翠碧色の虹

T.MONDEN

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第七幕:翠碧色の虹

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昼食を済ませた後、お出かけの準備をする七夏ちゃんを、俺は居間で待っていた。これから七夏ちゃんお気に入りの場所で、写真を撮影する事になっている。ちょっと緊張してきた。

七夏「柚樹さん、お待たせしました☆」

七夏ちゃんは、青いラインの入った白いワンピース姿で現れる。手には大きな帽子を持っていた。

時崎「こちらこそ! よろしく!」
七夏「はい☆ では、参りましょう!!」

七夏ちゃんお勧めの場所へ向かう・・・。舗装されていない、轍のある道のりは、多くの木々が揺れる小高い丘へと続いている。その場所まで然程遠くは無いようだ。日差しは高く、影は短いながらも、ふんわりとしたワンピースのゆらめきを、はっきりと地面に投影している。

時崎「大きな帽子だね」
七夏「はい☆ 上手く使えば、体まるごと日差しから守ってくれます♪」

そう言うと、七夏ちゃんは、帽子に手を当て角度を調節し、その場にしゃがみ込んだ。その姿は、確かに夏の強い日差しから七夏ちゃんの肌と全身を、しっかりと守っている。

時崎「なるほど」
七夏「柚樹さんも日射病には気をつけてくださ・・・どおかしました?」
時崎「いや・・・なんでもない」

俺は、七夏ちゃんの咄嗟の行動が予想外だったので、込み上がってくる笑いを堪えていた・・・今思うと、写真として記録したい構図だったかも知れない。もう一度、七夏ちゃんに、さっきのポーズをお願いしたくなってきたが、再び前を歩き始めた七夏ちゃんに、そんな事をお願いするのは、無粋だと思って諦めた。

七夏「えっと、この先になります♪」

七夏ちゃんが指差す丘の方を眺めつつ、歩みを進めてゆく・・・。すると、木々の先にある深緑の草原がキラキラと輝き始め、海が浮かび上がってきた。これは素晴らしい光景だ。俺は歩みを止め、写真機のファインダーを覗き込む。空の青、水平線の白、キラキラと輝く海の碧、深緑の草原・・・その中に前を歩く七夏ちゃんが入ってきた。


俺は今、写真機に流れ込んでくるこの素晴らしい光の束に、手が震えているのを実感しつつ、確実にシャッターを切った。

七夏ちゃんが此方に振り返る・・・少し遅れて、ワンピースもふわりと七夏ちゃんに付いてくる。その動きがとても印象的で、これは写真では表せないであろう。

七夏「お疲れ様です☆ 到着です♪」
時崎「お疲れ様! 七夏ちゃん! ありがとう!」
七夏「はい☆」

七夏ちゃんお勧めの場所は、街と海が見渡せ、空も高く、とても良い眺めの場所だった。

時崎「とても良い場所だね! 気に入ったよ! 七夏ちゃん!!」
七夏「柚樹さん、気に入ってくれて、よかったです♪」
時崎「じゃあ、何枚か撮影するから、自然にしてて」
七夏「はい☆ お願いいたします♪」
時崎「七夏ちゃんは、この場所、よく来るの?」
七夏「はい♪ ここを通る海風、心地よくて好きです♪」

まだ、日差しは高い事から、普通に考えれば「初夏の暑い時間」のはずだが、ここを通る海風の影響か、暑いという感覚は殆ど無い。

時崎「確かに、風が涼しくて心地良い」
七夏「くすっ☆」


俺は、海風に長い髪を乗せて涼しそうな七夏ちゃんを、しばらく眺めてしまった・・・。

時崎「七夏ちゃん!!」
七夏「???」

七夏ちゃんがこちらに視線を送ってくる。俺は七夏ちゃんを確実に捕らえる・・・綺麗な翠碧色の瞳と、ファインダー越しに目が合い「ドキッ!」としつつ、シャッターを切る。

七夏「ひゃっ!!」


急に風向きが変わり、七夏ちゃんの長い髪とワンピースが、大きく舞う。この瞬間も俺は、すかさず切り取る。

時崎「おっ・・・と!!」

俺は七夏ちゃんから離れた帽子を素早く受け止める・・・風向きが変わり、俺の方に上手く飛んできてくれたのは運が良かった。

七夏「あっ、帽子! ・・・ありがとうです☆」
時崎「こっちに飛んで来てくれて良かったよ」
七夏「はい☆」

帽子に次いで、こちらに寄ってきた七夏ちゃんとの距離が近い・・・綺麗な瞳に圧倒されそうになりつつも、負けじと写真機を七夏ちゃんとの間に挟み、綺麗な瞳を捉える。写真機を目の前にした七夏ちゃんは、視線を逸らしてしまう・・・。

