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第7部 才能と現実の壁
2-3月のように静かな光が好きな人だって沢山いるさ
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午後、七時半ごろ。僕は〈南地区〉の上空を、エア・ボードに乗って、思い切り飛ばしていた。向かっているのは、旧市街にある〈レリック〉という、小さなレストランだ。七時の約束だったけど、野暮用があって、大幅に遅れてしまった。
僕は、割と時間には、大雑把なほうだけど。流石に、三十分以上の遅刻は、待たせ過ぎだ。それに、彼女の性格からして、律儀に、外で待っているかもしれない。
今日は、リリーから、ディナーのお誘いがあった。いつも誘うのは、僕のほうからだから、向こうからは珍しい。でも、こういう時って、たいてい、何かあった時なんだよね。
リリーの力になるのも、相談に乗るのも、嫌ではない。むしろ、好ましいぐらいだ。彼女は、昔から我慢強くて、遠慮しがちな性格だから。何でもため込んで、人に助けを求めないからだ。
しかも、リリーは、表情に出さないタイプだから、非常に分かり辛かった。付き合いの長い僕ですら、気持ちが読めないことがある。なので、愚痴でも悩み事でも、ハッキリ言ってくれたほうが、助かるんだよね。
とはいえ、今回は、何があったんだろう? 風歌ちゃんと、また、喧嘩でもしたのかな? でも、最近は、仲良くやってたはずだけど……。
結局、直接、会って聴いてみないと、分からないよね。リリーは、僕なら全く気にしないような、どうでもいい些細なことでも、悩んだりするからなぁ。心が物凄くデリケートなのは、子供のころから、ずっと同じだ。
とても細かいから『気遣いの達人』なんて、言われるんだろうけど。滅茶苦茶、ストレスたまりそうだよね、あの性格は。まぁ、そういう繊細なのが、リリーらしくて、いい部分なんだけど。
やがて、小さな駐車場が見えて来る。急いで着陸すると、僕は、エア・ボードから、勢いよく飛び降りた。店は、この駐車場から、少し離れた場所の地下にある。早足で、目的の雑居ビルに向かった。
しばらく歩くと、案の定、建物の前に、彼女が立っている姿が見えた。ぼんやりと、何かを考え込んでいる様子だ。営業中とは違って、普段は、割とボーッとした表情が多い。
「やぁ、リリー、こんばんは。ゴメン、急用が入って、遅くなっちゃって」
「こんばんは、ツバサちゃん。私は大丈夫。それより、用事のほうは大丈夫なの?」
「うん、平気平気。それより、中で待ってればよかったのに」
「でも、呼び出したのは私だし。先に入るのも、悪いかと思って」
本当に、リリーは、律儀な性格だ。幼馴染みなんだから、気にする必要ないのに。僕だったら、先に入って、普通に、一杯やってると思うけど。
「そんな訳ないじゃん。僕が、そんな些細なこと、気にすると思う?」
「それもそうね――」
リリーは、ようやく笑みを浮かべた。
見た感じ、以前の風歌ちゃんの件の時ほど、深刻ではないようだ。リリーの様子を見て、少しホッとする。
「じゃ、入ろうか。滅茶苦茶、お腹空いててさぁ」
「ちゃんと、お昼ごはん、食べなかったの?」
「今日は、お客様と一緒だったから。あまり、食べられなかったんだよね」
「接客だと、流石に、気を遣うものね」
「これでも、クール系で売れてるからさ。お客様の前では、本気食いできないんだよね。クール系って、小食なイメージじゃん?」
「ウフフッ、何それ?」
笑顔で会話をしながら、地下に続く階段を、下りて行くのだった……。
******
僕たちは、予約してあった、店の一番、奥の席に座っていた。店内は、レトロなつくりで、テーブルや調度品は、全てアンティークだ。来ているのは、常連客のみで、とても静かな空気が流れていた。
ここは〈南地区〉のメイン・ストリートから、かなり離れた、旧市街にある。それに、あまり目立たない、雑居ビルの地下なので、限られた人しか来ない。ほとんどが、年配客なのもあり、落ち着いた雰囲気だ。
地下なので、あいにく景色は見えないけど。穴場中の穴場なので、人目を気にせず、自然体でくつろげる。人の多い店に行くと、僕もリリーも、ファンたちから声を掛けられて、結構、大変なんだよね。
