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第一章 戦士グリフと銀髪の少年
第一話
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月明かりに呼び出されるように姿を現した大きな黒い影は、腕をだらしなく揺らしながら大股に闊歩していた。
微かな光に映し出される姿は人の特徴を捉えてはいるが、良く見れば歪であることがわかる。衣服を身に着けず剥き出しになった上半身は、非常に発達した筋肉に覆われていて、こぶのように盛り上がった肩からは膝先まで届く太くて長い腕が生えている。
下半身には申し訳程度のように、獣の毛皮と思われる腰巻を巻いており、そこから剛毛で覆われた逞しい二本の脚が垣間見える。
そして、何よりも目を引くのは全体の大きさである。並の人間の倍近い身長を持った巨体であり、肉厚の身体が歩く姿はさながら岩山が動いているようだった。
この巨人の正体はオーガー。人型の種族ではあるが知能は低く、恵まれた膂力を使った原始的な狩猟生活をしており、どちらかと言えば獣に近い存在である。
他の野生動物に比べて人間は獲物として手頃なのか、好んで人間を襲う恐るべき捕食者だった。
木陰からオーガーの様子を窺っていたグリフは、同じように隣で監視していた仲間に目配せをする。
無言で頷く彼の返事を確認すると、更に背後に控える仲間達に合図を送った。事前の作戦では前衛のグリフ達がオーガーの注意を惹きつける手筈となっているからだ。
「いくぞ、レスゲン!」
グリフは相方の仲間に告げると腰の長剣を抜いて、彼とともに隠れていた岩陰から飛び出した。
二人を見付けたオーガーは呻き声を上げると、上半身に比べるとやや寸足らずな脚で走り寄って来る。グリフ達はオーガーとの対決に際して、日中の間に牧草地であるこの場所から羊たちを安全な村の中へと移動させている。戦いの準備は整っていた。
背後から微かに聞こえる、詩を歌うような若い女性の声に期待と頼もしさを感じながら、グリフは迫り来る巨体に備える。
オーガーにとっては五歩ほどの間合い、グリフにはその倍の十歩ほどまで接近した時点で聞こえていた詩の詠唱が止み、突如オーガーの目前に小さな樽ほどの火の塊が現れる。
オーガーに触れる寸前に火は膨れ上がるように爆発し、人の背丈の倍ほどの周囲に炎と衝撃波を撒き散らす。仲間である女魔術士セレメが自身の使える最大の攻撃魔法である〝火球〟の魔法を炸裂させたのだった。
爆炎の範囲からは距離があったグリフにも余波が押し寄せる。彼は顔に当たる熱波を受けながら、魔法の威力に改めて畏怖を感じた。
〝火球〟は詠唱者が指定した対象を中心に炎と衝撃波を生じさせる魔法だ。魔法としては中位に位置する魔法だが、魔術士そのものが生まれつきの才能を必要とする貴重な存在であるため、この魔法は世間一般には魔術士と彼らが持つ恐るべき力を代表する魔法となっている。
もっとも、発動させるには膨大な魔力を必要とし伝説に残るような魔術士でもない限り、一日に何度も打てるような代物ではなく、グリフの仲間であるセレメも現在の実力では一日に二発放つのがやっとのことであった。
そのため、グリフ達はオーガーとの対決に際して〝火球〟を最大限の効果を発揮する緒戦で使用する作戦を立てていたのだ。
この目論見はグリフ達の下調べと、根気を必要とした待ち伏せによって見事に成功した。だが、グリフ達も〝火球〟だけでオーガーを完全に倒せるとは思っていない。
人間にとっては凄まじい殺傷能力を誇る〝火球〟もオーガーの巨体に比例した生命力にどこまで通用するかは未知数なのだ。
グリフとレスゲンは敵に止めを刺すため、爆炎の中心地でうずくまる巨体に武器を構えて油断なく近づいて行く。これからが本当の意味での戦いだった。
肉を焦がした煙と悪臭が漂う空気の中、オーガーは立ち上がると怒りに満ちた咆哮を二人に浴びせ掛ける。
上半身の一部には醜く爛れた皮膚と炭化した黒い染みが浮かび〝火球〟の爪痕が残っていたが、グリフには想定していたよりもオーガーへのダメージが低いように感じた。
