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第5部 厳しさにこめられた優しい想い

2-3どんなに凄い人でも昔は一杯失敗してたんだね

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 早朝の五時半ごろ。先ほど、アパートの一階の流しに行って、顔を洗ってきたところだ。普段なら、目覚ましが鳴ったあと、床に転げ落ちて、強引に目を覚ましている。でも、今朝は、自然にパッチリ目が覚めた。

 時計を見たら、まだ五時だったけど、特に眠くはないので、起きてしまった。たぶん、体力があり余っているんだと思う。

 ここのところ、ずっと部屋にこもって、勉強してたからねぇ。仕事に行ってた時の、三分の一ぐらいしか、体力を使っていない。まぁ、精神力は、ゴリゴリ消費してたけど……。

 一応、ライセンスは復活したんだけど、あと三日間、営業停止期間が残っている。『安全飛行講習』も終わって、完全にやることが、なくなってしまった。
 
 さて、どうしようかなぁ――?

 部屋で大人しく、勉強をしているのが、一番だとは思う。でも、さすがに、朝から晩までは無理だ。少しは外に出ないと、息が詰まってしまう。講習も、何だかんだで、いい刺激や気分転換に、なってたんだよね。

 しかし、いざ考えてみると、何もやる事が思い浮かばない。以前から、休みの日って、得にやることがないんだよね。

 休みの日に、やってることって、買い出しや洗濯ぐらいだ。それに、エア・ドルフィンに乗れないと、空の散歩もできないし。

 むー、やっぱり、空を飛べないのは物凄く痛い。よくよく考えてみたら、空を飛べないと、何もやることないじゃん……。休みの日って、いつも適当に、空を飛び回ってたからね。

 ライセンスは、無事に元に戻った。でも、私はまだ、エア・ドルフィンには、指一本ふれていない。

 ちゃんと、リリーシャさんに、報告とお詫びをして、許可をもらってから乗ろうと思うからだ。あれだけ、迷惑と心配をかけてしまったのだから、これは、最低限の筋だよね。

 それに、出社前に、また何か事故でも起こしたら、シャレにならない。昔から、割とトラブルは起こしやすいので。しばらく、空を飛ぶのは、自重しようと思う。

「よし、まずは、準備運動しよう! やることがない時は、運動。これ、基本だよね」
 
 何もやることが、思い浮かばなかったので、アパートの庭にでて、体を動かすことにした。

 階段を静かに降りて、アパートの前の庭に出ると、大きく深呼吸をする。そのあと、頭の中で、ラジオ体操の音楽を思い出しながら、体を動かす。やってる内に、だんだん乗ってきて、気分がスッキリしてきた。一通り終ると、再び深呼吸をする。

「うーん、やっぱ、外の空気は、爽やかでいいよねぇー!」
 私が満足感に浸っていると、

「お前、朝っぱらから、何やってんだ?」
 振り向くと、腕組みしながら、こちらをジーッと見つめている、ノーラさんがいた。

「あ、ノーラさん、おはようございます。って、見てたんですか?」
「ずいぶんと暇そうだな、お前。講習は、終わったのか?」 

「はい、無事に終了して、ライセンスも復活しました。でも、営業停止が、まだ三日間あるので、やることなくて――」

 安全飛行講習は大変だったけど、何だかんだで、充実感があったんだよね。色々と勉強にもなったし。いざ終わってしまうと、ちょっと、物足りなく思ってしまう。

「なら、祭に行ってくりゃいいだろ? もしくは、適当に遊んでくるとか」
「ダメですよ。営業停止処分が終わるまでは、自重することに決めてるんです」

「お前、変なところで真面目だな。お馬鹿なくせに」
「んがっ……。お馬鹿と反省は、別問題ですよう!」  

 いくら馬鹿だって、反省ぐらいするもん。というか、リリーシャさんに、これ以上の心配は、掛けたくない。人の多いところに行って、また何かトラブルに巻き込まれたりしたら、大変だ。だから、家で大人しくしてた方がいい。

 とはいえ、体力が、超あり余ってるしなぁー。ん、そうだ……。

「ノーラさん、アパートの掃除しても、いいですか?」
「は――?」
「庭掃除とか、廊下のモップ掛けとか。何でもやりますよ!」

 体力が余っている原因の一つが、朝の掃除をしていないからだ。足を怪我する前は、毎朝じっくり時間を掛けてやっていた。掃除も、結構いい運動になるんだよね。

「何だ、唐突に? 言っとくが、やっても何も出ないぞ」
「構いません。単に、私がやりたいだけですから」

「なら、好きにしな」
「はい、ありがとうございます」

 私は、一階の廊下の奥の、用具入れのロッカーに行くと、ほうきと塵取りを取り出した。そのまま、小走りで庭に向かうと、はき掃除を始める。隅から丁寧にはいて行く。アパートの庭掃除は、初めてだけど、会社でやる時と、基本は変わらない。

