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妻の姉を愛する夫3
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国王の執務室を追い出されたアルバートは行き場のない思いを抱え、荒々しい足音をたてて王宮の廊下を歩いていた。
落胆する父の声が廃嫡を匂わされたアルバートの頭の中を回る。
「学校で教師に何を学んでいたのやら。それに夫には選ばれても信用はされていないのか」
主席で卒業したのだと反論を言いそうになったアルバートだったが、驕りを捨てろと言われたばかりだったので、口を閉じた。
そういえば、その主席も騎士科に在籍するハルスタッド一族を総合の成績で抜いての主席だった。
ハルスタッド一族は入学当初から騎士科の教師並みの武術を身に付けていることで有名で、騎士科にしか在籍しないのが慣例だ。卒業後に王の護衛をする彼らが騎士科に進学するのも、入学時にはその技術が高いのもその為だ。
しかし、騎士科は座学や教養の授業が少なく、その分、専門の武術や戦術などの時間が普通科より多く配分されていて、専門と座学や教養で満点をとれていても、総合の点数は普通科よりも低い。つまり、学校は貴族の養成を主にしているので、騎士科や文官科などの専科よりも、普通科のほうが主席になれる点数を取りやすい授業が組まれているのだ。
その代わり、アルバートは情報を引き出すことにした。
「・・・何故。何故、父上はご存じなのですか?」
「誰に教えられなくとも、この国の仕組みを考えればハルスタッド一族の女に教えられなくとも、誰にだってわかることだ。現に宰相などの上級文官は、教えてもおらんのにその仕組みに気付いた上で動いておる」
ハルスタッド一族の遺伝が出るのは混血して2代限りであることも、他国にそのハルスタッド一族の王女を輸出して国を守っていることも、注意深く見ていればわかることである。
それにハルスタッド一族が他家と婚姻するのは当主とその子女たちだけ。令息は当主か一族の者になり、一族の者は一族の女と結婚する。当主ですら、一族の者以外との婚姻には消極的で血族婚を繰り返す。令嬢はリーンリアナとリーンセーラの姉妹のように王族に嫁ぐ。令嬢が王族以外に嫁ぐこともあるが、それは本当に数えるほどしかない。
「宰相は私よりもずっと歳上ではないですか」
「お前より5つか6つ歳上の宰相の息子ですら、このことはわかっているようだが?」
宰相の息子スモール・ウルスタッドとは学校の在籍期間が重ならなかったが、宰相を輩出する家の人間らしい評価を受けていて、アルバートは教師からいつも比較された目の上のたん瘤のような存在だった。
「宰相を務めることの多いウルスタッド家に代々伝わっているのではありませんか? スモールはアーガイルと親しいとも聞きますし、彼にでも聞いたのでしょう」
アーガイルとスモールは親子ほどの歳の差があるが、仲が良いと噂である。元々、宰相を務めることの多いウルスタッド家と王の手足となって暗躍するハルスタッド家の仲は良い。
学校では勉学においてはスモール。武術においてはハルスタッド一族とアルバートは比較されていた。
それがリーンリアナ同様、アルバートの神経に障る。
嘲笑うように『ハルスタッド一族の女からは王女しか生まれませんの』と言ったリーンリアナ。
教えられなくても真実に気付くスモール・ウルスタッド。真実を告げようとしないアーガイル・ハルスタッド。
「王家の秘密をそう易々と狗が口にすると思うてか。オズワルドと大差ないとは情けない。しばらくその顔を見せるな。不快だ」
まだ9歳である弟王子と同じだと言われ、首席で学校を卒業したアルバートはその屈辱に歯を食いしばった。
全部、あの女のせいだ。
疲れた様子で気だるげにベッドに横たわっていた女。
王女も産めず、処分される王子を助ける気もなかった使えない女。