時崎「あれ?」
七夏「・・・・・」

今、俺の目に映っている七夏ちゃんの瞳は、翠碧色ではない・・・しかし、写真機の液晶モニターに映っている七夏ちゃんの瞳は、翠碧色のままだ・・・これは、どういう事だ!?
ファインダーを通して七夏ちゃんを見ると、瞳の色は裸眼で見たときと同じように変化して見える。
・・・大切な事を思い出した。最初に七夏ちゃんの写真を撮らせてもらった時、七夏ちゃんの瞳の色が、虹色/七色ではなかった事・・・撮影した全ての七夏ちゃんの写真の瞳が翠碧色になっていた事。俺は七夏ちゃんの本当の瞳の色を確かめたくて、もう一度会いたいと思った。しかし、七夏ちゃんと再会出来て、一緒に過ごす時間の中で、瞳の色の事よりも七夏ちゃんの心の方が印象深くなってしまっていた。今、写真機の液晶画面に映っている七夏ちゃんの瞳の色こそが、撮影した時に記録される色だという事・・・つまり、本当の七夏ちゃんの瞳の色を撮影し、記録する事は出来ないという事になるのか・・・そんな事を考えていると、七夏ちゃんは写真機と俺から少し距離をとった。

時崎「七夏ちゃん」
七夏「・・・・・」

七夏ちゃんは無言のままだ。先程まで涼しいと思っていた海風が、少し肌寒く感じる。恐らく、七夏ちゃんは過去にもこの様な事があり、写真に良い思い出がないのかも知れない。考えられる事は、七夏ちゃんの目の前で何かの実験のように、興味本位で写真を撮りまくり、見せ物感を七夏ちゃんに与えてしまう事・・・。ここで俺が、更に上塗りしてはならない。写真機をケースにしまう。撮影は、これでおしまいにしようと思った。

七夏「あっ!」

無言で佇む七夏ちゃんの頭に、大きな帽子をそっとかぶせてあげる・・・。七夏ちゃんがこちらに振り返り、視線を大きく動かす・・・瞳の色も大きく変化する・・・どうやら、写真機を探しているようだ。

七夏「柚樹さん・・・写真・・・」
時崎「ん? 写真なら、もう良いのが撮れたから」
七夏「・・・・・」

七夏ちゃんは、不思議そうな顔で此方に視線を送ってくる。俺は、その翠碧色の瞳を見て安心する・・・七夏ちゃんが、しっかりと此方を見てくれている事が伝わってくるから。

時崎「そうだ、七夏ちゃん!」
七夏「は、はい!」
時崎「可愛い七夏ちゃん撮れたよ!」

俺は、さっきケースにしまった写真機を取り出し、先程撮影した七夏ちゃんの写真を表示して、七夏ちゃんに見せてあげる。七夏ちゃんが、写真機の液晶画面を覗き込ん・・・

時崎「うぇーっ!!」
七夏「ひゃっ!? 柚樹さんっ!! ごめんなさいっ!!」

写真機の液晶モニターに映る七夏ちゃんに、気を取られていた俺の瞼に、七夏ちゃんの帽子のツバが当たる・・・突然の事に変な声を上げてしまった。

七夏「ゆ、柚樹さんっ! 大丈夫ですか!?」
時崎「あ、いや、大丈夫。大袈裟な声を出して、ごめん」
七夏「そんなっ! 私のほうこそ、すみませんっ!! 目に入ってませんか?」
時崎「目には入ってないよ、瞼だから大丈夫」
七夏「良かった・・・ホントにすみません・・・」
時崎「くくっ・・・」
七夏「柚樹さん!?」
時崎「あははっ!!」

何か、七夏ちゃんには、いつも驚かされつつも、今回は大きな帽子に感謝する。

時崎「ごめん。ちょっと可笑しくて・・・。で、はい。これ!」

今度は、かぶっていた帽子を手に取り、七夏ちゃんが写真機の液晶画面を覗き込む。そこには笑顔の七夏ちゃん。

七夏「良い写真って、これですか?」

七夏ちゃんが改めて訊いて来る。何故改めて訊いてきたのか疑問に思うが、今、液晶画面に映っている七夏ちゃんは良い表情なので、良い写真である事に間違いは無い。俺は七夏ちゃんの顔を拡大表示して、

時崎「七夏ちゃん、とても良い表情で、可愛いよ!」

勢いで「可愛いよ」なんて言ってしまっているが、冷静に考えれば、かなり恥ずかしい・・・。けど、七夏ちゃんなら、素直に受け止めてくれる事が分かっているからこそ、躊躇いも無く出てきた言葉なのだと思う。俺は他の写真も七夏ちゃんに見せる。

