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4話 捕らわれの姫君
散りゆく者と託される命
しおりを挟む「しかし、逃げるといってもどこからどうやって行ったものか……」
「そこから行けば良い」
「うわ、びっくり」
独り言に応える声がありました。
視線を向けると、極彩スライムの一匹が私の傍に控えて粘質ボディを震わせていました。
「しゃべれるスライム?」
「言葉攻めをする際に使うよう仕込まれた」
「ああ、納得」
話を戻します。
極彩スライムが提案する脱出経路とは、すぐ目の前にある鎧の勇者がぶち抜いた大穴のことです。
この穴は外壁が崩れてできているわけで、考えるまでもなくすぐそこに外界の景色が広がっています。
ただし、百メートル下までは何もありません。
「これはさすがにどうにも……」
霞む地面を見下ろし、半笑いを浮かべます。
冒険者見習いAの私が、こんなところから飛び降りて無事で済むはずがありません。
「そうか。では手伝ってやろう」
「え? きゃ」
油断しました。
極彩スライムは怪物たちのお仲間。
気軽にお話ししていて良いはずがありません。
私は大口めいた触手にぱっくりと飲み込まれ、次には強烈な浮遊感に襲われます。
しっちゃかめっちゃかで追いつかない思考は放棄して、反射的に身を縮込ませてぎゅっと瞼を瞑ります。
そうやって死を覚悟するよりも早く、地面に到達していました。
極彩スライムの身の内より解放されます。
「おお……、着地成功?」
「うむ、造作もなかったな」
半信半疑で上を見上げれば、遥か高い外壁にぽつんと開く穴。
とてつもない高さから飛び降りたにもかかわらず、五体満足。
質素ながらもお気に入りの冒険者服は、消化どころか染み一つありません。
極彩スライムは着地の瞬間、体組織の粘度を高め、ゴムのように性質を変えて、衝撃を受け流したとのこと。
「如何にスライムの身体が衝撃に強くできていようと、普通なら跡形もなく飛び散っていたところだ。いやはや、無理やり融合吸収させられた時はどうなるかと思ったが、何かと便利な身体じゃないか」
しみじみと思い直す極彩スライムに、私はお礼と質問をします。
「助かりました。けれど、何故?」
「お嬢ちゃんに頼みごとがある。こいつを一緒に連れ出して欲しい」
極彩スライムの触手の中からひょっこりと姿を現したのは、手乗りサイズの青色スライムでした。
「あら、小さい。お子さん?」
視線を合わせて手のひらを差し出すと、ぴょんと軽く跳んで私のもとへ。
「構いませんが、このままあなたも逃げてしまえば良いのでは? お子さんと一緒の方が何かと楽しいでしょう?」
提案に、しかし極彩スライムは小さく身を震わせました。
「一度でも魔神王と目を合わせた者は呪縛に支配される。許可なく城を出入りすることはできない」
「まあ、そんな仕掛けが?」
恐らく魔法の一種でしょう。
魔神王が扱うそれは、呪力と呼ばれる呪いの力をもたらし、相手の自由を奪い取るのです。
お姫様を怪物に変えてしまったのも、この力によるものでしょう。
「お嬢ちゃんは上手くやったね。魔神王の言葉によって呪詛が解かれている」
先程の退室許可のことでしょうか。
そんな意図はありませんでしたが、まあ結果オーライということで。
「でも、待ってください。リンネさんは普通に跳んで行ってしまいましたけど?」
「うむ。不思議なことにあの調教師の娘には呪いが発動しなかったようだ。魔神王の呪力を跳ね除けるとなると、女神の寵愛を受けているとしか思えない。我々が手を出せなかったことといい、あの娘には神聖な力が働いていると見える」
女神と魔神王は対極の存在。
リンネさん自身が敬虔な信者であり、かつ加護を付与されたアイテムをいくつか所持していたことでしょう。
彼女ならではの脱出方法です。
「私は君らのようにはいかない。ここから一歩動いただけで神罰が降るだろう。だからこの子を君に託したいんだ。まだ生まれたてのこの子は、魔神王の力に侵されていないから」
極彩スライムはそびえ立つお城を見上げ、しんみりした声で生い立ちを振り返ります。
魔神王に囚われ、城で過ごしてきた彼女の生きる世界は、もう城の中にしかないのだと。
「スライムは環境に適応し続けることで生き延びていく。拷問用として調教された私は、もう外の世界で生きてはいけない。私はそれで構わない。だが、この子には肉を味あわせてやりたい。いろんな世界を見て、立派なスライムになって欲しい。……調教師の娘の言葉を聞いて、そんな風に思ってしまったのさ」
半透明な身体の内側から真っ直ぐ見つめてくる核に、私は頷きを返しました。
「私を食べたりしないのなら」
「うん、お嬢ちゃんは懐が広いな。良い子だ」
極彩スライムはふるふると身を震わせ、気持ち良く笑ったように見えました。
「命ぜられるままに女子供を辱め、拷問し、いたぶり続けてきた。だが、お嬢ちゃんの泣き叫ぶ顔は見たくないと、そう思うよ。心からね」
名残惜しむように触手を伸ばし、青スライムの頭を小さく撫でます。
「行っておいで、愛しい我が子。広い世界を見て来るといい」
「行ってきます。そして、さようなら」
嬉しそうに肩の上で跳ねる青スライムの代わりに返事を返し、私は城に背を向けて森の方へと歩き出しました。
瞬間、眩い白光が空間を埋め尽くし、数瞬遅れて凄まじい雷鳴が轟きます。
「うわっ、何?」
驚きとともに振り返り、視界を焼き尽くす光の氾濫に堪えること数秒。
バチバチと空を走る稲光の中に、極彩スライムの姿はなく。
真っ黒に焦げた地面には小規模のクレーターが穿たれ、薄く煙が立ち上るばかり。
「……城から一歩でも出たらって、もしかして……」
ルールを犯した者は、城に戻ることすら許されない。
突き付けられた真実を前に、ごくりと喉を鳴らします。
すべて覚悟の上、だったのです。
「……」
今は亡き恩人に、最大限の敬意を込めて無言で一礼。
肩の上で震える小さな青スライムに呼びかけます。
「行きましょうか」
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