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41.薄い本
しおりを挟む音楽祭は、前日のカフェテリアの騒ぎはまるでなかったかのような雰囲気で終了した。
むしろ、王子とその婚約者の演奏があったために盛況であったといえる。
午後からの武術祭も、『コイレボ』のイベントにあたるものはなく、例年通りの華やかさで観覧者を喜ばせた。
ノエルはエリオットと一緒に観覧席で武術祭を見ていた。その姿を見たアラステアは、このまま穏便に二人が幸せになってくれれば丸く収まるのではないかと思った。
現実問題として、ノエルがこのまま大人しくなることはないだろうけれど。
ヒューム伯爵令嬢は、公には同じ年に生まれた王子と『運命の番』であるという妄想に取りつかれていたこととなり、医療施設がある修道院に送られた。そこで数年を過ごし、症状が改善すれば一般修道院に移される。未成年であることから、本人の態度によっては修道院から出ることも可能である。しかし、貴族令嬢が若いうちから数年を修道院で過ごしてから、市井で生活することはかなり困難なこととなるだろう。
ヒューム伯爵令嬢は、恋愛小説をたくさん読んでいた。その影響で自分が第三王子の『運命の番』だという夢を現実に起きることだという妄想に取りつかれてしまったのだ。
アラステアは、そんなふうに噂され、やがて忘れられていく彼女のことを哀れだと思った。
「それで、ヒューム伯爵令嬢は『コイレボ』とかかわりのあるような記憶のある人だったの?」
ウォルトン公爵邸の四阿で、ローランドがアルフレッドとクリスティアンに質問をした。その声を聞きながら、アラステアは黙って薔薇の香りのお茶を飲み込む。
もちろん、アラステアもローランドと同じことを聞きたいと思っていた。しかし、それをストレートに聞くことはまだできないアラステアであった。
「ああ。どうやらヒューム伯爵令嬢も物語の記憶があったようだ。しかし、わたしが知っている『コイレボ』を改変したものの記憶だったのだが」
「改変したもの……ですか?」
自分の言葉に反応するアラステアの方を見て、クリスティアンは頷いた。
クリスティアンは、ヒューム伯爵令嬢の尋問内容を直接聞くことができるよう手配をした。通常、騎士団が尋問を行う部屋には、話を聞くことができる隣室がついている。尋問の日にそこへ足を運び、その内容を聞く。もちろん、事前に尋問する騎士に質問内容を渡してある。
「今後も運命だと付きまとわれては困るので、その妄想の出所を確認したい」
クリスティアンがそう告げれば、騎士は喜んで協力してくれた。おかげでクリスティアンは、ヒューム伯爵令嬢の記憶にあったという物語がどういうものかを推測することができたのだ。
「ヒューム伯爵令嬢の記憶にあったのは、どうやら『コイレボ』を好んでいる者が設定を使って作った二次創作による物語のようであった」
「二次創作による物語? どういうことなの?」
クリスティアンの言葉にローランドが首を傾げた。もちろん、アラステアもすぐにはわからない話であるし、アルフレッドも事前にクリスティアンから説明を受けていたから理解できた話だ。
クリスティアンの夢の記憶にある世界では、好きな物語の人物やその設定を使って新しい物語を作ることが盛んだった。それは文字通り『二次創作』と呼ばれ、物語や絵物語として創作され、場合によってはそれを印刷して『薄い本』を作り、皆に広めるということもなされていた。
どうやらヒューム伯爵令嬢には、『コイレボ』の設定を使った物語には登場しない第三王子と『運命の番』となる伯爵令嬢のことを書いた薄い本を読んでいた記憶があるようだ。
ダンスの合同授業で運命の出会いを果たした二人はその後控室で結ばれる。第三王子の婚約者はそれを知って愛を讃え、静かに身を引く。そして、公爵位を賜った第三王子と伯爵令嬢はたくさんの子どもに恵まれて幸せに過ごす。
その薄い本に書かれていた第三王子の婚約者は女性オメガであったため、ヒューム伯爵令嬢は男性オメガであるアラステアに違和感があったので、廊下で絡むことになったのだという。
「運命の番というのはフェロモンの相性が良いのだと言われていますが、そういう感覚は、クリスティアン様にはあったのですか?」
「いや、まったくなかったな。彼女も、あのあとフェロモンの数値に変化があったということはないようだ」
『運命の番』だと考えていたのであれば、何かしら体に兆候でもあったのではないかとアラステアは疑問を抱き、それを口にした。しかし、クリスティアンにはそのようなことはなかったと断言した。
そう、ヒューム伯爵令嬢は、最初にアラステアに絡んだ時にクリスティアンと近い距離で遭遇している。そこで『運命の番』だと認識されなかったのだから、現実問題としては物語通りにならないと考えるべきであった。
それは、主人公ノエルも同様だ。彼の場合は、物語の記憶があるクリスティアンに進行を邪魔されてはいる。しかし、物語が変化していることは認識できるはずなのだから、物語以外の行動をしなければ自分の望みは叶わないのではないのだろうか。
どうして、主人公を名乗る人たちは自分の記憶にある物語と合致しない部分に目を向けないのだろうか。自分の都合の良い結末が必ず訪れると思っているのだろうか。
アラステアは、温くなった薔薇の香りのお茶を再び口にした。気持ちを落ち着けるために。
「しかし、その二次創作とやらもこの世界に影響を与えている可能性があるのか。
ということは、ノエル・レイトンの頭の中の物語が、クリスティアンのものと異なっているかもしれぬのだな」
「……そうですね。ノエル・レイトン自身に探りを入れる時期に来ているのかもしれません」
アルフレッドとクリスティアンは今後の対応を考える。『強制力』とやらで、大切な婚約者が傷つけられることがないようにと考えてのことだ。
クリスティアンはその赤い瞳でアラステアの紫の瞳を見つめてから、手を握った。
「必ずわたしたちが、二人を守ってみせるよ」
「ああ、我らが必ず守る」
ローランドはアルフレッドに抱き寄せられて告げられた言葉を聞いて、静かに微笑んだ。
ローランドにはアルフレッドの気持ちが正確に伝わっているだろうが、アラステアにはクリスティアンの気持ちが正確に伝わっていないことだろう。
アルフレッドとローランドは、目の前で手を握り合うクリスティアンとアラステアを見て、何とも言えないもどかしさを感じていた。
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