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第8部 分かたれる道
5-5私にはルールよりも守りたい大切なものがある
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時間は、十二時を少し回ったころ。私は〈西地区〉の上空を、大型のエア・ドルフィンで飛んでいた。つい先ほど観光案内を終え、お客様を、ランチの美味しい、お勧めのレストランに、送ってきたところだ。
ちなみに、通常の観光案内は、エア・カートを使う場合が多い。ゆったりしたシートに座れるし、屋根付きタイプなら、冷暖房も完備だ。
ただ、中には『風や空を飛ぶ感覚を楽しみたい』という人もいる。その場合は、エア・ドルフィンでの案内になる。カートよりも、眼下の景色が見やすいし。何より、全身に風を浴びて飛ぶ感覚は、ドルフィンじゃないと味わえない。
私も、どちらかというと、ドルフィンのほうが好きだ。見習い時代は、毎日、練習機に乗って、飛び回ってたからね。ただ、最近は、通勤もノーラさんからもらった、エア・カートだし。すっかり、乗る機会が減ってしまった。
なので、たまに、エア・ドルフィンに乗ると、物凄く、伸び伸びした気分になる。私は、開放感を存分に味わいながら、全身で風を浴び、大きく息を吸い込んだ。
「さて、私も、お昼ごはんにしよっと。急がないと、午後の予約があるし。パンを買って、事務所で食べようかなぁ……」
昔は、パンを買って、よく広場で昼食をしていた。でも、上位階級になってからは、何かと目立ってしまうので、気楽に、外で食事も出来なくなってしまった。なので、あまり目立たない店や、事務所で食事する場合が多い。
みんなに、認知してもらえるのは、とても嬉しいけど。なまじ顔が知られていると、自由に行動できないので、ちょっと不自由な気がする。
とはいえ、他の上位階級の人たちも、条件は同じだし。上位階級は、人から見られるのが仕事だから、文句は言えないんだよね。
「って、何だろ、この匂い? ちょっと、焦げ臭いような――?」
ほんの少しだが、風の中に、何かが焦げたような匂いが、混じっていた。
スピードを緩めると、私は、周囲に視線を動かした。すると、かなり遠くのほうで、微かに、煙のようなものが見える。しかも、煙は二ヵ所から上がっていた。西のほうは大きめで、北のほうは小さめだ。
ただ、煙が見えるとはいえ、おそらく、常人なら、見えないレベルの大きさだと思う。日ごろ目を鍛えているので、どんなに小さなものでも、目に入ってしまうのだ。
どうしよう……あまり、時間がないし。見に行ってる暇なんて、ないよね。でも、何だろう、この妙な胸騒ぎは――?
二つある煙の、小さなほうには、緑色のマナラインが伸びていた。そちらの方から、何か、嫌な感じがしてくる。
「ええい、ままよっ! 悩んでても、しょうがない。一食、抜くぐらい何よ」
結局、思い立ったら即行動の精神で、北のほうに向けて、機体を加速させて行く。
マナラインは逆風で、向こうから、こちらに風が吹いている。そのため、近付くにつれ、どんどん、焦げ臭さが増していった。
やがて、私の前方には、マンションが見えて来た。高さは、十階建て以上。その、真ん中あたりの階から、煙が出ている。どうやら、火事のようだ。
でも、ただの火事なら、何の問題もない。消防隊が駆けつけて、すぐに、消火活動をしてくれる。しかし、私の視界には、憂慮すべき事態が映っていた。
そのマンションのベランダには、取り残された人がいたからだ。しかも、まだ、年端も行かない少女が一人。部屋の中には、赤い炎の光と煙が見えている。ベランダにも、モクモクと黒い煙が流れ出してきていた。
