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第2部 母と娘の関係

1-2異世界なんて一生行く機会がないと思っていたのに

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 私は〈グリュンノア国際空港〉のロビーで、唖然として、立ち尽くしていた。周囲では、ひっきりなしに人が往来し、空中には、沢山の掲示板や広告が浮かんでいる。異世界……というより『未来』に来てしまった感覚だ。

 人の流れに飲まれないよう、私はあわてて、壁際に張り付いた。人の多さと、目に飛び込んでくる情報量に圧倒され、身動き取れなくなってしまった。初めて見るものが多く、脳の処理が、全く追い付いていない。

 文明の違いに、驚いているのもあるが、想像していた町と、全く違うのが原因だった。『海に囲まれた孤島』と聞いていたので、もっとのんびりとした、田舎の町をイメージしていたのだ。

 しかし、実際にはその逆で、高層ビルなどが立ち並び、人の数も物凄く多い。私が住んでいる町などよりも、はるかに大都会だ。

 それに、この〈グリュンノア国際空港〉も、物凄く巨大だった。向こうの世界の空港よりも、はるかに大きい。宙に浮かんでいる掲示板を見ると、いかに多くの便が航行しているかが、よく分かる。

 私は、急に不安になって来た。自分自身ではなく、娘のことがだ。あの世間知らずで、適当な性格の子が、こんな大都会で、上手くやって行けているのだろうか? しかも、見ず知らずの、異世界で……。

 私は、とりあえず、地図の掲示板を探す。メールで送ってらった地図もあるが、この世界では、スマホの位置情報機能が、使えない。

 両世界対応の『デュアルホン』も、売られている。だが、異世界に来る予定がなかったので、そんなものは、用意していなかった。

 私が周囲を見回していると、
「風歌ちゃんの、お母様ですか?」
 後ろから、声を掛けられる。

 振り向くと、穏やかな表情を浮かべた、見目麗しい、若い女性が立っていた。白い制服に身を包み、腕には翼のマークの、ワッペンをつけている。

「もしかして……リリーシャさんですか?」
「初めまして。〈ホワイト・ウイング〉の代表をしております、リリーシャ・シーリングと申します」

 彼女は頭を下げ、丁寧に挨拶をした。動作はゆったりとしているが、とても上品で洗練されている。

「娘が、大変お世話になっております。風歌の母の、如月 雪華きさらぎせつかと申します」
 私も慌てて、挨拶を返す。

 想像していた人物とは、かなり違うので、少し驚いてしまった。メールの内容も、とてもしっかりとしており、もっと歳がいっていると、思っていたからだ。

 見た感じでは、まだ二十代前半では、ないだろうか? しかし、とても落ち着いて大人びており、不思議な風格があった。若いとはいえ、流石に、会社の経営者をしているだけはある。

「それにしても、これだけ沢山の人がいる中から、よく私が分かりましたね?」
 メールのやり取りだけで、会うのは初めて。当然、お互いの顔は知らない。

「仕事柄、お客様を見つけるのが、得意なのです。それに、風歌ちゃんと、よく似ていらっしゃったので」

「似てますか?」
「はい、とても」
 彼女は嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべながら答える。

 風歌は、昔からよく『父親似』と言われていた。性格も、几帳面な私とは、完全に正反対だと思うのだけど。どこら辺が、似ているのかしら――?

 などと考えていると、
「お荷物、お預かりいたします」
 彼女は、そっと手を差し出してきた。

「いえ、大丈夫です」
「初めての場所ですし、手が空いていたほうが、観光が楽しめると思います。いつも、お客様のお荷物を、お預かりしておりますので。どうぞ、ご遠慮なく」

