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第二章 いにしえの巫女
第二章 第一話
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私は目覚めようとしていた。それと同時に肌があわ立つような違和感と、かつての記憶が泥沼のような深層から浮かび上がる。だが、私はそれらを意志の力でひとまずは封じ込めた。
そもそも眠りについたのは、過去の事象から決別するためでもある。以前の記憶を蒸し返すのは無駄なことだ。もちろん、過ちから学ぶ経験や知恵もあり、それについて否定はしない。いずれにしても、覚醒したからには優先すべきことがある。まず、私はこの暗くて狭い場所から出る必要があった。
暗闇に伸ばした私の掌に硬い石の感触が響く、それは私が肉体を持った存在であることを改めて証明させる儀式のようだった。それを心地良いと感じると、私は更に腕に力を込めた。
質量のある板状の石を僅かに持ち上げると、そのまま足元に向かって動かす。蓋となっていた石板は勢いよく外側に落ちると大きな音を立てた。その騒がしさに自分でも呆れながら、力の加減を誤ったことを知る。肉体の調子を完全に取り戻すには、しばらくの猶予がいるだろう。
上部を開けると、私は慎重に身体を起こして立ち上がった。癖のない長い黒髪が身体を包む。眠りに就いた時には白絹の装束を着ていたはずだが、それらは永い眠りに耐えられなかったようだ。今は霧散したかのように僅かな繊維の欠片を残すだけである。
もっとも、目覚めた私を見つめる者など居るはずもないし、居たところで私は気にしないのだが。
身体から本能的な欲求があり、私は息を吸い込む。久しぶりと思われる空気は湿っぽくて黴臭いが、こんなものだろうと諦めた。呼吸を行なったことで、私の意識はいよいよ本格的な活動を開始する。
その場に跪き〝あの方〟への祈りを捧げ、その御声を拝聴しようと精神を集中させる。だが、期待したほどの効果はない。遙かな高みから〝あの方〟の波長を辛うじて感じられただけだ。
今はそれで満足とした私は〝あの方〟への感謝で祈りを締めくくる。このような時代だからこそ、私という存在があるのだから。だが、精神を研ぎ澄ませた私は〝あの方〟とは別の気配も感じる。不快とは言えないが、共感したいとも思えぬ気配だ。
力の程度は〝あの方〟の力に比べれば取るに足らないものだが、この時代が私の想像しうる世界であるなら、地上世界にあってはならない気質の力である。
私はこの気配こそが自分の意識を刺激した違和感であり、永き眠りから目覚めさせた原因に違いないと悟った。この気配の持ち主については、もっと詳しいことを知る必要がある。私はそう確信すると行動を開始した。
僅かに開いた窓から入る心地よい風が、鎖帷子を纏った若い男に季節の変わり目を伝えた。寒くもなく、暑くもない春から初夏に移り変わるこの頃だからこそ味わえる優しい微風だ。こんな夜は外で月を眺めながら酒を飲むのも悪くないかもしれないと思う。
「良い風だね、グリフ!」
隣に座る銀髪の少女が、長い睫毛の奥から緑の瞳を微かな光に輝かせながら語り掛ける。グリフと呼ばれた男は、その美少女カーシルに『そうだ』と言わんばかりに笑みを送った。
窓際のテーブル席を選んだのは彼であったし、素直に共感してくれるカーシルの愛嬌の良さがとても好ましく思えたからだ。
「なあ、正解だったろう」
グリフはテーブルを囲むもう一人の仲間にも同意を求める。
「ええ、まさしく達見でした」
問い掛けられた黒髪の女性タリエラは、食堂と酒場を兼ねた〝飛竜の涙亭〟の中央付近で繰り広げられている喧騒を冷ややかに見つめながら頷く。
彼女の視線の先には、複数の冒険者達が熱を帯びた口論から発展したと思われる殴り合いの喧嘩を繰り広げていた。もし、ランプからの灯りが充分だからといってそちら側のテーブルを選んでいたら、巻き込まれていただろう。
