上 下
37 / 85

37.りんごの蜜漬け

しおりを挟む

 アラステアたちはローランドの家に、重奏の練習をするために集まった。
 芸術祭で披露するのは、「愛のよろこび」というロマンチックでありながら軽やかな曲だ。
 しかし、アラステアもローランドも『コイレボ』のイベントの中身が気になって仕方がないようで、些細なミスを繰り返してしまう。

「ふむ。少し休憩して、二人を落ち着けてやった方が良さそうだな」

 アルフレッドがそう切り出し、一度休憩してクリスティアンに『コイレボ』の話をするように促した。

 ローランドは侍女に命じて隣の応接室にお茶の用意をさせる。温かいお茶を飲んでから、クリスティアンは話を切り出した。

「『コイレボ』では剣術祭で優勝した攻略対象が主人公に優勝杯を贈ることになっている」
「王族は剣術祭に出場できないよね……」
「そうなのだけれど、『コイレボ』の物語の中ではそのときに好感度の高い王子が、飛び入り参加をして優勝する。主人公のために優勝杯を手に入れるという流れだ」

 ローランドの言うとおり本来、王族は剣術祭には出場できないし、ましてや飛び入り参加などという迷惑なことはご法度だ。物語だから劇的な演出になっているのだろうけれど、この現実世界では難しいことだろう。
 愛する主人公のために、決まりを破ってでも望みをかなえてやりたい。それぐらい物語の中の王子は主人公を溺愛しているという設定なのだ。
 そして、優勝杯を手に入れて主人公に手渡した者が、結ばれる相手としてほぼ決定となる。しかし、このイベントは誰も優勝杯を手に入れないということもある。攻略対象の主人公への好感度が上がっていなければ、誰も優勝しないし、結ばれる相手の決定は先送りとなるのだ。

 現在の状況では、主人公のために剣術祭に出ようという者はいない。実際、現在一番仲が良いといえるエリオットですら出場したくないと言っていたのだ。
 どう考えても、現在の状況で攻略対象から優勝杯が贈られることはないのだが、カフェテリアの様子から考える限り、ノエルはそれを諦めていないのだろう。
 ノエルの攻略はうまくいっていないどころか、別の人生を考えた方が幸せになれるのではないかという状況だといえるのであるが。


 イベントの内容を聞いてアラステアとローランドが落ち着いたのをみてから、四人は重奏の練習を再開した。
 アラステアのピアノと、ローランドのヴァイオリン、クリスティアンのヴィオラ、アルフレッドのチェロが謳い、音楽の世界を作り上げる。
 四人の息が合っているので、素人演奏でもそれなりに皆が楽しんでくれるのではないかと思われる出来栄えだ。

 侍女や護衛騎士は、四人の演奏を聴くことができる幸せを噛み締めていた。

 練習の後は、再びお茶を楽しむ時間となる。

 今日のシフォンケーキには、クリームとともにラトリッジ領で加工されているりんごの蜜漬けが添えられている。ラトリッジのりんごの蜜漬けは主に製菓用として販売されているため、そのまま食べることはあまりない。ラトリッジ領でこれを食べたクリスティアンが、その美味しさをアルフレッドに話したため、今回のお茶の席に登場することになったのだ。

「おお、本当に美味だな。製菓用の材料を、我が口にすることなどないゆえ貴重だ」
「素晴らしいでしょう。コートネイ商会の小売部門で扱えば良いのにと思ったのですが」
「そのまま食べるために作られた小さな瓶詰は、ホーリー伯爵領のものが有名ですからね。ラトリッジとホーリーで棲み分けしているような状態なのです」
「わたしたちは、アラステアのおかげで貴重なものを食べることができたのか。本当に、美味しいよ」

 アルフレッドは嬉し気にりんごの蜜漬けを口に運び、クリスティアンとアラステアが生産の現状を説明する。
 ローランドは、りんごを侍女に追加させていた。余程気に入ったのだろう。


 りんごをのせたシフォンケーキを口にしながら、アラステアはクリスティアンの話を思い出していた。そう、『コイレボ』のことだ。

 例えばアルフレッドが主人公に夢中になっていたとすれば、王族が剣術祭に出場している現実があったのかもしれない。そんなことを考えていた。

 現在のアルフレッドは、愛するローランドが、「剣術祭で活躍するアルフレッドの姿が見たい」と強く望んだ場合はどうするだろう。おそらくアルフレッドは、王族が剣術祭に出ることができる特例を作ろうと画策するはずだ。
 実際には、ローランドはそんな非常識な人物ではないからそのようなことは起きない。そして、そういうローランドだからこそアルフレッドはあれほど溺愛しているのだろうということはわかっている。
 しかし、起きたかもしれない現実について、アラステアは考えてしまうのだ。

 溺愛している者が望めば、人間は何をするのかわからないのではないだろうか。
 その非常識さを受け入れるのか、それともそれをきっかけに厭うようになるのか。

 そのときになってみないと人間の思考は、行動は、わからない。

 アラステアは、優雅にお茶を口に運ぶクリスティアンを見る。

 現在仮初の婚約者であるこの王子は、そのような溺愛からは遠いところにいるように見える。
 それとも、愛する人ができたならば、この美しい王子もアルフレッドがローランドに示すような愛を相手に向けるのだろうか。

 アラステアは、そこから先を考えることはやめた。

 なぜか、心が痛いような気がした。しかし、それにも気づかないふりをすることに決めたのだった。

 りんごの蜜漬けは、ほろ苦い思いを隠したアラステアの口の中で甘く香っていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大好きな騎士団長様が見ているのは、婚約者の私ではなく姉のようです。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
18歳の誕生日を迎える数日前に、嫁いでいた異母姉妹の姉クラリッサが自国に出戻った。それを出迎えるのは、オレーリアの婚約者である騎士団長のアシュトンだった。その姿を目撃してしまい、王城に自分の居場所がないと再確認する。  魔法塔に認められた魔法使いのオレーリアは末姫として常に悪役のレッテルを貼られてした。魔法術式による功績を重ねても、全ては自分の手柄にしたと言われ誰も守ってくれなかった。  つねに姉クラリッサに意地悪をするように王妃と宰相に仕組まれ、婚約者の心離れを再確認して国を出る覚悟を決めて、婚約者のアシュトンに別れを告げようとするが──? ※R15は保険です。 ※騎士団長ヒーロー企画に参加しています。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結済】病弱な姉に婚約者を寝取られたので、我慢するのをやめる事にしました。

夜乃トバリ
恋愛
 シシュリカ・レーンには姉がいる。儚げで美しい姉――病弱で、家族に愛される姉、使用人に慕われる聖女のような姉がいる――。    優しい優しいエウリカは、私が家族に可愛がられそうになるとすぐに体調を崩す。  今までは、気のせいだと思っていた。あんな場面を見るまでは……。      ※他の作品と書き方が違います※  『メリヌの結末』と言う、おまけの話(補足)を追加しました。この後、当日中に『レウリオ』を投稿予定です。一時的に完結から外れますが、本日中に完結設定に戻します。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

処理中です...