 とても柔らかな言葉遣いだが、不思議な説得力があった。私は、自然に荷物を差し出し、彼女の指示に従っていた。

「では……お願いします」
「それでは、ご案内させていただきます」
 彼女は、私のキャリーバッグを引きながら、ゆっくりと歩き始める。

 背筋をピンと伸ばし、歩き方も美しい。なるほど、あの子がこの仕事に憧れるのも、何となくわかる。

 でも、ガサツで上品さの欠片もない風歌に、こんな美しい振る舞いも、気の利いた対応も、どう考えても出来るとは思えない。

 なにより、見た目が全然違う。彼女は、女性の私から見ても、物凄く美しく見える。まるで、モデルや芸能人のようで、風歌とでは、月とスッポンだ。

「お仕事のほうは、大丈夫なのですか?」
 もしかして、仕事の途中に来てもらったのでは? と気になり、訊いてみる。

「本日の業務は、全て終わりましたので。風歌ちゃんが、とてもよく働いくれるので、定時には仕事が終わるんです」
「はぁ、そうですか――」

 本来、メールで送ってもらった地図を頼りに、直接、会社に向かう、手はずになっていた。なので、わざわざ迎えに来てくれるとは、思わなかった。

 ただでさえ、風歌が迷惑をかけているのに。これ以上、迷惑をかけるのは、気が引けてしまう。

 私は、彼女の後について外に出ると、大きな駐車場に向かった。彼女の立ち止まった場所には、オープンカーが停まっていた。

 でも、タイヤはついていないので、例の空飛ぶ乗り物だろうか? 以前、テレビの『異世界特集』で、ちょっとだけ、見たことがある。ただ、車が空を飛ぶなど、今でも信じられない……。

「後ろのお席にどうぞ。座られたら、シートベルトを、締めてください」
 彼女は扉を開けながら、説明してくれる。

 私は、指示に従い着席すると、すぐに、シートベルトを装着した。彼女は、手際よく、荷物を助手席に置くと、静かに運転席に乗り込んだ。

「では、参ります」

 彼女の言葉を聞いた直後、私の体は強張った。座席のシートを掴み、足の裏に力を入れる。

 高所恐怖症ではないが、こんなむき出しの乗り物が、空を飛ぶなど、想像もつかなかった。何だか、ジェットコースターにでも、乗るような気分だ。

 スーッと、静かに機体は上昇し、地上の建物が、みるみる離れて行った。思った以上に、上昇スピードが速く、まるで高速エレベーターみたいだ。

「空を飛ぶ乗り物は、初めてですか?」
「え、えぇ――。時空航行船ぐらいしか」
 私は、緊張した声で返す。

「風歌ちゃんは、毎日、空を飛び回っているんですよ」
「あの子が、空を……」

 あまり、ピンとイメージが湧かない。元々運動神経は、いい子だったけど。確か、これを動かすには『魔力』が必要なはずだ。風歌にそんな器用なことが、出来るのだろうか?

 いつの間にか、機体は前に進んでいた。あまりに静かなので、気付かなかった。それに、全く揺れも振動もなく、心地よい風が頬を撫でていた。思いのほか快適で、普通の車よりも、むしろ乗り心地がいかもしれない。

 少しずつ気持ちが落ち着くと、下に広がる景色に目をやった。空が暗くなり掛けており、町のあちこちに、灯がともっていた。

 沢山の建物が並んでいるが、整然としていて、とても綺麗な街並みだ。はるか先のほうでは、海岸線に、真っ赤な夕日が、沈んでいるところだった。町全体が赤みを帯びて、とても色鮮やかに見えた。

「とても美しい町ですね。海に囲まれているのも有りますけど、いい感じで発展していて」

「昔は、大きな建物も少なかったですし、もっと雑然としていました。ただ、観光に力を入れ始め、大幅な区画整理をした際に、今の近代化した街並みになったのです」 

 私は、潮の香が混ざった風を浴びながら、眼下の町と、行きかう人々を観察する。『異世界』だというから、異種族や宇宙人でも、いるのかと思っていた。でも、向こうの世界と、全く変わらない。

 歩いている人も建物も、見慣れたものが多かった。魔法で進化した文明なので、若干、違う部分もあるが、生活様式は、特に変わらないようだ。少しホッとした気分になる。

 しばらくすると、都心部から住宅街に、景色が変わった。何となく、風も変わったような気がする。やがて、白い羽の看板の付いた建物に着くと、ゆっくり降下していく。空港からは、十分ちょっとの距離だ。