「おっ反撃が決まった!」
そちらに視線を送ったグリフは思わず喧嘩を実況する。〝飛竜の涙亭〟で喧嘩が起こるのはそう珍しいことではない。武器と魔法の使用はご法度だが、素手による殴り合いは暗黙の了解で認められていた。
下手に止めると遺恨となることもあり、その場で決着を付けて後に引き摺らないことを条件に見逃されているのだ。回りの客達も慣れたもので、テーブルを移動させて空間を作ると余興として楽しんでいる。
「今日は仲間内でゆっくり飲むはずじゃないですか」
「そうだった。俺も血の気が多い方だからな、つい気になってしまった」
グリフは喧騒に向けていた視線を戻すと、苦笑あげて自分より幾つか年上のタリエラに軽く詫びた。彼らは依頼されていた仕事を終えて日が沈む前に拠点とするローアンの街に戻って来たばかりで、今夜はささやかに任務成功を祝うつもりなのだ。
「ふふふ」
もっとも、タリエラも本気でグルフを責めたわけではないので直ぐに笑顔を浮かべた。
「ぷはあああ!」
「・・・相変わらず、親父臭い飲み方だな、カーシルは!」
グリフはタリエラとのやり取りの間に、麦酒を飲み干したカーシルにちょっかいを掛ける。整った顔立ちに似合わない飲みっぷりは相変わらずどころか、最近ではより大胆になってきている。冒険者として板に付いてきたことは歓迎すべきことだが、教育係りとしては気になるところだった。
「お酒は美味しく飲むべきだって、グリフは僕に言ったよね!」
すかさず給仕に追加を注文しながらカーシルはグリフに訴える。確かに以前に、そのようなことを言ったような気もするが、その時は彼女のことを少年だと誤解していた時だ。
元々中性的な美しさを持つカーシルだったが、短く切りそろえた髪と〝僕〟という一人称のおかげで、意図せずにいたのだろうが、すっかり騙されてしまった。
当初から少女と知っていれば、彼女に掛ける言葉や接し方はもう少し〝お上品〟にしていたはずだ。もっとも、今さらそんな言い訳を並べる気はグリフにもない。飲み方が多少、野暮ったくて量が多いことを抜かせばカーシルは酒に飲まれるようなことはなく、飲み相手としても頼もしい仲間だからだ。
「そうだった、酒は自分の作法で飲むもんだ!」
グリフは素直に認めると、苦笑を浮かべて自分も三杯目のおかわりを注文する。何しろ〝飛竜の涙亭〟の麦酒を味わうのは彼にとっても久しぶりのことなのだ。
「あら!グリフさん達もいらしていたの?お通夜みたいで気が付きませんでしたわ!」
突然、グリフ達は凛とした声に話し掛けられた。声質そのものは、はっきりとした抑揚で聞き心地は悪くないが、内容は小馬鹿にしたニュアンスが含まれている。グリフは確認のために声の主に視線を送った。
「・・・そっちは羽振りが良いようだな、ディエッタ」
声からして予想はついていたが、グリフはテーブルの前に立つ一人の若い女性を確認すると、仕方がないとばかりに声を掛けた。何しろその女性ディエッタは、腰に手を当ててポーズを取りながらグリフ達の反応を待っていたからである。
喧騒から離れて落ち着いた雰囲気で飲んでいたところを邪魔されてはいるが、同じ宿を拠点とする冒険者仲間としては無視するわけにもいかない。
「ええ、おかげさまで!ふふふ」
グリフからの反応を得たディエッタはそれが当然とばかりに微笑む。芝居じみた仕草ではあるが、彼女には似合っていた。
ディエッタは赤味の強い鳶色の髪を長めに伸ばし、瞳はアメジストのような紫色で顔付きも非常に端整だ。鼻がやや突き出ていて高慢さを感じさせるが、これも彼女の魅力の一部となっている。年齢はおそらくグリフと同じ程度だろう。
また、その身体には瞳の色と合わせたような薄い紫色のローブをまとい、手には短めの杖、そして腰には片手剣を下げていた。彼女は根源魔法を操る魔術士だと聞いているので、グリフにはちょっとした驚きである。基本的に根源魔法の使い手は、このような本格的な武器を持つことはあまりないからだ。