その女のせいで父に使えないと思われた。
アルバートの不幸は弟王子と歳が離れすぎていて、歳の近い兄弟は姉妹たちだけで競争相手がいないことだった。すぐ下の弟王子との歳の差は10歳。更に下の第三王子に至っては15歳差。
世継ぎとして教育と期待を一身に受けすぎたアルバートは同時に大切に育てられると共におもねる者たちに群がられて育った。
そして、優秀すぎる宰相家や王の狗との遭遇で育ち過ぎたプライドをへし折られたアルバートの鬱屈した感情の矛先は、自分のプライドを傷付けた一族出身で愛するリーンセーラではない妻のリーンリアナに向けられたのだった。
「殿下。リーンリアナ様は体調を崩されておられます。本日のご訪問はこれ以上は・・・」
「夫である私が参るのに何故、そのようなことを言われなければならん。私が訪れたいと思えば、一日何度でもすることのがどこがおかしい?」
これがリーンセーラが毒で死にかかった事件でハルスタッド一族の男たちが女騎士の代わりに離宮の門を守っていた間なら、アルバートの訪問はその場で一度目も叶わなかっただろう。現に、女騎士たちが以前のように守るようになるまでは、体調を崩したリーンリアナへの見舞いすらアルバートは一回もできなかった。
しかし、今は女騎士たち相手なのでアルバートの意志が優先される。
「・・・申し訳ございません」
こんな些細な遣り取りすら、アルバートの怒りに油を注ぐ。
先触れとしてリーンリアナのもとに行こうとする侍女を追い抜いて離宮の行き慣れた場所に着くと、先程と同じくリーンリアナの居間には部屋の主の姿はなく、寝室の扉を開けながらアルバートは言葉を放った。
「何故、言わなかった!」
いつものように酩酊させるような甘ったるい匂いのする部屋の中で、黒い巻き毛の美女はアルバートのほうを見ようともせずに、ベッドで伏したまま、溜め息を吐く。
「・・・またお越しになられたのですか? アルバート様はお暇のようですが、私は体調を崩しておりましてご遠慮して頂きたいのですが・・・」
青褪めた顔をしたリーンリアナはひどく気だるげに言う。
「何故、言わなかったのだ! おかげで父に無能扱いされたではないか!」
「何を申せと?」
返事をするのもリーンリアナは億劫そうだった。
本人がいくら否定していても、今日出産したばかりの身なのだ。疲れ切っていても仕方がない。
それどころか、ねぎらわれず、こうして問い詰めるほうがおかしいくらいだ。
「王子が処分されることだ! 私が子どもの誕生を楽しみにしていたことはお前もわかっていた筈だ。それなのに何故、王子が生まれた場合、処分されることを私に言わなかった。言ってくれていれば、対応のしようもあったというのに」
「・・・そんなことをして、何になります?」
面倒と言わんばかりな声はアルバートの精神を逆撫でする。
「王子の命を助ける為に決まっているだろう?!」
「それでしきたりを破るおつもりですか? 何の為にしきたりがあるとお思いで? 破る為でしょうか?」
王族に嫁ぐしきたりに従ってアルバートに嫁いで離宮に来たリーンリアナである。だから、しきたりを破ろうとするアルバートの気持ちはわからない。
実家の館の敷地から一歩も外に出たことのないまま、初めて敷地の外に出たのがこの離宮への移住というのが、王族に嫁ぐハルスタッド一族の女たちの人生である。貴族の子女らしい教養や礼儀作法などは身に付けていても、ダンスなどの社交的な教養は身に付けていない。貴族らしい言葉の駆け引きや策謀というものも、身に付けていない。彼女らは反抗心と成りえる知識を排除され、観賞用に育てられた籠の鳥だ。
いや、観賞用ならまだよかった。
そうやって、籠の鳥として生きることに何の疑いも持たぬように育てながら、明るい色の髪が一般的なこの大陸で珍しさから魅力的に見える黒髪と妖しい美しさを持つハルスタッド一族はどんな人間も篭絡できる”黒薔薇”と称され、それを欲する者たちの囮としても使えるように警戒心を持たぬようにも育てられる。