魔法は詠唱者の魔力によって創造される現象故に、魔法の標的となった者は詠唱者よりも強靭な精神力を示すことで効果を弱める、または完全に無効化するが可能だ。
知性では人間に劣るものの、巨人の一種であるオーガーは高い魔法耐性を持っているのだ。そして〝火球〟のショックから立ち直ったオーガーは爛々と光る黄色の瞳に怒りを浮かべると、自分に対峙する人間の一人へと襲い掛かった。
胆の弱い者ならば、聞いただけで戦慄すると思われる雄叫びを上げて黒山のような存在がグリフに迫る。
巨体の化け物は浅黒い肌の下に盛り上がる筋肉に包まれた腕を振い、目の前の獲物を血肉の塊に変貌させようとした。動きそのものは粗雑であり、隙が多い攻撃だが、質量に裏打ちされたこの暴力が恐るべき破壊力を秘めているのは確かだった。
グリフは人食い鬼と呼ばれるオーガーが放つ恐怖に自身の闘志で抗いながら、これまで培ってきた戦士としての勘に従って身体を動かした。左に半歩移動し、頭を素早く下げたのだ。それと同時に手にした長剣を化物に向かって刃を押しつけるように突き出す。
オーガーは人間を遙かに凌駕した体格と怪力の持ち主ではあるが、人型である故に身体の生理的な動きや弱みは人間と共通している。グリフはオーガーの腕を使った攻撃を掻い潜ると、無防備となった左太腿へ攻撃を加えたのだ。
顔に当たる風圧と両腕に伝わる鈍い手応えを感じると、グリフは屈めた身体をそのまま転げるように前転させる。
背後で唸るオーガーの獣のような悲鳴が耳を突いた。連続で三回転して距離を開けたグリフは眩暈に耐えながら起き上がると、直ぐに身体を捻ってオーガーへと向き直した。
隙の出来る危険な瞬間だったが、仲間のレスゲンが怪物の背面から攻撃を仕掛けて、グリフへの追撃を防ぐと同時に、手痛い傷を負わせているのが目に映った。オーガーは聞き触りの悪い悲鳴を更に上げた。
「左へ!グリフ!」
背後から掛けられ指示にグリフは素直に従った。彼が空けた空間に風切り音が響くとともに一本の矢がオーガーの首筋に近い右肩に突き刺さる。後ろに控えていた仲間、グリフ達冒険者パーティーのリーダーであり射手も務める、ガルドからの援護攻撃だ。
グリフ達前衛が敵と対峙し足止めをして、その隙を突いて後衛の仲間達が安全圏から効果的な攻撃や援護を行うのがグリフ達の定石だった。
身体に負った傷から赤黒い血を噴き出しながら、オーガーは見境なく暴れ出す。
それは狩る者から狩られる者に変った自身の存在を否定する怒りを込めた抗議のようだ。でたらめな動きだが、却って攻撃の予想が出来ずに、前衛役であるグリフ達は一旦、距離を取るしかなかった。
「森の中に逃げるつもりだ!」
それまで冷静に弓矢による攻撃を加えていたガルドが、オーガーの意図を見抜いてグリフ達に警告を発した。
一見すれば、弓矢に晒されながらも狂ったように腕を振り回しているオーガーだが、徐々にではあるが森側に向かって移動していたのだった。
木々が立ち並ぶ森の中に逃げられれば、連携して戦うにはある程度の広さが必要なグリフ達には、圧倒的不利な状況となる。まして、この森は奥地を魔女が支配すると言い伝えられる、曰くつきの魔境である。
森の中へ逃げた手負いのオーガーを追うのは、各個撃破される危険な行為だった。
実際、オーガー退治を依頼されたグリフ達は周到な調査と計画を練って、近隣の村人達を襲うオーガーを森から離れたこの牧草地で待ち伏せをしていたのだ。
「レスゲン!」
警告の意図を理解したグリフは相棒の名前を呼ぶと、オーガーと森の間に割って入る位置に移動した。これ以上森に近づけさせてはならない。
「おう!」
グリフの掛け声にこれまで牽制程度の攻撃に抑えていたレスゲンが、反対側からオーガーに斬り掛かった。
レスゲンは、グリフとともに仲間達を守る前衛としての役割を担っている戦士だ。両手剣を得意とし、防御と身体の動きを両立させる鎖帷子を装備するグリフに対して、彼は片手剣と盾、そして身体を本格的な板金鎧で武装している。
