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魔王が突然討ち取られてしまったので私が本気を出すしかない!

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「これを至急、第三隊長のウルバに届けて」
 机に置かれたランプの淡い光が照らす中、命令書を書き上げたリーネは蝋で封印を施すと、待機にしていた伝令に顔を向ける。
 山羊を彷彿させる特徴的な下半身をした異形の男は一瞬、薄暗い執務室の中にあっても紅玉のような光沢を放つリーネの赤い瞳に震えるが、直ぐに差し出された羊皮紙を恭しく受け取ると足早に部屋を出ていった。
「ふう・・・やっと一息つけるな」
 一人となったリーネはそう呟くと浅く腰かけていた書斎椅子から立ち上がり伸びをする。肩で切り揃えた癖のない銀色の髪が揺れ、整った顔が露わになる。人間ならば二十歳を過ぎたばかりと思われる若い女性だ。
 時刻は宵の口を迎えた頃であるが、彼女がこの時間に仕事を片づけることが出来たのは何日かぶりのことである。気分が高揚するのも無理はない。
 解放感からリーネは背中が開いた革鎧から突き出る、鱗に覆われた蝙蝠のようなを被膜を広げ、軽く羽ばたかせた。
「おっと!」
 巻き起こった風で白紙の羊皮紙が飛びそうになるとリーネはあわてて自慢の翼を折りたたむ。
 様々な豪華家具を備え、人間ならば充分な広さを持った領主の執務室であるが、彼女にはいささか窮屈だ。椅子には座面に綿の詰まったクッションが敷かれているが、翼が邪魔で深く腰を掛けることは出来ないし、天井も低くて飛ぶことはおろか伸びをしただけ風圧で何かが落ちたり散らばったりする。
 もっとも、このエレンダの街は人間達が作り上げた街である。征服したからといって魔族である自分が施工に対して文句を言うのは筋違いだろう。この執務室を使い易くするには街の支配体制とともに徐々に進める他ないのだ。

 リーネは諸部族に別れていた〝混沌の子ら〟を纏め上げ、大陸東側を支配する人間国家に進攻を開始した魔王ダレリオン二世に仕える魔族である。現在、彼女はその主君から征服したエレンダの街の統治を任されていた。
 魔族は神々の大戦のおりに混沌の神々に尖兵となるよう生み出された種族で、人間の形を基調としながらも様々な生き物の部分的特徴や魔法能力を備えてこの世界に生まれ落ちる。
 全身に鱗を生やした者、下半身が大蛇となっている者、頭から角を生やす者などその姿は千差万別だが、例え親が虎の頭部と膂力を持つ強力な魔族だったとしてもその子が同じような特徴を持つ保証はない。
 そのため魔族の強さは、如何に混沌の恩寵を濃く受けて生まれて来るかでおおよそが決まる。
 ダレリオン二世も並の人間の倍はある背丈と筋骨隆々な肉体、更にはその身体能力を上げる魔法的加護を生来に身に付けており、これらの能力によって魔王の座に登り遂げたのだった。
 そんな力こそ正義という理がまかり通る魔族であるが、リーネはどちらかと言えば単純な強さだけでなく、執務能力の高さで現在の地位に出世していた。
 魔族とはいえ軍である以上様々な問題が発生する。数人の群で小さな村を襲うのならともかく、数千、数万規模の数の集団になると食料を始めとする補給とそれを必要とする部隊や部族に送り届ける道のりの確保、更には戦利品の分配や征服地の支配体制などを計画的に進めなくてはならない。
 さもなければ、早々に軍そのものが破綻してしまうからだ。
 リーネはそのような魔族達が苦手とする仕事を致し方なく引き受けるようになり、遂には魔王の軍勢の中にあって四大幹部の一角を占めるに至った。
「まあ、なりたくてなったわけじゃないんだけど・・・」
 机の横に立て掛けていた自身の獲物である槍を取ると、リーネは現在の境遇に愚痴を零す。
 魔王であるダレリオン二世に才能を認めてもらった事実は嬉しいが、空を自在に飛び回れる翼と見つめた者に様々な暗示を与える緋色の瞳を混沌の神々から与えられ〝魔眼のリーネ〟と同族からも恐れられる彼女からすれば、今の自分の立場は本意ではない。
 可能ならば部隊長クラスの地位で槍を手に最前線で暴れたかったというのがリーネの本音である。