王族に嫁すまでは一族に手を出そうとする欲深い者たちを釣る為の囮であり、王族に嫁しては孫の代までしかその特徴が出ないのを利用した他国に輸出される王女の母体として扱われるのが、ハルスタッド一族の当主の娘として生まれた定めだった。
すべては他国の君主が女で国を混乱させないことと引き換えに、妻の、母の、祖母の母国だからと侵略の意志を失わせ、旱魃や冷害で食糧難になればこの国が援助してもらえるように王女を嫁がせる為に。
今、他国には叔母たちが産んだ王女が幾人もおり、その子どもたちもいて、王女の需要は少なくなっている。
それでもリーンリアナたち姉妹が嫁したのは、王族に嫁ぐしきたりを破らない為とアルバートが女にうつつを抜かさないようにする為だった。
現実はアルバートがリーンリアナの姉に熱を上げ、相手にされていない状態だが・・・。
「我が子が可愛いとは思わないのか? 我が子の命を助けたいとは思わないのか?」
「私は・・・国の為に王女を産むことだけを求められて生きております。王女以外を産むことはございません」
リーンリアナは離宮で知らされた自分の受け入れざるを得ない運命を告げる。
それに対する反抗心は反抗心自体持たぬように育てられた為、ない。
姉たちも、叔母たちも、大叔母たちもそうやって、耐えて生きてきたのだ。自分だけ嫌だとか我儘を言うのは間違っている。
王子を産めば、産んだことを忘れるように言われ、引き離されて一生会えないことを嘆いていた姉と叔母たちを見ていた。
自分の時には彼女らが慰めてくれた。
王女を産めば、嫁いだ後は一生会うことができない。その別れを悲しんでいた叔母たち。
いつかはそれを自分も味わうのだろう。
他の側妃なら娘の嫁ぎ先が国内ですむこともあるのに、正妃なら外国でも訪れることができるのに。
ハルスタッド一族に生まれたからそれができない。
「だから、王子を否定するのか?! 産んだことまで否定してしまうのか?!」
「身におぼえのないことをおっしゃられても、私には何も言えません」
戸口に立っていたアルバートがゆらりとベッドに近付いてくる。
「そうか。身におぼえのないことか。・・・私は黒髪の、ハルスタッド一族の特徴を持つ王子が欲しい」
リーンリアナはアルバートの不穏な空気に眉を顰める。
政治や一族の異能などには疎く育てられたリーンリアナにはそれが何を意味するのかわからないが、本能的にアルバートに恐怖を感じた。
ハルスタッド一族の特徴を持つ王子が生まれれば、その子の子どもは全員ハルスタッド一族の特徴を持って生まれてくる。ハルスタッド一族の館やこの離宮のように彼らを保護できる環境以外で魅了の力を持つ者が無防備に育てられることになるのだ。
他国に嫁いだハルスタッド一族の王女たちのように女だけの後宮に入れるか、塔に幽閉しない限り、ハルスタッド一族に魅了の力をコントロールする術を学ばなければ無駄に常時使用してしまう彼らを守ることはできない。
また、魅了の力を持つ王族の数が増えることが魅了の力を持つ王女の価値を下げることになり、ハルスタッド一族の価値を下げることにもなる。
そういうことを知っていないにもかかわらず、リーンリアナはアルバートの発言が王族として非常識なものであるとわかった。
「・・・! 何をおっしゃってるの?」
「お前は王子を産まなかった。なら、王子が欲しい夫が何をしてもいい筈だ」
ハルスタッド一族の館はハルスタッド一族の女たちが住む離宮と作りがよく似ている。外に向けて窓が作られているのは本かの人間や使用人のいる正面の棟だけ。一族の人間が住む側面と裏面の棟は内部で繋がっているものの、中庭に向けて窓が作られている。
また、中庭に向けて窓が作られている所には正面の棟にあるたった一つの中庭に通じる扉を通らなければ出入りできない。
