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42.香油の調香室
しおりを挟む『コイレボ』においての次の大きなイベントは、冬の祭礼となる。
それまでは、主人公が悪役令息、悪役令嬢にいじめられる小さなイベントが続くことになるのだ。
当然、アラステアもローランドも主人公ノエルと関わりを持つ気はない。その小さなイベントは起こらず、穏やかに冬の祭礼まで過ごすことができるだろう。
アラステアは、クリスティアンとともにコートネイ商会が新しく作った化粧品の専門店に来ていた。ここには、香油の販売部門があり、ガラス越しに香油のブレンドをしているのを見ることができる。
「こちらが香油の調香を行う部屋です」
「ああ、客が自分の香油が仕上がるのを見るというのも、なかなか良い考えだな」
「ええ、すべての調香を見せるわけではありませんが、好評です」
ジェラルドの説明を聞きながら、クリスティアンは調香室の中を観察していた。
ガラス張りになった調香室には、当然部外者は入れない。出来上がったばかりの自分だけの香油を購入するというシステムは、貴族や富裕な商人から好評を得ていた。
「まあ、こちらではクリスティアン殿下がお使いの香油を調合していませんけれどね」
「ああ、そうなのだな」
コートネイ商会……ジェラルドが研究に力を入れている香油については、本人の好みに合わせて調合することには成功していた。しかし、フェロモンを感知しにくくなるという効果となれば、医療に関する分野となる。それを商品価値に付加することについては現在申請中の段階であり、医療局からは認可されていない。
アラステアとクリスティアンが使用している香油が認可されれば、それは医薬品扱いになるため、薬品を作る認可がなされている工場で作ることとなるだろう。
香油がなかなか認可されないのは、疑似フェロモンを香油によって作ることができる可能性があるからだ。オメガやアルファの発情を誘発する薬はあるが、それは医療目的での使用のみが許されている。しかし、いつの時代になっても非合法にそう言う薬を扱う闇業者はいるもので、現在のオネスト王国においても粗悪な誘発剤が密かに取引されている。
疑似フェロモンを香油で作ったとしても、誘発剤を使うほどのことは起こらない。その効果は一時的だと思われている。しかし、それによってそれこそ伝説の『運命の番』を騙ることができるようになるかもしれない。医療局はそのようなことも考えて認可の書類を精査しているようだ。
ジェラルドは『運命の番』など馬鹿馬鹿しいと思っていたのに、自分の弟であるアラステアがそのような妄言を吐く令嬢が起こした事件に巻き込まれてしまった。そのせいで、認可が慎重であることに致し方ないという気持ちを持つに至ったのだ。それはジェラルド自身しか知らないことであるが。
「それで、クリスティアン殿下はアラステアのフェロモンを感知できていらっしゃいますか?」
「いや、かなり近づかないと感じ取れないな。しかし、それが香油の効果によるものかどうかはまだわからないだろう」
「ああ、確かにそうですね」
「僕の前でそのような話をされると、恥ずかしいです」
「ああごめんね、アラステア。
つい、香油の効果をクリスティアン殿下に話を聞く機会は逃したくないと思ってしまって」
アラステアにはまだ発情期が来ていない。したがって、アラステアからはオメガフェロモンはほとんど出ていないだろうと考えられる。その状態で抑制剤を常に摂取していれば、ほとんどのアルファはアラステアのフェロモンを感知することはできないだろう。
ジェラルドとクリスティアンの間で自分の発情期が話題になっているようなものなのだから、アラステアが恥ずかしいと思うのは当然のことだろう。
「ああでも、クリスティアン様は香油の効果を確認するために時々僕の襟足に顔を近づけていらっしゃるのですね。いつもどうしてだろうと思っていたのです」
アラステアは、クリスティアンの言葉を聞いて、納得したように手を叩いた。
クリスティアンが髪の香りを確かめたり襟足に顔を埋めたりするのを、アラステアは恥ずかしいと思っていた。だが、ジェラルドに香油の効果を報告するためなら仕方ないことだ。
ジェラルドの研究のためにクリスティアンが自分との距離を縮めているのだということを理解したアラステアは、可愛らしい笑顔を浮かべて二人を見た。
実際のところは、まったくクリスティアンの行動を理解してはいなかったのであるが。
「あ、アラステア。いやそれは」
「クリスティアン殿下、我が弟にそのようなことをされていると……?」
「僕との距離によって香油の香りを確かめていらっしゃるのでしょう? あんなに近づけるのは婚約者にしか許されませんからね」
「……ほう」
ジェラルドはクリスティアンに非難がましい目を向けたが、アラステアの手前それ以上の言及はしなかった。そして、楽しそうに微笑むアラステアを見て、婚約関係がうまくいっているのだろうとジェラルドは安堵する気持ちもあったのだ。
優秀で美しい第三王子クリスティアン。彼が婚約者をなかなか決めない理由についての憶測は、社交界で様々取り沙汰されていた。
ジェラルドは、学院在学中にアルフレッドからラトリッジ侯爵家とコートネイ伯爵家の跡継ぎ問題を聞かれた。そして、コートネイ商会をジェラルドが継ぐのであれば早く後継問題をクリアした方が良いと助言されたのだ。
クリスティアンがアラステアに婚約を申し込んだと聞いたときには、そのことを思い出した。それまでも、アラステアが学院に入学してから、ローランドとともにクリスティアンとも親しくしていると聞いていた。王家がラトリッジ侯爵家を利用しようとしている可能性も考え、コートネイ商会の伝手を使って調査したが、第三王子の悪い噂は全く出てこなかった。いや、根拠のないふわりとした印象しか掴むことができなかったというのが正解だ。
しかし二人の様子を見て、そのようなことは杞憂だったのだと思った。実際に会ってみれば、クリスティアンは明らかにアラステアにご執心であることがはっきり見て取れた。ジェラルドは二人の婚約を推した。
最初は友情しか持っていなかったように思われるアラステアも、だんだんとクリスティアンに愛情を持ち始めているのが見て取れる。
ジェラルドは、アラステアの幸せとラトリッジ侯爵家の繁栄、それにコートネイ商会の隆盛を確信していた。
アラステアには、そのようなジェラルドの心情は全く伝わっていなかったけれど。
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