魔女の落とし子

月暈シボ

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第一章 戦士グリフと銀髪の少年

第十七話

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 馬車が屋敷の敷地内に入るのを見届けたグリフは自分が激しい息に喘いでいるのに気付く。武装を身に着け全財産を入れた背負い袋を担いだまま、引き離されないよう馬車を追いかけたのだから当然の結果だ。グリフは呼吸を整えながら後ろを振り返った。
「はあはあ、やっと追いついた!」
「すまん、つい衝動的に追いかけてしまった」
 グリフはカーシルと逸れなかったことを安堵すると、追い付いた彼に詫びを告げる。
「うん、びっくりしたよ。ひょっとして、あの馬車の乗っていたのがグリフの恋人だった人?」
「・・・そうだ。相変わらずお前は頭だけでなく目も良いな!」
 カーシルの察しの良さに舌に巻きつつも、グリフは説明する手間が省けたことを喜んだ。そして、流れる汗を拭きながらグリフは回りの建物を注意深く観察して地形を把握する。
 偶然ではあるが、セレメの居場所を突きとめることが出来たからだ。彼女がレスゲンと暮らしていると思われる屋敷は太守の城を取り囲む有力者達がすむ一角にあった。規模はこの地域で特に目立つ大きさではなかったが、十二年前は一介の冒険者に過ぎなかったことを考慮すれば、大した出世と言えるだろう。
 一旦冷静になったグリフはこのような地域では、冒険者か傭兵崩れにしか見えない自分が不釣り合いの身分であることに気付く。仇であるレスゲンはもちろんだが、巡回する警備の兵に見つかる前に立ち去る必要がある。
 それでも、これまで抑えていたセレメへの想いがグリフの判断と脚を石のように堅くした。

「あの人に会いたいの?」
 グリフの心を見透かしたようにカーシルが問い掛ける。その声はどこか寂しさが含まれていたが、この時のグリフはカーシルの気遣いだと受け取った。
「ああ・・・だが、このまま馬鹿正直に門を叩くわけにはいかないからな。レスゲンに俺が生きていることに気付かれてしまう」
 グリフにとって自分が死んだと思われていることこそが、最大の優位性で武器なのである。今の状態でうかつなことは出来ない。だが、セレメへの気持ちはそんな常識を通用させない葛藤を作り出していた。
「・・・なら僕が手伝うよ。グリフの姿を消して上げるから、こっそり中に入ればいいよ!」
「そ、そんなこと出来るのか?」
 グリフはカーシルの提案に驚きの声を上げた。彼の〝姿隠し〟の魔法は彼自身にだけ通用する技だと信じていたからだ。
「僕と身体を触れていれば、グリフの姿も他の人から見えなくすることも出来るんだ」
「それを早く・・・」
 言ってくれ!と口にしようとしたグリフだが、途中でカーシルを責めても仕方がないと息を飲む。最近は慣れつつあるとは言え、本来彼は普通の人間ではなく魔女の子なのである。魔法に対する考えがグリフのような人間とは根本的に異なる。
 特にグリフ自身に魔法の才能がないことも相まって、カーシルの能力を正しく理解出来ていなかったのだ。
「と、とりあえず、今は〝飛竜の涙亭〟に戻ろう。姿隠しが使えるにしても身軽な恰好の方が良いだろう」
 グリフは脳の膠着状態から回復すると、最適と思われえる判断を下した。

 〝飛竜の涙亭〟で早めの夕食を終えたグリフは客室で準備を始めた。まずは羊皮紙で二通の手紙をしたためると、一通を今後の保険としてカーシルに預ける。これは、十二年前の真相とレスゲンを糾弾する内容を示した内容でガルドに宛てた手紙だ。
 万が一、レスゲンに自分の存在が露見した場合に備えて、カーシルの逃げ場所を確保するためでもある。この手紙を読んだガルドなら、きっとカーシルを保護してくれるだろう。自分が復讐に失敗するのは自業自得だが、新たな相棒までを巻き添えにするわけにいかない。
 もっとも、カーシル本人はグリフを見捨てて逃げることはないと言い張って受け取ろうとしなかったが、ガルドと協力して捕まった自分を助けて欲しいと言い聞かせたことで、やっと受け取ることを認めた。
 もう一通は、セレメに宛てた手紙で、自分が生きていることを仄めかす内容だ。セレメはタリエラから聞き出したレスゲンとは距離を取っているガルドとは違い、レスゲンを夫にしている立場である。
 いきなり真相を報せるにはショックが大きいとして、この程度に留めたのだ。念のために最悪の事態を想定したグリフだが、今回はセレメの様子を近くから確認して、手紙による接触だけで済ますつもりでいた。