一族の住む棟へと行こうとするハルスタッド一族の医師に本家の棟に住む黒髪の少年は声をかけた。
「ねえ、何を持っているの?」
「・・・外で保護された一族の赤ん坊さ」
医師は本家の跡取り息子の質問に内心、面倒臭いと思いながらも答えた。
一族の中では本家もそれ以外も役目が違うだけで、対等だ。年功序列に近いものはあるが、一族のことを対外的に守っていく本家の息子には教えられないことはほとんどない。教えなかった為に急な当主の交代で混乱を招くことすらあるので、一族の持つ技術を習得しつつある少年に医師は素っ気ない様子だが答えなければいけない。
どんな人間をも篭絡するという伝説を持つハルスタッドの黒薔薇にあやかって、娼館では一番売れっ子の娼婦・男娼を薔薇と称し、そうではない者も人気を出す為に黒く髪を染めさせることすらあるらしい。
そんな夜の世界ではハルスタッド一族を敬っている為、本物のハルスタッド一族が見つかると保護し、ハルスタッド一族に連絡してきてくれる。ハルスタッド一族は成人男子以外はハルスタッド一族の館にある一族の棟から出ないことで知られているからだ。
どのような経緯で彼らがハルスタッド一族の館の外にいるのかはわからないが、保護された人物はハルスタッド一族の館に移送される。
「外で保護? ふうん。その子の名前は?」
「ダーシー」
医師は早く立ち去りたそうなそぶりを見せるが、少年は頓着せずに赤ん坊の顔を覗き込もうとする。
「ダーシーか。ちょっと、顔見せてよ」
「オスカー。今から親になってくれそうな夫婦を探さなきゃいけないんだ」
少年はしつこく食い下がって来る。
「ほんのちょっとでいいからさ、顔見せてよ」
「・・・ちょっとだけだぞ」
根負けした医師は少年に見えるように柔らかな黒い布に包んだ赤ん坊の顔を見せる。
「うわっ。真っ赤で皺くちゃな顔だね。でも、この子、泣きボクロがあるね」
「・・・」
「これで目まで緑色だと、オズワルド様たちとおそろいの僕と一緒だね」
少年は自分が側近として引き合わされた同い歳の第二王子とその弟王子を思い出しながら無邪気に言った。
落胆する父の声が廃嫡を匂わされたアルバートの頭の中を回る。
「学校で教師に何を学んでいたのやら。それに夫には選ばれても信用はされていないのか」
主席で卒業したのだと反論を言いそうになったアルバートだったが、驕りを捨てろと言われたばかりだったので、口を閉じた。
そういえば、その主席も騎士科に在籍するハルスタッド一族を総合の成績で抜いての主席だった。
ハルスタッド一族は入学当初から騎士科の教師並みの武術を身に付けていることで有名で、騎士科にしか在籍しないのが慣例だ。卒業後に王の護衛をする彼らが騎士科に進学するのも、入学時にはその技術が高いのもその為だ。
しかし、騎士科は座学や教養の授業が少なく、その分、専門の武術や戦術などの時間が普通科より多く配分されていて、専門と座学や教養で満点をとれていても、総合の点数は普通科よりも低い。つまり、学校は貴族の養成を主にしているので、騎士科や文官科などの専科よりも、普通科のほうが主席になれる点数を取りやすい授業が組まれているのだ。
その代わり、アルバートは情報を引き出すことにした。
「・・・何故。何故、父上はご存じなのですか?」
「誰に教えられなくとも、この国の仕組みを考えればハルスタッド一族の女に教えられなくとも、誰にだってわかることだ。現に宰相などの上級文官は、教えてもおらんのにその仕組みに気付いた上で動いておる」
ハルスタッド一族の遺伝が出るのは混血して2代限りであることも、他国にそのハルスタッド一族の王女を輸出して国を守っていることも、注意深く見ていればわかることである。
それにハルスタッド一族が他家と婚姻するのは当主とその子女たちだけ。令息は当主か一族の者になり、一族の者は一族の女と結婚する。当主ですら、一族の者以外との婚姻には消極的で血族婚を繰り返す。令嬢はリーンリアナとリーンセーラの姉妹のように王族に嫁ぐ。令嬢が王族以外に嫁ぐこともあるが、それは本当に数えるほどしかない。