時崎「これも良い写真だよ!」
七夏「あっ、帽子が飛んだ時の!?」

この写真は、俺が思う所、翠碧色の瞳にはなっていなかったハズだ・・・その理由は、七夏ちゃんがカメラ目線ではないからだ。七夏ちゃんの顔を拡大して見ると、やはり瞳は翠碧色で映っている。それを七夏ちゃんにも見せ、

時崎「これも良い表情だよ!」
七夏「これ、良い表情なのですか!?」

七夏ちゃんがまた改めて訊いて来る。俺は、その理由がなんとなく分かった気がする。

時崎「この写真は、自然な七夏ちゃんの姿を捉えていると思うよ」
七夏「自然な私・・・」

俺は写真機を七夏ちゃんに渡す。七夏ちゃんは、しばらくその写真を眺めている・・・何か思う所があるのだろう・・・。俺が良い写真と言った事に対して、七夏ちゃんが改めて訊いてきた理由がここにある。

七夏「柚樹さん・・・ありがと・・・です♪」
時崎「え?」
七夏「好きです!」
時崎「!!!!!」
七夏「こ、この写真・・・」
時崎「なっ、しゃっ、写真・・・か・・・」
七夏「??? どうしたの?・・・ですか?」
時崎「いや、なんでもない」

あーびっくりした・・・どうせなら一気に言ってほしかったよ・・・倒置法で会話に間が開く事の恐ろしさを実感する。さて、ここまで放ったらかしにしている理由・・・それは、恐らく・・・

七夏「この写真、自然な私・・・伝わってきます」

七夏ちゃんの瞳の色に関係なく、七夏ちゃん自身を良い写真だと思った事・・・それが七夏ちゃんにも伝わってくれていると、信じている。恐らく、他の人は撮影した七夏ちゃんの写真の瞳の色が違うとか言って、七夏ちゃん自身の事よりも、疑問を投げかける事の方が多かったのではないだろうか。そんな疑問・・・七夏ちゃんが喜ぶはずがない。

七夏「私、分からない事があります」
時崎「え? 分からない事?」
七夏「柚樹さん、この写真の私・・・」

そう言って、七夏ちゃんが自分の映った写真の液晶画面を俺に見せた時、

時崎「え? どの写真?」
七夏「え? えっと、この写真・・・あれ?」

一定時間、操作されなかった為か、画面が消えてしまったようだ。なんというタイミングだ。

時崎「くくっ・・・」
七夏「ど、どうしたのですか? ・・・柚樹さん?」
時崎「さっきから思ったんだけど、まさか狙って・・・ないよね?」
七夏「? 何を・・・ですか?」
時崎「いや、なんでもない・・・ちょっと確認したかっただけ」
七夏「???」

俺は、七夏ちゃんから写真機を受け取り、先程の写真を液晶画面に表示させる。

時崎「この写真でいいのかな?」

七夏ちゃんが写真機を覗き込む。

七夏「はい☆」
時崎「この写真がどうかしたの?」
七夏「この時の私・・・この写真と目の色が・・・違ってませんでしたか?」
時崎「!!!!!!!」

衝撃が走った・・・七夏ちゃん自身から、その言葉が出て来た事。この写真を撮影した時は、そんな事を意識してなかったので、今となっては分からないが、今までの条件で言えば、七夏ちゃんはカメラ目線ではないので、翠碧色以外の色の瞳になっていた可能性が高い。俺は、この写真を撮影した時の事を素直に言葉にする。

時崎「正直なところ、分からない」
七夏「え?」
時崎「この写真を撮った時は、自然な七夏ちゃんの姿しか考えてなかったから・・・」
七夏「自然な・・・ありがと・・・です」

そう言うと、七夏ちゃんは、とても優しい表情で此方を見つめてくる。

七夏「私、自分の目の色が変わるらしいのですけど、それが分からなくて・・・」

・・・「分からなくて」・・・一瞬、目の色が変わる理由が・・・とも思ったが「目の色が変わるらしい」という言葉から、七夏ちゃん自身は七色の瞳には、感覚されていないという事のようだ。

時崎「分からない?」
七夏「はい・・・」
時崎「ひとつ、訊いてもいいかな? あ、無理して答えなくてもいいよ」
七夏「はい」
時崎「七夏ちゃんは、自分の瞳の色は何色に見えるの?」
七夏「えっと・・・柚樹さんの撮ってくれた、この写真の色と同じです」
時崎「・・・翠碧色か・・・」
七夏「すいへきいろ???」
時崎「あ、緑青のような色の事」
七夏「私・・・目の色が虹色に見えるって言われても、分からないのです・・・」
時崎「虹色・・・」