目の前には、頼んだ料理とお酒が、テーブル一杯に置かれていた。リリーは、いつも通り、ワインをボトルで。僕が頼んだのは、ブルームーンだ。色んな種類を飲みたいので、カクテルを頼むことが多い。
まずは、乾杯して軽く飲んでから、近況報告などの世間話をした。リリーの表情を見ると、特に落ち込んだ様子ではない。けど、何やら不安そうな感じが、ほのかに伝わって来る。
本題を、なかなか切り出してこないので、僕のほうから、尋ねてみることにした。リリーは、いつもこんな感じで、自分から相談したり、弱音を吐いたりすることは、ほとんどない。
しかも、なまじ、お酒に強いので、酔って本音を漏らすようなことも、一切なかった。下手に酔わせようとすると、僕のほうが、先に潰れてしまう――。
「で、今日はどうしたの? 今度の悩み事は、何かな?」
「えっ……どうして?」
「だって、顔に出てるし」
「そんなに、表情に出てた?」
リリーの柔らかな笑顔が、驚きに変わる。
基本、リリーは、どんな時でも、笑顔を崩さない。職業病というより、子供のころから、こんな感じだ。でも、付き合いが長いと、その笑顔の裏の感情も、何となく分かる。
「何年、一緒にいると思ってるんだい? それに、何かなければ、リリーから、食事に誘ったりしないでしょ?」
「――それは、そうかもだけど」
「せっかく、こうして会ってるんだから。洗いざらい、全部、言っちゃいなよ。どうせ、本音を言い合えるのって、僕ら二人だけなんだから」
「そうね……」
上位階級にもなると、その立場と重責から、なかなか本音を語れない。細かいことは、気にしない僕ですら、言葉は、かなり慎重に選んでいる。もちろん、弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりなんか、出来はしない。
上位階級は、みんなの憧れの存在だから、常に、強く理想的でなければならないからだ。物凄く面倒だけど、こればかりはしょうがない。
でも、僕とリリーは、お互いの弱みも全て知っている。家族みたいなものだし、いまさら、隠し事をする必要もない。だから、僕は、平気で弱みを見せるし、愚痴もこぼす。もっとも、リリーのほうは、相変わらず、ガードが硬いけど。
昔は、愚痴や相談を聴いてもらう相手は、アリーシャさんだった。しかし、今となっては、言いたいことが言い合えるのは、僕ら二人だけだ。
「実は、これが送られて来たの」
リリーは、ハンドバッグから、金色の枠の付いた封筒を取り出した。
「見てもいいの?」
「えぇ。むしろ、ツバサちゃんには、見ておいて貰いたくて」
見た瞬間、それが何であるか、想像がついた。慎重に、中に入っている手紙を取り出し、目を通す。やはり、思った通り、昇進の通知書だった。
「おめでとう、リリー! ついに、やったじゃん」
「ツバサちゃん、ありがとう――」
まるで、自分のことにように、心の底から嬉しい。でも、リリーは、力なく微笑んだだけで、喜んでいるようには見えなかった。
「悩み事って、これのこと? こんなに、おめでたいのに。何を悩む必要があるんだい? 万事、順調じゃない」
「順調……なのかしら?」
「そりゃ、滅茶苦茶、順調でしょ。『シルフィード・クイーン』まで行ったら、もう、ゴールに到達したも、同然なんだから。シルフィードにとって、これ以上、順調な人生は、他にないよ」
『グランド・エンプレス』は、名誉階級で、極めて特殊な存在だ。なので、事実上『シルフィード・クイーン』が、最高位の階級になっている。全てのシルフィードが、夢見て、渇望しながらも、一握りの人間しか手にできない、極めて狭き門だ。
一度、その称号を手にすれば、引退後も『元シルフィード・クイーン』として、社会的な地位や名声は、保証されている。
雑誌やMVへの出演。各種、講演会。大企業の重役や顧問。シルフィード協会の理事や、行政府の要職。あらゆるところから、引く手あまただ。高い地位と人気に加え、莫大な収入もある。
つまり、シルフィード・クイーンとは、人生の『成功者の証』と言える。シルフィードにとって、これ以上の幸せが、あるだろうか?