「宰相は私よりもずっと歳上ではないですか」
「お前より5つか6つ歳上の宰相の息子ですら、このことはわかっているようだが?」
宰相の息子スモール・ウルスタッドとは学校の在籍期間が重ならなかったが、宰相を輩出する家の人間らしい評価を受けていて、アルバートは教師からいつも比較された目の上のたん瘤のような存在だった。
「宰相を務めることの多いウルスタッド家に代々伝わっているのではありませんか? スモールはアーガイルと親しいとも聞きますし、彼にでも聞いたのでしょう」
アーガイルとスモールは親子ほどの歳の差があるが、仲が良いと噂である。元々、宰相を務めることの多いウルスタッド家と王の手足となって暗躍するハルスタッド家の仲は良い。
学校では勉学においてはスモール。武術においてはハルスタッド一族とアルバートは比較されていた。
それがリーンリアナ同様、アルバートの神経に障る。
嘲笑うように『ハルスタッド一族の女からは王女しか生まれませんの』と言ったリーンリアナ。
教えられなくても真実に気付くスモール・ウルスタッド。真実を告げようとしないアーガイル・ハルスタッド。
「王家の秘密をそう易々と狗が口にすると思うてか。オズワルドと大差ないとは情けない。しばらくその顔を見せるな。不快だ」
まだ9歳である弟王子と同じだと言われ、首席で学校を卒業したアルバートはその屈辱に歯を食いしばった。
全部、あの女のせいだ。
疲れた様子で気だるげにベッドに横たわっていた女。
王女も産めず、処分される王子を助ける気もなかった使えない女。
その女のせいで父に使えないと思われた。
アルバートの不幸は弟王子と歳が離れすぎていて、歳の近い兄弟は姉妹たちだけで競争相手がいないことだった。すぐ下の弟王子との歳の差は10歳。更に下の第三王子に至っては15歳差。
世継ぎとして教育と期待を一身に受けすぎたアルバートは同時に大切に育てられると共におもねる者たちに群がられて育った。
そして、優秀すぎる宰相家や王の狗との遭遇で育ち過ぎたプライドをへし折られたアルバートの鬱屈した感情の矛先は、自分のプライドを傷付けた一族出身で愛するリーンセーラではない妻のリーンリアナに向けられたのだった。
「殿下。リーンリアナ様は体調を崩されておられます。本日のご訪問はこれ以上は・・・」
「夫である私が参るのに何故、そのようなことを言われなければならん。私が訪れたいと思えば、一日何度でもすることのがどこがおかしい?」
これがリーンセーラが毒で死にかかった事件でハルスタッド一族の男たちが女騎士の代わりに離宮の門を守っていた間なら、アルバートの訪問はその場で一度目も叶わなかっただろう。現に、女騎士たちが以前のように守るようになるまでは、体調を崩したリーンリアナへの見舞いすらアルバートは一回もできなかった。
しかし、今は女騎士たち相手なのでアルバートの意志が優先される。
「・・・申し訳ございません」
こんな些細な遣り取りすら、アルバートの怒りに油を注ぐ。
先触れとしてリーンリアナのもとに行こうとする侍女を追い抜いて離宮の行き慣れた場所に着くと、先程と同じくリーンリアナの居間には部屋の主の姿はなく、寝室の扉を開けながらアルバートは言葉を放った。
「何故、言わなかった!」
いつものように酩酊させるような甘ったるい匂いのする部屋の中で、黒い巻き毛の美女はアルバートのほうを見ようともせずに、ベッドで伏したまま、溜め息を吐く。
「・・・またお越しになられたのですか? アルバート様はお暇のようですが、私は体調を崩しておりましてご遠慮して頂きたいのですが・・・」
青褪めた顔をしたリーンリアナはひどく気だるげに言う。
「何故、言わなかったのだ! おかげで父に無能扱いされたではないか!」
「何を申せと?」