攻撃に比重を置くグリフと防御に優れたレスゲンの二人はお互いの能力を補完し合う良いコンビだった。
レスゲンの攻撃はオーガーの左前腕部を捉えるが、表面を浅く斬るだけに終わり、攻撃のため踏み込んでいた彼はオーガーの蹴りによる反撃を受けた。レスゲンはその攻撃を辛うじて盾で受けるが、体重では四倍相当に値する相手からの衝撃を受けて後方に吹き飛ばされる。
「このくそ野郎!」
オーガーに斬り掛かる衝動を抑えながら、グリフは怒りを込めて毒突いた。
レスゲンの危機ではあったが、森へのルートを押させる自分までもが迂闊に近づいてしまっては、オーガーに逃げられる危険性を増やすだけである。レスゲンへの加勢はオーガーの動きを見据えてからだ。
そしてグリフの判断が正しいことは直ぐに証明される。レスゲンへの追撃への絶好の機会であったのにも関わらず、オーガーは森へと続くルートの障害者であるグリフに向き直ると突進してきたのだ。
追いつめられた手負いの怪物の圧力は先ほどよりも、凄まじい気迫が込められていた。
グリフは本能が訴える回避への誘惑を最大限の意志の力で封じ込めると、長剣をオーガーに向けて突き立てようとする。
自分がここで対決を避ければ、オーガーが森へと一気に走り去るのは間違いないことだからだ。そして、一旦走り出せば、体格で上回るオーガーに追いつくのは不可能だった。
目前に迫るオーガーの凶悪な顔面を睨めつけながら、グリフは繰り出された丸太のような腕を避けると、今度は長剣で右脚部を狙って切り裂こうとした。相手の機動力を完全に削ぐためである。
だが、二番煎じとなったこの攻撃はオーガーの膝蹴りによって阻止された。激しい衝撃を受けて吹き飛ばされるグリフだったが、蹴られる寸前にオーガーの脚に剣を突き刺すことだけは忘れなかった。
仰向けに転がったグリフは左半身全体に激しい痛みを感じながらも、腰から短剣を引き抜くと敵の姿を探した。
オーガーは意味の分からない呻き声を漏らしながら、自分の太腿に刺さった彼の剣を引き抜いている。それから顔を上げて短い草の生い茂る地面に寝転ぶグリフを見付けると、再び怒りを込めて何度目かの雄叫びを上げた。
グリフは咄嗟に立ち上がろうとするが、激痛が彼の動きを阻害する。
『やられる!』
グリフが死の覚悟をした瞬間、オーガーの咽喉に矢が突き刺さった。その攻撃でこれまで耐えていたダメージに堪えきれなくなったのか、怪物はその場に片膝を着く。
良く見ればオーガーの身体には、あちこちに矢が刺さっている。グリフ達前衛が抑えている間にもガルドが攻撃を続けていたのだ。
「もう一度、火球の魔法を使います!グリフを敵から離して!」
味方の魔術士セレメが、声を枯らすのを厭わないような大声で言い放った。火球の魔法は大量に魔力を消費する魔法であり、一日に二発目を放つには彼女の技量では危険な行為のはずだったが、グリフ達の危機を見て静観していられなくなったのだ。
セレメは端整な顔に苦痛を浮かべながら、魔法を構築させる呪文を唱え始める。
「悪いけど引き摺らせてもらうわよ!」
身体の半身に温かい何かを注がれるような感覚を感じながら、グリフは仲間のパラミラに身体を引き摺られてオーガーから離された。彼女は光の神の一柱ユラントに仕える神官戦士である。
パラミアもチェインメイルと剣で武装しているが、オーガーの矢面に立つには厳しいと判断して、この戦いではサポートに徹して待機していたのだ。
前衛としての腕前はグリフ達に劣るものの、神官として実力は確かであり、魔術師の火球の魔法が完成する頃には、グリフの傷はパラミラと神の癒しの力によって、再び立てるまでに回復していた。
魔力を純粋な破壊の力へと具現化させた魔術士セレメは、傷に悶えながらも立ち上がろうとする敵に向かって手にした杖で指し示した。
彼女によって創り出された〝火球〟は再びオーガーの目の前で具現化すると、轟音と衝撃を周囲へとばら撒いた。
「とどめだ!」
