歌姫は若き王を落としたい

５話 デートをしましょう！（１）

　お茶会から一週間後、アルテシアはシュミル王国から貸し出された侍女たちに頼み、レーヴェン王国から持ってきた中で一番お気に入りのドレスを着るのを手伝ってもらっていた。薄紫から下にいくにつれて次第に濃くなっており、小さな真珠があちこちにつけられたドレスだ。胸元にはリボンがつけられており、そこには大粒の真珠が二つ三つ縫いつけられている。
　ユイリアの指示の元、侍女たちの手によってアルテシアの見た目は変貌していく。その様は相変わらず自分でも信じられないほどで、思わず「いつ見てもすごいわよねぇ」と呟いた。
　その言葉に、ユイリアはあからさまにため息をついた。

「ご自分のことでしょう？　そもそも、アルテシア様は普段から着飾れば――」
「あー、はいはい。いつもの説教ね。もう聞き飽きたわよ」
「それならば着飾ることを嫌がらないでください」

　その言葉に、アルテシアは返事をしなかった。ただじっと鏡に映る自らを見つめる。にんじん色の髪は耳よりも高い位置でひとつに結ばれ、緩やかなウェーブを描いて背中に垂れている。そして元来つり目がちだった瞳はどういうわけかいつもよりまろやかに、そして肌はより白くなり、唇はバラ色に輝いていた。
　すごいわね、とアルテシアはもう一度心の中で呟く。化粧も、侍女たちの技術も、アルテシアが一番輝く化粧の仕方や衣装を心得ているユイリアも、全てが素晴らしかった。きっと、これほどまでに周りに恵まれている人はなかなかいないんじゃ、と思ってしまうほど。

　だけど――普段から着飾るのはダメだ。だってそれでは疲れてしまうし、それに何より、ここぞというときにこそ着飾るのがいいのだと勝手に思っている。

　――そう、例えば今日のような日に。

　アルテシアは口元を緩めながら視線を滑らせ、窓の外を見た。清々しい青空が広がっており、まさに絶好のデート日和だ。

　お茶会は毎日続いていた。ユイリアに、恋をしていると言われて動揺したせいで一度は失敗してしまったものの、それ以降は気持ちを切り替えて大きな失敗はしていない。
　……ちょっとだけ気まずくて、小さな失敗は繰り返してしまっているけれど。小さな失敗だから大丈夫なはずだ。きっと。おそらく。
　とにかくなんとかなっている。そうして穏やかな日々を過ごしていると、ユイリアにデートをしてはどうか？　という提案を受けたのだ。

（と言っても、王宮の庭を歩くだけだけれど）

　ここに来たばかりのころユイリアが集めてきた情報によると、オズワルドはよく王宮の庭園を散策しているため、今日はお茶会をキャンセルしてそれにお邪魔させてもらうような形だ。なにせ国王である彼は忙しい。あまり長く執務室を離れられない、とお茶会の打ち合わせのときにレオンから聞いた。だからあまり時間をかけないように王宮内で済ませることにしたのだ。
　……それに街へのデートだと、ほんのり気まずい雰囲気になっている今では逃げ場がなくて居心地が悪くなってしまう可能性がある。それはなんとなく嫌だった。そのため、気まずくなったらすぐさまその場を離れることができる庭園が良いと、作戦会議のときにユイリアに訴えたのだ。
　……デートなんて思うと恥ずかしいが、ただ一緒に散歩をするだけだ。なんとかなるはず。

　そんなことを考えていると、支度が終わり、侍女たちがすっとアルテシアの傍から離れた。鏡を見れば、美しく着飾った令嬢がそこにはいて、ユイリアや侍女たちの技術の高さに感心する。

「これなら大丈夫ね」
「ええ。きっとシュミル国王陛下もアルテシア様の魅力を実感することでしょう」

　ユイリアがそう言い、胸がざわざわとした。だけどそれはどうしてかそれほど不愉快ではなくて、緩みそうになる口元を引き締め、部屋の扉へ向かう。そしてドアノブへ手をかけると、後ろを振り返り、にっこりと笑って言った。

「じゃあ、行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃいませ」

　そう言うと、アルテシアは扉を開けて外へ出た。



　まず向かうのは、オズワルドの執務室だ。お茶会をするときと同様にアルテシアが迎えに行き、それから散策をする予定になっている。
　なおオズワルドにデートをしよう、などとは言っていない。気恥ずかしいし、なんとなくそんなことを言える雰囲気ではなかったのだ。だけどきっとなんとかなるはず。
　慣れた道を歩いて部屋の前へ着くと、そのままノックすることなく扉を開けた。

「失礼するわ！」

　そして一瞬後、アルテシアは目に入った光景に思わず固まった。
　扉の正面にある執務のための机。そこに腕を枕にして顔を伏せながら、オズワルドは微動だにしていなかったのだ。……いや、僅かに背中が上下している。しかし、アルテシアが入って来たのにも関わらず顔を上げることはなかった。無視されることはいつものことだが、今日は普段と違う体勢だ。

（これは、もしかして……）

　緩む頬をそのままにそっと扉を閉め、そろりそろりと足音を立てないようにしてオズワルドに近づいた。そして机のそばまで来ると、ゆっくりと横を向いている彼の顔を覗きこむ。
　やはりと言うべきか、オズワルドは目を閉じて眠っていた。すぅすぅと穏やかな寝息を立てており、思わず口元を綻ばせる。
　こうして改めて見ると、彼はかなりの美形だ。ほどよく焼けた肌に、意外と繊細な青みがかった黒髪。そして女性顔負けの長いまつげ。

　だけど……。アルテシアは彼の目元をじっと見つめた。そこにはうっすらと隈が浮かんでおり、よくよく観察すれば肌も僅かに青白いような気がする。

（お茶会だとやっぱり体調のほうはどうにもならないものね）

　ハーブティーなど体に良いものにしてもらっているが、やはり睡眠を取った方が良いのは間違いないだろう。きゅ、と胸元で手を握りしめた。どうしてだか、胸が切なくて、苦しい。胸の内で不安が膨れ上がり、どうにかなってしまいそうだった。
　そのとき、オズワルドがわずかに身じろぎをした。「ん……」というくぐもった声が耳朶を打つ。
　その瞬間、なぜだか急に暑くなって、アルテシアは手でパタパタと扇ぎながら、もう片方の手でオズワルドの背中に触れ、ゆっくりと揺らしたわ。

「起きて」

　すぐには起きなくて何度か声をかけると、彼はゆるりと瞼を押し上げた。髪と同じ黒々とした瞳には無表情な自分が写りこんでいて、どきりと胸が跳ねる。それを隠すためにアルテシアは慌てて彼のそばから離れると、ふん、と鼻を鳴らした。

「私が来たのに寝てるなんて損ね。ほら、シャキッとしなさい。デートに行くわよ」
「…………ああ」

　アルテシアの言葉に、オズワルドは体を起こすと、ぼんやりと宙を見つめながら頷いた。嬉しくなってふふ、と自然と笑みを浮かべたが、オズワルドが再度「……ああ」と言うとすっと表情が抜け落ちる。
　……しばらく待つと三度オズワルドが「……ああ」と言った。つまり、これは――。
　アルテシアは引きつった笑顔を浮かべながら、拳を震わせる。我慢我慢……と自らに言い聞かせていたが、四度オズワルドが「……ああ」と頷くと、こらえきれずに手を振り上げた。

「ちゃんと起きなさいよ、このバカァ！」

　スパーン、と甲高い音が部屋に響き渡った。