私は、急いでマンションに近付くと、少し離れたところで滞空し、細かい状況を確かめる。火事の部屋は六階。今のところ、まだ、消防隊は来ていない様子だ。しかも、サイレンの音も、全く聞こえてこない。
下の方には、たくさんの人が集まり、ザワザワしながら、不安そうに、火事の部屋を見つめていた。だが、誰も助けに行こうとはしない。
「おいっ、消防隊はどうした? 遅くないか?」
「だいぶ前に、連絡はしたらしいけど……」
「何でも、ほぼ同じ時間に、別の場所で、大きな火事があったらしいわよ」
「まったく、よりによって、こんな時に――」
「ねぇ、やっぱり、助けに行ったほうが、いいんじゃないの?」
「さっき、行った人がいるけど、玄関のカギが閉まってたらしくて」
「どうやら、子供、一人みたいだしな」
「火が回って、玄関のほうに、行けないんじゃないの……?」
下のほうから、集まった人たちの会話が、続々と聞こえて来る。
そうか――じゃあ、さっき向こうのほうに、見えたのって。あっちも、同時に、火事が起こってたんだ……。
「おーい、お嬢ちゃん、窓を閉めるんだ!」
「そうよ、窓を閉めないと、煙が出てきちゃうわよ!」
「危ないから、早く窓を閉めて!」
大人たちは、必死に叫んでいるが、少女の耳には、入っていない様子だった。ベランダの少女は、へたり込んで泣いていた。おそらく、完全に、気が動転しているのだと思う。
「どうしよう――? このままじゃ、あの子が……。でも、消防隊が来る様子も、全然ないし――」
周囲を見回すが、消防隊が来る気配は、依然としてなかった。
私は、必死になって考える。彼女を、あそこから、助け出すことは可能だろうか? もし、助け出すとしたら、ベランダのギリギリまで、近づかなければならない。しかし、助け出すとしても、その間、ハンドルから手を離す必要がある。
ハンドルから手を放しても、飛行は可能だ。エア・ゴンドラのように、ハンドルのない機体も操縦しているから、理論上はできる。
手を放している間、足から魔力を流せばいい。とはいえ、そのように作られた機体ではないので、極めて危険な運転だ。もちろん、航空法では、禁止されている。
それに、二人乗りの大型機は、一人乗りの小型機に比べ、重量もあるし。重い機体ほど、滞空時に、機体が不安定になる。
場所は、六階。万一、失敗して墜落すれば、二人とも、ただでは済まない。下手をすれば、命を落とす高度だ。しかも、かなり強めの風が吹いている。大きな建物の付近では、不規則な動きの、ビル風が吹きやすい。
あと、一番の問題は『航空法』と『消防法』だ。火災があった際『一般人は手を出してはいけない』と、法律で定められている。災害時の救助作業は、特別な資格がある人しか、やってはいけない。これは、二次災害を防ぐためだ。
例外として、資格のある人に、許可をもらった時だけOK。それ以外の時に、勝手な行動をすれば、厳罰に処されてしまう。特に、航空法では『火災の起こっている建物の、半径二十メートル以内には、近付いてはならない』と、明文化されている。
昔の私だったら、迷わず、飛び込んで行ったはずだ。でも、今は上位階級の立場があるため、安易に、法律違反をする訳にはいかない。
どうしよう……。もう少し、待っていれば、ちゃんと、救助が来るはずだよね? 私、専門家じゃないし。そもそも、救助訓練もしたことないし――。
でも、もし、救助が間に合わなかったら……? あの子は、どうなっちゃうの――? 目の前で、助けを求めている子がいるのに、放っておくの……?
再び、ベランダで、泣きじゃくっている少女の姿を見た時。私の中で、何かが『プツッ』と、切れる音がした。
何を迷ってるのよ、私! 立場が何よ。人の命のほうが、大事じゃない! それに、今まで、何のために、ずっと練習してきたの? 大丈夫、今の私なら、絶対にできる。必ず、助け出して見せる!
