北畠の鬼神

小狐丸

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24 千種城の戦い

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 天文二十三年(1554年)三月

 伊勢国、三重郡千種城

 千種常陸介忠治は、やっとの事で北勢四十八家を従えたと言っても過言ではないくらいにまで勢力を伸ばしてきた。

 それが今や、小倉三河守実隆率いる六角勢四千の兵に城を囲まれていた。
 そして本陣には六角左京大夫義賢が蒲生下野守や三雲対馬守と五百の兵と布陣していた。

「殿、急ぎ北畠家に援軍を要請しました。もう少しの辛抱ですぞ」
「間に合わぬかもしれぬな」
「殿、気弱はなりませぬぞ」

 気弱になる千種常陸介忠治に沢備前守がたしなめる。


 千種勢は、それから三倍以上の六角勢を相手に善戦する。




 膠着状態に陥り日暮れも近くなり、続きは明日かと思われた時、戦さ場に赤い鬼神が降臨した。

 その異形の赤備えに気が付いたのは千種勢か、それとも六角勢だったか、戦場に恐怖が降り立った。

 源四郎が領内の鍛治師と協力して造った赤備えの鎧は、極力動きを阻害しない機能美を追求していた。結果、この時代には早過ぎる当世具足が出来上がった。

「……お、赤鬼が、馬の化け物に乗っている」

 恐怖に引き攣り声を漏らしたのは、六角家側の雑兵か足軽か。

 源四郎が駆る黒影とその子達は皆、馬鎧に身を包んでいた。
 只でさえ巨体を誇る黒影とその子供達が、鎧に身を固めているのだ。その迫力たるや如何程のものだっただろう。


「や、矢を放てぇー!」

 叫ぶような声を上げたのは、足軽大将だっただろうか、それとも小倉三河守だっただろうか。

 しかし城を包囲していた六角勢が突如現れた源四郎達に、まともな対応など出来る筈もなかった。






 千種城へ六角勢が侵攻したという報せを受け、俺達は直ぐに動いた。

 勿論、六角勢の動きなど八部衆によって詳細に報されている。

 同盟関係とはいえ、千種忠治が救援の使者を出した建前が意外と大事なんだ。

 勿論、今回の軍事行動は兄上の許可は得ている。兄上も北伊勢統一の足掛かりになると準備を始めている。

 とは言え、使者と直接会う必要はない。いちいち使者が到着するのを待っていると、間に合わない場合もあるからな。

「出陣する」
「「「はっ」」」

 六郎、大之丞、主膳、久助、小次郎、慶次郎、虎慶の七人が立ち上がる。

 それぞれ赤備えの鎧に身を包んで待機していた。

 俺達は馬で先行する。
 別働隊として道順が率いる八部衆戦闘部隊と援助の為の兵糧を運ぶ兵站部隊が出動する。兵站部隊には黒鍬衆も同行する。

 ただ八部衆に千代女と楓が同行しているのが少し納得していない。
 あの二人なら心配はないだろうし、佐助はともかく道順や小南も居るから大丈夫だと思うが、そこは戦さ場だ、何があるか分からないからな。


 黒影に飛び乗った俺が駆け出すと、黒影の子達を駆る七人が続く。

『一騎当千が八人か……相手が三千じゃ過剰戦力じゃないのか』

(全員相手する訳じゃないよ。三割も斃せば終わるだろう)

 千種城を囲む三千の六角勢に、たった八人で向かう俺達は、客観的に見れば自殺行為だろう。だけど黒影的には過剰戦力だと言う。俺もそう思う。



 この時代の日ノ本の馬では出せぬ速度で駆ける。

 鎧に身を包んだ武将を乗せ、槍持ちが居ない為、それぞれが自身の得物を抱えている。

 普通の馬なら半刻も保たないだろうが、その力の大半を失ったとはいえ「饕餮とうてつ」だった黒影と、その黒影には劣るが黒影の子達には何でもない事だった。





 千種城は平山城としては規模の大きくない城だった。

 その千種城が三千の六角勢に包囲され、攻められていた。

「千種常陸介忠治、北勢四十八家の頭領と自称するだけはあるという事か」
「そうですな。良く凌いでいると言えましょう」

 俺達が到着したのは、そろそろ日も暮れようとしていた時だった。
 このまま攻めあぐねれば、六角左京大夫義賢はある程度圧力を掛けた後、降伏勧告するつもりだろう。

 まあ、させないけどね。



 そこに道順が現れた。

「六角側の戦さ目付けと忍びへの対処は万全です」
「左京大夫と蒲生下野守、三雲対馬守辺りには生きて逃げてもらわんとな」

 今の段階で六角左京大夫を排除するのは時期が早過ぎる。史実の観音寺崩れの頃には、史実と比べ力は削いでおく積もりだが、この段階で南近江が混乱するのは嬉しくない。

 六角家は、北畠家が伊勢統一を済ませるまで、張りぼてでも何でもいいから残しておく必要がある。

「今の段階で六角家を潰すと、畿内の争いに巻き込まれますか」
「そういう事だ。同門の兄弟子である大樹には悪いが、今は北畠家が力を貯めないといけないからな」

 公家である北畠家の俺が言うのもなんだけど、今や足利幕府は力も権威もない。全国で当たり前に国人や豪族が荘園を横領し、守護や守護代も名ばかりとなっている。

 だからこそ今は国を富ませ、人を育て、力をつけないといけない。

「では某は千代女殿と楓の護衛に戻ります」
「ああ、千代女と楓を頼む」

 道順が気配を消しその場から消える。



 俺達は一定の距離を空けて横に並ぶ。

 慶次郎が松風の上で、三日月斧槍を肩に担ぐ様に持ち、獰猛な笑みを浮かべている。
 三日月斧槍の初披露が嬉しくて仕方ないのだろう。駆け出したくてうずうずしているのが分かる。