 魔族の本能のままに戦い、見麗しい人間の少年達を奴隷に落し自らに傅かせる。これが女魔族に生まれた彼女の理想の生き方であった。
 だが、なまじ高い地位を与えられると戦後処理とその後の運営を考えなくてならない。
 支配下にある人間は貴重な労働力だ。彼らを使役するのに恐怖は有効な手段となるが、使い過ぎれば絶望から自暴自棄の反乱に繋がる恐れがある。前線のダレイオン二世に軍の主力を送っているためエレンダには三割ほどの部隊しか置いていない。
 領主を任されているリーネが欲望のままに街を統治すれば、部下の歯止めも効かなくなる。彼女は支配者である魔王軍にも、奴隷階級の人間達に対してもある程度公平な統治者でなければならなかった。

 愛用の得物を手にしたリーネは久しぶりに武芸の鈍りを解消しようとバルコニーへと足を向ける。仕事が一段落したのだから、窮屈な執務室にいつまでも引きこもっている必要はない。遊んでいる余裕はないが、気晴らしは必要だった。
「・・・ん?・・・何者だ、姿を現わせ!」
 自由に空に舞う感触を思い出していたリーネだが、バルコニーの外から漂う気配を感じると槍の穂先を向けながら誰何の声を上げる。
 執務室は領主の館の三階に位置しており、気軽に近づける場所ではない。
 もちろん魔族の中には彼女のように飛行能力を持つ者もいるが、魔王に継ぐ位である四天幹部の機嫌を損ねるような愚か者がいるはずもなく、リーネは魔族の支配に抵抗する人間の暗殺者を疑った。
「わ、私だ、リーネ!内密の話がある、中にいれてくれ!」
「・・・その声はラウレか?!お前は陛下の主軍に先だって密偵の任に就いているはずではなかったか?!」
 即座に臨戦体勢を取ったリーンだが、返された声に聞き覚えがあることを思い出すと、姿を見せない声の主に疑問を投げかける。
 ラウレはリーネと同じく魔王軍において四天幹部の座を得ているダークエルフの名前だ。諜報活動を担当しており、予定どおりならば魔王軍の当面の敵であるアデリン王国の内部で情報収集と攪乱をしているはずだった。
「とりあえず、中に入れてくれ!俺が来ていることはあんた以外に知られたくない。説明はその後だ!」
「・・・わかった。入るがいい」
 リーネが許可を与えるとバルコニーに繋がるガラス扉がひとりでに開き、夜の冷たい風とともに見ない何者が部屋へと入って来る気配が伝わる。
 その何かによって扉が閉められると、艶のある黒髪を腰まで伸ばした男がリーネの前に現れる。褐色の肌に先がとがった耳はダークエルフの特徴と一致する。その者は〝姿隠し〟の魔法を解除した〝隠密のラウレ〟その人に違いなかった。
「・・・何があったのだ?!」
 これまでの様子から既に只事ではないことが起きたと察したリーンは前置きや挨拶も無しにラウレへ問い掛ける。
「ああ・・・驚かずに聞いてくれ・・・・まあ無理かもしれないが、実は・・・陛下が討死なされた!」
「・・・なんだって?!正気かお前?!殺すぞ!!」
 リーネは柳の葉のような美眉の間に縦皺を寄せて、ラウレを問い詰める。身体が無意識に槍を構え、もう少しでこの痩せたダークエルフを串刺しにする勢いだ。
「ま、待て!俺は正気だ、リーネ!あんたがブチ切れる理由はわかる。だが、これは質の悪い冗談ではない!俺も部下から報告を受けた時は信じられなかった。・・・だが、俺は首のないあの方の遺体をこの眼で見たんだ!・・・調べた結果、陛下は人間の精鋭部隊と思われる戦闘集団に襲撃され、首級を取られたようだ。そして・・・陛下を失ったことで我が軍の主力は混乱をきたしアデリン軍に各個撃破されつつある。・・・四日、いや三日ほどで主力を蹴散らしたアデリン軍がこのエレンダを取り戻そうとやって来るだろう。俺はそれをあんたに報せるため戻って来たんだ!」
「そんな馬鹿な!あの頭の中まで筋肉どころか鋼鉄で出来ているような怪物・・・いや、陛下が人間如きに斃されるはずが・・・では、ゲデリーニとモルルグはどうした?!」
 感情では魔王の死を受け入れることが出来ずにいるリーネだが、ラウレがつまらぬ嘘を吐くような男では無い事は知っている。
 何より彼女の論理的な思考が護衛と軍師として魔王の側に就いていた二人の同僚の動向を聞かずに要られなかった。
