上 下
41 / 85

41.薄い本

しおりを挟む


 音楽祭は、前日のカフェテリアの騒ぎはまるでなかったかのような雰囲気で終了した。
 むしろ、王子とその婚約者の演奏があったために盛況であったといえる。
 午後からの武術祭も、『コイレボ』のイベントにあたるものはなく、例年通りの華やかさで観覧者を喜ばせた。
 ノエルはエリオットと一緒に観覧席で武術祭を見ていた。その姿を見たアラステアは、このまま穏便に二人が幸せになってくれれば丸く収まるのではないかと思った。

 現実問題として、ノエルがこのまま大人しくなることはないだろうけれど。


 ヒューム伯爵令嬢は、公には同じ年に生まれた王子と『運命の番』であるという妄想に取りつかれていたこととなり、医療施設がある修道院に送られた。そこで数年を過ごし、症状が改善すれば一般修道院に移される。未成年であることから、本人の態度によっては修道院から出ることも可能である。しかし、貴族令嬢が若いうちから数年を修道院で過ごしてから、市井で生活することはかなり困難なこととなるだろう。


 ヒューム伯爵令嬢は、恋愛小説をたくさん読んでいた。その影響で自分が第三王子の『運命の番』だという夢を現実に起きることだという妄想に取りつかれてしまったのだ。

 アラステアは、そんなふうに噂され、やがて忘れられていく彼女のことを哀れだと思った。



「それで、ヒューム伯爵令嬢は『コイレボ』とかかわりのあるような記憶のある人だったの?」

 ウォルトン公爵邸の四阿で、ローランドがアルフレッドとクリスティアンに質問をした。その声を聞きながら、アラステアは黙って薔薇の香りのお茶を飲み込む。
 もちろん、アラステアもローランドと同じことを聞きたいと思っていた。しかし、それをストレートに聞くことはまだできないアラステアであった。

「ああ。どうやらヒューム伯爵令嬢も物語の記憶があったようだ。しかし、わたしが知っている『コイレボ』を改変したものの記憶だったのだが」
「改変したもの……ですか?」

 自分の言葉に反応するアラステアの方を見て、クリスティアンは頷いた。


 クリスティアンは、ヒューム伯爵令嬢の尋問内容を直接聞くことができるよう手配をした。通常、騎士団が尋問を行う部屋には、話を聞くことができる隣室がついている。尋問の日にそこへ足を運び、その内容を聞く。もちろん、事前に尋問する騎士に質問内容を渡してある。

「今後も運命だと付きまとわれては困るので、その妄想の出所を確認したい」

 クリスティアンがそう告げれば、騎士は喜んで協力してくれた。おかげでクリスティアンは、ヒューム伯爵令嬢の記憶にあったという物語がどういうものかを推測することができたのだ。


「ヒューム伯爵令嬢の記憶にあったのは、どうやら『コイレボ』を好んでいる者が設定を使って作った二次創作による物語のようであった」
「二次創作による物語? どういうことなの?」

 クリスティアンの言葉にローランドが首を傾げた。もちろん、アラステアもすぐにはわからない話であるし、アルフレッドも事前にクリスティアンから説明を受けていたから理解できた話だ。

 クリスティアンの夢の記憶にある世界では、好きな物語の人物やその設定を使って新しい物語を作ることが盛んだった。それは文字通り『二次創作』と呼ばれ、物語や絵物語として創作され、場合によってはそれを印刷して『薄い本』を作り、皆に広めるということもなされていた。
 どうやらヒューム伯爵令嬢には、『コイレボ』の設定を使った物語には登場しない第三王子と『運命の番』となる伯爵令嬢のことを書いた薄い本を読んでいた記憶があるようだ。
 ダンスの合同授業で運命の出会いを果たした二人はその後控室で結ばれる。第三王子の婚約者はそれを知って愛を讃え、静かに身を引く。そして、公爵位を賜った第三王子と伯爵令嬢はたくさんの子どもに恵まれて幸せに過ごす。
 その薄い本に書かれていた第三王子の婚約者は女性オメガであったため、ヒューム伯爵令嬢は男性オメガであるアラステアに違和感があったので、廊下で絡むことになったのだという。

