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トンネル

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ケンは今、海岸沿いの国道近くにある、古びたトンネル跡に来ている。
明治期に作られたそのトンネルはレンガ造りの佇まいで、歴史を感じられる。
ケンが物心ついた時には、もうこのトンネルは厳重にセメントで塗りこめられて塞がれていた。何せ古いトンネルなので、落下事故があってはならないとのことで、侵入できないように塞がれてしまったとのことだ。
今や車社会となり、田舎のローカル線など、赤字続き、ついには廃線の運命を辿ったのだ。線路は取り払われ、時代の名残のこの入り口のみが出口を失い寂しく佇んでいる。
 最近、ケンの周りでまことしやかに都市伝説のような話が流行っていた。
「あのトンネルの前で夜中の2時29分に立っているとトンネルが開き、死者に会える」という噂だった。そんな話は誰かの作り話だと馬鹿にするのがせいぜいで、本気になんて誰もしない。人はこういう話が好きなのだ。心の中ではそう思っていても、ケンは試さずにはいられなかった。
 ケンは1年前に親友を失った。名前はヤマモトヒロシ。ヒロシは、どこにでも居るような平凡な男の子だった。背が高いわけでもなく、大人びているわけでもなく、勉強がずば抜けてできるわけでもなく、運動神経もそこそこ。本当に普通の小学生で目立つ子供ではなかった。だけどケンはヒロシと居ると、心が安らいだ。気をつかう必要もなく、空気のような存在だったけど、なくてはならない親友だったはずなのだ。
 ところが、あの日、ケンはヒロシを裏切ってしまった。
クラスに一人は、裕福で何一つ苦労せずとも与えられて恵まれた家庭で育っている子供は居るものだ。それがカイトだった。あの日、カイトに家に来ないかと誘われたのだ。その日はヒロシと海に釣りに行く予定だった。カイトから新作ゲームを買ったのでいっしょにやらないか、と誘われたのだ。その新作ゲームは、ケンが前々から欲しかったゲームで、ケンの家ではとても買ってもらえるような金額ではなかった。だいいちそのゲームをやるゲーム機自体がケンの家には無い。しかも、カイトの家に遊びに行くと、いつもおばさんがケーキを焼いてくれる。この前遊びに行った時にはアップルパイだった。ケンは悩んだ。カイト自身は、やはり金持ちぜんとした鼻持ちならない子供だが、お菓子やゲームは魅力がある。
 ケンにはもう一つ、カイトの家に行きたい理由があった。小学5年ともなれば色気づく年頃だ。ケンはカイトの姉が好きだった。カイトの姉はレイナといい、中学1年生。可憐なセーラー服姿と、優しげな笑顔に一目惚れした。いつもケンを見ると「ケンちゃん、今帰り?」と微笑んで声をかけてくれる。そのたびにケンはドキドキした。「今日、姉ちゃん、テスト週間だから。居るぞ?」カイトは見透かしたように、ニヤニヤ笑いを隠さなかった。別に、と言いながらも、ケンは心臓が跳ね上がった。

 「ヒロシには、明日謝っておけばいいか」
それがケンの出した、その日の結論だった。ケンは欲に負け、ヒロシとの約束をすっぽかしたのだ。しかし、実際はヒロシを裏切った後悔から心底ゲームは楽しめなかったし、レイナもテスト週間も大詰めということで、部屋に篭ったままだったので、会うこともできなかった。

 その日ヒロシは行方不明になった。夕方になって、ヒロシのお母さんから電話がかかってきて、ヒロシを知らないかとたずねられた。自分が約束を破ったことを告げず、もしかしたら海に釣りに行ったのではないかととぼけた。ケンに何とも言えない罪悪感が襲ってきた。ヒロシの両親は海に探しに行ったが、ヒロシは見つからなかった。ヒロシの行った痕跡すら見つからずに、とうとうその日の夜、捜索願を出した。近所総出でヒロシを探した。警察も、自治会の人たちも、学校の先生も、みんなでヒロシを探したが、見つからなかった。あくる日には、テレビで写真入りで公開捜査に踏み切ったが、ヒロシの行方はまったくわからなかった。