「二人は陛下とともに討死した。・・・俺も当初はこの二人、もしくはどちらか一人が陛下を裏切ったと疑ったのだが、そんなことはなかった・・・」
「あ、あの二人と陛下が同時に敗れたというか?!」
 ラウルの説明にリーネは辛うじて槍を支えに床に崩れ落ちるのを耐える。
 ゲレニーデは魔族の中でも〝傀儡師〟と恐れられる男で、普段は醜い素顔と肥満した身体をフードつきのローブで覆って隠しているが、背中には精気を吸い取る多数の触手を生やしており、その触手が原因で死んだ者を生きる屍として傀儡のように操る異能を誇っていた。
 またモルルグも〝蛇頭〟の二つ名で呼ばれる存在で名前のとおり頭部が大蛇のそれとなっており、致死性の毒牙を持つだけでなく高度な魔法を扱う魔術士として魔王軍の一角を担う戦力の一人だった。
 その二人が魔王に侍りながら人間に負けたのはリーネにとって悪夢でしかない。
「そうだ!!あと、これは・・・未確認の情報なのだが、陛下を倒したのは二十年前に先代の魔王を倒した〝凶星ルゼリオ〟の一派らしい・・・」
「ば、馬鹿なルゼリオは既に死んだという神託が出ていたではないか?!・・・いや、ちょっと待ってくれ少し座らせてくれ!!」
 溢れ出す凶報にリーネは震えながら先程まで執務を取っていた椅子に座る。これ以上は立っていられる自信がなかったのである。
 出来る事なら少女のように泣き出してしまいたかったが、それだけは魔族の矜持で耐える。
「先にも行ったがこれは未確認の情報だ。だが、陛下とゲレニーデ、モルルグこの三人を同時に討ち取れる人間がこの世に何集団もいるとは考えられないし、考えたくもない。・・・陛下が東に挙兵するには十年早かったのかもしれない・・・」
 ラウレの最後の言葉には思うところがあったが、リーネは黙って机の抽斗から蒸留酒の瓶を取り出すと、一つしかない盃に琥珀色の中身を注ぎダークエルフに差し出す。そして瓶の残りはリーネが直接飲み干した。
 それを見たラウレも意を決したようにも盃を一気に空ける。二人とも飲まずにはいられない状態だった。

「我が軍が置かれている状況を改めて説明する必要もないと思うから率直に言おう・・・リーネ!あんたが陛下の後を継いで次期魔王となれ!」
 空気そのものが重みを持っているような沈黙を破ったのはラウレだった。彼は椅子に座るリーネの正面に立つと力強くそう告げる。
「わ、私が・・・魔王にだって?!」
「そうだ、あんたが魔王になり、これから魔王軍を率いるんだ。アデリン軍はもうそこまで来ている。このままではここも落ちるだろう。撤退するにしても頭がいなくてはどうにもならん。それに陛下の討死の噂はもっと早く来る。住人達に知られる前に先手を打つ必要がある!」
「・・・確かにお前の言うとおりだが・・・わ、私は頭を張るような器でない!今の四大幹部の地位だって望んでいたわけじゃない。そこそこの立場で人間相手に好き放題にやる。それが出来ると思って魔王軍に加わったのだ。魔王の座と称号を継ぐなんてとてもじゃないが自信がない!・・・そうだラウレ!遠慮しないでお前が魔王になれば良い!それなら私も全面的に協力しよう!」
 魔王討死のショックで思考力が衰えていたリーネだが、ラウレの提案に必死に反論を示す。
「おいおい!〝魔眼のリーネ〟ともあろう者がどうした!俺も四大幹部の一角ではあるが、魔族が主体の魔王軍の中では外様に過ぎん。混沌の加護があるとはいえ、エルフ族を始祖とする俺では大半の魔族が魔王と認めないだろう。エルフ族に魔王を僭称されるくらいならば俺が!といった連中が出て来るに決まっている。お前が魔王となり、指揮を執るのが一番なんだ!」
「そんな・・・私はただ、美少年のハーレムを作りたかっただけなのに、なんでこんなことになるんだ!!撤退戦なんて進攻より大変じゃないか!そんな指揮を私に出来るとは思えない!」
 ラウレの指摘が全くの正論なだけに、リーネは思わず本音を口にしてしまうが、それを取り繕う余裕はなかった。
「・・・なあ、リーネしっかり考えてくれ。お前が魔王の座を継がなければ、部隊や部族長クラスの中から我こそが魔王だと名乗りを上げる者が必ず複数出て来るんだ。あいつらは中途半端に力を持っているからな。そうすれば内乱になって消耗し、最後は残り少なくなった戦力をアデリン軍に殲滅させられる。・・・俺達〝混沌の子ら〟はまた二十年は〝光の子ら〟に対して遅れを取ることになる。いや、ダレリオン二世が現れたから、諸部族に分かれていた俺達を二十年で統一出来たんだ。次は二十年ではすまないだろう!」
