魔女の落とし子

月暈シボ

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第一章 戦士グリフと銀髪の少年

第二十一話

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「はははははは!何よそれ!もう終わったつもりでいるの!そうね、忌々しいことだけど私が傀儡の夫を守備軍の中枢に送り込むのはこれで終わりね!でも騎士隊の隊長ともあろう者がこんなところにノコノコ現れるなんて、迂闊じゃないかしら?!隊長がその部下に殺されたとあっては、ローアン軍は弱体化するでしょうね。その間にドレニア王国が攻めてきたらどうなることかしら?!」
 狂ったような嘲笑を上げたセレメは、レスゲンを除いた倉庫内の人間に敵意を撒き散らすように語る。
「無駄な抵抗は止めろ!この人数差で勝ち目があると思うのか?!」
「そうかしら?」
 ガルドが呆れた様子で諭すが、セレメは嘯いた。
「もうよいガルド!拘束しろ、抵抗するなら殺しても構わない!」
 痺れを切らしたザーラムが部下に命令を告げ二人の騎士は剣を構えセレメににじり寄る。グリフも彼らを援護するためレスゲンとの距離を詰めた。だが、突如どこからともなく現れた黒猫が彼らの間に割って入る。
「ははははは、切り札を隠していたのはあんた達だけじゃないのよ!」
 再びセレメは嘲笑をあげると、何かしらの呪文を唱え始めた。それを阻止しようとした二人の騎士は一気に距離を詰めようとするが、目の前で起きつつある、おぞましい光景は彼らに戦意と命令を忘れさせて棒立ちとさせる。
 それはレスゲンと対峙するグリフも、いやレスゲンも含めて倉庫にいた人間達は、魅了されたかのように、ただ目の前で起こるその変化を見つめるばかりだった。
 艶やかな毛を持つ黒猫は急に苦しみ出して震えると、次の瞬間にはまるで内側から爆発するように身体を膨れ上がらせて異形の姿に変わりつつあった。骨が捩じ切れ、皮が引っ張れる音が倉庫に響いた。

「グリフ!」
 カーシルの声でグリフは我に返ると、咄嗟に後ろに飛び退いた。次の瞬間、激しい風圧が彼の身体に押し寄せる。二人の騎士とレスゲンが嫌な音を立てて後ろへ吹き飛ぶ姿が目の端に映る。あと一歩前にいたら自身も同じ運命を辿っていただろう。
 数秒前までは黒猫だった〝モノ〟は今や見上げるほどの巨大な怪物となり、その腕を振い騎士達を一斉に殴り飛ばしたのだ。
「ぐあ!」
 誰かの悲鳴が後ろから響く。振り向いて確認する余裕はなかったが、投げ出された騎士かレスゲンの身体に巻き込まれたのだとグリフは判断した。
「カーシル!ガルド!タリエラ!」
 グリフは怪物の動きを警戒しつつ残った仲間の名前を呼んだ。
「私は大丈夫です!戦えます!」
 タリエラの返事とともに怪物の首らしき部分に矢が突き刺さると、そいつは醜い悲鳴を上げて身を怯めた。
「カーシル!」
 グリフはその隙にもう一度、相棒の名前を呼びつつ体勢を整えるため更に後退する。
「僕も大丈夫!」
 その返事に安堵すると、グリフは残るガルドを探しつつ怪物と対峙した。二本脚で立つ筋肉質な姿は以前戦ったことのあるオーガーを彷彿させる。
 もっとも、目の前の化け物とオーガーが似ていると言ったら、オーガーに失礼であろう。発達した上半身を持つオーガーは凶悪な面構えではあるが、まだ生物的な統制があった。だが、こいつにはそれがない。
 生皮を剥がされたような赤黒い血に濡れた筋肉が出鱈目に配置されており、腕の大きさも左右で違い左腕が極端に太く長い。頭部は猫の面影を僅かに残しているが、口の回りには細長い触手が何本も生えており、気の弱い人間ならば正視に耐えないだろう。
「くそ!離せ!」
 セレメの怒りを込めた悲鳴が上がり、グリフは怪物の奥でガルドがセレメを組み伏せようと縺れ合っているのを見つけた。脚と目を悪くして冒険者を引退した彼だが、往年の技を使ってセレメに不意打ちを行ったに違いなかった。彼女に魔法を詠唱させまいと身体を張って抑えているのだ。
 だが、セレメは必死にもがき、杖でガルドの背中を何度も打ちつけている。引き剥がされるのは時間の問題と思えた。

