中条秀くんの日常

藤野 朔夜

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大学一回生になりました

家で困惑

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「正兄、ただいま。部屋にいるから、何かあったら呼んで」
  秀は家に帰り、事務所に顔を出すと、そこにいた長兄にそう言ってまたエレベーターへと戻った。
  普段なら、帰って来てすぐ情報収集の為に、パソコンを開いて事務所に居座っている。それなのに、今日は帰ってきたらすぐに部屋にいる、と出て行った弟に、何かあったのかな、と思うものの、詮索されることを嫌う弟だ。何か相談事ができたなら、自分から言いにくるだろう。
「わかりました」
  正はそう笑顔で秀を見送った。
  エレベーターに戻った秀は、普段の習慣で二階のボタンを何気なく押していた、と考える。まぁ、兄には帰ってきたと知らせる意味も込めて、顔を出したけれど。情報収集をする気は起きずに、部屋へと戻ることを選択した。兄は妙に思ったかもしれないが、深く追求されなかったことに秀はホッとした。


  部屋に戻って、鞄を机に置いて。
  でも、何もやる気が起きない。
  バンド結成後、少しだけ五人で話しをして解散した。
  俺はほとんどしゃべってなかったけど。というか、祐也に話しを振られた時だけ答えてた気がする。
  斉藤たちには、気難しい奴とか思われただろうか。
  無口で無愛想な奴?
  どちらでも、かまわないが。実際自分でもそんな人間だと思ってるし。
  でも、ふと、自分の手をみつめる。
  祐也に触れられた手。
  あの時自分は、普通に笑っていた。
  あんな風に笑うなんて、いつぶりだろう。霊安寺にいた時は、笑ってた気もする。住職に振り回されて、怒ってもいた気がする。
  そんな感情を、自分はどこから失くしていたんだろう?
  違う、失くしたんじゃない。持っていなかったんだ。
  家にいた頃、あんな風に笑ったり、怒ったりしたことが無かった。泣いた記憶もない。
  霊安寺で、教えてもらった感情を、また家に帰って失くした。
  兄について、家を出てからも、思い出せずにいたんだ。
  なのに、今日会ったばかりの人間が、その感情を思い出させてくれた。
  どうして、祐也は自分といてくれるんだろう。
  最初に声をかけられた時、対応は決して良いものではなかったはずだ。無愛想で素っ気なくて。
「お前と話しててもつまらない」
  そう言って、何人俺に近付いた人間が去って行った?
「無愛想すぎ、なんかお前恐い」
  そう言って、何度俺に近付いた人間は去って行った?
  それなのに、祐也は去って行かなかった。同年代で外の世界で初めて、自分を気にかけて、自分にたくさんの言葉をくれた人だった。
  祐也に去って行かれるのが恐い。
  ふと、思う。
  暖かいと感じられた手を、手離したくないんだ、自分は。
  そもそも、自分はどうして人間の体温を、恐れるんだった?
  自分だって人間なのに、何故……?


「触らないで頂戴!」
  甲高い女性の声。
  たしか、歩き始めたくらいの時だった。自分はよろけそうになって、咄嗟に母にすがったんだ。
  その手を、振り払われた。
  転んだ痛みよりも、払われた手が痛くて。びっくりして、涙も出なかった。
「本当に、子供らしくない。気味の悪い子」
  そう言って、母は去って行ったんだ。


