北畠の鬼神

小狐丸

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52 桶狭間の戦い 3

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 永禄三年(1560年)五月

鷲津砦を攻める朝比奈泰朝と井伊直盛の軍勢を撃破した俺達は、そのまま東へと軍を進め、今川軍前線部隊が展開する有松近くまで来ていた。

「殿、今川義元の頸をとらないので?」
「慶次郎、其処が難しいところなんだ。義元の頸をとるのは容易いだろう。だがな、そうなると駿河が武田晴信の草刈り場になってしまう」
「武田晴信ですか……」

 慶次郎が今川義元の頸をとらないのか聞いてきたが、それに俺は首を横に振った。
 史実のように、駿河や遠江が武田晴信や松平元康から攻められ滅亡するのは時期が早いと思っている。
 今回、松平元康が討ち死にし、三河武士も多くが討ち死にしているので、警戒すべきは武田晴信だけだ。

 八部衆からの報告通りなら、今川氏真では三河方面からの侵攻がなくとも、駿河を維持するのは難しいだろう。

 今更、今川義元が討ち死にしなくとも、岡部元信や朝比奈泰朝を始めとする多くの家臣と兵が討ち死にした後、国力の維持すら無理だと思う。

「武田晴信に駿河をやるのは危険だな。かと言って北条にくれてやるのもな」
「今川義元が生きて居れば、少なくとも駿河は守れますか」
「暫くの間だろうがな」

 俺と慶次郎が話している内容に首を傾げる虎慶。虎慶の奴、元は坊主の癖して脳筋が過ぎる。戦場で暴れまわるしか能がないのでは、これからの北畠家では困るんだけどな。

 そこに小南と佐助が合流した。

「殿、落武者となりそうな足軽や雑兵の始末は終えました」
「源四郎兄、俺達も参加するぜ」
「ご苦労、小南。佐助、分かってると思うけど」
「分かってるって、義元は逃すんだろ」
「分かってればいい。それで、三郎殿の軍のいちは?」
「もう間も無く到着する頃です」
「じゃあ、今川の前線部隊の横合いから喰い破るか」

