでもなかったことだった。

  ボート乗り場にて、名残惜しいが、普通のを借りる。

  第三者からしてみれば、男子高校生と女子高校生が一緒にボートに乗る、などデート以外の何物にも見えないらしく、必要以上にほほえましい顔で見られてしまった。

  生温かい目線をものともしないで多々良さんと、僕は船着き場にてボートと格闘する。

  白地に青いラインが引かれた普通のボートは、ゆらゆらと波の動きに任せて蠢いていた。

  ゆっくりと片足を乗せ、もう一方の足もボートに乗せる。


 「小鹿みたいに震えてるんだけど、もう少し恰好がつかないのかしら」

  多々良さんの言うとおりである。

 「僕、ボート初めてなんです。ご容赦ください」

 「エスコートは?」

 「もちろん」


  両方の足でバランスを取りながら、多々良さんに向けて手を伸ばす。
  気分は波乗りサーファーであり、ちょっとの風でも倒れてしまいそうな可憐な花でもあった。

  意地悪そうに多々良さんは笑うと、紺色のスカートを翻しもせず、僕の手も借りもせずに、ボートに乗ってしまった。

  唖然とする僕をしり目に、しらっと座席に座ると、涼やかな目で
「早くボートをだして」

  と言った。

  さすが、多々良さんである。

  
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