 金砕棒を持ち鎧を着た虎慶(岩正坊虎慶)なんか、黒影の子じゃないと重くて潰れるだろう。それが俺達と轡を並べて戦さ場を駆ける事が出来るとあって、興奮を抑えるのが大変そうだ。

 そろそろ頃合いか。

「では、深追いは不要。逃げる敵は捨て置け。行くぞ!」
「「「おお!!」」」

 黒影が何も乗せていないかのように駆ける。
 それに赤い七騎が続く。

「や、矢を放てぇー!」

 千種城を囲む六角勢が俺達に気付き、攻撃を指示するが、遅いんだよ。







 八騎の赤備えが突撃して来る。

 笹竜胆と割菱紋が翻る。

 それはまるで赤鬼が馬の化け物に乗り襲い来るようだった。

「落ち着いて狙え! 相手は所詮十騎にも満たん寡兵じゃあ! 怖れるなぁ!」

 弓兵を指揮する武将が声を張り上げるが、まともに対応できた者はいない。

 それも仕方ない。

 十四歳の源四郎でさえその身長は六尺近い。ここに居る全員がこの時代の平均身長を大きく超え、さらに鍛え抜かれた体躯と身にまとう赤備えの鎧、日ノ本の馬とは一線を画す巨体の馬に乗る。その威圧感たるや、それを見ただけで逃げ出しそうになった六角勢を責められないだろう。



 ドンッ!

 それはまるでダンプカーに跳ねられたような衝撃だった。

 源四郎が雷破(パルチザン)を一振りすると六角兵が四~五人纏めて葬られた。

 頸が跳んだ者、胴体と下半身が泣き別れた者、その余波で腕が斬り落とされた者、巨馬の蹄にかかり命を落とす者。

 戦さ場に、笹竜胆の旗が翻った瞬間、戦さのすう勢は決した。


 ザンッ!

 「氣」を纏った巨大な斧刃が、六角勢の兵士の鎧など関係ないとばかりに斬る。

 虎慶の金砕棒の前では、鎧も兜も意味を成さない。全て等しく潰される。

 大之丞や六郎達の槍捌きも凄まじく、驚く事に最初の一当てで百人近い六角兵が斃された。

 そして源四郎達の勢いは止まらない。

 それぞれ己の得物を自在に繰り出し、加速度的に犠牲者が増えていく。


「ひぃぃぃぃーー! 鬼じゃあ! 赤鬼じゃあぁぁーー!」
「逃げろぉぉーー! 鬼に喰われるぞぉ!」

 そんな状況に、雑兵や足軽が耐えられる訳もなく、逃げ出す者で出すと歯止めがきかない。

「逃げるなぁー!」

 それは指揮する武将が必死に叫んだとて変わる訳もなく、源四郎達の突撃により、千種城を包囲していた六角勢の南側は地獄の様相を見せていた。




 六角家本陣は、混乱の極みに達していた。

「あれは人なのか……十騎も居ないではないか」
「お屋形様! 此処はお引き下さい!」

 呆然と赤き鬼神が率いる鬼の群れが、自軍を蹂躙するのを、現実感なく見ている義賢。
 蒲生下野守が急ぎ観音寺城へと撤退するよう進言する。

 三雲対馬守も混乱していた。

 自身の配下である甲賀の素破からは、北畠家の接近は報されていない。

 それもその筈、三雲対馬守配下の甲賀衆は、道順率いる八部衆によって始末されていた。


 算を乱して逃げ出す六角勢。

 そこで千種城から追撃の兵が飛び出し、六角左京大夫義賢による北伊勢侵攻の足掛かりとなる千種城攻めは大敗に終わった。






 小太刀が銀線を描き、血飛沫が舞う。

「くっ……」

 防ぐ間も無く、頸を斬られドサリと男が倒れた。

「頃合いですね」
「千代女様、大丈夫ですか?」
「ええ、私は大丈夫です。楓も怪我はないようですね」

 小太刀を鞘に収め、一息吐くのは八部衆と同行していた望月千代女と楓だった。

「姫さん、そろそろ引くよ」
「ええ、分かりました」

 千代女と楓は、佐助に言われて戦さ場から撤退する。

 今回の戦さ場での正確な情報が六角家に伝わらぬよう、動いていた八部衆の働きは此処までだ。

 八部衆が戦さ場で働いた痕跡を消しながら速やかに撤退する。




 六角左京大夫義賢が北伊勢の千種常陸介忠治の居城、千種城へと侵攻した戦さは、三倍の兵を動員しながら結果大敗を喫する。

 その死傷者は千人を超え、蒲生下野守の三男で大将の小倉三河守実隆は討ち死にした。

 この事で、蒲生定秀は北畠家への復讐を誓うのだが、その事が蒲生家の命運を決めるとは思わなかっただろう。

 そして、六角左京大夫にとっても北伊勢への足掛かりが無くなったばかりではなく、六角家中での足場が揺らぎ、北近江の浅井家の離反に繋がっていく。



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