「俺がこいつを引き付る!カーシル!その間にガルドを助けてくれ!」
 異形の怪物に恐怖を感じながらも、グリフはカーシルに訴えながら一歩前に踏み出した。正直に言えば、自分の中で最も臆病で最も狡猾な存在が何もかも捨てて逃げろと叫んでいる。だが、彼は自分の役割に誇りを持っていた。戦士とは仲間のために身体を張るのが仕事なのだ。
「こっちだ!」
 更にグリフはカーシルの返事を待たずに、怪物をセレメ側から引き離すため挑発するよう動いた。それは壁際に自らを追い込むことでもあったが、セレメに〝火球〟を始めとする魔法を使わせてしまってはグリフ達に勝ち目はない。ガルドを早く援護するためにも誰かが囮になるしかなかった。
 怪物の注意がグリフに向けられたことでタリエラは更に射撃を加え、怪物の身体に次々と矢が突き刺さる。このような異形の怪物でも痛みを感じるのか矢が刺さる度に悲鳴を上げるが、その動きが鈍ったり弱ったりするのは一時だけだ。
 また隙を突いてグリフも攻撃を与えるが、彼が与えた傷は次の瞬間には下から盛り上がる肉で塞がれ再生されてしまう。この怪物に矢や剣による物理的な攻撃は焼石に水のようだった。
「ぐお!」
 果敢に攻めて怪物の注意を引いていたグリフだが、遂に回避しきれず壁際に吹き飛ばされる。辛うじて剣で受けて直撃を抑えるが、タリエラから借りた剣は半分程にへし折られてしまった。
「グリフ!今行くよ!」
「だ、駄目だ!来るな!」
 怪物を遠巻きにしてガルドの手助けに向かおうとしていたカーシルは、苦戦するグリフを見かねて飛び出した。グリフはカーシルを制止しようとするが、怪物はその彼に止めを刺そうと巨大な左腕を振り上げる。

 カーシルは目の前の怪物が、この世界の秩序に反する高度な霊的存在であることに気付いていた。これは自分の頼みごと聞いてくれる精霊や祖霊よりも霊的に上位で、人間の言葉で例えるなら神々に継ぐ階級の天使や魔族と呼ばれる存在だった。
 それらの一人もしくは一柱が猫の身体を憑代にして一時的にその力と身体を具現化させているのだ。そのため、より下位に位置する精霊等の力を借りる祈祷魔法は効果を発揮することは出来ない。
 それを直感で悟ったカーシルはグリフの危機を見て取ると、祈祷魔法には頼らずにグリフから預かっていた長剣を引き抜くと渾身の力を込めて怪物の背後から斬りつけた。
 カーシルにとってグリフを失う恐怖は怪物に立ち向かうことよりも遙かに恐ろしい未来だった。

 完全な不意打ちとなったカーシルの攻撃は狙い通りに怪物の背に突き刺さる。だが、怪物の折り重なった筋肉は振り下ろされた長剣を食い込んで離さなかった。カーシルに、もう少しだけ体力があれば、素早く剣を引き抜くことが出来たかもしれない。また、もう少しだけ剣技の訓練を積んでいれば、剣を捨てて回避に専念したのかもしれない。
 いずれにしてもカーシルはグリフの長剣を引き抜こうとするあまり、怪物が振り上げていた左腕の新たな標的となって吹き飛ばされた。
「カーシル!!」
 グリフは身体に走る負傷の痛みを無視すると絶叫を上げながら、怪物に突進する。そして身体を捻ってカーシルを薙ぎ払った怪物の脇腹に折れた剣を突き立てると、カーシルが残した自分の長剣を引き抜いた。怪物は右腕の鉤爪をグリフの身体へ突き立てようとするが、タリエラの援護射撃がそれを阻止する。
「うおおおおお!」
 自分の剣を手にしたグリフは雄叫びを上げると再び怪物に斬り掛かった。彼の胸にあるのは怪物を一刻も早く倒してカーシルの手当に入る!それだけだ。
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