 六郎や慶次郎達が頷き、俺達は移動を再開する。



 先導する小南が手を挙げ俺達は立ち止まる。

「今川方の前線部隊です。丁度、織田軍とぶつかりますね」
「よし、織田軍と今川勢の開戦と同時に横合いから蹴散らす。敵味方を間違うなよ」 

 小南の指差す方向に、今川方の前線部隊が見えた。そして西から中島砦を出た織田軍が駆けて来るのが見える。





 今川軍前線部隊と織田軍が交戦状態に入った。

 広い平地のないこの辺りでは、大軍はその利を活かせず、更に赤い暴力の塊が横槍を入れると、今川軍前線部隊は、あっという間に壊滅した。

「源四郎殿、援軍感謝する! あとは我等の戦さ、先を急ぐ故此れまで!」
「三郎殿、本陣は桶狭間山付近です。ご武運を!」

 三郎殿自ら兵を率いて前線に出ていたので、簡単に言葉を交わす。

 此処からは織田家の戦さだ。俺達が主体で勝ち過ぎると、戦後三郎殿の影響力に問題が出る。

「殿、この後は?」
「刈谷城へ行き、撤退する今川勢から守る」
「刈谷城は確か、水野殿でしたか」
「ああ、織田方の三河の城を落とされるのは避けたいからな」

 沓掛城はおそらく三郎殿が攻めるだろう。

 俺達は水野信元殿の刈谷城へと向かう。





 桶狭間山

「松平元康殿討ち死に! 岡部元信殿討ち死に! 朝比奈泰朝殿討ち死に! 井伊直盛殿討ち死に! 鵜殿長照殿討ち死に! ・・・・」
「…………」

 次々と報告される先鋒と前線の軍が敗れたという報せに、呆然とする義元。

「鳴海城、大高城共に落ちました! 撤退できた兵は僅かで御座います!」
「殿、此処は危のうございます!」
「て、撤退致す!」

 義元が撤退を決めた時、織田の軍凡そ三千が本陣目掛け襲いかかった。

 信長の号令はただ一つ。「目指すは、義元の首一つ!」だった。

 源四郎達との共闘とはいえ、前線部隊を瞬く間に下した織田軍の士気は高く、旗本達に守られ撤退する義元へと迫る。

 義元本隊を守る兵は凡そ五千。

 しかし混乱し、組織だった行動が取れぬ軍など烏合の集と変わらない。

 しかも織田軍の兵は、つい先程鬼神の武を其の目に焼き付けていた。その血の滾りが普段以上の力と勢いをもたらせていた。

「義元の首をとれぇ!」

 必死に義元を守り逃す今川方の兵が斃れて行く。

 今川軍は、壮絶な撤退戦を繰り広げる事になる。

「無礼者! 朕を誰だと心得る!」
「義元覚悟ぉ!」
「ギャアァァ!!」

 乱戦の中、左文字を握る義元の右腕が宙を舞う。

 今川軍が遠江に入るまで織田軍の追撃は続いた。

 途中、刈谷城から水野信元も織田軍に合流して今川軍の残党への追撃が行われ、義元が駿河の今川館へと辿り着いた時には、二万五千の軍勢の内、半数を失っていた。

 損耗率五十パーセントという大敗を通り越した結果に、周辺国にも激震が走る。






 三河の地で掃討戦を終え、沓掛城に入っていた俺達のもとに、佐助が抜き身の太刀を持ってやって来た。

「どうしたんだ。その太刀?」
「へへっ、源四郎兄は刀を集めているだろ、拾って来たぜ」
「どれどれ…………って、左文字じゃないか!」
「左文字って言うのか。じゃああの腕は義元の腕だったのか。腕は要らないから捨てて来たぜ」
「……まぁ、いいか」

 よくあの乱戦の中拾えたと感心しながら、抜き身の左文字を確認する。

 史実では、刃毀れが出来て信長は短く擦り上げたらしいが、この左文字は刃毀れ一つない。

「それで、義元は逃げ切れたのか?」
「ああ、右腕を無くして真っ白な顔しながらも、しぶとく駿河まで逃げ切ったみたいだぞ」
「そうか。それと三河はどんな感じだ?」
「……三河は此れから大変だろうな。今回の戦さ、三河者が思ってた以上に多かったからな。源四郎兄でも、織田の殿様でも、誰かが治めないと悲惨な末路しかないだろうな」
「やっぱりか」

 左文字を布で包みながら、三河の事を考えていた。

 後の徳川家康、松平元康は討ち死にした。これにより俺の歴史知識は本格的に通用しなくなる。

 今後の三河は荒れるだろう。

 松平宗家は跡取りを亡くし断絶した。

 更に多くの将兵も松平元康と共に討ち死にした。

「織田家が何処まで三河を相手にするかだな」
「そうですね。貧しく戦さ馬鹿ばかりの三河より、豊かな美濃の方が優先されるでしょうから。でも、そうなると殿に三河をなんて言いそうですね」
「はぁ、放置は出来ないだろうな」

 六郎からありそうな話をされ思わず溜息を吐く。

 三河には、足利一門の吉良家がある。

 以前は西条吉良家と東条吉良家に分かれていたが、今は再び一つとなり今川家に臣従していた。

 今回、俺達が蹴散らした今川方の兵の中には、吉良家の兵も居たかもしれない。確か足利二つ引きの紋を見た記憶がある。

「大樹は兎も角、幕臣は五月蝿く騒ぐでしょうからね」
「六郎、殿は武士じゃなく公家だから気をつかう必死はないだろう」
「慶次郎、それは通らぬぞ」

 六郎と慶次郎が緊張感なくわいのわいの言い合っているが、確かに北畠家は他の戦国大名とは違って公家大名という特殊な存在だ。俺の記憶でも、日ノ本中を探しても国司から大名となったのは、土佐の一条家と北畠家くらいだったと思う。

 さて、三郎殿が来るまで、沓掛城の改修工事をしている黒鍬衆を手伝って来るかな。



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