 庭掃除が終わると、今度はモップを取りに行き、廊下の端から端まで、モップ掛けをする。廊下が長いので、中々やりごたえがあった。こんなに、やりごたえのある掃除は、中学以来だ。

 最初は、ゆっくりだったけど、段々のってくると、早足になってきた。思いっ切り走りたいけど、まだ、足の包帯が取れてないので、そこはぐっと我慢。一階が終わると、二階に移動する。どんどん上の階に移動しながら、廊下の掃除を続けていった。

 結構、時間は掛かったけど、ちゃんと五階の廊下まで、全てモップ掛けを終わらせる。私は、とてもスッキリした気分になり、満足しながら一階に降りて来た。

 いやー、いい仕事だったー。体も動かせて、満足満足。

 掃除の充実感に浸っていると、ノーラさんが、外から入って来るところに、ちょうど出くわした。

「お前、全部の階の掃除をしたのか?」 
「はい、バッチリです! 隅々まで、綺麗になりましたよ」
「ふむ。じゃあ、片付けが終わったら、手を洗って表に来な」

 そう言うと、再び庭に出て行った。 

 なんだろう? 掃除の行き届いてないところでも、あったのかな? ちゃんと、隅から隅まで、やったはずだけど――。

 私は、モップをかたずけ、手を洗って庭に向かう。すると、青色のエア・カートが停まっていた。中には、ノーラさんが乗っている。これって、以前『ノア・マラソン』の当日に、送って行ってもらった時の機体だ。

「さっさと乗りな」
 私は、言われるままに、助手席に乗り込んだ。

「どこに行くんですか?」
「朝飯にいくぞ。流石に、あれだけやらせて、タダって訳にも行かないからな」
「別に、そんなつもりで、やった訳では……。でも、助かります」

 実は、結構、お腹が空いていた。凄く集中してたし、会社よりも、はるかに掃除する部分が広いので。

 私が乗り込むと、スーッと機体が上昇していく。そのまま、北のほうに向かって飛んで行った。

「ノーラさんも、外食するんですね? 自炊しか、しないんだと思ってました」 
「まぁ、自炊が多いが、外食だってするさ。今は、ずっと家にいるから、自炊が多いが。昔は、外食のほうが、多かったからな」

「大人気のシルフィードだと、忙しいですもんね」
「別に、そういうんじゃなくて。仕事で、あっちこっちに移動するから、見つけた店で済ませたほうが、早いんだよ」

 毎日、リリーシャさんを見ていれば、よく分かる。忙しくて、食事がとれないことも有るぐらいだ。スカイ・プリンセスで、あの忙しさなんだから。シルフィード・クイーンともなれば、とんでもなく忙しかったと思う。

 ほどなくして、大きな駐車場に、機体がゆっくりと降りて行く。メインストリートを脇にそれた、細い道の先にある場所だ。まだ、朝早いので、駐車場には、他の車は停まっていない。 

 大きな敷地の中には、ポツンと小さな建物があった。看板には『定食 風見鶏』と書かれている。でも、店内には、お客さんが誰もいないし、灯もついていない。まだ、八時前なので、さすがに、やってないと思う。

「まだ、営業してないんじゃないですか? 普通は、九時か十時に、開店ですよね?」
「店は九時からだが、仕込みは、早朝からやってるんだよ」

 ノーラさんはそう言うと『準備中』の札が下がっている扉を、何の迷いもなく開けて中に入る。私も少し後ろから、恐る恐るついて、中に入って行った。

「じいさん、いるかー?」
「あぁ、ノーラちゃんか。なんだい、今日は、偉く早いな」

 ノーラさんは、マナ・イルミネーションのスイッチを勝手に押し、店内の照明をつけた。そのあと、カウンターの、中央の席に座る。

「って、営業前に、いいんですか?」
「いいんだよ。お前も、早く座れ」

 私が小声で尋ねると、ノーラさんに、すぐ横の席に座るように指示された。

「じいさん、あれ作れるか?」
「まぁ、材料はあるから、作れるけど。朝っぱらから、食べるのか?」

「こいつが、先日、事故っちまって。ちょいと、景気づけにさ」
「あぁ、そういう事かい。なら、ちょっと待ってな。まだ、仕込み中だから、ちょっと時間が掛かるぞ」 

 二人のこなれた会話を見ていると、かなり親しい感じだ。営業時間前に、勝手に入って来るぐらいだから、相当な常連だよね?