私は、覚悟を決めると、少しずつ、火事が起こっている階に、機体を寄せて行った。だが、風が強すぎて、機体がグラグラして安定しない。かなり、危険な状態だ。
私が、機体を近づけていくと、下のほうから、再びザワザワと声があがった。
「おいっ、機体が近づいて行くぞ!」
「あれ、シルフィードじゃないの?」
「風が強いけど、大丈夫なのか?」
「素人が手を出すのは、マズイんじゃないのか?」
「でも、シルフィードだって、空のプロだぞ」
「消防隊が来ないんだから、しょうがないだろ」
「そうよ、今は、彼女に任せるしかないわ」
私は、ベランダのすぐ横まで行くが、どうしても、機体が揺れて、安定しない。風が、想像以上に強いのだ。しかも、風の方向が、常に変わっている。
ハンドルを握った状態でも、安定させるのがやっとだ。こんな状態で、両手を離し、さらには、女の子を受け止めるのは、あまりにも無謀すぎる。でも、例えそうだとしても、今はやるしかない。
「大丈夫? ケガはない? 今助けてあげるから、安心して!」
私は、精一杯の笑顔を少女向け、大きな声で話し掛けた。
「た――助けて……くれるの?」
少女は、せき込みながら、力なく答える。
「任せて、必ず助けてあげるから。あと少しの辛抱だよ。立てる?」
「うん――」
少女は、よろよろと、立ち上がった。
それと同時に、私もハンドルから手を放し、ゆっくりと立ち上がる。正直、物凄く怖い。この高さで、滞空したまま両手を離すなんて、初めての経験だった。
当然だが、両手をハンドルから離す運転なんて、完全に航空法違反の、極めて危険な運転だ。加えて、空中での滞空は、非常に、魔力制御が難しい。
だが、今は、そんなことを、言っている場合ではない。私は、全神経を集中し、魔力を繊細にコントロールしながら、機体を安定させる。
「ちょっと、怖いかもしれないけど、私を信じて。ちゃんと、受け止めてあげるから。大丈夫?」
「……うん」
私は、柵の隙間から手を入れると、まずは、彼女を柵の上に登らせる。ずっしりと、彼女の重さが、手から伝わって来た。その時、機体が、ぐらりと揺れた。その瞬間、下のほうから、悲鳴が上がる。
やっぱり、キツイ――。物凄く不安定だ。風が強すぎる……。
お願い、私に力を貸して。ほんの、一瞬だけでいいから、風よ吹き止んで。どうか、この子を救うために、力を――。
私は、必死に心の中で祈る。問題は、彼女を受け止めた時、無事に機体を安定させられるかどうかだ。いくら少女とはいえ、受け止める際には、数十キロの重量が掛かる。
ただでさえ、両手を離しているので、強風の中では、不安定、極まりない。足元の機体は、小刻みに、グラグラと揺れ続けている。
緊張で、額から汗が噴き出す。腕も、微かに震えている。でも、ここまで来たら、やるしかない。何としてでも、この子を助けないと……。
私は、覚悟を決めると、笑顔で声を掛けた。
「さぁ、おいで。私が、受け止めてあげるから」
「うん――」
少女は、小さくうなずくと、意を決して、私に飛びついて来た。私は、精一杯、足で踏ん張り、全力で彼女を抱きとめる。一瞬、後ろに傾きそうになった。だが、その瞬間、後ろから強い風が吹き、体が支えられた。
地上からは、悲鳴が上がったあと、安堵の声に変わる。
不思議なことに、後ろからの強風のあと、ピタッと風がやんだ。あれほど強く吹いていたのに、完全に、無風になっていた。私は、彼女を抱きかかえたまま、ゆっくりと、機体を下降させていく。
やがて、地上にたどり着くと、周囲から、大歓声と拍手が巻き起こった。
「よかった、本当に、よかった!」
「ありがとう、彼女を助けてくれて!」
「流石は、シルフィード! 実に見事な操縦だった!」
「まさに、幸運の使者ね! 来てくれて、ありがとう!」
少女は、すぐに保護され、傷の手当てを受けている。ススで、黒くなっているだけで、幸いやけどはないようだ。軽い擦り傷程度で、治療シートを貼ってもらっている。
ふぅー……大事にならなくて、よかった――。滅茶苦茶、きわどかったけど。無事に助けられて、本当に、よかった……。
私は、ホッとして、大きく息を吐きだした。今回ばかりは、流石に、自信がなかった。一歩、間違えれば、墜落していても、おかしくない状況だ。あんな危険な飛行、もう、二度とできないと思う。
安心した直後、上のほうで『ドーーンッ!!』と、派手な爆発音が聞こえた。と同時に、窓ガラスが、派手に砕け散る音が響く。周囲から、大きな悲鳴が上がった。
しばし、頭を抱えて伏せたあと、ゆっくり顔を上げる。すると、先ほどまでいた部屋から、赤い炎と、真っ黒な煙が、猛然と噴き出していた。
それを見た瞬間、背筋が凍り付く。あと、ほんのちょっと遅ければ、確実に、あの爆発に、巻き込まれていたはずだ。
「か――間一髪だったな……」
「あ――危なかったわね……」
「いやはや――実に、いいタイミングで、助けに来てくれたな……」
「これは――本当に、運がよかったな……」
再び、周囲の人たちの視線が、私に集中した。私は、苦笑いを浮かべる。
それから、数分後。ようやく、サイレンの音が聞こえ、消防隊の機体が飛んできた。すぐさま、消防隊の消火活動が始まる。少女は、一緒にやって来た、救急コンテナに運ばれていった。
まぁ、これで、一件落着かな。とはいえ、私は、このあと、色々処罰がありそうだけど。それでも、何も悔いはない。
私は、煙で少し黒くなったまま、静かに、消火活動を見守るのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『何が正しいかは人それぞれだから難しいよね』
間違っているとか正しいとか、誰が決めるっていうのよ?