「・・・くっ」
 短く呻き声を上げるとリーネは、彼女にとっては低い執務室の天井を仰ぎ見る。
 ラウレの説明は彼女にも痛いほど理解出来ていた。最も合理的であり、立場が違えばリーネも同じ説得をしただろう。
 だが、当事者となれば話は別である。魔王はこの大陸の〝混沌の子ら〟の頂点に位置する魔族の尊称だ。血縁を重視しない魔族にとって魔王である証明は配下の魔族達がそれを認めるかに掛かっている。
 かつて実力に似合わず魔王を僭称し、同族に滅ぼされた者は星の数ほどいる。リーネは自分が魔王に値するか直ぐには答えを出せなかった。

「・・・わかった。亡き陛下の後を私が引き継ごう!このままでは魔王軍が瓦解するのは明らかだ。下手をすれば人間達に逆に攻め込まれる恐れまである。それを防ぐためにも可能な限りの残軍を東に撤退させる!」
 長い沈黙の末にリーネは判断を下した。自ら望んだことではないが、自分の背には多くの同胞の運命が乗っている。それを個人的な感情で放り出せるほど彼女は無慈悲ではなかった。
 思えば、これまでもこのような形で仕事を押し付けられていたような気がする。もっとも魔王就任はこれまでが遊びと思えるほどの重い責務だ。
「まずは、このエレンダにいる部隊長クラスの連中を完全掌握する。これから軍議を開き陛下崩御を報せるが、おそらくはしゃしゃり出てくる者が何人か出て来るだろう。そいつらは・・・」
 覚悟を決めたからには、全力でことに当たるしかない。リーネは早速、最重要課題に取り込む。
 ダレリオス二世が確立した指揮系統からすれば、魔王の座はともかく四大幹部のリーネが残軍の指揮を執るのは正当な行為である。
 だが、魔族達の多くは常に自らの地位向上を虎視眈々と狙っている。この窮地に乗じて自らが魔王の地位に就こうとする者が出るのはラウレに指摘されるまでもなく、わかりきった事実だった。
「そいつらは、こっそり隠れていた俺が消せば良いのだな!」
「そうだ、お前はいつも話が早くて助かる。やるからには徹底的にだ!部隊長クラスを失うのは痛いが、最初に反逆心のある者を始末する益とは比べられないからな。もっとも、可能な限り私の〝魔眼〟で服従させるつもりだ。だから、ラウレは最後の手段だ!」
「了解した。・・・ふふふ、こっちも生き残ったのがあんたで良かったよ」
「ところで主力の中で、エレンダまでたどり着けそうな部隊はあるか?」
 軍議の手筈を終えたリーネは次の課題に移る。
「既に接触可能な部隊には、私の影達を送って最優先でエレンダに撤退するよう連絡を送っている。また、指揮系統の混乱から自分の判断で撤退する部隊長もいるだろう、だが主力の多くは・・・今思えば戦線を広げすぎていた。・・・合わせて千人も帰って来れば良い方だろうな」
「その程度か・・・。では、打ち合わせどおりこれから軍議に開く。手筈どおりにな!・・・それが終わり次第、お前には再びアデリン軍の動きを探ってもらうことになるが構わんな?」
「もちろん、それで構わない。既に俺はあんたを・・・リーネ様を魔王と認めている。謹んでご命令を受けましょう!」
 それまでの言葉使いを改めてラウレは片膝をついてリーネに臣下の礼を取る。
「・・・うむ」
 直前まで同格であった者から唐突に敬わられるのは、奇妙な気分であったがリーネは鷹揚に頷く。この瞬間、臣下を得たことで彼女は新しい魔王となった。

 撤退戦を成功させても魔族が再び攻勢に出るには数年間の雌伏の時が必要だろう。だが、必ず戻ってくるとリーネは誓う。
 責任感から魔王を後継したが、彼女は自身の野心も持っている。美少年の奴隷達を欲望のままに傅かせることだ。魔王ならばそれに相応しい規模のハーレムを持てるに違いない。
「ふふふ・・・」
 前途は多難と言えたが、魔王に成るのも悪くないのかもしれない。
 リーネはそう胸の中で呟くと、魔王としての初仕事を片づけるために立ち上がるのだった。
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