二発目の〝火球〟の魔法によって、虫の息となったオーガーの頭部をガルドが矢で射ぬいた。人間離れした耐久力を持つオーガーではあるが、頭部を撃ち抜かれれば絶命する他ない。戦いを終えたグリフ達は、溜息にも似た勝利の歓声を上げた。
微かな光に映し出される姿は人の特徴を捉えてはいるが、良く見れば歪であることがわかる。衣服を身に着けず剥き出しになった上半身は、非常に発達した筋肉に覆われていて、こぶのように盛り上がった肩からは膝先まで届く太くて長い腕が生えている。
下半身には申し訳程度のように、獣の毛皮と思われる腰巻を巻いており、そこから剛毛で覆われた逞しい二本の脚が垣間見える。
そして、何よりも目を引くのは全体の大きさである。並の人間の倍近い身長を持った巨体であり、肉厚の身体が歩く姿はさながら岩山が動いているようだった。
この巨人の正体はオーガー。人型の種族ではあるが知能は低く、恵まれた膂力を使った原始的な狩猟生活をしており、どちらかと言えば獣に近い存在である。
他の野生動物に比べて人間は獲物として手頃なのか、好んで人間を襲う恐るべき捕食者だった。
木陰からオーガーの様子を窺っていたグリフは、同じように隣で監視していた仲間に目配せをする。
無言で頷く彼の返事を確認すると、更に背後に控える仲間達に合図を送った。事前の作戦では前衛のグリフ達がオーガーの注意を惹きつける手筈となっているからだ。
「いくぞ、レスゲン!」
グリフは相方の仲間に告げると腰の長剣を抜いて、彼とともに隠れていた岩陰から飛び出した。
二人を見付けたオーガーは呻き声を上げると、上半身に比べるとやや寸足らずな脚で走り寄って来る。グリフ達はオーガーとの対決に際して、日中の間に牧草地であるこの場所から羊たちを安全な村の中へと移動させている。戦いの準備は整っていた。
背後から微かに聞こえる、詩を歌うような若い女性の声に期待と頼もしさを感じながら、グリフは迫り来る巨体に備える。
オーガーにとっては五歩ほどの間合い、グリフにはその倍の十歩ほどまで接近した時点で聞こえていた詩の詠唱が止み、突如オーガーの目前に小さな樽ほどの火の塊が現れる。
オーガーに触れる寸前に火は膨れ上がるように爆発し、人の背丈の倍ほどの周囲に炎と衝撃波を撒き散らす。仲間である女魔術士セレメが自身の使える最大の攻撃魔法である〝火球〟の魔法を炸裂させたのだった。
爆炎の範囲からは距離があったグリフにも余波が押し寄せる。彼は顔に当たる熱波を受けながら、魔法の威力に改めて畏怖を感じた。
〝火球〟は詠唱者が指定した対象を中心に炎と衝撃波を生じさせる魔法だ。魔法としては中位に位置する魔法だが、魔術士そのものが生まれつきの才能を必要とする貴重な存在であるため、この魔法は世間一般には魔術士と彼らが持つ恐るべき力を代表する魔法となっている。
もっとも、発動させるには膨大な魔力を必要とし伝説に残るような魔術士でもない限り、一日に何度も打てるような代物ではなく、グリフの仲間であるセレメも現在の実力では一日に二発放つのがやっとのことであった。
そのため、グリフ達はオーガーとの対決に際して〝火球〟を最大限の効果を発揮する緒戦で使用する作戦を立てていたのだ。
この目論見はグリフ達の下調べと、根気を必要とした待ち伏せによって見事に成功した。だが、グリフ達も〝火球〟だけでオーガーを完全に倒せるとは思っていない。
人間にとっては凄まじい殺傷能力を誇る〝火球〟もオーガーの巨体に比例した生命力にどこまで通用するかは未知数なのだ。
グリフとレスゲンは敵に止めを刺すため、爆炎の中心地でうずくまる巨体に武器を構えて油断なく近づいて行く。これからが本当の意味での戦いだった。
肉を焦がした煙と悪臭が漂う空気の中、オーガーは立ち上がると怒りに満ちた咆哮を二人に浴びせ掛ける。
上半身の一部には醜く爛れた皮膚と炭化した黒い染みが浮かび〝火球〟の爪痕が残っていたが、グリフには想定していたよりもオーガーへのダメージが低いように感じた。
魔法は詠唱者の魔力によって創造される現象故に、魔法の標的となった者は詠唱者よりも強靭な精神力を示すことで効果を弱める、または完全に無効化するが可能だ。