 ケンは死ぬほど後悔した。自分が一緒に行動していれば。カイトの誘いなんかに乗らなければ。ヒロシは居なくならなかったかもしれない。誰にも言えない張り裂けそうな気持ちを1年間ずっと抱えてきたのだ。
 いったいヒロシはどこに行ったのだろう。生きているのだろうか?
もしも生きていなかったら。ケンはそう思うたびに腹の底が冷えてきりきりと痛んだ。

 そして、あのトンネルの噂を聞いたのだ。もし、ヒロシが死んでいるのなら。会えるのかもしれない。ケンはどうしても、ヒロシに謝らなければならないと思ったのだ。こっそり家を抜け出して、ここまで歩いてきた。街頭もなく真っ暗な中、懐中電灯の灯りだけを頼りに、ここまで来た。ケンは塞がれたトンネルを懐中電灯で嘗め回すように照らした。しかし、そこには何も無かった。無機質な灰色のセメントを古い錆付いたようなレンガが縁取るだけ。その時、誰かが後ろから近づいてきた。気配を感じ、びっくりして振り向くと、そこには長身の黒髪の外国人の男が立っていた。「わあっ」思わずケンは叫んだ。その外国人は胸にカタカナで「トマソン」と縦書きに書いているTシャツを着ていた。あまりの間抜けな格好に怖いというより、唖然とした。ケンが叫び声をあげたにも関わらず、まるで気づかないかのように通り過ぎ、トンネルの方に歩いて行った。そっちに行っても行き止まり、そう思った矢先、その外国人の体はすぅっとあのトンネルに吸い込まれて行った。ケンは目を疑った。嘘だろう?ケンは外国人の後を追った。相変わらずトンネルはセメントで塞がれていてとても今人が入って行ったとは思えない。ケンは恐る恐る、手を伸ばしてトンネルの入り口に触れてみた。すると、手がすぅっと中に吸い込まれて行った。ケンが怖くなり、慌てて手を引っ込めようとすると、足元がふらつき、ぐっと中に体が全部吸い込まれてしまったのだ。

 「うわっ。」
ケンは叫んで、転んで膝をついてしまった。ふと、顔を上げると、そこには見慣れた風景があった。
「ここは・・・。」
ケンとヒロシがよく遊んだ公園だった。こんなところに繋がっていたなんて。
公園のとなりには、ボロっちいアパートがあって、そのゴミ捨て場からは、いつも嫌なにおいがしていた。そのゴミ捨て場のすぐ隣には、壊れた自動販売機があって、ガラスなど割れていて、たぶん自動販売機の中には何も入っていない。お金の投入口は一応ガムテープで塞がれたあとがあって、長い間風雨にさらされて、ガムテープが劣化してハタハタと風になびいている。

「このろくでなし!」
ボロアパートから女の人の金切り声と、物が割れる音がして、ケンはびっくりしてそちらのほうを見た。どうやら女の人と男の人が言い争っているようだ。
「昼間から酒ばっかり飲みやがって!いつ働くのよ!」
「仕方ねえだろうが!仕事がねえんだからよ!」
「探しもしないくせに、よく言うよ。このヒモ野郎!クズ!アンタみたいなやつは燃えるゴミに出してやるからね!」
「やれるもんならやってみろ!」
夫婦喧嘩はしばらく続き、大きな音と共に急に水を打ったように静かになった。
喧嘩、終わったのか。ケンがそう思っていると、ドアが乱暴にバタンと開き、カンカンと金属の階段を下りてくる足音がした。驚くほど太ったおばさんが、両手に重そうなゴミ袋を二提げ持って降りてきた。ケンはその袋の中から不自然に飛び出した物を見て驚いて腰を抜かしてしまった。片方からは人間の足、もう片方の袋からは人間の手が出ていたのだ。
そしてそのおばさんは、ゴミ置き場のペールの蓋を開けると、乱暴にそのゴミ袋を
投げこんだ。ケンにまったく気付かないようで、ぎゅうぎゅうと中身を押し込んで蓋をし、パンパンと2回手を鳴らして、すっきりした表情でアパートに帰って行った。ケンは恐る恐る立ち上がると、そのペールには「人間のクズ入れ」と書いてあった。ケンは恐ろしくなり、今来た道を引き返そうとした。

