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「エリオットさま、お慕い申し上げております」
「マーガレットさま、わたくしにはもったいないお言葉でございます」

 私は駆け寄り、彼のお腹に顔を埋めて、ぐりぐりと頭を振った。

「本当に、お慕いしているのです」
「マーガレットお嬢さま、ご好意、嬉しく思います。……しかし、お戯れがすぎますよ」

「……ほんとうに、ほんとなの……」

 きっと、彼はとても困った顔をしているだろう。何度も何度も同じ言葉を言っては同じ顔をさせてきたから、私には、見なくたってよくわかる。

 そう、わかっているのだ。

 伯爵である我がルクスブル家に仕える騎士の彼、エリオットとこの私が結ばれることはないのだと。

 幼い私にも、そんなことはよくわかっていた。それでも、この幼さゆえに、想いを告げることは許されていたくて、私は何度も彼に好きだと言い続けた。

 すんすんと鼻を鳴らしながら、私は彼の温い腹に顔を擦り付けた。
 困らせているとわかっていても、私はこの時間が幸せだった。


 ◆ ◆ ◆


 マーガレット・ルクスブルは16歳になった。この国の貴族たちはこの年になれば大抵は婚約者が決まっていて、もう結婚しているご令嬢も珍しくはない。
 幼き日、お抱え騎士に恋していた私にも、去年から侯爵家の婚約者が存在していた。

 侯爵家のオスカーさまとは昔馴染みで、彼は私が誰に恋をしているか、よくご存知だった。

「僕も、本当は好きだった人がいたんだ。手を伸ばしてはいけないお人だから、諦めたけれど」

 彼は悲しげに笑って、私に言った。ああ、私たち、一緒なんだな、と思った。オスカーさまは、とても優しくて、素敵な男性だった。

 お互いの家の利害が一致して結ばれた縁談だったけれど、彼が相手ならば安心できた。
 お互いに愛はなくとも、彼とならば穏やかな家庭を築けると思った。結婚してから、好きになることもできるかもしれないと。

「エリオットさまは、息災でいらっしゃるかしら」

 憧れの騎士、エリオットさまは数ヶ月前、ルクスブル家を出た。
 けして、彼と私の家の関係が悪くなったとかではなく。

「わたくしは魔王の討伐隊に入りとうございます」

 エリオットさまは、お父さまに嘆願し、この家を離れて魔王討伐に赴いていった。

 この世界は長い間、魔物の存在に苦しめられてきた。しかし、ようやく待望の聖女が誕生したのだ。
 彼女は公爵家のお生まれで尊いお方だったが、ご自分の運命を受け入れて、幼き日から魔王を倒すべく育てられたそうだ。

 同い年なのに、小さな頃はわがままばかりだった私とはまるで違う。比べられては恥ずかしいくらいだ。

 聖女さまが成人となられる16歳まで成長を待ち、初めて人類は防衛ではなく、討伐せんと魔王の根城に攻め込むことになった。

 我が国は、魔王の本拠地に一番近い地域であり、また聖女さまのお生まれの国でもあったので、我が国から魔王の討伐隊が出されることが決定した。

 討伐隊の編成には、腕に自信のあるものならば出自は問わず、成果を挙げたものには相応の褒美を取らせるとおふれが出たが、魔王と対峙しようという勇者はそう多くは集まらなかった。

 ほとんどは国仕えの騎士で構成された討伐隊に、エリオットさまは数少ない志願者として参加されることとなった。

「あの無欲な騎士が、討伐隊に入りたいなどとはね」
「お父さま、違いますわ。エリオットさまは、世界を救いたいというお気持ちのみで望まれたのですわ!」

 エリオットさまが屋敷を去ってから、不思議そうにぼやいたお父さま。
 エリオットさまは、とてもお優しい方。真面目な方。素敵な方。我欲のために志願したわけがないと、私は思った。
 お父さまは「わかった、わかったよ」と苦笑いをして、ムキになっている私をあやして下さった。