知性では人間に劣るものの、巨人の一種であるオーガーは高い魔法耐性を持っているのだ。そして〝火球〟のショックから立ち直ったオーガーは爛々と光る黄色の瞳に怒りを浮かべると、自分に対峙する人間の一人へと襲い掛かった。
胆の弱い者ならば、聞いただけで戦慄すると思われる雄叫びを上げて黒山のような存在がグリフに迫る。
巨体の化け物は浅黒い肌の下に盛り上がる筋肉に包まれた腕を振い、目の前の獲物を血肉の塊に変貌させようとした。動きそのものは粗雑であり、隙が多い攻撃だが、質量に裏打ちされたこの暴力が恐るべき破壊力を秘めているのは確かだった。
グリフは人食い鬼と呼ばれるオーガーが放つ恐怖に自身の闘志で抗いながら、これまで培ってきた戦士としての勘に従って身体を動かした。左に半歩移動し、頭を素早く下げたのだ。それと同時に手にした長剣を化物に向かって刃を押しつけるように突き出す。
オーガーは人間を遙かに凌駕した体格と怪力の持ち主ではあるが、人型である故に身体の生理的な動きや弱みは人間と共通している。グリフはオーガーの腕を使った攻撃を掻い潜ると、無防備となった左太腿へ攻撃を加えたのだ。
顔に当たる風圧と両腕に伝わる鈍い手応えを感じると、グリフは屈めた身体をそのまま転げるように前転させる。
背後で唸るオーガーの獣のような悲鳴が耳を突いた。連続で三回転して距離を開けたグリフは眩暈に耐えながら起き上がると、直ぐに身体を捻ってオーガーへと向き直した。
隙の出来る危険な瞬間だったが、仲間のレスゲンが怪物の背面から攻撃を仕掛けて、グリフへの追撃を防ぐと同時に、手痛い傷を負わせているのが目に映った。オーガーは聞き触りの悪い悲鳴を更に上げた。
「左へ!グリフ!」
背後から掛けられ指示にグリフは素直に従った。彼が空けた空間に風切り音が響くとともに一本の矢がオーガーの首筋に近い右肩に突き刺さる。後ろに控えていた仲間、グリフ達冒険者パーティーのリーダーであり射手も務める、ガルドからの援護攻撃だ。
グリフ達前衛が敵と対峙し足止めをして、その隙を突いて後衛の仲間達が安全圏から効果的な攻撃や援護を行うのがグリフ達の定石だった。
身体に負った傷から赤黒い血を噴き出しながら、オーガーは見境なく暴れ出す。
それは狩る者から狩られる者に変った自身の存在を否定する怒りを込めた抗議のようだ。でたらめな動きだが、却って攻撃の予想が出来ずに、前衛役であるグリフ達は一旦、距離を取るしかなかった。
「森の中に逃げるつもりだ!」
それまで冷静に弓矢による攻撃を加えていたガルドが、オーガーの意図を見抜いてグリフ達に警告を発した。
一見すれば、弓矢に晒されながらも狂ったように腕を振り回しているオーガーだが、徐々にではあるが森側に向かって移動していたのだった。
木々が立ち並ぶ森の中に逃げられれば、連携して戦うにはある程度の広さが必要なグリフ達には、圧倒的不利な状況となる。まして、この森は奥地を魔女が支配すると言い伝えられる、曰くつきの魔境である。
森の中へ逃げた手負いのオーガーを追うのは、各個撃破される危険な行為だった。
実際、オーガー退治を依頼されたグリフ達は周到な調査と計画を練って、近隣の村人達を襲うオーガーを森から離れたこの牧草地で待ち伏せをしていたのだ。
「レスゲン!」
警告の意図を理解したグリフは相棒の名前を呼ぶと、オーガーと森の間に割って入る位置に移動した。これ以上森に近づけさせてはならない。
「おう!」
グリフの掛け声にこれまで牽制程度の攻撃に抑えていたレスゲンが、反対側からオーガーに斬り掛かった。
レスゲンは、グリフとともに仲間達を守る前衛としての役割を担っている戦士だ。両手剣を得意とし、防御と身体の動きを両立させる鎖帷子を装備するグリフに対して、彼は片手剣と盾、そして身体を本格的な板金鎧で武装している。
攻撃に比重を置くグリフと防御に優れたレスゲンの二人はお互いの能力を補完し合う良いコンビだった。
