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3-1.誰が駒鳥と契約したの?
しおりを挟むチェスターがお客人を伴ってやって来る当日、宮は朝から準備で落ち着かなかった。ジーンの指示で、侍女たちは、上等の花茶や料理長の心づくしのお菓子を用意し、庭園に咲いた花を刈り取って宮の中を飾り、常ならぬ華やかさを演出した。
俺の宮にお金がないことを忘れさせる風情を、作り上げていたのだ。
俺の宮は、魔道具だけは最新型なので、全体の風景がすっきりしていて少し飾ると美しく見える。魔道具の無駄な回路を、全て排除した結果だ。
俺は朝から湯浴みをさせられ、張り切ったジーンの指示を受けた侍女に磨かれ、昼間の会合に相応しい程度に飾られた。肩下まである橙色の髪はゆるく結われて銀の髪留めで飾られ、白いフリルのブラウスに白地に橙色の糸で刺繍をしたベスト、俺の瞳と同じ蒼天色のジャケットを着せられる。準備が終わった時点で、俺は既に疲労困憊していた。
「サルビア殿下、お綺麗でいらっしゃいます」
「ジーン、俺はどんな格好でもいいのだけれど」
「サルビア殿下は、もう少し『花の名の王子』としての自覚をお持ちくださいまし」
来客がどのような人かわからないのだから、美しく着飾るべきだとジーンに説教された。
俺の宮には、お金がないのに。
あるものをうまく着回ししていくしかないのだとわかっているのに、ジーンは俺を飾ることに力を入れたいのだ。
「チェスター殿下も来られるのですから、もっと着飾っても良いぐらいでございます」
何度でも言う。俺の宮にはお金がないのに。
これで精いっぱい着飾ることができていると俺は思っている。
俺は動きやすかったらよいのであるが、来客がある以上、宮の主人としてはそうはいかない。このようなことに気を使う生活がいつまで続くのかと思い、ため息を吐いた。
チェスターが時間通りに来訪したとの知らせが入り、出迎えの準備をする。お客人は、どのような人なのだろうか。事前の情報を、何も与えられていないのだ。
「サルビア、時間を取ってもらって嬉しいよ。相変わらず美しいね」
「チェスター殿下、ご機嫌麗しゅう。わざわざこのように離れた宮までお運びくださいまして、ありがとうございます」
チェスターとの舌を噛みそうな挨拶の後、来客を招き入れる。
「サルビア、今日のお客人は初対面ではないはずだ。」
入って来たのは、黒い髪の男。瞳は透き通った翠玉。男らしい綺麗な顔。
チェスターの言う通り、俺はこの人と初対面ではない。
「サルビア殿下、ファルでございます。記憶に残していただいてますでしょうか」
「ファル…覚えているに決まっています。本物?」
「はい、お久しぶりでございます」
翠玉の瞳が俺を見つめ、そしてそれは細められて笑顔が作られる。ファルがそこにいる。
ファルは、自分の記憶より大人の男になっていた。声は、声は同じだ。懐かしい。幻ではないのだろうか。
十三歳の時に壊された日常が、頭の中に蘇る。幸せだったあの頃の記憶が。
周囲の風景が歪んで見える。
「サルビア?」
「サルビア殿下……」
最初は、どうしてなのかわからなかった。なぜ、風景が歪んで見えるのか。なぜ、チェスターとファルが俺を見つめて驚いた顔をしているのか。なぜ、あのジーンがおろおろしているのか。
あまり見つめるから何かあるのかと顔を触ったら、頬が濡れている。
どうやら俺は泣いていたらしいとその時にわかった。
「擦ってはいけません。赤くなりますよ」
ファルが手巾で俺の目元を押さえるようにして涙を拭ってくれた。
「ごめん…ごめんなさい…泣いてしまって」
「いや、驚かせようと誰を連れてくるのか伝えていなかったわたしが悪かった」
チェスターの謝罪に、俺は首を横に振った。チェスターは、俺のためにお膳立てしてくれたのだ。
「チェスター殿下、懐かしい人に会う機会をくださって感謝いたします。