「運命の番というのはフェロモンの相性が良いのだと言われていますが、そういう感覚は、クリスティアン様にはあったのですか?」
「いや、まったくなかったな。彼女も、あのあとフェロモンの数値に変化があったということはないようだ」

『運命の番』だと考えていたのであれば、何かしら体に兆候でもあったのではないかとアラステアは疑問を抱き、それを口にした。しかし、クリスティアンにはそのようなことはなかったと断言した。
 そう、ヒューム伯爵令嬢は、最初にアラステアに絡んだ時にクリスティアンと近い距離で遭遇している。そこで『運命の番』だと認識されなかったのだから、現実問題としては物語通りにならないと考えるべきであった。

 それは、主人公ノエルも同様だ。彼の場合は、物語の記憶があるクリスティアンに進行を邪魔されてはいる。しかし、物語が変化していることは認識できるはずなのだから、物語以外の行動をしなければ自分の望みは叶わないのではないのだろうか。

 どうして、主人公を名乗る人たちは自分の記憶にある物語と合致しない部分に目を向けないのだろうか。自分の都合の良い結末が必ず訪れると思っているのだろうか。

 アラステアは、温くなった薔薇の香りのお茶を再び口にした。気持ちを落ち着けるために。

「しかし、その二次創作とやらもこの世界に影響を与えている可能性があるのか。
 ということは、ノエル・レイトンの頭の中の物語が、クリスティアンのものと異なっているかもしれぬのだな」
「……そうですね。ノエル・レイトン自身に探りを入れる時期に来ているのかもしれません」

 アルフレッドとクリスティアンは今後の対応を考える。『強制力』とやらで、大切な婚約者が傷つけられることがないようにと考えてのことだ。
 クリスティアンはその赤い瞳でアラステアの紫の瞳を見つめてから、手を握った。

「必ずわたしたちが、二人を守ってみせるよ」
「ああ、我らが必ず守る」

 ローランドはアルフレッドに抱き寄せられて告げられた言葉を聞いて、静かに微笑んだ。
 ローランドにはアルフレッドの気持ちが正確に伝わっているだろうが、アラステアにはクリスティアンの気持ちが正確に伝わっていないことだろう。


 アルフレッドとローランドは、目の前で手を握り合うクリスティアンとアラステアを見て、何とも言えないもどかしさを感じていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大好きな騎士団長様が見ているのは、婚約者の私ではなく姉のようです。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
18歳の誕生日を迎える数日前に、嫁いでいた異母姉妹の姉クラリッサが自国に出戻った。それを出迎えるのは、オレーリアの婚約者である騎士団長のアシュトンだった。その姿を目撃してしまい、王城に自分の居場所がないと再確認する。  魔法塔に認められた魔法使いのオレーリアは末姫として常に悪役のレッテルを貼られてした。魔法術式による功績を重ねても、全ては自分の手柄にしたと言われ誰も守ってくれなかった。  つねに姉クラリッサに意地悪をするように王妃と宰相に仕組まれ、婚約者の心離れを再確認して国を出る覚悟を決めて、婚約者のアシュトンに別れを告げようとするが──? ※R15は保険です。 ※騎士団長ヒーロー企画に参加しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【完結済】病弱な姉に婚約者を寝取られたので、我慢するのをやめる事にしました。

夜乃トバリ
恋愛
 シシュリカ・レーンには姉がいる。儚げで美しい姉――病弱で、家族に愛される姉、使用人に慕われる聖女のような姉がいる――。    優しい優しいエウリカは、私が家族に可愛がられそうになるとすぐに体調を崩す。  今までは、気のせいだと思っていた。あんな場面を見るまでは……。      ※他の作品と書き方が違います※  『メリヌの結末』と言う、おまけの話(補足)を追加しました。この後、当日中に『レウリオ』を投稿予定です。一時的に完結から外れますが、本日中に完結設定に戻します。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...