「仲間が暴れているが、大丈夫か?」
「ええ、気になさらずに。どうせ、下らない男の遊戯みたいなものですから。少しの間こちらに避難させて頂けるかしら?」
グリフは先ほどから喧嘩を起こしている冒険者の片割れがディエッタの仲間であることを思い出して問い掛けるが、彼女は特に関心がないように答える。
どうやら、喧嘩から逃げ出してきたところに、たまたまグリフ達を見つけて暇つぶしに絡んできたといったところだ。何しろ、ディエッタとグリフ達にはちょっとした因縁がある。彼女はセレメの後輩にあたる根源魔術士なのだ。
直接の弟子でないが、ローアンで根源魔法を教える魔法学院と呼べる私塾は一つしかない。当然ながらセレメとディエッタは顔見知りの関係だ。二人がどこまでの仲だったのかは伺い知れないが、セレメの正体が敵国であるドレニア王国の間者であったことが発覚すると、私塾の関係者も関与を疑われて騎士隊の調査を受けた。
結果はセレメの個人的犯行であり、ローアンで暮らす他の根源魔術士達への疑いは否定されたが、疑われて良い思いをする者はいない。グリフ自身もセレメの被害者ではあるのだが、一連の事件のきっかけとなったグリフ達はディエッタにとっては面白くない存在なのだ。
「私達、キマイラの退治に成功しましたの。そちらは?」
同席の許可を与えた覚えはないが、ディエッタは空いていた椅子に腰を降ろすと、自慢を交えて問い掛ける。グリフはカーシルと彼女に挟まれる形となった。
「・・・俺達は、ゴブリンを退治した」
面倒くさいことになったと思いながらも、グリフは今回成功させた依頼について答える。このパーティーのリーダーは自分であったし、タリエラは元よりディエッタにそれほど良い感情も持っていないのか、早く追っ払え的な視線をグリフに送っている。
カーシルはやり取りを見守りながらも麦酒の杯を離さない。厄介者を相手にするのは自分しかいないと諦めた。まあ、相手が美人なだけましと思うことにする。
「あら、ゴブリン退治ですか?!駆け出しの冒険者みたいですわね!ふふふ」
予め用意していたような大袈裟な身振りをとりながら、ディエッタは嫌味ったらしく声を上げて笑う。キマイラはライオンの上半身に山羊の下半身、その背中には山羊の首とドラゴンの翼、そして尾の先に毒蛇の頭を持つ合成獣とも呼ばれるモンスターだ。
デタラメとも思われる外見だが、キマイラはそれぞれの部位を見事に使いこなすとされている。つまり空を自由に飛び回り、ライオンの前脚と顎で獲物に襲い掛かり、毒蛇の尾で背後の監視と噛みつきを浴びせる。
山羊の頭は唯一の穏健な箇所と思われるが、実は最も危険な部位でありその口から炎の息を吐き出した。まさに隙のない強さを誇る魔獣であるが、それもそのはずで起源は神代の戦いにおいて闇の神の一柱が造り出したとされていた。キマイラはその体格と飛行能力を始めとする特殊能力によって、小鬼と呼ばれるゴブリンとは比べものにならない程危険なモンスターなのだ。
「まあ、実際に駆け出しに近いメンバーもいるしな。俺達は無理をせずに慎重にやっているんだ」
湧き上がった苛立ちを抑えながら、グリフは努めて冷静にディエッタに言い放った。男だったら、こちらから喧嘩を売ってやるところだが、さすがに女の魔術士にそこまでするほどグリフも気は短くはない。模範解答とも言える正論で対抗した。
実際、カーシルは祈祷魔法の腕前こそ常識外の才能を持つが冒険者としては駆け出しであるし、タリエラも本格的に冒険者活動を開始したのはグリフ達の仲間となってからだ。
カーシルの〝癒し〟の力とタリエラの弓術に頼れば、魔狼程度の敵ならば問題無く倒せる実力を持ってはいたが、可能ならば余裕のある仕事を選んでいる。今は二人、特にカーシルに様々な経験を積ませる時期と見ていたからだ。
「・・・確かに若いですわね。でも、ちょっと若すぎるのではありませんか?」
ディエッタは身体を前に傾けてグリフ越しにカーシルに視線を送ると、やや興奮気味に唸る。グリフの目には彼女の紫の瞳に奇妙な葛藤が宿っているように見えた。