 私は、本当はお父さまにエリオットさまを引き止めて欲しかった。ずっとここにいてほしかった。私の騎士さまでいてほしかった。

 結ばれることはなくても、この家にいて、私がどなたかに嫁いで行くまでは、一緒にいてほしかった。



 小さい頃は本当にずっと一緒にいた。けれど、私が大きくなるにつれて、エリオットさまが私のそばに時間はどんどん少なくなった。

 エリオットさまは私の騎士さまだと思っていた。お父さまにどうしてどうして!と言ったら、とっても困った顔をされたのをよく覚えている。

 でも、私も、背が伸びるたび、大人に近づくたびに物わかりがよくなってしまって、エリオットさまにおそばにいて欲しいとは無邪気に言えなくなっていった。

 実は、エリオットさまとあまり一緒にいられなくなってから、一度だけ、もっと一緒にいたいと言ったことがある。私の頭が彼の胸あたりの高さくらいの時に。
 そうしたら、「いけません、お嬢さま」とピシャリと突き放されてしまった。

 やさしく、やさしく、両の手のひらで、私の肩を包んで、そっと身を離してくださったのだけど、だけれども、わたしは突き放された!と思ったの。

 それから私は彼に抱きつくのをやめた。

 小さいときから、たくさんたくさん、何度も何度も、好きだと言った。抱き着いた。彼の腹にしがみつき、顔を擦り付けた。

 私がエリオットさまを好きだ好きだとべったりくっつくものだから、エリオットさまも、周りも、困らせてしまって、それで、エリオットさまは私から遠ざかっていかれたのかもしれない。

 私は伯爵令嬢で、騎士の彼と結ばれることはない。

 やっぱり、小さい頃の私は間違っていなかった。えらいなあ、褒めてあげたい。
 小さいうちに、たくさん彼に好きと言えて、抱きつくことができたから、私は今、ちゃんとエリオットさまを諦められた。

 でも、エリオットさまがいなくなった日は泣いた。


 そして、エリオットさまたち討伐隊は帰還した。魔王は倒された。しかし、犠牲は大きかった。

「エリオットには、褒賞が与えられるそうだよ」

 お父さまは嬉しそうに笑ってそう言った。

 生きて帰ってきたものは、エリオットさまと、聖女さまの2名のみだった。そのほかはみな、天の国に召されてしまったそうだ。

「なんでも、噂では彼は花嫁を求めたらしい」

 討伐隊の戦士たちはみな、英雄となった。戦士の家族には多額の報奨金と功績を讃える勲章が贈られた。
 生きて帰ってきたエリオットは、"聖騎士爵"という特別な爵位が贈られた。伯爵よりも上、公爵とは立場が異なるが、限りなく王家に近い地位を与えられたこととなる。

 巷では、「聖騎士エリオットは聖女さまを花嫁にするのだろう」ともっぱらの噂だった。

「あのエリオットがルクスブル家を離れたのは、聖女さまを見初めたからだ」
「きっと道中の旅でも愛を深めてきたのだろう」
「すでに劇作家は二人の物語を認めているらしい、楽しみだ」

 どこに行っても、国中が彼ら二人の話でもちきりだった。
 魔王の脅威から解放された世界は、今までよりもずっと賑やかに華やいでいたけれど、私の心はチクチクとしていた。

 けれど、私はとうに彼のことは諦めていた。私にだって、婚約者はいる。
 だから、気持ちが淀むのは何かの間違いだ。

 エリオットさま。私の憧れの騎士さま。彼は私を顧みない。

 当たり前のこと。そんなことで私が胸をざわめかせていることこそが、おかしいのだ。


 ──あんなに好きだと言ったのに、私の気持ちはご存知のはずなのに、ひどい、ずるい!
 私がいるのに! 聖女さまと結婚するために、危険な旅にまで出かけて! なんて男!──


 私の心の中の小さなわたしがぎゃあぎゃあと喚き立てるので、私はすっかり困ってしまった。
 今、もしも目の前に小さな私がいたのなら、私はきっとその私を抱きしめていた。

 大きくなって物分かりの良くなった私は、辛くなってしまった日には、エリオットさまと聖女さまのお幸せを祈ってから寝た。
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