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閉ざされた街
2 場末の酒場
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夜の帳が落ちた頃、安油を使ったランプの淡い灯が照らす店の奥で、鎖帷子と長剣で武装した男が一人、周りの喧騒から孤立するように麦酒で喉を潤していた。
その身を覆う鎧はところどころ修繕した箇所があり、随分と草臥(くたび)れている。それ故に腰に帯びた長剣も安物に違いないと思われたが、こちらは人の手で彫られたとは思えないほど緻密な細工が施された業物である。もっとも、それはありふれた革の鞘と柄に巻かれた麻布によって巧妙に隠されている。店の中でその真の価値に気付く者は誰一人としていなかった。
この風変わりな戦士の名前はダレス。彼は冒険者あるいは傭兵を生業(なりわい)としており、ランゼル王国で戦(いくさ)が始まるという噂を聞きつけて王都カレードにやって来ていた。そして、同業者が集う酒場兼宿屋〝酔いどれ狼亭〟に二日前から身を寄せているのである。
連れや仲間等を持たない主義のダレスは、喧騒に紛れながら一人で飲む事を好んだ。酒精が効いてくれば雑音等は気にならなくなるし、耳を澄ませば同業である彼らが話題している噂や情報を盗み聞きすることが出来る。彼にとっては丁度よい酒の肴なのだ。
そんな彼が耳を側立てながら麦酒を飲んでいると、喧騒に満ちていた店内が突如、緊張と静寂に支配される。ざっと数えても三十人はいる客達が一斉に口を噤むのは異様な光景と言えるだろう。
その気配に気付いたダレスはいち早くその静寂を齎(もたら)した存在に視線を送る。いつの間にか〝酔いどれ狼亭〟の出入口には一人の女性が立っていた。
彼女は場末の酒場に似つかわしくない容姿をしていた。身長は女性にしては高く、その身を紺色と白を基調とした僧衣で纏っている。首からは聖印を下げており、それはこの国の国教であるユラント神の神官であることを示している。
頭部は僧衣の一部である頭巾で隠しているが、艶のある金髪が僅かに見えており、その下にある彼女の顔をまるで金の象眼のように際立たせていた。
年の頃は二十歳前だろうか、一般的に女性が最も美しい頃とされているが彼女は特に際立っていた。その整った顔は優れた彫刻の作品のようであり、さらに気品も持ち合わせている。
ユラント神の神官であることもあり、見る者に聖女の如き印象を与える。酒場にいた客達が呆気にとられ、会話を忘れるのも無理はなかった。
もっとも、ダレスの眼は彼女の僧衣の下には上等の鎖帷子と棒状の武器が隠されていることを見抜いていた。武器はおそらくは神官が好んで使うメイスだろう。
見た目こそ聖女のような彼女だが、場末の酒場に非武装で来るほどのお人好しではないと言う事だ。
一瞬でそこまで値踏みしたダレスだったが、唐突に女性と視線が絡み合う。
僅かな灯の中でもはっきりと澄んだ青色とわかるサファイアのような瞳だ。どうやら、相手を観察していたのは自分だけではなかったらしい。
ダレスを認識した彼女は微かな笑みを浮かべる。まるで探し物を見つけたような安堵と期待が思わず零れ出たようだった。
並の男ならば、その微笑みを贈られただけで、男としての自信と誇りを擽(くすぐ)られたはずだが、彼は逆にトラブルの匂いを感じ取ると、厠(かわや)に逃げ出そうと腰を上げようとする。
だが、女性の動きは素早かった。彼女はまるで逃げ道を塞ぐように裏口に繋がるルートを通ってダレスが座る店奥のテーブルにやって来る。
そして、店内の衆目が固唾を飲んで見守る中、ダレスに告げた。
「ダレス様ですね。私はユラント神に仕えるアルディアと申します。お願いです! どうか、あなたの力をお貸し下さい!」
それは実直に助力を訴える懇願の声であった。だが、神に仕える立場であるためだろう。商人のような計算したような卑屈さや駆け引きは全く含まれていない。良く言えば裏表のない忌憚のない願いだが、悪く言えば相手が断ることを前提としていない傲慢さがあった。
「・・・まずは、店の奥に行こう。詳しい話はそれからだ」
ダレスとしては当初から答えは決まっていた。否である。
彼は自身の剣の腕で路銀を稼ぐ傭兵、冒険者の類ではあったが、面識のない相手から名指しで来る依頼には警戒を抱いていた。それはダレスにとってロクでもない厄介事に間違いないからだ。相手が聖女のような美女であってもダレスの心が揺れることはなかった。
当然、断るつもりだが、この手の依頼を持ち掛ける者達の聞き分けが悪さも経験から充分に理解している。断るにもそれなりの手順が必要であるし、その様子を他の客達に披露したくなかった。
ダレスは客達と一緒にカウンターから身を乗り出すように二人を見守っていた酒場の主人に目配せをすると、内密の商談をするために用意されている奥の個室に女性を誘う。
「ええ、わかりました!」