 「ガコン」と言う音がして、その方向を見ると先程の「トマソン」というTシャツを着た外国人の男が、あの何も入っていないはずの自動販売機でジュースを買っていた。「ぱしゅっ」という音を立ててプルタブを引くと、その男は口に持って行き、口に注ぎ込んだ。こちらをじっと見ている。あの男にはケンが見えているようだ。さっきは無視したくせに。ジュースの缶からは真っ赤な液体。飲むというよりは、コントのように口の横からダラダラとだらしなく流れている。口からゴボゴボと吹き出し、その液体は耳や目、鼻からもゴボゴボと噴出している。ケンは驚いて叫んだ。そして闇雲に走って逃げた。めちゃくちゃに走ったので、どこをどう走ったのかはわからないけど、いつの間にかケンは、池のほとりに着いていた。
「ここって・・・。」
ー内緒だぜ。ここ、ブルーギルがたくさん釣れるんだ。ー
ヒロシがこっそり教えてくれた。
あの場所だ。そして、視線の先にヒロシが池に釣り糸を垂らして、こちらをびっくりしたような表情で見ていた。
本当に会えた!
ケンは嬉しくて、ヒロシのほうに駆け寄った。
「お前、なんでこんなところに居るんだよ。」
ヒロシの声だ。
「ヒロシ、ごめん。俺、俺・・・・。」
ケンは泣いて言葉にならなかった。
「何泣いてんだよ、お前。」
「俺が、俺が、約束をすっぽかさなければ。」
きっとこのヒロシは生きた人ではない。
でも、ずっと謝りたかった。
「海で釣ろうと思ったけど、気が変わったんだ。お前、来ねえし。」
ヒロシが口を尖らせた。
「ご、ごめん、ごめんよ。ヒロシ・・・。」
すると、ヒロシはこちらをきっと睨んで言った。
「足が滑って落ちたのは俺のせいだ。別にお前のせいじゃねえ。
だけど、裏切りを許すほど俺は心が広くねえんだよ。
もう二度とここへは来んなよな。お前の顔なんか二度と見たくない。」
そう言うとヒロシはプイっとそっぽを向き、竿をさっさとしまい、森の奥に消えてしまった。全てを許されるわけないなんてこと、わかりきっていたはずなのに。
それでも、ケンは悲しかった。
すぅっと首筋のあたりに気配を感じ、ケンが振り向くと「トマソン」が立っていた。先ほど飲んでいた、ワケのわからない赤い液体が目や鼻、耳からだらだらとまだ滴っていた。
「うわあああああああ!」
ケンは無我夢中で走って逃げた。その後を「トマソン」が赤い舌をベロベロと出しながら追いかけてきた。何で追いかけてくんだよぉぉぉぉ!

「はっ!」
ケンはそこで目が覚めた。
そこはケンの部屋だった。
え?確か、トンネルに行って・・・。
しかし、確かにそこはケンのベッドの上だった。
なんて長い夢なんだろう。
夢というには、あまりにリアルすぎる。

ケンはその翌日、ヒロシがこっそり教えてくれたあの秘密の釣り場の池を訪れていた。そして、ケンは池のほとりの森で、ヒロシの釣竿と帽子を見つけた。ケンは警察に通報した。思ったとおり警察の捜索で池の中からヒロシの水死体が見つかった。もうだいぶ時間が経っていて、ヒロシの体はほぼ溶けていて骨になっていた。
「ここは、危ないから。近づいちゃだめだよ?」
ケンは警察の人に言われて初めて気付いた。
そっか、ヒロシは俺をここに近づけないために、二度と来るなと言ったのか。

数日後、あれが夢なのかを確かめたくて、ケンはあのトンネルの前に立った。
やはり夢だったのかな。あの変な外国人は誰だったんだろう?
ふと、塞がれたトンネルの入り口を見ると地面に何か布切れのようなものが落ちていた。近づくとその布切れは白いTシャツのようで、真ん中にカタカナで「トマソン」と縦書きの文字が書いてあった。
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