北畠の鬼神

小狐丸

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46 左馬助のオネダリ

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 永禄元年(1558年)九月

 明智秀満

 某は自身の仕える光秀の選択を心から絶賛していた。

 美濃の明智城が斎藤義龍によって落とされてから、殿の決断は早かった。

 お方様や子供達、一族郎党を養わねばならぬので当たり前かもしれぬが、殿は伊勢へと向かう事を決断された。

 今の伊勢は、南伊勢の名門北畠氏が中伊勢に強い勢力を持っていた長野氏を下し勢いに乗っている。

 しかし此処で某は殿の行く先に首を傾げる事になる。
 何故なら北畠氏当主、北畠権中納言具教殿の居る多気御所ではなく、先代当主の四男で権中納言殿の弟が治める安濃津へ行くというのだから。

 しかし此処でも某は、殿の深慮に気付かぬ己を恥じた。

 殿は安濃津の城と城下町を見た後、左少将殿に仕官すると言いだした時は驚いたものだが、今では殿の選択に感謝しかない。



 結果として仕官は認められ、更に左少将様の御業によりお方様の顔に残る疱瘡の痕を、一見して分からぬ程に治癒して頂いた。

 その事に一族郎党皆が涙して喜んだのだが、某が安濃津に来て狂喜したのは、左少将様とその親衛隊達が駆る、龍の如き馬をこの目にしたからだ。

 ほ、欲しい!

 何と大きな馬体だろう。

 それも全身が鋼のような筋肉ではないか。

 話に聴くところによると、巨漢の岩正坊殿を乗せ駆けても潰れる事なく長き距離を駆け続け、その速さは風のようだという。

「あ、嗚呼、羨ましい。某も欲しい」
「五月蝿いぞ左馬助」

 おおっと、思わず声に出してしまったか。殿に叱られてしまった。

「左馬助、殿の黒影とその子供達は、殿の親衛隊とも言える方々のみに与えられるのだ。左馬助、お主は陪臣じゃぞ」
「くっ!」

 そうなのだ。左少将様の親衛隊とも言える六郎殿や慶次郎殿、大之丞殿や小次郎殿、彦右衛門殿達一騎当千の方々のみに与えられているのだ。

 例外として、左少将様の家老である八郎殿や北畠家当主である御所様くらいか。

 北畠家の重臣ですら与えられていないと聞く。

 然もありなん。左少将様達の馬は皆勇猛で賢い。他の有象無象の馬とは比べ物にならないからな。

「まあ、私は一頭譲って頂く予定だがな」
「なっ! 狡いですぞ殿!」
「何を言う、私の日頃の忠勤に対する褒美だ」
「このところ戦さはなかったではありませんか!」
「戦さだけが仕事ではあるまい。左馬助も私が近江や長島で調略で忙しいのを知っているだろう」

 そうなのだ。左少将様は、槍働きだけじゃなく調略は勿論の事、文官の仕事も高く評価されるのだ。そして殿は、近江や長島で調略で結果を出している。
 長島は流石に寝返るなど有り得ないが、身内に疑心暗鬼を植え付けるだけでも十分だ。

 そこでふと気付く。調略にはあの馬は必要ないのではらないか? それに殿は前線で槍を振るう事もない。

「調略に優れた馬は必要ないではありませんか!」
「左馬助、武士として優れた武具や馬を求めるのは当たり前ではないか」
「ず、狡いですぞ!」

 確かに某が殿より立派な馬に乗るのも違うかもしれん。だが前線で槍を振るう某にこそ、あの天を駆ける馬が必要なのだ。






 多気御所近くの秘密の牧場。

 周りには堀と土塀が張り巡らされ、八部衆が強固な結界を張っている場所。

 ここには、優秀な牝馬と黒影の子供や孫が繁殖育成されていた。

(あの子はどうだ?)
『ふむ、あの子ならまだ能力は常識的な範囲だな。良いんじゃないか』
(そうか、なら十兵衛にはあの子にするか)

 今日は、六郎と慶次郎の二人だけ連れて牧場に来ていた。

 二人だけなのは、黒影の速さについて来れる馬が、慶次郎の「松風」と六郎の「迅雷」の二頭だけだっただけだ。
 大之丞や小次郎の馬も脚は速いが、二人は今日は別の仕事があり来ていない。

 大之丞や小次郎は、北畠家の重臣の嫡男だから、ずっと安濃津に居る訳ではない。

 そして今日牧場に来たのは、十兵衛用の馬を見繕いに来たんだ。
 十兵衛も自分の家来の手前、見栄えの良い馬に乗る事も必要だろうと思ったんだ。

「しかし殿、十兵衛殿だけでいいので?」
「ん、どうしてだ?」

 慶次郎が馬を渡すのが十兵衛だけでいいのか聞いてきた。
 そもそも俺達の乗る黒影達と、十兵衛が乗る普通の馬の見た目の差があり過ぎて、流石に可哀想だと一頭融通する事にしたんだが、他にも渡さないといけない者が居たかな。

「左馬助ですよ、殿」
「嗚呼、左馬助かぁ」

 左馬助か、毎回黒影達を血走った目で見ているな、そう言えば……

「そうか、左馬助かぁ。しかし褒美を与える口実がなぁ」
「ならば殿、左馬助殿に鉄砲隊の訓練を任せてみてはどうですか? 少なくとも一年は戦さの予定はありませんし」
「そうだな。左馬助も十兵衛と鉄砲の訓練は積極的にしていたな。鉄砲隊を育て上げる事で褒美を与えるか」

 六郎の提案にのる事にするか。
 北畠家では、槍働きじゃなくとも評価しているからな。部隊を鍛え上げる事も立派な功だろう。

「仕方ないなぁ、左馬助にも一頭見繕うか」
『良いんじゃないか。褒美にやるのは孫世代だろう。なら問題ないと思うぞ』
「そうだな」

 黒影の子供は、在来の日ノ本の馬とは、その力も体力や駆ける速度も桁が違う。その上知能も高く人馬一体の動きが可能だ。寿命も長く、どちらかと言えば、馬の形をした妖に近いかもしれない。
 これが孫の世代になると、その馬体の大きさや力の強さ、駆ける速度は日ノ本の馬とは比べ物にならないが、子供世代と比べるとだいぶ落ちると言わざるを得ない。寿命も多少は長いそうだが、馬の範疇に入るらしい。

 子供世代や孫の世代の寿命については、まだ検証した訳じゃないが、黒影や翡翠がそう感じたのなら間違いないだろう。

 十兵衛と左馬助に褒美として渡すのは、黒影の孫世代だ。

 その後、牧場を管理している甲賀望月家出身の八部衆から二頭の馬を受け取り、安濃津へと戻った。

 十兵衛と左馬助が感涙し、方や家臣だが一回り年上の十兵衛と、左馬助にしても俺より年上の大の大人が鼻水流して嬉し泣きするのを、引きつった苦笑いで見るしかなかったよ。

 俺の中にある明智光秀のイメージがどんどん崩れていく。



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