おそらく、ディエッタがグリフ達に絡むもう一つの理由がカーシルの存在だと思われた。
そもそも眠りについたのは、過去の事象から決別するためでもある。以前の記憶を蒸し返すのは無駄なことだ。もちろん、過ちから学ぶ経験や知恵もあり、それについて否定はしない。いずれにしても、覚醒したからには優先すべきことがある。まず、私はこの暗くて狭い場所から出る必要があった。
暗闇に伸ばした私の掌に硬い石の感触が響く、それは私が肉体を持った存在であることを改めて証明させる儀式のようだった。それを心地良いと感じると、私は更に腕に力を込めた。
質量のある板状の石を僅かに持ち上げると、そのまま足元に向かって動かす。蓋となっていた石板は勢いよく外側に落ちると大きな音を立てた。その騒がしさに自分でも呆れながら、力の加減を誤ったことを知る。肉体の調子を完全に取り戻すには、しばらくの猶予がいるだろう。
上部を開けると、私は慎重に身体を起こして立ち上がった。癖のない長い黒髪が身体を包む。眠りに就いた時には白絹の装束を着ていたはずだが、それらは永い眠りに耐えられなかったようだ。今は霧散したかのように僅かな繊維の欠片を残すだけである。
もっとも、目覚めた私を見つめる者など居るはずもないし、居たところで私は気にしないのだが。
身体から本能的な欲求があり、私は息を吸い込む。久しぶりと思われる空気は湿っぽくて黴臭いが、こんなものだろうと諦めた。呼吸を行なったことで、私の意識はいよいよ本格的な活動を開始する。
その場に跪き〝あの方〟への祈りを捧げ、その御声を拝聴しようと精神を集中させる。だが、期待したほどの効果はない。遙かな高みから〝あの方〟の波長を辛うじて感じられただけだ。
今はそれで満足とした私は〝あの方〟への感謝で祈りを締めくくる。このような時代だからこそ、私という存在があるのだから。だが、精神を研ぎ澄ませた私は〝あの方〟とは別の気配も感じる。不快とは言えないが、共感したいとも思えぬ気配だ。
力の程度は〝あの方〟の力に比べれば取るに足らないものだが、この時代が私の想像しうる世界であるなら、地上世界にあってはならない気質の力である。
私はこの気配こそが自分の意識を刺激した違和感であり、永き眠りから目覚めさせた原因に違いないと悟った。この気配の持ち主については、もっと詳しいことを知る必要がある。私はそう確信すると行動を開始した。
僅かに開いた窓から入る心地よい風が、鎖帷子を纏った若い男に季節の変わり目を伝えた。寒くもなく、暑くもない春から初夏に移り変わるこの頃だからこそ味わえる優しい微風だ。こんな夜は外で月を眺めながら酒を飲むのも悪くないかもしれないと思う。
「良い風だね、グリフ!」
隣に座る銀髪の少女が、長い睫毛の奥から緑の瞳を微かな光に輝かせながら語り掛ける。グリフと呼ばれた男は、その美少女カーシルに『そうだ』と言わんばかりに笑みを送った。
窓際のテーブル席を選んだのは彼であったし、素直に共感してくれるカーシルの愛嬌の良さがとても好ましく思えたからだ。
「なあ、正解だったろう」
グリフはテーブルを囲むもう一人の仲間にも同意を求める。
「ええ、まさしく達見でした」
問い掛けられた黒髪の女性タリエラは、食堂と酒場を兼ねた〝飛竜の涙亭〟の中央付近で繰り広げられている喧騒を冷ややかに見つめながら頷く。
彼女の視線の先には、複数の冒険者達が熱を帯びた口論から発展したと思われる殴り合いの喧嘩を繰り広げていた。もし、ランプからの灯りが充分だからといってそちら側のテーブルを選んでいたら、巻き込まれていただろう。
「おっ反撃が決まった!」
そちらに視線を送ったグリフは思わず喧嘩を実況する。〝飛竜の涙亭〟で喧嘩が起こるのはそう珍しいことではない。武器と魔法の使用はご法度だが、素手による殴り合いは暗黙の了解で認められていた。