  気味の悪い子。
  幼いながらにも、力は自覚していた。
  兄たちや姉も、力が有って。なのにどうして、自分だけ違う扱いを受けたのか、未だにわからないけれど。
  だって、兄たちも姉も、俺を普通に扱うから。
  だけど小さい頃は、兄弟にさえ会わせてもらえる時が少なくて。
「ほうほう、神の御子だな」
  霊安寺に預けられた時、住職に言われた言葉。
  意味は理解ができないままだから、本当に、わからないのだ。
  母に振り払われた手。気味の悪い子。
  あぁ、そうだった。
  俺が触ると、皆が不快に思うから、と。そんな解釈をして、他人から逃げたんだ。
  俺に触るな、じゃない、俺が、触っちゃいけない。
  そう、そうだった。始まりはそこだったんだ。
  だから、笑顔も必要なかった。怒ることも必要じゃなくて。去って行かれても、俺が哀しむのは筋違いだって。去って行った人たちは、俺から離れられたから、きっと幸せになるんだ、って。
  俺はどうしたら、良いんだろう。
  祐也に去って行かれたらきっと、俺は筋違いな哀しいという思いを、抱いてしまう。
  今なら、まだ間に合うかな?
  怖いけど、もっと一緒にいたいけど。
  短時間で、俺を友人だって言ってくれた人だけど。
「お前と話しててもつまらない」
「無愛想すぎ、なんかお前恐い」
  昔言われた言葉がまた聞こえてきて。
  それが祐也の声な気がしてきて。
  俺はボフっとベッドにもぐった。
  祐也じゃない。祐也は、まだ言ってない。
  ま、だ……?
  そう、言われていないだけだ。本当に、この先いつ言われてもおかしくない言葉。
  付き合いが長くなれば、いつ言われるかわからなくて、きっともっと怖くなる。
  祐也には、言われたくない言葉。
  祐也の隣にいられた、まだたった一日だけだ。
  祐也が隣にいることに、安心して、全部祐也任せにして。
  きっと、面倒な奴だって思われてる。
  祐也の優しさに付け込んで、一緒にいたいなんて我が儘だ。
  バンドは結成されてしまったけど、ヴォーカルなんてきっとたくさんやりたがる人がいるはずだ。俺じゃなくても良い。
  斉藤たちだって、こんな無愛想で面白みのない人間がいるより、面白い人間がいた方が良いと思うだろう。
  だから、俺じゃなくても良いんだ。
  だから、早く離れなきゃいけない。
  これ以上、一緒にいたら、祐也に言われたくないことを言われてしまう。
  暖かさに慣れたらいけない。
  去って行かれてからが、余計に辛いから。
  俺なんかが辛いなんて、思っちゃいけないんだけど。
  でも、もっとしちゃいけないのは、祐也の隣にい続けることだ。
「っ?」
  なんで、俺泣いているんだ?
  俺は普通じゃないから、一緒にいちゃいけないんだ。
  だから、離れなきゃいけなくて……。
  言い聞かせているのに、締め付けられるように胸が痛くて。涙があふれて止まらない。
  俺、こんなに弱かったっけ?
  誰かの傍にいたいなんて、そんな風に思うのは、本当にいけないこと?
  また俺は、勝手に解釈して逃げているだけじゃないのか?
  祐也は、俺に笑顔をくれたんだ。その暖かさをずっと欲しいと願うのは、いけないこと?
  わからない、何が正しくて、何が間違っているのか。わからない。
  俺は、普通に生活したいだけ。
  普通に友人を作りたいだけ。
  それは、いけないこと?
「大学で何か秀にとって良い出逢いが有るんじゃないか、と思っているんだよ」
  兄の声がよみがえる。
  自分でも、良い出逢いができたんじゃないか、と感じたことも。
  俺は、自分で自分を、どうしたいんだろう。
  祐也との出逢いをなかったことにして、大学生活がおくれるのか?
  絶対に、無理だ。
  そんなのすぐに、断言できる。
  わかっているのに、臆病な俺は、逃げようとする。
  色んなことを理由にして、逃げようとしてる。
  逃げたって、今までと変わらない。
  むしろ、悪化する。
  だから、祐也に聞こう。そう、聞けばいい。
  どうして俺と、一緒にいてくれるんだ?
  そう、聞けば良いんだ。


  その時俺は、祐也が明確な答えをきっとくれると、何故か思って、もう何も考えずに眠りについていた。
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