「でも――私は、順調にやって来たわけではないわ。途中で挫折し掛けて、一年も休んでいて。一時は、引退も考えたのだから。とても、私にふさわしい地位とは、思えないの……」
リリーは、とても深刻そうに答えた。
「もしかして、まだ、アリーシャさんの件、引きずってるの?」
「それは、ツバサちゃんと、風歌ちゃんのお蔭で、心の整理はついているわ」
僕が、風歌ちゃんに、アリーシャさんの過去を話した時。上手く、心の区切りが、つけられたのだと思う。想像以上に、風歌ちゃんの存在が、リリーに良い影響を与えているようだ。
「でも、私には、シルフィード・クイーンの資格があるとは、とても思えないの。真っ直ぐに、頑張って来たならまだしも。私は、一度、逃げ出そうとしたのだから。それに、母には、まだ、遠く及ばないから――」
リリーの表情が暗く沈む。
アリーシャさんの死は、受けいれられても、結局、その呪縛からは、完全に逃れられていないのだ。リリーは、昔から、偉大な母親の背中を、ずっと追い掛けていた。今もまだ、追い続け、常に自分と比較しているのだ。
今は亡き人と比較しても、どうしようもない。なぜなら、永遠に、追いつくことは、出来ないのだから。ただ、リリーの性格上、これからも、こだわり続けて行くのだと思う。
こういう、細かいことを引きずるのが、リリーの悪いところなんだよね。それに、評価は、自分じゃなくて、他人がするものだし。貰えるものは、気にせず、貰っちゃえばいいのに。僕なら、手放しに喜ぶけど。
「リリーは充分に、シルフィード・クイーンに相応しいと、僕は思うよ。技術も人格も、申し分なし。むしろ、すでに、アリーシャさんを、越えてると思うけど」
「……どこら辺が?」
「そもそも、アリーシャさんって、物凄く大雑把だったじゃん。なんでも、思い付きでやる人だったし。リリーほど、細かい気遣いが、出来る人じゃなかったよ」
アリーシャさんは、結構、気分屋だった。思い立ったら、すぐに行動する、テンションで生きているような人だった。でも、物凄いパワーがあって、自然に巻き込まれてしまう。一緒にいると、とても楽しくて、元気になれた。
でも、決して、完璧な人じゃない。むしろ、不完全な部分も多かった。ただ、愛嬌があって、それが許されてしまう性格だ。何でも、完璧にこなすリリーとは、まるで正反対だった。これでは、比較のしようがない。
「母には、人を元気にさせる力があった。でも、私はこうして、いつも落ち込んでばかり。とても、みんなの象徴になれるとは、思えないわ――」
元々リリーは、とても大人しい性格だ。特別、明るい訳でもなく、行動力がある訳でもない。でも、それを好ましく思う人も、沢山いる。
「ねぇ、リリー。シルフィードには、色んな形があるんだよ。元気で明るい、太陽みたいな人もいれば、静かで穏やかな、月のような人もいる。僕や風歌ちゃんは、前者。リリーは、後者」
「でもさ、みんながみんな、太陽を求めてる訳じゃない。一緒にいると安らげる、癒しを求めてる人も、一杯いるよ。現に、リリーには、沢山のファンがいるじゃない。僕も、その一人。リリーといると、凄くホッとするから」
リリーは『癒し系シルフィード』として、真っ先に、名前が挙がる存在だ。包み込むような優しさと、静かで穏やかな立ち振る舞い。『天使の羽』の二つ名だって、そこから来ているのだから。
ただ、人は自分にないものに、憧れてしまう。月は太陽に憧れ、太陽は月に憧れる。どちらが優れている、という訳ではない。人の性格は、一つしか持てないのだから。比較しても、永遠に解決しない問題だと思う。
「そんなので、いいのかしら――?」
「いいに、決まってるよ。風歌ちゃんに、当てられちゃったんじゃないかな?」
「どういうこと?」
「風歌ちゃんは、まさに太陽じゃない。その、あまりに強い光に当てられて、不安になったんじゃないのかな? 僕も同じタイプだけど、彼女のパワーは、本当に凄いと思うよ」
