北畠の鬼神

小狐丸

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 天文二十一年(1552年)十月

 名護屋城

 昨年父信秀の死により、荒れる尾張の名護屋城で数え十九歳の若武者、織田信長が一人の家臣と話し合っていた。

「吉兵衛、伊勢の話は誠か」
「はい。津島や熱田の商人が大湊の商人から聞いた話ですから、確かかと思われます」

 信長に吉兵衛と呼ばれているのは、その優れた行政手腕で信長の厚い信任を受けている村井貞勝だ。

「中伊勢の長野家が北畠家に臣従とはな」
「臣従とは申せ、実情は北畠家の圧倒的な武力により統一されたのが本当のようです。長野家は大幅に所領が削られたようで」

 信長もここ数年の北畠家の事は注視していた。織田弾正忠家の力の源泉は河川湊の津島からの利益によるところが大きい。それだけに、今や伊勢湾の支配をほぼ確立している北畠家の力を侮ることはない。

「伊勢志摩から熊野まで、水軍衆は北畠水軍として組み込まれているようです。かろうじて佐治水軍と服部水軍はまだのようですが」
「服部坊主は織田家に敵対しておろう。それよりも北畠は水軍を積極的に活用しているようだな」
「はい。それも航行税などではなく、商いで儲ける方法を模索しておるようですな。数年前から、琉球や呂宋(ルソン)、蝦夷や明にも船を出していると噂がありますが、間違いなさそうですな」

 信長は眉間に皺を寄せて考え込む。

 津島や熱田を持つ弾正忠家だけあり、信長は経済の力を知っている。守護代家の奉行職だった弾正忠家が、大和守家や伊勢守家を抑えて尾張でも一番の力を持つに至ったのも銭の力が大きい。

「澄み酒・塩・醤油・石鹸・干し椎茸・鰹節、最近では砂糖も扱っているようです。織田家でも同じ事が出来ぬか、間者を何度も送りましたが、誰一人として帰って来ませんでした。伊勢では伊賀者や甲賀者が多く雇われていると思われます」
「北畠は素波を使うのが上手いようだな」

 情報を重視する信長は、忍びの価値を理解している。それでも源四郎のように素破を士分に取り立てる感覚はない。如何に信長がこの時代では革新的考えを持つとしても、素破が使い捨て扱いなのは、他の戦国大名と変わらない。


 北畠家が伊勢街道の関所の整理や街道を整備し橋を架けている事を知っている。
 この時代、関所の整理と同様に、道を広く真っ直ぐに整備し、川に橋を架けるなど攻めて下さいと言っているのと同意だと考えるのが、この時代の武士の考えだ。だが信長は、経済で見た場合、その効果が大きい事を理解していた。
 多過ぎる関所など、国人や土豪が独自に税を取る為のものに成り下がっているのは尾張も一緒だ。ただ其れが可能なのは、国人や土豪を納得させる必要があり、其れが何より難しい。

「……北畠は強いな」
「銭は力ですからな。何より北畠の力は銭だけではありませんでしたな」
「北畠の赤い鬼神か…………」
「三国志の関羽や張飛もかくやというほどだと、命からがら逃れて来た雑兵が話していたと聴きました」
「……出鱈目であるな」
「普通、戦さは数ですからな」

 様々な伝手を使い得た情報によると、長野家三千五百に対して北畠五百の兵が、散々に敵を討ち、中でも北畠の四男と十人程の武勇は、敵軍を恐怖で染め上げたと言う。

「古今、寡兵で大軍を破る事はないではない。しかし力で真正面から打ち破るとは、敗れた兵が怯えるのも分かる」
「逃げた雑兵や足軽は二度と北畠との戦さには出られぬでしょうな。いや、戦さ場自体に出れるかどうか」
「真似るべきは常備兵だろうな」

 武勇が飛び抜けた武将は羨ましいが、真似したくとも真似できるものでもない。それよりも信長が注目したのは、農繁期でも変わらず兵を動かせる常備兵だった。

 信長も雑兵や足軽の乱取りには否定的だ。飢えているから他所から奪う戦さでは駄目だと思っていた。

「銭雇いの兵は、不利な状況になれば直ぐに逃げ出しますぞ。抜け駆けや軍の規律も守れぬ奴等です」
「だが北畠家の兵は違うのであろう?」
「はっ、どうやら北畠家では、数年前から領内の孤児や捨て子、土豪や農家の三男や四男を集め、食事を与え、勉学から武芸まで教えて育てているようです」
「尾張も喰うに困らぬが、伊勢は豊かなのだな」

 ただ、それも難しいのは分かっている。
 この時代、傭兵も存在しない訳ではない。
 雑賀や根来の鉄砲傭兵や自治都市の堺も傭兵を雇っている。銭で兵を雇うのは、それ程珍しくないが、ただ銭雇いの兵は、不利と感じたら直ぐに逃げる。北畠家の銭雇いの兵とは種類が違うと言わねばならない。

「誼を結ぶなら、北畠が伊勢を統一する前か」
「領地が接する前の方がいいでしょうな」
「於市をやるか」
「殿、於市様はまだ六つ。輿入れはもう少し先にした方がいいのでは?」
「なに、人質ではないが、大人になるのを待つ必要はない。心配するな、どちらにしても五、六年先の話だ」