下手に止めると遺恨となることもあり、その場で決着を付けて後に引き摺らないことを条件に見逃されているのだ。回りの客達も慣れたもので、テーブルを移動させて空間を作ると余興として楽しんでいる。
「今日は仲間内でゆっくり飲むはずじゃないですか」
「そうだった。俺も血の気が多い方だからな、つい気になってしまった」
グリフは喧騒に向けていた視線を戻すと、苦笑あげて自分より幾つか年上のタリエラに軽く詫びた。彼らは依頼されていた仕事を終えて日が沈む前に拠点とするローアンの街に戻って来たばかりで、今夜はささやかに任務成功を祝うつもりなのだ。
「ふふふ」
もっとも、タリエラも本気でグルフを責めたわけではないので直ぐに笑顔を浮かべた。
「ぷはあああ!」
「・・・相変わらず、親父臭い飲み方だな、カーシルは!」
グリフはタリエラとのやり取りの間に、麦酒を飲み干したカーシルにちょっかいを掛ける。整った顔立ちに似合わない飲みっぷりは相変わらずどころか、最近ではより大胆になってきている。冒険者として板に付いてきたことは歓迎すべきことだが、教育係りとしては気になるところだった。
「お酒は美味しく飲むべきだって、グリフは僕に言ったよね!」
すかさず給仕に追加を注文しながらカーシルはグリフに訴える。確かに以前に、そのようなことを言ったような気もするが、その時は彼女のことを少年だと誤解していた時だ。
元々中性的な美しさを持つカーシルだったが、短く切りそろえた髪と〝僕〟という一人称のおかげで、意図せずにいたのだろうが、すっかり騙されてしまった。
当初から少女と知っていれば、彼女に掛ける言葉や接し方はもう少し〝お上品〟にしていたはずだ。もっとも、今さらそんな言い訳を並べる気はグリフにもない。飲み方が多少、野暮ったくて量が多いことを抜かせばカーシルは酒に飲まれるようなことはなく、飲み相手としても頼もしい仲間だからだ。
「そうだった、酒は自分の作法で飲むもんだ!」
グリフは素直に認めると、苦笑を浮かべて自分も三杯目のおかわりを注文する。何しろ〝飛竜の涙亭〟の麦酒を味わうのは彼にとっても久しぶりのことなのだ。
「あら!グリフさん達もいらしていたの?お通夜みたいで気が付きませんでしたわ!」
突然、グリフ達は凛とした声に話し掛けられた。声質そのものは、はっきりとした抑揚で聞き心地は悪くないが、内容は小馬鹿にしたニュアンスが含まれている。グリフは確認のために声の主に視線を送った。
「・・・そっちは羽振りが良いようだな、ディエッタ」
声からして予想はついていたが、グリフはテーブルの前に立つ一人の若い女性を確認すると、仕方がないとばかりに声を掛けた。何しろその女性ディエッタは、腰に手を当ててポーズを取りながらグリフ達の反応を待っていたからである。
喧騒から離れて落ち着いた雰囲気で飲んでいたところを邪魔されてはいるが、同じ宿を拠点とする冒険者仲間としては無視するわけにもいかない。
「ええ、おかげさまで!ふふふ」
グリフからの反応を得たディエッタはそれが当然とばかりに微笑む。芝居じみた仕草ではあるが、彼女には似合っていた。
ディエッタは赤味の強い鳶色の髪を長めに伸ばし、瞳はアメジストのような紫色で顔付きも非常に端整だ。鼻がやや突き出ていて高慢さを感じさせるが、これも彼女の魅力の一部となっている。年齢はおそらくグリフと同じ程度だろう。
また、その身体には瞳の色と合わせたような薄い紫色のローブをまとい、手には短めの杖、そして腰には片手剣を下げていた。彼女は根源魔法を操る魔術士だと聞いているので、グリフにはちょっとした驚きである。基本的に根源魔法の使い手は、このような本格的な武器を持つことはあまりないからだ。
「仲間が暴れているが、大丈夫か?」
「ええ、気になさらずに。どうせ、下らない男の遊戯みたいなものですから。少しの間こちらに避難させて頂けるかしら?」
グリフは先ほどから喧嘩を起こしている冒険者の片割れがディエッタの仲間であることを思い出して問い掛けるが、彼女は特に関心がないように答える。