「そう……かもしれなわね」
リリーは、思い当たる節があったようで、小さく頷いた。
アリーシャさんも、風歌ちゃんも、僕も、みんな太陽のタイプだ。だから、元々自信のないリリーが、不安になってしまうのも、仕方がない。考えて見たら、リリーと同じタイプって、近くにいないからね。
「大事なのはさ、誰かと比較することじゃなくて、自分らしく光り輝くことだよ。リリーは、リリーらしく、もっと優しく美しく、輝いて行けばいいじゃん。静かで穏やかな、満月の夜のように」
「それに、ちょっと休んだ程度、関係ないよ。月も太陽も、雲が出てきて、時々隠れる時もあるじゃん。雲が晴れて、また出てきた。それだけのことさ」
僕が、微笑みながら語りかけると、ようやく彼女の表情に、光がさした。本当に、リリーって、面倒な性格だ。でも、そこが、超大好きなんだけどね。
「ツバサちゃん、ありがとう。弱い光だけど、精一杯、輝いてみるわ」
「うん。でも、月には太陽が必要だからね。すぐ隣に行くから、もうしばらく、待っててよ」
「えぇ、ずっと待ってるわ」
僕の言葉に、リリーは満面の笑みを浮かべた。
人には、それぞれの輝き方がある。ただ、強く明るければ、いい訳じゃない。まぶしいのが、苦手な人だっているし。優しく柔らかな光も、必要なのだ。
きっとリリーは、これからもずっと、多くの人たちを、優しく照らして行くのだろう。願わくば、僕もその隣で、明るく輝き続けていたいと思う……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『人って一緒にいれば自然に仲良くなるもんだよね?』
ケンカじゃありませーん。今仲良くなってる最中でーす
僕は、割と時間には、大雑把なほうだけど。流石に、三十分以上の遅刻は、待たせ過ぎだ。それに、彼女の性格からして、律儀に、外で待っているかもしれない。
今日は、リリーから、ディナーのお誘いがあった。いつも誘うのは、僕のほうからだから、向こうからは珍しい。でも、こういう時って、たいてい、何かあった時なんだよね。
リリーの力になるのも、相談に乗るのも、嫌ではない。むしろ、好ましいぐらいだ。彼女は、昔から我慢強くて、遠慮しがちな性格だから。何でもため込んで、人に助けを求めないからだ。
しかも、リリーは、表情に出さないタイプだから、非常に分かり辛かった。付き合いの長い僕ですら、気持ちが読めないことがある。なので、愚痴でも悩み事でも、ハッキリ言ってくれたほうが、助かるんだよね。
とはいえ、今回は、何があったんだろう? 風歌ちゃんと、また、喧嘩でもしたのかな? でも、最近は、仲良くやってたはずだけど……。
結局、直接、会って聴いてみないと、分からないよね。リリーは、僕なら全く気にしないような、どうでもいい些細なことでも、悩んだりするからなぁ。心が物凄くデリケートなのは、子供のころから、ずっと同じだ。
とても細かいから『気遣いの達人』なんて、言われるんだろうけど。滅茶苦茶、ストレスたまりそうだよね、あの性格は。まぁ、そういう繊細なのが、リリーらしくて、いい部分なんだけど。
やがて、小さな駐車場が見えて来る。急いで着陸すると、僕は、エア・ボードから、勢いよく飛び降りた。店は、この駐車場から、少し離れた場所の地下にある。早足で、目的の雑居ビルに向かった。
しばらく歩くと、案の定、建物の前に、彼女が立っている姿が見えた。ぼんやりと、何かを考え込んでいる様子だ。営業中とは違って、普段は、割とボーッとした表情が多い。
「やぁ、リリー、こんばんは。ゴメン、急用が入って、遅くなっちゃって」
「こんばんは、ツバサちゃん。私は大丈夫。それより、用事のほうは大丈夫なの?」
「うん、平気平気。それより、中で待ってればよかったのに」