返事をするのもリーンリアナは億劫そうだった。
本人がいくら否定していても、今日出産したばかりの身なのだ。疲れ切っていても仕方がない。
それどころか、ねぎらわれず、こうして問い詰めるほうがおかしいくらいだ。
「王子が処分されることだ! 私が子どもの誕生を楽しみにしていたことはお前もわかっていた筈だ。それなのに何故、王子が生まれた場合、処分されることを私に言わなかった。言ってくれていれば、対応のしようもあったというのに」
「・・・そんなことをして、何になります?」
面倒と言わんばかりな声はアルバートの精神を逆撫でする。
「王子の命を助ける為に決まっているだろう?!」
「それでしきたりを破るおつもりですか? 何の為にしきたりがあるとお思いで? 破る為でしょうか?」
王族に嫁ぐしきたりに従ってアルバートに嫁いで離宮に来たリーンリアナである。だから、しきたりを破ろうとするアルバートの気持ちはわからない。
実家の館の敷地から一歩も外に出たことのないまま、初めて敷地の外に出たのがこの離宮への移住というのが、王族に嫁ぐハルスタッド一族の女たちの人生である。貴族の子女らしい教養や礼儀作法などは身に付けていても、ダンスなどの社交的な教養は身に付けていない。貴族らしい言葉の駆け引きや策謀というものも、身に付けていない。彼女らは反抗心と成りえる知識を排除され、観賞用に育てられた籠の鳥だ。
いや、観賞用ならまだよかった。
そうやって、籠の鳥として生きることに何の疑いも持たぬように育てながら、明るい色の髪が一般的なこの大陸で珍しさから魅力的に見える黒髪と妖しい美しさを持つハルスタッド一族はどんな人間も篭絡できる”黒薔薇”と称され、それを欲する者たちの囮としても使えるように警戒心を持たぬようにも育てられる。
王族に嫁すまでは一族に手を出そうとする欲深い者たちを釣る為の囮であり、王族に嫁しては孫の代までしかその特徴が出ないのを利用した他国に輸出される王女の母体として扱われるのが、ハルスタッド一族の当主の娘として生まれた定めだった。
すべては他国の君主が女で国を混乱させないことと引き換えに、妻の、母の、祖母の母国だからと侵略の意志を失わせ、旱魃や冷害で食糧難になればこの国が援助してもらえるように王女を嫁がせる為に。
今、他国には叔母たちが産んだ王女が幾人もおり、その子どもたちもいて、王女の需要は少なくなっている。
それでもリーンリアナたち姉妹が嫁したのは、王族に嫁ぐしきたりを破らない為とアルバートが女にうつつを抜かさないようにする為だった。
現実はアルバートがリーンリアナの姉に熱を上げ、相手にされていない状態だが・・・。
「我が子が可愛いとは思わないのか? 我が子の命を助けたいとは思わないのか?」
「私は・・・国の為に王女を産むことだけを求められて生きております。王女以外を産むことはございません」
リーンリアナは離宮で知らされた自分の受け入れざるを得ない運命を告げる。
それに対する反抗心は反抗心自体持たぬように育てられた為、ない。
姉たちも、叔母たちも、大叔母たちもそうやって、耐えて生きてきたのだ。自分だけ嫌だとか我儘を言うのは間違っている。
王子を産めば、産んだことを忘れるように言われ、引き離されて一生会えないことを嘆いていた姉と叔母たちを見ていた。
自分の時には彼女らが慰めてくれた。
王女を産めば、嫁いだ後は一生会うことができない。その別れを悲しんでいた叔母たち。
いつかはそれを自分も味わうのだろう。
他の側妃なら娘の嫁ぎ先が国内ですむこともあるのに、正妃なら外国でも訪れることができるのに。
ハルスタッド一族に生まれたからそれができない。
「だから、王子を否定するのか?! 産んだことまで否定してしまうのか?!」
「身におぼえのないことをおっしゃられても、私には何も言えません」
戸口に立っていたアルバートがゆらりとベッドに近付いてくる。