レスゲンの攻撃はオーガーの左前腕部を捉えるが、表面を浅く斬るだけに終わり、攻撃のため踏み込んでいた彼はオーガーの蹴りによる反撃を受けた。レスゲンはその攻撃を辛うじて盾で受けるが、体重では四倍相当に値する相手からの衝撃を受けて後方に吹き飛ばされる。
「このくそ野郎!」
オーガーに斬り掛かる衝動を抑えながら、グリフは怒りを込めて毒突いた。
レスゲンの危機ではあったが、森へのルートを押させる自分までもが迂闊に近づいてしまっては、オーガーに逃げられる危険性を増やすだけである。レスゲンへの加勢はオーガーの動きを見据えてからだ。
そしてグリフの判断が正しいことは直ぐに証明される。レスゲンへの追撃への絶好の機会であったのにも関わらず、オーガーは森へと続くルートの障害者であるグリフに向き直ると突進してきたのだ。
追いつめられた手負いの怪物の圧力は先ほどよりも、凄まじい気迫が込められていた。
グリフは本能が訴える回避への誘惑を最大限の意志の力で封じ込めると、長剣をオーガーに向けて突き立てようとする。
自分がここで対決を避ければ、オーガーが森へと一気に走り去るのは間違いないことだからだ。そして、一旦走り出せば、体格で上回るオーガーに追いつくのは不可能だった。
目前に迫るオーガーの凶悪な顔面を睨めつけながら、グリフは繰り出された丸太のような腕を避けると、今度は長剣で右脚部を狙って切り裂こうとした。相手の機動力を完全に削ぐためである。
だが、二番煎じとなったこの攻撃はオーガーの膝蹴りによって阻止された。激しい衝撃を受けて吹き飛ばされるグリフだったが、蹴られる寸前にオーガーの脚に剣を突き刺すことだけは忘れなかった。
仰向けに転がったグリフは左半身全体に激しい痛みを感じながらも、腰から短剣を引き抜くと敵の姿を探した。
オーガーは意味の分からない呻き声を漏らしながら、自分の太腿に刺さった彼の剣を引き抜いている。それから顔を上げて短い草の生い茂る地面に寝転ぶグリフを見付けると、再び怒りを込めて何度目かの雄叫びを上げた。
グリフは咄嗟に立ち上がろうとするが、激痛が彼の動きを阻害する。
『やられる!』
グリフが死の覚悟をした瞬間、オーガーの咽喉に矢が突き刺さった。その攻撃でこれまで耐えていたダメージに堪えきれなくなったのか、怪物はその場に片膝を着く。
良く見ればオーガーの身体には、あちこちに矢が刺さっている。グリフ達前衛が抑えている間にもガルドが攻撃を続けていたのだ。
「もう一度、火球の魔法を使います!グリフを敵から離して!」
味方の魔術士セレメが、声を枯らすのを厭わないような大声で言い放った。火球の魔法は大量に魔力を消費する魔法であり、一日に二発目を放つには彼女の技量では危険な行為のはずだったが、グリフ達の危機を見て静観していられなくなったのだ。
セレメは端整な顔に苦痛を浮かべながら、魔法を構築させる呪文を唱え始める。
「悪いけど引き摺らせてもらうわよ!」
身体の半身に温かい何かを注がれるような感覚を感じながら、グリフは仲間のパラミラに身体を引き摺られてオーガーから離された。彼女は光の神の一柱ユラントに仕える神官戦士である。
パラミアもチェインメイルと剣で武装しているが、オーガーの矢面に立つには厳しいと判断して、この戦いではサポートに徹して待機していたのだ。
前衛としての腕前はグリフ達に劣るものの、神官として実力は確かであり、魔術師の火球の魔法が完成する頃には、グリフの傷はパラミラと神の癒しの力によって、再び立てるまでに回復していた。
魔力を純粋な破壊の力へと具現化させた魔術士セレメは、傷に悶えながらも立ち上がろうとする敵に向かって手にした杖で指し示した。
彼女によって創り出された〝火球〟は再びオーガーの目の前で具現化すると、轟音と衝撃を周囲へとばら撒いた。
「とどめだ!」
二発目の〝火球〟の魔法によって、虫の息となったオーガーの頭部をガルドが矢で射ぬいた。人間離れした耐久力を持つオーガーではあるが、頭部を撃ち抜かれれば絶命する他ない。戦いを終えたグリフ達は、溜息にも似た勝利の歓声を上げた。
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