「でも、呼び出したのは私だし。先に入るのも、悪いかと思って」
本当に、リリーは、律儀な性格だ。幼馴染みなんだから、気にする必要ないのに。僕だったら、先に入って、普通に、一杯やってると思うけど。
「そんな訳ないじゃん。僕が、そんな些細なこと、気にすると思う?」
「それもそうね――」
リリーは、ようやく笑みを浮かべた。
見た感じ、以前の風歌ちゃんの件の時ほど、深刻ではないようだ。リリーの様子を見て、少しホッとする。
「じゃ、入ろうか。滅茶苦茶、お腹空いててさぁ」
「ちゃんと、お昼ごはん、食べなかったの?」
「今日は、お客様と一緒だったから。あまり、食べられなかったんだよね」
「接客だと、流石に、気を遣うものね」
「これでも、クール系で売れてるからさ。お客様の前では、本気食いできないんだよね。クール系って、小食なイメージじゃん?」
「ウフフッ、何それ?」
笑顔で会話をしながら、地下に続く階段を、下りて行くのだった……。
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僕たちは、予約してあった、店の一番、奥の席に座っていた。店内は、レトロなつくりで、テーブルや調度品は、全てアンティークだ。来ているのは、常連客のみで、とても静かな空気が流れていた。
ここは〈南地区〉のメイン・ストリートから、かなり離れた、旧市街にある。それに、あまり目立たない、雑居ビルの地下なので、限られた人しか来ない。ほとんどが、年配客なのもあり、落ち着いた雰囲気だ。
地下なので、あいにく景色は見えないけど。穴場中の穴場なので、人目を気にせず、自然体でくつろげる。人の多い店に行くと、僕もリリーも、ファンたちから声を掛けられて、結構、大変なんだよね。
目の前には、頼んだ料理とお酒が、テーブル一杯に置かれていた。リリーは、いつも通り、ワインをボトルで。僕が頼んだのは、ブルームーンだ。色んな種類を飲みたいので、カクテルを頼むことが多い。
まずは、乾杯して軽く飲んでから、近況報告などの世間話をした。リリーの表情を見ると、特に落ち込んだ様子ではない。けど、何やら不安そうな感じが、ほのかに伝わって来る。
本題を、なかなか切り出してこないので、僕のほうから、尋ねてみることにした。リリーは、いつもこんな感じで、自分から相談したり、弱音を吐いたりすることは、ほとんどない。
しかも、なまじ、お酒に強いので、酔って本音を漏らすようなことも、一切なかった。下手に酔わせようとすると、僕のほうが、先に潰れてしまう――。
「で、今日はどうしたの? 今度の悩み事は、何かな?」
「えっ……どうして?」
「だって、顔に出てるし」
「そんなに、表情に出てた?」
リリーの柔らかな笑顔が、驚きに変わる。
基本、リリーは、どんな時でも、笑顔を崩さない。職業病というより、子供のころから、こんな感じだ。でも、付き合いが長いと、その笑顔の裏の感情も、何となく分かる。
「何年、一緒にいると思ってるんだい? それに、何かなければ、リリーから、食事に誘ったりしないでしょ?」
「――それは、そうかもだけど」
「せっかく、こうして会ってるんだから。洗いざらい、全部、言っちゃいなよ。どうせ、本音を言い合えるのって、僕ら二人だけなんだから」
「そうね……」
上位階級にもなると、その立場と重責から、なかなか本音を語れない。細かいことは、気にしない僕ですら、言葉は、かなり慎重に選んでいる。もちろん、弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりなんか、出来はしない。
上位階級は、みんなの憧れの存在だから、常に、強く理想的でなければならないからだ。物凄く面倒だけど、こればかりはしょうがない。