ちなみに、通常の観光案内は、エア・カートを使う場合が多い。ゆったりしたシートに座れるし、屋根付きタイプなら、冷暖房も完備だ。
ただ、中には『風や空を飛ぶ感覚を楽しみたい』という人もいる。その場合は、エア・ドルフィンでの案内になる。カートよりも、眼下の景色が見やすいし。何より、全身に風を浴びて飛ぶ感覚は、ドルフィンじゃないと味わえない。
私も、どちらかというと、ドルフィンのほうが好きだ。見習い時代は、毎日、練習機に乗って、飛び回ってたからね。ただ、最近は、通勤もノーラさんからもらった、エア・カートだし。すっかり、乗る機会が減ってしまった。
なので、たまに、エア・ドルフィンに乗ると、物凄く、伸び伸びした気分になる。私は、開放感を存分に味わいながら、全身で風を浴び、大きく息を吸い込んだ。
「さて、私も、お昼ごはんにしよっと。急がないと、午後の予約があるし。パンを買って、事務所で食べようかなぁ……」
昔は、パンを買って、よく広場で昼食をしていた。でも、上位階級になってからは、何かと目立ってしまうので、気楽に、外で食事も出来なくなってしまった。なので、あまり目立たない店や、事務所で食事する場合が多い。
みんなに、認知してもらえるのは、とても嬉しいけど。なまじ顔が知られていると、自由に行動できないので、ちょっと不自由な気がする。
とはいえ、他の上位階級の人たちも、条件は同じだし。上位階級は、人から見られるのが仕事だから、文句は言えないんだよね。
「って、何だろ、この匂い? ちょっと、焦げ臭いような――?」
ほんの少しだが、風の中に、何かが焦げたような匂いが、混じっていた。
スピードを緩めると、私は、周囲に視線を動かした。すると、かなり遠くのほうで、微かに、煙のようなものが見える。しかも、煙は二ヵ所から上がっていた。西のほうは大きめで、北のほうは小さめだ。
ただ、煙が見えるとはいえ、おそらく、常人なら、見えないレベルの大きさだと思う。日ごろ目を鍛えているので、どんなに小さなものでも、目に入ってしまうのだ。
どうしよう……あまり、時間がないし。見に行ってる暇なんて、ないよね。でも、何だろう、この妙な胸騒ぎは――?
二つある煙の、小さなほうには、緑色のマナラインが伸びていた。そちらの方から、何か、嫌な感じがしてくる。
「ええい、ままよっ! 悩んでても、しょうがない。一食、抜くぐらい何よ」
結局、思い立ったら即行動の精神で、北のほうに向けて、機体を加速させて行く。
マナラインは逆風で、向こうから、こちらに風が吹いている。そのため、近付くにつれ、どんどん、焦げ臭さが増していった。
やがて、私の前方には、マンションが見えて来た。高さは、十階建て以上。その、真ん中あたりの階から、煙が出ている。どうやら、火事のようだ。
でも、ただの火事なら、何の問題もない。消防隊が駆けつけて、すぐに、消火活動をしてくれる。しかし、私の視界には、憂慮すべき事態が映っていた。
そのマンションのベランダには、取り残された人がいたからだ。しかも、まだ、年端も行かない少女が一人。部屋の中には、赤い炎の光と煙が見えている。ベランダにも、モクモクと黒い煙が流れ出してきていた。
私は、急いでマンションに近付くと、少し離れたところで滞空し、細かい状況を確かめる。火事の部屋は六階。今のところ、まだ、消防隊は来ていない様子だ。しかも、サイレンの音も、全く聞こえてこない。
下の方には、たくさんの人が集まり、ザワザワしながら、不安そうに、火事の部屋を見つめていた。だが、誰も助けに行こうとはしない。
「おいっ、消防隊はどうした? 遅くないか?」
「だいぶ前に、連絡はしたらしいけど……」
「何でも、ほぼ同じ時間に、別の場所で、大きな火事があったらしいわよ」
「まったく、よりによって、こんな時に――」
「ねぇ、やっぱり、助けに行ったほうが、いいんじゃないの?」
「さっき、行った人がいるけど、玄関のカギが閉まってたらしくて」
「どうやら、子供、一人みたいだしな」
「火が回って、玄関のほうに、行けないんじゃないの……?」
下のほうから、集まった人たちの会話が、続々と聞こえて来る。
そうか――じゃあ、さっき向こうのほうに、見えたのって。あっちも、同時に、火事が起こってたんだ……。
「おーい、お嬢ちゃん、窓を閉めるんだ!」