ファル、久しぶりに会えてうれしく思います。こんなところまで来てくれてありがとう」
人前で泣くなんてみっともない。王子教育が足りないと、ジーンに怒られてしまいそうだと思った。
気を取り直して笑顔を作り、ファルの手を取って両手で握った。ファルの目が優しく細められたのを見て、安心する。懐かしい笑顔だ。
ファルには、昔のような言葉遣いで話して欲しいと、お願いした。最初は拒まれたけれど、気持ち悪いからと無理矢理承諾させたのだ。せめて言葉だけでも、昔に帰らせて欲しい。
ジーンがとっておきの白磁の茶器に花茶を淹れて供し、色とりどりのお菓子を並べた。料理長が、無理を聞いてくれたのがわかる。ジーンも、上手に頼んでくれたのだろう。
「サルビア殿下の実家の人たちには、今は、俺の商会の支店で仕事をしてもらっているんだ。君のお爺さんの技術は、素晴らしいからね。ご家族はみんな元気だよ」
そう話すファルが、優雅な仕草でお茶を口にする。ファルのことは、昔からなんとなく優雅で上品な人だと思っていた。俺がいた平民街の商人とは、少し違う雰囲気があったのを覚えている。
「ファルの支店とは……どこなの……?」
「俺はいくつかの支店を持っている。この五年で、かなり商売を手広くできるようになったんだよ」
困ったように笑ったファルは、俺の質問には明確に答えてはくれなかった。ここでは、正確な場所は明かせないのかもしれない。
「これは、サルビア殿下が気に入るかと思って、贈り物として持ってきたのだけれど……」
ファルが俺の前に出したのは、魔道具用の工具を納めて持ち運べる鞄だった。俺が望むような、素晴らしいものだ。軽くて小さめなのに、材料を入れる場所もある。
あとは、魔道具の細工のときに卓に広げておくと便利な、つるりとした摩擦の少ない布帛。俺が欲しがるものばかりだ。ファルには、俺の欲しいものがわかるのだろう。十三歳の時から、俺の欲しいものが変わっていないのかもしれない。
「ああ、素敵だ。これがあれば散らからないから、ジーンに怒られなくて済むね」
チェスターが大笑いして、ジーンが睨んでいる。本当のことだから仕方ないし、ジーンはお客人の前で表情を変え過ぎだと思う。
「ところでサルビア、ファルが、サルビアが成人したら契約を結ぶという取り決めをしていたと言うのだが。いつまでも一緒にいるというような」
チェスターが、俺の様子をうかがうように尋ねてきた。俺が王宮に来る前の話だ。そう、俺はファルと専属契約をするという約束をしていた。
本当に、子どもの口約束になってしまったけれど。
「はい、そういう話は確かにしていました。専属契約をすると。でも、俺が王宮に来てしまったので……」
「そうか、専属契約か。本当のことだったのだな」
「言った通りでしょう?チェスター殿下。ずっと俺と一緒にいてくれると言っていたのです。ですからチェスター殿下、俺とサルビア殿下を契約させてください」
「ファル?」
ファルがチェスターに訴えているけれど、そんなことをできるわけがない。俺はこれから誰かのところに褒賞として与えられるのだから、魔道具技師として働くことはできないのだ。
「サルビアはどう思っているのだ?ファルと一緒にいたいのか?」
チェスターが面白いことを聞いているような顔をして、俺の顔を覗き込んで聞いてくる。
それは……
「好きな魔道具をたくさん作らせてくれるという話でしたから……、ファルと契約して、一緒にいたかったのです。でも……」
俺が『花の名の王子』として、いつか褒賞として嫁いでいくなら、そんなことはできない。
俺がそう言おうと思った時に、笑顔で頷いていたチェスターが思いがけないことを言い出した。
「よし、サルビアは魔道具を作れるならば、ファルと一緒にいることができるよう契約をするのだな。では、それで話を進めよう」
「は?」
チェスターは、何を言っているのだろう。
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