でも、僕とリリーは、お互いの弱みも全て知っている。家族みたいなものだし、いまさら、隠し事をする必要もない。だから、僕は、平気で弱みを見せるし、愚痴もこぼす。もっとも、リリーのほうは、相変わらず、ガードが硬いけど。
昔は、愚痴や相談を聴いてもらう相手は、アリーシャさんだった。しかし、今となっては、言いたいことが言い合えるのは、僕ら二人だけだ。
「実は、これが送られて来たの」
リリーは、ハンドバッグから、金色の枠の付いた封筒を取り出した。
「見てもいいの?」
「えぇ。むしろ、ツバサちゃんには、見ておいて貰いたくて」
見た瞬間、それが何であるか、想像がついた。慎重に、中に入っている手紙を取り出し、目を通す。やはり、思った通り、昇進の通知書だった。
「おめでとう、リリー! ついに、やったじゃん」
「ツバサちゃん、ありがとう――」
まるで、自分のことにように、心の底から嬉しい。でも、リリーは、力なく微笑んだだけで、喜んでいるようには見えなかった。
「悩み事って、これのこと? こんなに、おめでたいのに。何を悩む必要があるんだい? 万事、順調じゃない」
「順調……なのかしら?」
「そりゃ、滅茶苦茶、順調でしょ。『シルフィード・クイーン』まで行ったら、もう、ゴールに到達したも、同然なんだから。シルフィードにとって、これ以上、順調な人生は、他にないよ」
『グランド・エンプレス』は、名誉階級で、極めて特殊な存在だ。なので、事実上『シルフィード・クイーン』が、最高位の階級になっている。全てのシルフィードが、夢見て、渇望しながらも、一握りの人間しか手にできない、極めて狭き門だ。
一度、その称号を手にすれば、引退後も『元シルフィード・クイーン』として、社会的な地位や名声は、保証されている。
雑誌やMVへの出演。各種、講演会。大企業の重役や顧問。シルフィード協会の理事や、行政府の要職。あらゆるところから、引く手あまただ。高い地位と人気に加え、莫大な収入もある。
つまり、シルフィード・クイーンとは、人生の『成功者の証』と言える。シルフィードにとって、これ以上の幸せが、あるだろうか?
「でも――私は、順調にやって来たわけではないわ。途中で挫折し掛けて、一年も休んでいて。一時は、引退も考えたのだから。とても、私にふさわしい地位とは、思えないの……」
リリーは、とても深刻そうに答えた。
「もしかして、まだ、アリーシャさんの件、引きずってるの?」
「それは、ツバサちゃんと、風歌ちゃんのお蔭で、心の整理はついているわ」
僕が、風歌ちゃんに、アリーシャさんの過去を話した時。上手く、心の区切りが、つけられたのだと思う。想像以上に、風歌ちゃんの存在が、リリーに良い影響を与えているようだ。
「でも、私には、シルフィード・クイーンの資格があるとは、とても思えないの。真っ直ぐに、頑張って来たならまだしも。私は、一度、逃げ出そうとしたのだから。それに、母には、まだ、遠く及ばないから――」
リリーの表情が暗く沈む。
アリーシャさんの死は、受けいれられても、結局、その呪縛からは、完全に逃れられていないのだ。リリーは、昔から、偉大な母親の背中を、ずっと追い掛けていた。今もまだ、追い続け、常に自分と比較しているのだ。
今は亡き人と比較しても、どうしようもない。なぜなら、永遠に、追いつくことは、出来ないのだから。ただ、リリーの性格上、これからも、こだわり続けて行くのだと思う。
こういう、細かいことを引きずるのが、リリーの悪いところなんだよね。それに、評価は、自分じゃなくて、他人がするものだし。貰えるものは、気にせず、貰っちゃえばいいのに。僕なら、手放しに喜ぶけど。
「リリーは充分に、シルフィード・クイーンに相応しいと、僕は思うよ。技術も人格も、申し分なし。むしろ、すでに、アリーシャさんを、越えてると思うけど」
「……どこら辺が?」
「そもそも、アリーシャさんって、物凄く大雑把だったじゃん。なんでも、思い付きでやる人だったし。リリーほど、細かい気遣いが、出来る人じゃなかったよ」