「そうよ、窓を閉めないと、煙が出てきちゃうわよ!」
「危ないから、早く窓を閉めて!」
大人たちは、必死に叫んでいるが、少女の耳には、入っていない様子だった。ベランダの少女は、へたり込んで泣いていた。おそらく、完全に、気が動転しているのだと思う。
「どうしよう――? このままじゃ、あの子が……。でも、消防隊が来る様子も、全然ないし――」
周囲を見回すが、消防隊が来る気配は、依然としてなかった。
私は、必死になって考える。彼女を、あそこから、助け出すことは可能だろうか? もし、助け出すとしたら、ベランダのギリギリまで、近づかなければならない。しかし、助け出すとしても、その間、ハンドルから手を離す必要がある。
ハンドルから手を放しても、飛行は可能だ。エア・ゴンドラのように、ハンドルのない機体も操縦しているから、理論上はできる。
手を放している間、足から魔力を流せばいい。とはいえ、そのように作られた機体ではないので、極めて危険な運転だ。もちろん、航空法では、禁止されている。
それに、二人乗りの大型機は、一人乗りの小型機に比べ、重量もあるし。重い機体ほど、滞空時に、機体が不安定になる。
場所は、六階。万一、失敗して墜落すれば、二人とも、ただでは済まない。下手をすれば、命を落とす高度だ。しかも、かなり強めの風が吹いている。大きな建物の付近では、不規則な動きの、ビル風が吹きやすい。
あと、一番の問題は『航空法』と『消防法』だ。火災があった際『一般人は手を出してはいけない』と、法律で定められている。災害時の救助作業は、特別な資格がある人しか、やってはいけない。これは、二次災害を防ぐためだ。
例外として、資格のある人に、許可をもらった時だけOK。それ以外の時に、勝手な行動をすれば、厳罰に処されてしまう。特に、航空法では『火災の起こっている建物の、半径二十メートル以内には、近付いてはならない』と、明文化されている。
昔の私だったら、迷わず、飛び込んで行ったはずだ。でも、今は上位階級の立場があるため、安易に、法律違反をする訳にはいかない。
どうしよう……。もう少し、待っていれば、ちゃんと、救助が来るはずだよね? 私、専門家じゃないし。そもそも、救助訓練もしたことないし――。
でも、もし、救助が間に合わなかったら……? あの子は、どうなっちゃうの――? 目の前で、助けを求めている子がいるのに、放っておくの……?
再び、ベランダで、泣きじゃくっている少女の姿を見た時。私の中で、何かが『プツッ』と、切れる音がした。
何を迷ってるのよ、私! 立場が何よ。人の命のほうが、大事じゃない! それに、今まで、何のために、ずっと練習してきたの? 大丈夫、今の私なら、絶対にできる。必ず、助け出して見せる!
私は、覚悟を決めると、少しずつ、火事が起こっている階に、機体を寄せて行った。だが、風が強すぎて、機体がグラグラして安定しない。かなり、危険な状態だ。
私が、機体を近づけていくと、下のほうから、再びザワザワと声があがった。
「おいっ、機体が近づいて行くぞ!」
「あれ、シルフィードじゃないの?」
「風が強いけど、大丈夫なのか?」
「素人が手を出すのは、マズイんじゃないのか?」
「でも、シルフィードだって、空のプロだぞ」
「消防隊が来ないんだから、しょうがないだろ」
「そうよ、今は、彼女に任せるしかないわ」
私は、ベランダのすぐ横まで行くが、どうしても、機体が揺れて、安定しない。風が、想像以上に強いのだ。しかも、風の方向が、常に変わっている。
ハンドルを握った状態でも、安定させるのがやっとだ。こんな状態で、両手を離し、さらには、女の子を受け止めるのは、あまりにも無謀すぎる。でも、例えそうだとしても、今はやるしかない。
「大丈夫? ケガはない? 今助けてあげるから、安心して!」
私は、精一杯の笑顔を少女向け、大きな声で話し掛けた。
「た――助けて……くれるの?」
少女は、せき込みながら、力なく答える。
「任せて、必ず助けてあげるから。あと少しの辛抱だよ。立てる?」
「うん――」
少女は、よろよろと、立ち上がった。
それと同時に、私もハンドルから手を放し、ゆっくりと立ち上がる。正直、物凄く怖い。この高さで、滞空したまま両手を離すなんて、初めての経験だった。