「よし行こう」
 街が夕闇に染まった頃合いを見据えると、グリフはカーシルに出発を合図する。お互いマントの下は鎧を脱いだ身軽な姿だ。グリフ自身は普段は腰に下げている長剣を肩から下げて携帯したが、カーシルには武器を持たせないことにする。彼の剣技は未熟であり、下手に剣を振るうより、祈祷魔法の方が役立つからだ。
 また、相談の結果、宿である〝飛竜の涙亭〟を出る段階からカーシルの姿隠しを使うことにする。彼の技量が姿隠しを何度も使用できるほど優れているからこそ出来る手段だが、こうすることによって万が一の場合には宿で寝ていたと主張できるからだ。
 グリフはカーシルと手を繋ぎながら一階に降りると、食事と酒盛りをしている冒険者の間を縫って出入り口へと向かう。自分とカーシルの姿は普通に見えるため実感がわかないが、酔った冒険者達が美少年と手を繋いで歩く男の存在に何の反応も示さないことで、彼らが自分達を認識していないと推測した。
「一旦、休憩にしよう」
 姿を隠したまま、セレメの屋敷前まで移動したグリフは暗がりを見付けるとカーシルを誘導する。姿隠しは精神集中する間は常に効果を発揮するが、逆に言えばその間は常に気を張る必要があるという魔法だ。
 街内の移動だが、下町にある〝飛竜の涙亭〟から街の重要人物が住むこの区画まではそれなり距離がある。カーシルにはここで一時的に休憩を取らせるつもりだった。
「どうした?」
 一旦、手を離そうとしたグリフだが、カーシムは意図に気付かないのか手を離さなかった。
「怖いのか?怖いなら、無理しなくても良んだぞ?」
「ううん、大丈夫!わくわくしてきたよ」
 怯えているのかと察したグリフだが、カーシルは顔を上気させて言葉を返す。思い出せば、彼は外の世界と冒険に憧れて故郷の〝魔女の森〟を離れた身だ。今の状況は願ってもいない機会なのかもしれない。
「頼もしいな。とりあえずここで、一息入れたら屋敷内に侵入しよう」
「うん」
 カーシルは握ったままの手に力を込めた。

 セレメ、正確にはレスゲンの屋敷は敷地内を囲む高い外壁の中に建てられている。もしカーシルの手を借りないで屋敷内に侵入するならば、真夜中にこの塀を越えるしか手立てがなかっただろう。
 だが、姿を隠した二人は門衛の脇を通って、堂々と正門から敷地内への侵入を果たした。いとも簡単に第一段階を突破したグリフ達は、屋敷の裏に回り使用人が使う勝手口を目指す。
 貴族は正面こそ体裁を保つため立派にするが、人の目に触れない箇所は杜撰なことが多いからだ。案の定、しばらく見張っていると、中年のメイドと思われる女性が大きい桶を手にして勝手口から現れる。おそらくは井戸から水を汲むつもりなのだろう、帰りの手間を省くためか扉を開けっ放しにして歩き去って行く。もちろん、グリフ達はその隙に屋敷内に入り込んだ。
 厨房で食器を洗う料理人の後ろをすり抜けて、二人は屋敷の食堂に足を踏み入れる。香辛料の匂いが微かに残っており、夕食を終えてからそれほど時間が経っていないようだ。
 グリフは廊下に通じていると思われる扉に歩むと聞き耳を立てる。そして人の気配がないことを確認すると、ゆっくりと扉を開けて食堂の外に出た。廊下に出たグリフは次の目標の階段を目指す。主の部屋は通常、階上に置かれるからだ。

 これまで、カーシルの手を引っ張るように進んでいたグリフは後ろを振り返って彼に視線を送る。先程は強気な発言をしたカーシルだが、怖がったり緊張したりしていないか確認のためだ。
 だがそれは、彼の杞憂だったようでカーシルは普段は伏せ気味の瞼を開いて、活き活きとしている。『大したタマだ!』グリフは相棒の度胸に半ば呆れるように感心すると、再び動き出した。
 グリフにとっては複雑な気分だが、屋敷内のセンスは良かった。壁は漆喰で綺麗に塗り固められており、要所には癖のない風景画や燭台で飾られ、屋敷内を快適に過ごせるようにされている。特に足元は明るい赤色のカーペットで統一されており、暗く成りがちな屋内に彩を添えていた。もっとも、このカーペットはグリフ達にも都合が良い。姿隠しの技では足音までは消すことは出来ないからだ。