俺は、七夏ちゃんの「ふたつの虹」に魅せられた事を思い出す。そこから不思議な虹を追いかけ始めた事も・・・。虹色という言葉は、特定の色を指す言葉ではないが、不思議な虹の持ち主は、その事が分からない・・・こんな事って・・・・・。

七夏「私には、虹色・・・本当の虹の色も、分からないみたいで・・・」
時崎「え?」

今、七夏ちゃんが話した事は、自分の瞳の色の事だけでなく虹色そのもの、つまりは、本当の虹の事も含まれている!? そうか! 七夏ちゃんが、虹に対してあまり良い素振りを見せなかった理由が、ここにあったのかっ!!! だとしたら、七夏ちゃんと初めて出逢ったあの時、俺は、とんでもなく失礼な事を、七夏ちゃんにしていた事になる・・・。

時崎「七夏ちゃん! ごめん!!!」

考えるよりも、先に言葉が出ていた。

七夏「え?」
時崎「七夏ちゃんと初めて逢った時、いきなり虹の話とか写真とか見せたりして・・・」
七夏「あ、だって、柚樹さん知らなかった事ですから・・・」
時崎「ホントごめん!!!」
七夏「それに、あの時、柚樹さんが気を遣ってくれている事は、伝わってきましたから」
時崎「・・・ありがとう・・・七夏ちゃん」
七夏「くすっ☆」
時崎「今度から、虹の話、控えるようにするよ」

俺がそう言うと、七夏ちゃんは、

七夏「控えなくても、今までどおりでいいです☆ 柚樹さん!」
時崎「え?」
七夏「柚樹さんは、虹・・・どんな色に見えますか?」

七夏ちゃんから、質問をされた。これは答えない訳にはゆかない。

時崎「虹は・・・七色に見えるよ」
七夏「なないろ・・・普通そうみたい・・・ですね」

「普通」・・・何に対して普通なのかという事だが、ここでは「一般的に」とか「多くの人が」とかいう解釈だろう。七夏ちゃんが、ここで「普通」という言葉を使ってきたという事は、自分は普通じゃないという事を認識した上での事だろう・・・そして、この「普通じゃない」は、劣等感であろう。俺にとって普通とは、自分自身のものさしでしかない。七夏ちゃんが見た虹は、七夏ちゃんにとって、それが普通の事だと思う。そこに優劣なんて存在しないと思う。

時崎「七夏ちゃんは、虹・・・どんな色に見えるの?」
七夏「えっと、緑色・・・ちょっと青色もあるかな・・・」
時崎「という事は、翠碧色か・・・」
七夏「翠碧色・・・」
時崎「七夏ちゃんが見ている自分の瞳と同じ色・・・という事になるのかな?」
七夏「私、虹が虹色に見えなくて・・・それで、他の人とも意見が合わなくて・・・」

七夏ちゃんが昔の出来事を話し出した。

七夏ちゃんが、虹に対してあまり良い反応をしないのは、七夏ちゃん本人には虹は七色に見えず、翠碧色に感覚される為であり、他の人と意見が合わないから。七夏ちゃんが、小学生の時に、学校の野外授業で風景画を描いていたら、偶然、虹が現れた。クラスの皆は、描いた風景画に虹を描き込む・・・七夏ちゃんも同じく・・・。ところが、クラスの一人が七夏ちゃんの描いた虹を見て「なんだ? その色、おいっ! 水風の虹が変だ」と言い、からかわれ始める。そんな七夏ちゃんをかばったのが、天美心桜さんであった事。以降、二人は親友となっているようだ。
七夏ちゃんは、虹が七色に見えていない。緑・青緑・青の3色程度らしい。虹以外の色についてはどうなのだろうか?

時崎「でも、七夏ちゃんにとっては、翠碧色の虹って、普通の事なんでしょ?」
七夏「翠碧色の虹・・・」
時崎「俺は、七夏ちゃんにしか見えない翠碧色の虹、見てみたいなーって、思うよ!」
七夏「・・・・・」

七夏ちゃんは、遠くの水平線を眺めている。俺も遠くの水平線を眺めてみる・・・。
そのまま、どのくらいの時間が経過したのか分からないが、遠くから学校のチャイム音が耳に届き、空の色が茜色になりかけている事に気付かされる。

七夏「柚樹さん・・・ありがとう・・・です」

七夏ちゃんの小さなその言葉は、すぐ波音にかき消されたが、俺には深く刻み込まれた。
ここまで話してくれた七夏ちゃんの力になれる事はないかと思い始めている自分に、大きな波音が、後押ししてくれるように思えるのだった。

第七幕 完 

----------

次回予告

虹の心が繊細な存在であると気付いた時、本当の心は見えなくなっていた。

次回、翠碧色の虹、第八幕

「閉ざされた虹」

過去を取り戻す事はできない・・・けど、思い出の上書きは出来ると信じたい!!
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