「そうか。身におぼえのないことか。・・・私は黒髪の、ハルスタッド一族の特徴を持つ王子が欲しい」
リーンリアナはアルバートの不穏な空気に眉を顰める。
政治や一族の異能などには疎く育てられたリーンリアナにはそれが何を意味するのかわからないが、本能的にアルバートに恐怖を感じた。
ハルスタッド一族の特徴を持つ王子が生まれれば、その子の子どもは全員ハルスタッド一族の特徴を持って生まれてくる。ハルスタッド一族の館やこの離宮のように彼らを保護できる環境以外で魅了の力を持つ者が無防備に育てられることになるのだ。
他国に嫁いだハルスタッド一族の王女たちのように女だけの後宮に入れるか、塔に幽閉しない限り、ハルスタッド一族に魅了の力をコントロールする術を学ばなければ無駄に常時使用してしまう彼らを守ることはできない。
また、魅了の力を持つ王族の数が増えることが魅了の力を持つ王女の価値を下げることになり、ハルスタッド一族の価値を下げることにもなる。
そういうことを知っていないにもかかわらず、リーンリアナはアルバートの発言が王族として非常識なものであるとわかった。
「・・・! 何をおっしゃってるの?」
「お前は王子を産まなかった。なら、王子が欲しい夫が何をしてもいい筈だ」
ハルスタッド一族の館はハルスタッド一族の女たちが住む離宮と作りがよく似ている。外に向けて窓が作られているのは本かの人間や使用人のいる正面の棟だけ。一族の人間が住む側面と裏面の棟は内部で繋がっているものの、中庭に向けて窓が作られている。
また、中庭に向けて窓が作られている所には正面の棟にあるたった一つの中庭に通じる扉を通らなければ出入りできない。
一族の住む棟へと行こうとするハルスタッド一族の医師に本家の棟に住む黒髪の少年は声をかけた。
「ねえ、何を持っているの?」
「・・・外で保護された一族の赤ん坊さ」
医師は本家の跡取り息子の質問に内心、面倒臭いと思いながらも答えた。
一族の中では本家もそれ以外も役目が違うだけで、対等だ。年功序列に近いものはあるが、一族のことを対外的に守っていく本家の息子には教えられないことはほとんどない。教えなかった為に急な当主の交代で混乱を招くことすらあるので、一族の持つ技術を習得しつつある少年に医師は素っ気ない様子だが答えなければいけない。
どんな人間をも篭絡するという伝説を持つハルスタッドの黒薔薇にあやかって、娼館では一番売れっ子の娼婦・男娼を薔薇と称し、そうではない者も人気を出す為に黒く髪を染めさせることすらあるらしい。
そんな夜の世界ではハルスタッド一族を敬っている為、本物のハルスタッド一族が見つかると保護し、ハルスタッド一族に連絡してきてくれる。ハルスタッド一族は成人男子以外はハルスタッド一族の館にある一族の棟から出ないことで知られているからだ。
どのような経緯で彼らがハルスタッド一族の館の外にいるのかはわからないが、保護された人物はハルスタッド一族の館に移送される。
「外で保護? ふうん。その子の名前は?」
「ダーシー」
医師は早く立ち去りたそうなそぶりを見せるが、少年は頓着せずに赤ん坊の顔を覗き込もうとする。
「ダーシーか。ちょっと、顔見せてよ」
「オスカー。今から親になってくれそうな夫婦を探さなきゃいけないんだ」
少年はしつこく食い下がって来る。
「ほんのちょっとでいいからさ、顔見せてよ」
「・・・ちょっとだけだぞ」
根負けした医師は少年に見えるように柔らかな黒い布に包んだ赤ん坊の顔を見せる。
「うわっ。真っ赤で皺くちゃな顔だね。でも、この子、泣きボクロがあるね」
「・・・」
「これで目まで緑色だと、オズワルド様たちとおそろいの僕と一緒だね」
少年は自分が側近として引き合わされた同い歳の第二王子とその弟王子を思い出しながら無邪気に言った。
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