「こんな所に、お店があるとは、全く知りませんでした。ノーラさんは、よく来るんですか?」 
「昔は、割と来てたな。最近は、たまにだが」

 店の厨房からは、食材を切る、トントンという、軽快な音が聞こえてくる。

「学生時代は、ほとんど毎日、来てたよな」
「学生時代からって、超常連じゃないですか?」
「たまたま、家から近かっただけだ」

 大将の言葉に、ノーラさんは、ぶっきらぼうに答えた。

「物凄くやんちゃで、豪快に飯を食う姿は、今でもよく覚えてるよ」
「えっ、やんちゃって――?」
 
「たまに、体にあざを作って来たりとかさ。まさか、そんな子が、シルフィードになるとは、ビックリさ」
「体にあざって……?」 
 
 私がそっと、ノーラさんの顔を見ると、

「時には、体を張る必要があるんだよ」
 険しい表情で、睨み返して来た。

 ひえっ?! 凄い眼力で、一瞬ひるんだ。

 怖い人だとは思ってたけど、十代のころって、どんな感じだったんだろう? やんちゃって、アレだよね。レディースとか、ヤンキーみたいな?

 しばらくすると、揚げ物の匂いと、甘い香りが漂ってきた。大将は、無駄のない動きで、手際よく厨房内を動いている。

 うーん、すっごくいい香り。でも、どことなく、懐かしい感じのする匂いだ。なんか昔、実家のそばの定食屋で、こんな匂いをかいだ記憶がある。

 そういえば、何を頼んだのか聴いてなかったけど、揚げ物かな? 匂いをかいでいたら、すっごくお腹がすいてきた。ノーラさんは、ただ黙って、ジッと厨房のほうを眺めている。

 ほどなくして、 
「はいよ、お待ちどう。付け合わせは、ちょっと待ってな」
 目の前に、ふたの付いた、陶器のどんぶりが置かれた。

 続いて、みそ汁のおわんと、漬物の小皿が置かれる。いかにも、定食屋のメニューといった感じだ。

「ところで、これって何ですか?」 
「開けりゃ、分かるだろ」

 私は言われるままに、そっとふたを開けてみた。すると、ブワーっと白い湯気が立ち昇る。

「おぉー-!! これはっ!」
 感動のあまり、思わず大きな声が出てしまった。見慣れた料理だけど、物凄く久しぶりだったからだ。

「こっちの世界にも、かつ丼って、あったんですね」
「じいさんは、向こうの世界の料理が、大好きだからな。それより、さっさと食え」
「はい、いただきますっ!」

 味噌汁を一口飲んだあと、丼の上の、トロトロの半熟卵が絡んでいるかつを、箸でつかむ。物凄く厚切りの肉だ。ガブっとかみつくと、口の中一杯に、タレと卵と肉のうまみが、一気に広がった。

 うーん、肉柔らかっ!! タレも甘くて美味しい! 衣にも玉ねぎにも、タレがよくしみ込んでる。これって、私がよく知っている、かつ丼の味だ。しかも、向こうで食べたのよりも、ずっと美味しい!

 あまりの美味しさに、夢中になって、手が止まらなかった。肉とご飯を交互に、どんどん口に放り込んで行く。

「どうだ、ちっとは、元気が出たか?」
「はい、お陰さまで。滅茶苦茶、元気が出ました! 事故で、ちょっと落ち込んでたんで、助かります」
 
 無事に講習も終わり、ライセンスも復活したけど。やっぱり、事故に遭ったショックは、まだ引きずっていた。でも、美味しい物を食べると、今の状況に関係なく、凄く元気が出て来るよね。

「事故なんて、空飛んでりゃ、付きものだ。そんな、つまんないことで、一々くよくよすんな」
「ノーラちゃんは、常連だもんな」

 大将は、笑いながら声をかけて来る。

「えぇっ?! ノーラさんでも、事故に遭ったりするんですか? あんなに操縦が上手いのに」

「昔は、地元の若いもんと、スピードを競い合って、よくぶつけてたよな。で、むしゃくしゃすると、うちに飯食いに来てたんだ」

 さっき言ってた『体を張る』って、そういう意味だったんだ。 

「じいさん、余計なこと言うなよ。それより、デービスって、まだ〈飛行教練センター〉にいるのか?」

「あぁ、センター長さんですよね? 最終日の講師でした。超厳しかったですよ。お知り合いですか?」
「昔、安全講習を受けに行った時も、あいつが最終日でよ。うるさいのなんの」

 あぁー、そっか。ノーラさんも『安全飛行講習』に、行ってたんだ。色んな意味で、私の大先輩だよね。

 どんなに上手い人でも、最初から上手かったわけじゃないし。事故だって、遭う時は遭うよね。まぁ、ノーラさんの場合、相当、無茶な運転してたみたいだけど。

 でも、自分だけが、事故に遭ったんじゃないと知って、少し安心した。遭わないに越したことないけど、起きちゃったこと、くよくよしてても、しょうがないよね。

 かつ丼食べて、元気も出たし。気持ちを入れ直して、胸を張って仕事に復帰しよう。

 よし、これからもシルフィードの仕事、全力で頑張りまっしょい!


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次回――
『ありがとうを伝えるのって意外と照れくさいよね』

 生きていたい…ありがとうを言うために…
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