ダレスの胸の内にはまだ気付いていない女性だが、彼女にとっても内密に話が出来ることは都合が良いのだろう。提案に頷くとダレスの後に続いたのだった。
その身を覆う鎧はところどころ修繕した箇所があり、随分と草臥(くたび)れている。それ故に腰に帯びた長剣も安物に違いないと思われたが、こちらは人の手で彫られたとは思えないほど緻密な細工が施された業物である。もっとも、それはありふれた革の鞘と柄に巻かれた麻布によって巧妙に隠されている。店の中でその真の価値に気付く者は誰一人としていなかった。
この風変わりな戦士の名前はダレス。彼は冒険者あるいは傭兵を生業(なりわい)としており、ランゼル王国で戦(いくさ)が始まるという噂を聞きつけて王都カレードにやって来ていた。そして、同業者が集う酒場兼宿屋〝酔いどれ狼亭〟に二日前から身を寄せているのである。
連れや仲間等を持たない主義のダレスは、喧騒に紛れながら一人で飲む事を好んだ。酒精が効いてくれば雑音等は気にならなくなるし、耳を澄ませば同業である彼らが話題している噂や情報を盗み聞きすることが出来る。彼にとっては丁度よい酒の肴なのだ。
そんな彼が耳を側立てながら麦酒を飲んでいると、喧騒に満ちていた店内が突如、緊張と静寂に支配される。ざっと数えても三十人はいる客達が一斉に口を噤むのは異様な光景と言えるだろう。
その気配に気付いたダレスはいち早くその静寂を齎(もたら)した存在に視線を送る。いつの間にか〝酔いどれ狼亭〟の出入口には一人の女性が立っていた。
彼女は場末の酒場に似つかわしくない容姿をしていた。身長は女性にしては高く、その身を紺色と白を基調とした僧衣で纏っている。首からは聖印を下げており、それはこの国の国教であるユラント神の神官であることを示している。
頭部は僧衣の一部である頭巾で隠しているが、艶のある金髪が僅かに見えており、その下にある彼女の顔をまるで金の象眼のように際立たせていた。
年の頃は二十歳前だろうか、一般的に女性が最も美しい頃とされているが彼女は特に際立っていた。その整った顔は優れた彫刻の作品のようであり、さらに気品も持ち合わせている。
ユラント神の神官であることもあり、見る者に聖女の如き印象を与える。酒場にいた客達が呆気にとられ、会話を忘れるのも無理はなかった。
もっとも、ダレスの眼は彼女の僧衣の下には上等の鎖帷子と棒状の武器が隠されていることを見抜いていた。武器はおそらくは神官が好んで使うメイスだろう。
見た目こそ聖女のような彼女だが、場末の酒場に非武装で来るほどのお人好しではないと言う事だ。
一瞬でそこまで値踏みしたダレスだったが、唐突に女性と視線が絡み合う。
僅かな灯の中でもはっきりと澄んだ青色とわかるサファイアのような瞳だ。どうやら、相手を観察していたのは自分だけではなかったらしい。
ダレスを認識した彼女は微かな笑みを浮かべる。まるで探し物を見つけたような安堵と期待が思わず零れ出たようだった。
並の男ならば、その微笑みを贈られただけで、男としての自信と誇りを擽(くすぐ)られたはずだが、彼は逆にトラブルの匂いを感じ取ると、厠(かわや)に逃げ出そうと腰を上げようとする。
だが、女性の動きは素早かった。彼女はまるで逃げ道を塞ぐように裏口に繋がるルートを通ってダレスが座る店奥のテーブルにやって来る。
そして、店内の衆目が固唾を飲んで見守る中、ダレスに告げた。
「ダレス様ですね。私はユラント神に仕えるアルディアと申します。お願いです! どうか、あなたの力をお貸し下さい!」
それは実直に助力を訴える懇願の声であった。だが、神に仕える立場であるためだろう。商人のような計算したような卑屈さや駆け引きは全く含まれていない。良く言えば裏表のない忌憚のない願いだが、悪く言えば相手が断ることを前提としていない傲慢さがあった。
「・・・まずは、店の奥に行こう。詳しい話はそれからだ」
ダレスとしては当初から答えは決まっていた。否である。
彼は自身の剣の腕で路銀を稼ぐ傭兵、冒険者の類ではあったが、面識のない相手から名指しで来る依頼には警戒を抱いていた。それはダレスにとってロクでもない厄介事に間違いないからだ。相手が聖女のような美女であってもダレスの心が揺れることはなかった。
当然、断るつもりだが、この手の依頼を持ち掛ける者達の聞き分けが悪さも経験から充分に理解している。断るにもそれなりの手順が必要であるし、その様子を他の客達に披露したくなかった。
ダレスは客達と一緒にカウンターから身を乗り出すように二人を見守っていた酒場の主人に目配せをすると、内密の商談をするために用意されている奥の個室に女性を誘う。
「ええ、わかりました!」
ダレスの胸の内にはまだ気付いていない女性だが、彼女にとっても内密に話が出来ることは都合が良いのだろう。提案に頷くとダレスの後に続いたのだった。
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