アリーシャさんは、結構、気分屋だった。思い立ったら、すぐに行動する、テンションで生きているような人だった。でも、物凄いパワーがあって、自然に巻き込まれてしまう。一緒にいると、とても楽しくて、元気になれた。
でも、決して、完璧な人じゃない。むしろ、不完全な部分も多かった。ただ、愛嬌があって、それが許されてしまう性格だ。何でも、完璧にこなすリリーとは、まるで正反対だった。これでは、比較のしようがない。
「母には、人を元気にさせる力があった。でも、私はこうして、いつも落ち込んでばかり。とても、みんなの象徴になれるとは、思えないわ――」
元々リリーは、とても大人しい性格だ。特別、明るい訳でもなく、行動力がある訳でもない。でも、それを好ましく思う人も、沢山いる。
「ねぇ、リリー。シルフィードには、色んな形があるんだよ。元気で明るい、太陽みたいな人もいれば、静かで穏やかな、月のような人もいる。僕や風歌ちゃんは、前者。リリーは、後者」
「でもさ、みんながみんな、太陽を求めてる訳じゃない。一緒にいると安らげる、癒しを求めてる人も、一杯いるよ。現に、リリーには、沢山のファンがいるじゃない。僕も、その一人。リリーといると、凄くホッとするから」
リリーは『癒し系シルフィード』として、真っ先に、名前が挙がる存在だ。包み込むような優しさと、静かで穏やかな立ち振る舞い。『天使の羽』の二つ名だって、そこから来ているのだから。
ただ、人は自分にないものに、憧れてしまう。月は太陽に憧れ、太陽は月に憧れる。どちらが優れている、という訳ではない。人の性格は、一つしか持てないのだから。比較しても、永遠に解決しない問題だと思う。
「そんなので、いいのかしら――?」
「いいに、決まってるよ。風歌ちゃんに、当てられちゃったんじゃないかな?」
「どういうこと?」
「風歌ちゃんは、まさに太陽じゃない。その、あまりに強い光に当てられて、不安になったんじゃないのかな? 僕も同じタイプだけど、彼女のパワーは、本当に凄いと思うよ」
「そう……かもしれなわね」
リリーは、思い当たる節があったようで、小さく頷いた。
アリーシャさんも、風歌ちゃんも、僕も、みんな太陽のタイプだ。だから、元々自信のないリリーが、不安になってしまうのも、仕方がない。考えて見たら、リリーと同じタイプって、近くにいないからね。
「大事なのはさ、誰かと比較することじゃなくて、自分らしく光り輝くことだよ。リリーは、リリーらしく、もっと優しく美しく、輝いて行けばいいじゃん。静かで穏やかな、満月の夜のように」
「それに、ちょっと休んだ程度、関係ないよ。月も太陽も、雲が出てきて、時々隠れる時もあるじゃん。雲が晴れて、また出てきた。それだけのことさ」
僕が、微笑みながら語りかけると、ようやく彼女の表情に、光がさした。本当に、リリーって、面倒な性格だ。でも、そこが、超大好きなんだけどね。
「ツバサちゃん、ありがとう。弱い光だけど、精一杯、輝いてみるわ」
「うん。でも、月には太陽が必要だからね。すぐ隣に行くから、もうしばらく、待っててよ」
「えぇ、ずっと待ってるわ」
僕の言葉に、リリーは満面の笑みを浮かべた。
人には、それぞれの輝き方がある。ただ、強く明るければ、いい訳じゃない。まぶしいのが、苦手な人だっているし。優しく柔らかな光も、必要なのだ。
きっとリリーは、これからもずっと、多くの人たちを、優しく照らして行くのだろう。願わくば、僕もその隣で、明るく輝き続けていたいと思う……。
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次回――
『人って一緒にいれば自然に仲良くなるもんだよね?』
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