 階段を見付けたグリフ達は警戒しながら二階に上がると。奥に伸びる廊下に沿って進む。途中で銀の盆を持ったメイドと出くわすが、グリフは落ち着いてカーシルとともには壁際に寄ってやり過ごした。お盆の上には白磁製と思われるポットと一人分のカップが乗せられており、グリフはカップに口紅が付着していることを見付けると、それが飲み終わって下げられたものだと判断した。
 どうやら、セレメはかなり良い暮らしをしているらしい。メイドが階段に消えるのを待ってグリフ達は移動を開始する。この奥にセレメの部屋があるのは間違いないようだった。
 これまで屋敷内で見かけた中でも一際見事な彫刻が施された扉を前にして、グリフは聞き耳を立てる。冒険者で培った経験が微かに漏れる音を聞き分けて、中に人がいることを推測させた。
 とは言え、グリフは盗賊の技を体系的に学んだわけではないので、中にいる人数やどのような状態までは知り得ない。それでもグリフの直感はこの部屋にセレメが居ると告げていた。
 そのままノックをして中に入りたい衝動を耐えて、グリフは扉が開かれるかメイドが新たに現れるのを待った。

「奥様。湯浴みの準備が整いました」
 しばらく忍耐強く待っていると、グリフの願いを聞き届けたように、中年のメイドが現れて扉越しに部屋の中へと語り掛ける。彼女は屋敷内に侵入する際にも見かけた人物である。どうやら先程の水汲みは風呂の準備だったようだ。
「ええ、わかったわ」
 返事を得たメイドは扉を開けると恭しく頭を下げ中へと入ろうとする。それを見たグリフ達は急いで彼女の後に続く。扉を閉めようとするメイドに危うくぶつかりそうになりながらも、二人は部屋への侵入を成功させた。
 この部屋はグリフの睨んだ通り、セレメとレスゲンの寝室だった。内部は充分に広く、中央には大型で天蓋付きの寝台が置かれ、奥には大型のクローゼットが設置されている。
 その他にも絵画をはじめとする多くの調度品が部屋を飾っているが、これまでの屋敷内と違いどちらかと言えば成金趣味のように見える。特に魔女との面会で最高の贅を凝らした彼女の部屋を知っているグリフにとっては陳腐な偽物のように感じさせた。
 センスが良いと思った屋敷の内装だが、この部屋に持てる財力を集中させた結果かも知れなかった。もっとも、そんな考えは部屋の片隅に置かれた机の前に座るセレメの姿を目に入れた時には、グリフの頭の中からすっかり消えていた。何かの書物を読んでいたセレメは入って来たグリフ達、正確にはメイドに視線を送るとゆっくりと立ち上がった。

 やはり十二年の歳月はセレメを変化させていた。以前は背中に流していたウェーブの掛かった金髪は長く伸ばされ、騎士の妻に相応しく結上げられている。また身に纏っている服も実用的なローブではなく、流行を取り入れた華美なドレスだ。
 顔付きはそれほど変化がないように思えたが、良く見れば化粧が濃いことがわかる。それでもグリフはかつての恋人を懐かしんで一心に見つめ続けた。
「お召し物はこれでよろしいでしょうか?」
「それでいいわ」
 グリフが人知れず感動している中、メイドはクローゼットから着替えと思われるナイトドレスを用意するとセレメに許可を得る。その後二人は部屋を出て行くが、残されたグリフはそれを見送るしかなかった。
 しばらくセレメが消えた扉を見つめていたグリフは、カーシルに手を引かれることで我に帰ると本来の目的を思い出す。セレメの顔を近くから視ることが出来たので、次は自分の存在を仄めかす手紙を置くだけだ。
 グリフは彼女の机に近づくと、どこに置くかを考えた。机の上には魔術士のセレメらしく、幾つかの書物とメモを書いた羊皮紙が散乱している。そのまま置いたのではその中に紛れてしまう可能性がある。彼は寸前までセレメが呼んでいた本の中に手紙を挟もうとそれを手に取った。
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