当然だが、両手をハンドルから離す運転なんて、完全に航空法違反の、極めて危険な運転だ。加えて、空中での滞空は、非常に、魔力制御が難しい。
だが、今は、そんなことを、言っている場合ではない。私は、全神経を集中し、魔力を繊細にコントロールしながら、機体を安定させる。
「ちょっと、怖いかもしれないけど、私を信じて。ちゃんと、受け止めてあげるから。大丈夫?」
「……うん」
私は、柵の隙間から手を入れると、まずは、彼女を柵の上に登らせる。ずっしりと、彼女の重さが、手から伝わって来た。その時、機体が、ぐらりと揺れた。その瞬間、下のほうから、悲鳴が上がる。
やっぱり、キツイ――。物凄く不安定だ。風が強すぎる……。
お願い、私に力を貸して。ほんの、一瞬だけでいいから、風よ吹き止んで。どうか、この子を救うために、力を――。
私は、必死に心の中で祈る。問題は、彼女を受け止めた時、無事に機体を安定させられるかどうかだ。いくら少女とはいえ、受け止める際には、数十キロの重量が掛かる。
ただでさえ、両手を離しているので、強風の中では、不安定、極まりない。足元の機体は、小刻みに、グラグラと揺れ続けている。
緊張で、額から汗が噴き出す。腕も、微かに震えている。でも、ここまで来たら、やるしかない。何としてでも、この子を助けないと……。
私は、覚悟を決めると、笑顔で声を掛けた。
「さぁ、おいで。私が、受け止めてあげるから」
「うん――」
少女は、小さくうなずくと、意を決して、私に飛びついて来た。私は、精一杯、足で踏ん張り、全力で彼女を抱きとめる。一瞬、後ろに傾きそうになった。だが、その瞬間、後ろから強い風が吹き、体が支えられた。
地上からは、悲鳴が上がったあと、安堵の声に変わる。
不思議なことに、後ろからの強風のあと、ピタッと風がやんだ。あれほど強く吹いていたのに、完全に、無風になっていた。私は、彼女を抱きかかえたまま、ゆっくりと、機体を下降させていく。
やがて、地上にたどり着くと、周囲から、大歓声と拍手が巻き起こった。
「よかった、本当に、よかった!」
「ありがとう、彼女を助けてくれて!」
「流石は、シルフィード! 実に見事な操縦だった!」
「まさに、幸運の使者ね! 来てくれて、ありがとう!」
少女は、すぐに保護され、傷の手当てを受けている。ススで、黒くなっているだけで、幸いやけどはないようだ。軽い擦り傷程度で、治療シートを貼ってもらっている。
ふぅー……大事にならなくて、よかった――。滅茶苦茶、きわどかったけど。無事に助けられて、本当に、よかった……。
私は、ホッとして、大きく息を吐きだした。今回ばかりは、流石に、自信がなかった。一歩、間違えれば、墜落していても、おかしくない状況だ。あんな危険な飛行、もう、二度とできないと思う。
安心した直後、上のほうで『ドーーンッ!!』と、派手な爆発音が聞こえた。と同時に、窓ガラスが、派手に砕け散る音が響く。周囲から、大きな悲鳴が上がった。
しばし、頭を抱えて伏せたあと、ゆっくり顔を上げる。すると、先ほどまでいた部屋から、赤い炎と、真っ黒な煙が、猛然と噴き出していた。
それを見た瞬間、背筋が凍り付く。あと、ほんのちょっと遅ければ、確実に、あの爆発に、巻き込まれていたはずだ。
「か――間一髪だったな……」
「あ――危なかったわね……」
「いやはや――実に、いいタイミングで、助けに来てくれたな……」
「これは――本当に、運がよかったな……」
再び、周囲の人たちの視線が、私に集中した。私は、苦笑いを浮かべる。
それから、数分後。ようやく、サイレンの音が聞こえ、消防隊の機体が飛んできた。すぐさま、消防隊の消火活動が始まる。少女は、一緒にやって来た、救急コンテナに運ばれていった。
まぁ、これで、一件落着かな。とはいえ、私は、このあと、色々処罰がありそうだけど。それでも、何も悔いはない。
私は、煙で少し黒くなったまま、静かに、消火活動を見守るのだった……。
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次回――
『何が正しいかは人それぞれだから難しいよね』
間違っているとか正しいとか、誰が決めるっていうのよ?
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