 着陸すると、
「お待たせいたしました。〈ホワイト・ウイング〉へ、ようこそ」
 彼女は扉を開け、私に手を差し出してくれた。

 私は、彼女の手を取り、ゆっくり降りると、周囲を見回す。正面には事務所、大きな庭には、テーブルがいくつか置かれていた。

 事務所の反対側には、水路があり、船が何台か係留してある。事務所の右手には、大きなガレージがあり、中には何台も機体が置いてあった。

「それでは、ご案内いたします」
 彼女は、私の荷物を持つと、事務所の中に入って行く。私もキョロキョロしながら、あとに続いた。

 正面には、受付カウンターがあり、その奥には、事務机が何組か置いてある。白を基調とした内装で、室内の照明はとても明るく、清潔感が漂っていた。そんなに広くはないが、とても小ぎれいに、整理されている。

 事務所を通り過ぎ、扉をくぐると、奥には階段があった。私たちは階段を登り、二階に向かう。私の荷物は、かなり重いはずだが、彼女は何なく持ち上げ、静かに進んで行った。流石はプロだと、感心する。

 二階の廊下を少し進むと、ある扉の前で立ち止まる。扉には『休憩室』のプレートが付いていた。

 彼女は扉を開け照明をつけると、
「どうぞ、お入りください」
 私を中に招き入れてくれた。

 大きな枕とふかふかの布団のベッド。三面鏡の付いた化粧台。ソファ―とテーブル。小型冷蔵庫にクローゼット。観葉植物も置いてあり、壁面には絵画も飾ってあった。結構、広々としており、一般的なホテルの部屋よりも、はるかに豪華だ。

 室内はとても清潔で、掃除が行き届いている。ベッドのシーツも、しわ一つなく、綺麗に整えられていた。

「この部屋は、滞在中、ご自由にお使いください。もし、足りない物がありましたら、言っていただければ、全てご用意いたします」

「あの――部外者の私が、本当によろしいのですか? 会社の施設を、使わせていただいて」

 メールには『宿泊する部屋は、こちらで用意いたします』と書いてあったが、まさか、会社の施設だったとは。てっきり、ホテルの予約を、してくれているのだと思っていた。

「元々は、泊りがけの仕事の際に使うために、用意された部屋ですが。実際には、使ったことはないのです。なので、今は来客用の部屋になっています。それに、社員のご家族は、立派な関係者ですので」

 彼女は、柔らかな笑顔で答える。

「はぁ、そうですか……」

 娘が、数ヶ月もお世話になっていながら、一度も挨拶に来ていないのに。関係者と言われるのは、何とも心苦しい。しかも、仮眠室程度ならいいのだが、部屋が豪華すぎて、何とも落ち着かなかった。

「この部屋は、風歌ちゃんが、整えてくれたのですよ」
「えっ、あの子が?!」
 まさかの言葉に、私は一瞬、固まった。

「普段、全く使っていないのですが、風歌ちゃんが小まめに、空気の入れ替えや、お掃除をしてくれているんです。以前は、あまり手入れをしていなかったので、ほこりっぽかったのですが。風歌ちゃんのお蔭で、物凄く綺麗になりました」

「事務所も機体の掃除も、全部、風歌ちゃんが、やってくれているんですよ。細かいところまで、丁寧にやってくれるので、とても助かっています」

 彼女は、私の荷物をクローゼットにしまいながら、色々と説明してくれる。

 私は、唖然としながら、周囲を見回した。玄関の靴はひっくり返り、部屋は脱いだ服や雑誌が散乱し。居間のソファーで、テレビを見ながらゴロゴロしていた、あの超絶だらしない風歌が――。いったい、どんな教育をしたら、こんなに几帳面に?

 ホコリ一つない、手入れの行き届いた部屋を見れば分かる。慌ててやっても、ここまで、綺麗にはならないからだ。定期的に、かなり細かく、掃除をしているのだろう。途中で通って来た事務所も、とても綺麗になっていた。

「それでは、一階もご案内いたします。化粧室・洗面所・シャワー・キッチンなどは、全て一階にありますので」

 私は、驚きを隠せないまま、彼女のあとについて行った……。


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次回――
『突っ込みたい気持ちを抑え影から見守るのも意外と大変よね』

 子供を見守るのが大人の役目だろ?
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