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73.誰が主役か
しおりを挟む「クリスティアン様っ! リリィがっ! 貴方の運命の番が帰ってまいりました!」
淑女とは思えぬ落ち着きのない足音を立てて駆けこんで来たのは、リリィ・ヒューム伯爵令嬢だ。そう、この世界の主人公であり、クリスティアンの運命の番であると言ってアラステアを排除しようとした人物である。本人の主張とは裏腹に、主人公ノエルよりも更にその行動は空回りしていたのであるが。
ヒューム伯爵令嬢は、身体に合っていない白いドレスを着ている。おそらく、デビュタントのときに着る予定だったドレスなのだろう。それなりに手をかけた様子は見えるが、裾が短く、全体に緩んでいる。そして、宝飾品は全く身につけておらず、パサついて艶のない髪を簡素な髪留めでとめているだけだ。修道院では貴族令嬢と同等の身の手入れをすることはできない。やつれた顔や手入れのできていない肌も、ここでは場違いにしか映らない。
そもそも、どうして修道院にいるはずのヒューム伯爵令嬢がこの場にいるのか。彼女が修道院にいることを知っているかつての同級生たちは、不思議なものを見るような目をしていた。
卒業生の家族に紛れて入ったのだろうが、この姿を誰にも見とがめられなかったのだろうかとクリスティアンは疑問に思う。
闖入者を睨みつけながら、クリスティアンはアラステアを自分の腕の中に抱きしめた。そして護衛騎士は、速やかにクリスティアンとアラステアを守る態勢に入り、ヒューム伯爵令嬢をバルコニーに入る手前にとどめた。
「あれはヒューム伯爵令嬢……? どうして……」
「あれ、彼女は退学になったのではないの?」
「……ヒューム伯爵令嬢は、一体何を言っているのだ」
「随分と、酷い身なりだな……」
ヒューム伯爵令嬢の叫び声はパーティー会場に響き渡っていた。会場全体が騒めいているため、穏便に物事を進めるのは難しいだろう。しかし、この場は卒業生のために設えられている。一年生であるクリスティアンは、この場を騒がせることを躊躇っていた。
騒ぎ出す前に拘束したかったが、顔を見た瞬間から大声を上げられてそのような措置をするのは困難だ。
この後は、拘束してもしなくても、彼女は大声を上げて暴れるだろう。それを収めるのは、今日の脇役である自分たちでなく、主役なのではないのだろうか。
クリスティアンはそう考えながら、目線で護衛騎士に合図を出す。
「クリスティアン様っ! そのオメガは、わたしを修道院に無理矢理放り込んだのですっ! わたしがクリスティアン様の真実の愛の相手だから、運命の番だから。そのことを妬んだに違いありませんわっ!」
「黙れ。妄想を喚くでない。無礼であるぞ」
「クリスティアン様は騙されているのですっ! 早く真実の愛に気づいてくださいっ」
ヒューム伯爵令嬢の暴言に対するクリスティアンの低い声は、凍り付くほど冷たいものであったが、本人には全く響いていない。むしろ、クリスティアンを説得しようとして、彼女は更に声を張り上げていた。
そして、会場は静まり返り、この突如始まった寸劇に皆集中している。
「さあっ! わたしを陥れたそのオメガを断罪してくださいっ!」
ヒューム伯爵令嬢のひときわ大きな声が、卒業パーティーの会場に響き渡る。
断罪するという言葉は、ヒューム伯爵令嬢が語った薄い本には出てこなかった言葉だ。その言葉に違和感を覚えたクリスティアンは、アラステアを強く抱きしめ、目の前の身の程知らずな令嬢を冷たく睥睨した。
自分たちが主役でないパーティーで、断罪劇などあり得ない。そう思いながらクリスティアンは主役の登場を待っていた。
「我らの卒業を祝うパーティーで騒ぐ、無礼者がおるようだな。疾く拘束してこの場から排除せよ」
「はっ!」
アルフレッドの命を受けた女性の護衛騎士が、暴れるヒューム伯爵令嬢を拘束する。
「何をするのっ! 放しなさいよ。わたしは、わたしは主人公なのよっ!」
ヒューム伯爵令嬢は、スカートが捲りあがるぐらいに暴れ、大声を上げ始めた。護衛騎士も令嬢だからと手加減をしていたのだが、それどころではなさそうだ。
最終的に護衛騎士は、ヒューム伯爵令嬢を気絶させ、その場から担ぎ出した。
この世界の主人公はヒューム伯爵令嬢ではないし、今日の主役は卒業生だ。ヒューム伯爵令嬢の振る舞いは幾重にも許されないものである。他人の祝い事を壊しても良いと考える人間なのだから、与える罰も相応のものにすれば良いと三人の王子は同様に考えていた。
「皆、とんだ余興があったが、まだパーティーがお開きになるまでは時間がある。残りの時間も楽しもうぞ」
「新しい発泡酒を開けて、冷たいうちにもう一度乾杯しよう! みんな早く、グラスを持ってね」
アルフレッドが場を仕切り、レイフが場を盛り上げる。第一王子と第二王子の連携で落ち着きを取り戻した会場は、再度楽しもうという盛り上がりに向かっていった。
「アルフレッド兄上、騒ぎを収めてくださってありがとうございます」
「いやなに、主役である我らが仕切るべきと其方も思ったのであろう。其方に落ち度はない」
「レイフ兄上、お騒がせいたしました。申し訳ありません」
「お前は被害者だろう。それに……お前の可愛い婚約者も被害者なのだから、ちゃんと労わってやれよ。この後は主役の俺たちで盛り上がるから、気にするな」
クリスティアンはアラステアの手を引いてアルフレッドとレイフに詫びと礼を言いに行く。二人の温かい言葉を受けているのを聞いて、アラステアは少しばかり安心していた。
ローランドが、アラステアの背中を撫でて「よく頑張ったね」とほめてくれたのは恥ずかしい。アラステアはただクリスティアンに抱きしめられ、守られていただけなのだから。
クリスティアンは、アラステアと手を繋いだままその足で会場の外に出る。
せっかくアラステアに伝えようとした言葉も、クリスティアンは口に出せていないままなのだ。
パーティーのためにライトアップされた庭園の噴水の前まで来ると、クリスティアンは立ち止まり、アラステアと向かい合う。
「邪魔が入ってしまったけれど、今度こそアラステアに大切なことを伝えたい」
「はい、クリスティアン様、覚悟はできています」
「覚悟……?」
「はい」
クリスティアンは、アラステアの覚悟という言葉が気になったが、それは後で解決することにした。それよりも、今は自分の言葉をアラステアに伝えなければならないのだ。
クリスティアンは、アラステアの両手を強く握りしめてから跪く。そして、アラステアの右手を自分の口元に引き寄せてからその大切な言葉を紡いだ。
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