どうやら、喧嘩から逃げ出してきたところに、たまたまグリフ達を見つけて暇つぶしに絡んできたといったところだ。何しろ、ディエッタとグリフ達にはちょっとした因縁がある。彼女はセレメの後輩にあたる根源魔術士なのだ。
直接の弟子でないが、ローアンで根源魔法を教える魔法学院と呼べる私塾は一つしかない。当然ながらセレメとディエッタは顔見知りの関係だ。二人がどこまでの仲だったのかは伺い知れないが、セレメの正体が敵国であるドレニア王国の間者であったことが発覚すると、私塾の関係者も関与を疑われて騎士隊の調査を受けた。
結果はセレメの個人的犯行であり、ローアンで暮らす他の根源魔術士達への疑いは否定されたが、疑われて良い思いをする者はいない。グリフ自身もセレメの被害者ではあるのだが、一連の事件のきっかけとなったグリフ達はディエッタにとっては面白くない存在なのだ。
「私達、キマイラの退治に成功しましたの。そちらは?」
同席の許可を与えた覚えはないが、ディエッタは空いていた椅子に腰を降ろすと、自慢を交えて問い掛ける。グリフはカーシルと彼女に挟まれる形となった。
「・・・俺達は、ゴブリンを退治した」
面倒くさいことになったと思いながらも、グリフは今回成功させた依頼について答える。このパーティーのリーダーは自分であったし、タリエラは元よりディエッタにそれほど良い感情も持っていないのか、早く追っ払え的な視線をグリフに送っている。
カーシルはやり取りを見守りながらも麦酒の杯を離さない。厄介者を相手にするのは自分しかいないと諦めた。まあ、相手が美人なだけましと思うことにする。
「あら、ゴブリン退治ですか?!駆け出しの冒険者みたいですわね!ふふふ」
予め用意していたような大袈裟な身振りをとりながら、ディエッタは嫌味ったらしく声を上げて笑う。キマイラはライオンの上半身に山羊の下半身、その背中には山羊の首とドラゴンの翼、そして尾の先に毒蛇の頭を持つ合成獣とも呼ばれるモンスターだ。
デタラメとも思われる外見だが、キマイラはそれぞれの部位を見事に使いこなすとされている。つまり空を自由に飛び回り、ライオンの前脚と顎で獲物に襲い掛かり、毒蛇の尾で背後の監視と噛みつきを浴びせる。
山羊の頭は唯一の穏健な箇所と思われるが、実は最も危険な部位でありその口から炎の息を吐き出した。まさに隙のない強さを誇る魔獣であるが、それもそのはずで起源は神代の戦いにおいて闇の神の一柱が造り出したとされていた。キマイラはその体格と飛行能力を始めとする特殊能力によって、小鬼と呼ばれるゴブリンとは比べものにならない程危険なモンスターなのだ。
「まあ、実際に駆け出しに近いメンバーもいるしな。俺達は無理をせずに慎重にやっているんだ」
湧き上がった苛立ちを抑えながら、グリフは努めて冷静にディエッタに言い放った。男だったら、こちらから喧嘩を売ってやるところだが、さすがに女の魔術士にそこまでするほどグリフも気は短くはない。模範解答とも言える正論で対抗した。
実際、カーシルは祈祷魔法の腕前こそ常識外の才能を持つが冒険者としては駆け出しであるし、タリエラも本格的に冒険者活動を開始したのはグリフ達の仲間となってからだ。
カーシルの〝癒し〟の力とタリエラの弓術に頼れば、魔狼程度の敵ならば問題無く倒せる実力を持ってはいたが、可能ならば余裕のある仕事を選んでいる。今は二人、特にカーシルに様々な経験を積ませる時期と見ていたからだ。
「・・・確かに若いですわね。でも、ちょっと若すぎるのではありませんか?」
ディエッタは身体を前に傾けてグリフ越しにカーシルに視線を送ると、やや興奮気味に唸る。グリフの目には彼女の紫の瞳に奇妙な葛藤が宿っているように見えた。
おそらく、ディエッタがグリフ達に絡むもう一つの理由がカーシルの存在だと思われた。
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