 於市の嫁ぎ先として北畠家は申し分ない。いや、寧ろ弾正忠家では格が足りぬだろう。伊勢国司家北畠家は名門中の名門で、弾正忠家は守護代の奉行職だ。だから責めて尾張を統一する事が必要だと信長は考えていた。

「どのみち今の弾正忠家では格が足りぬ」
「では嫡男でなければどうでしょう。北畠家の嫡男相手では、年齢的にも格の問題もあり難しいかもしれませぬが、北畠家の当主の弟、前当主の四男は十三歳だと聞きます」
「……悪くはないか」

 北畠具教の嫡男は於市と同じ歳で年齢は釣り合う。家柄や権威を気にせぬ信長とはいえ、流石に無理があると考える。しかし、貞勝は具教の弟で、北畠の赤い鬼神はどうかと言う。
 村井貞勝の提案に、それも悪くないと思い始める。
 手に入れた情報によれば北畠家の四男は、幼い頃からあらゆる分野で非凡な才をみせ、その武勇は一騎当千。知勇兼備の武将だという。北畠家を継ぐ嫡男でなくとも、一定の影響力を保ち続けるだろう。
 本来、立場が同等なら北畠家から婿なり読めなりを織田家側にとなるが、現状の織田家と北畠家ではそれは無理というものだろう。

「吉兵衛、この話、秘密裏に進めてくれるか」
「畏まりました。お任せ下さい」

 村井貞勝も北畠家の勢いは止まらないと考えていた。伊勢の統一は、それ程遠くないと思っている。敵にするか、味方とするか、伊勢湾の交易を考えれば、弾正忠家で支配できるに越した事はないが……

 村井貞勝は直接伊勢に間者を入れるのではなく、商人を通じて情報収集を開始する。







 南近江 観音寺城

 観音寺城麓の領主館に、六角家重臣が集まり評定が行われていた。

「父上! 我等も北伊勢に攻め入りましょう!」

 まだ十歳にもならない子供が声を上げている。それを聞きながら眉間に皺をよせるのは、六角左京太夫義賢。評定の間で唾を飛ばし北勢攻めを願うのは嫡男の四郎、後の六角義治だ。

 その四郎を苦々しい思いを隠さず、顔をしかめる義賢。いや、義賢以上に重臣達は浅はかな考えの四郎を苦々しく思っているのだが。

 四郎が自分とあまり年の変わらない源四郎が、戦さで大活躍した事に対抗心を燃やしているのを分かっていた。

 まだ子供の四郎が評定に参加を許されているのは、六角家の嫡男である四郎の教育の為だったのだが、それでも重臣が居並ぶ中、北勢への出兵を乞う様は、当主の資質を疑わせるに十分だった。

 現当主の義賢でさえ、重臣達の助けがなければ領内統治がなり行かない現状、その跡継ぎの養育を間違えれば六角家の行く末は危ういと考えるのは、一人や二人ではなかった。

「若、我等は畿内に三好という敵が居ます。北畠家が北勢に手を出さぬ限り、動かぬ方が宜しかろう」
「平井殿の言う通りですな。現状、敵を増やすのは危険ですぞ」

 そう四郎を諌めたのは、平井加賀守と後藤但馬守。しかし、六角家の重臣二人に諌められ四郎は癇癪を起こす。

「何故だ! 今北勢を攻めねば、伊勢は北畠家のものとなるぞ!」
「煩い四郎は黙っておれ!」
「くっ!」
「あっ、若!」

 それを義賢に叱られ、四郎は評定の間を飛び出して行く。

「すまぬな加賀、但馬。儂はあれを甘やかし過ぎたのやもしれんな」
「いえ、構いませぬ。若はまだ十にもなっていませぬ」
「そうですぞ。これからに御座います」
「うむ、それで話は逸れたが、北畠家には間者の増員で様子を見る事にする。確かに近年の北畠領の発展を見れば、警戒するに越した事はないからな」

 義賢の妹が北畠家当主の具教の正室なので、具教と義賢は義理の兄弟になる。ただそれだけで純粋に味方とは言い難いのが現状だ。六角家と北畠家は、伊賀や北勢を巡りその支配領域を牽制し合っている。

 北勢で言えば、北勢の総大将と言われる千種忠治は、北畠家と同系の村上源氏。
 同じ関氏の一族でも、蒲生定秀の娘婿にあたる関盛信は六角家寄りだが、北畠家と結び本家に並ぶ勢力を築き上げた神戸氏は、北畠家寄りで、寧ろ六角家とは敵対していた。

 故に四郎が言うように、簡単に北勢へ手を出せぬ状況にあった。

 畿内で三好長慶と敵対している今、北畠家との全面的な対立は避けねばならないのだ。

「北畠家躍進の原動力が何か、徹底的に調べさせよ」
「「「「「「はっ」」」」」」

 甲賀の忍びを配下に持つ三雲定持が、早速間者の増員を手配するのだが、有用な情報が集まる事はなかった。



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